#9 時を刻む人

確か朝方に火力発電所を出たはずだった。それなのに昼を過ぎても家に辿りつかないのは単に道に迷ったからだ。


地図を見ればいいじゃないかと言われるだろうが、発電所に忘れてきてしまったのだ。忘れた事に気付いたのは道に迷ってからで、発電所に戻ろうにも戻り方がわからない。


これは困った。


そもそも発電所は山奥に存在していて山道を歩いて行かねばならないのだが、目印となるものが殆ど無く地図が無いと迷いやすい道となっている。


昔は看板なども分岐点に備え付けられていたのだろうけど、今は誰もそれを管理していないから看板もどこかへ行ってしまった。


まぁ理由や原因はどうであれ道に迷ったのは事実だ。


僕はとりあえずどこかへ辿りつけばと思いながら山道を歩き続ける。しかし、同じような景色が続き辿りつく気配がない。


このままでは夜になってしまう。


発電所に行く時は夜道だったけど、地図のおかげでだいたいの方向がわかっていた。分岐点さえ間違わなければ周りの景色を記憶する必要も無い。だけどそれが良くなかったのかもしれない。


行きと帰りでは選ぶ道も変わる。見える景色も変わる。一度間違えてそれに気付かず歩き続けると質が悪い。


戻る事も出来ないし、目的地にたどり着く事も出来ない。


本当に困った。



かれこれ6時間以上も歩きっぱなしで、さすがに僕も疲れてきて適当な場所で腰を下ろした。少しだけ休憩しよう。


「早く家に帰りたいな……」


不意にそんな言葉が漏れた。その時だ、過去の記憶が蘇る。


あれは確か、僕が出かけて家に帰って来た時の事だ。


“ただいま”


と玄関の扉を開けて父さんと母さんに声をかけた。しかし、“おかえり”の返事は無くて、変だなと思い僕は二人を探した。


すると、二人は仲良く首を吊ってこの世界を出て行っていたのだ。


その頃は周りでもそういう人が大勢居たから、二人もその選択を選んだのだなと酷く冷静に受け止めていたように思う。


でも、どうして僕に何も言ってくれなかったのだろう?もしくは一緒に出て行く事を持ちかけてくれなかったのだろう?持ちかけられたからと言って出て行く気は無かったけれど、何故か疎外感を抱いたのは覚えている。


二人がそれを持ち掛けて来なかったのは、きっとその選択は間違っているという認識があったからだ。だから僕には言えなかったのだろう。それは親としての優しさなのかもしれない。


だからといって、僕はその優しさに感謝する事も出来ない。


取り残された僕はどうすればいい?


“おかえり”という言葉を期待していた僕の気持ちはどうすればいい?


二人が未だにブラブラと揺れているのは、いつかまた僕にその言葉を投げかけてくれるのではないかと幻想を持っているからだ。


ただいま


おかえり


ただいま


おかえり


世界が普通だった頃、当たり前のように飛び交っていた言葉。どこの家でも聞く事が出来た挨拶。それが今では聞く事が出来ない。言う相手もいない。


僕が観測対象を探して歩いていたのは、きっと寂しかったからだ。人を観る事が好きだったというのもあるが、その根底に潜むのは孤独という感情が有ったからだと思う。


その孤独感が浮上して僕の前にハッキリと姿を見せれば、きっと僕もこの世界から出て行くかもしれない。


全世界の人間がこの世界を捨てれば、僕も捨てる事だろう。


早く誰かに会いたい。


孤独と言う化け物が僕に襲いかかる前に、家に辿り着かなければ……


僕は腰を上げて「さてと」と声を出す。「歩くか」


独り言を漏らさないと寂しくなる。だけど独り言はやっぱり虚しい。


そこでふと、僕はあれ?と思った。


どっちから歩いて来たっけ?


またもや進むべき道がわからなくなった。それぐらい覚えておけよと思うが、疲れていたというのが言い訳である。


とりあえず下りの方向を僕は選んで足を進めた。


ジャリジャリジャリ


小石が靴底の溝に絡みつき音を出す。


ジャリジャリジャリ


ジャリジャリジャリ


進んでも進んでも同じような景色。

もしかしたら同じ道をグルグル回っているのではないかと錯覚させられる。そんなはずは無いのだが、どうも下山出来ているようには思えない。それでもこのまま進めばどこかに辿りつくだろうと僕は歩き続けた。


ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ




どれぐらい歩いただろうか?

結局街に辿りつけぬまま、日は落ちて暗闇が支配する世界となった。

真っ暗で道の先に何があるのかわからない。でも、その先には何かがあるはずなので歩き続けるしかない。


その時だ。右足のつま先に大きめの石がぶつかり、僕はバランスを崩して前のめりに倒れた。


辛うじて両手をつき顔面強打を避ける。うつ伏せ状態となり、急接近した地面とはいち早く距離をとりたいものだ。


しかし、どうも腕に力が入らない。それは疲労からくるもので、起き上がる元気が今の僕には無かった。身体の欲求に従うならば、このままずっとうつ伏せで倒れていたいモノだ。


しかし、そうもいかずに僕は膝をつき、弱々しい腕で地面を押して四つん這いの状態へと持ち込む。


このまま立ち上がるのもいいが、僕はお尻を地面につけて座る選択をした。立ち上がれば歩かなければならない。歩く事に疲れた僕は、少しだけ休憩したい気分であった。


体育座りをして闇の向こう側を見つめる。どんなに熱心に見つめたとしても闇は闇のままで、向こう側に何があるのかすらわからない。


いや、もしかしたら本当に何も無いのかもしれない。


そこはいわゆる虚無なのだ。喜びも悲しみも怒りも愛情も何も無い世界。


いつかは訪れるはずだった世界。こんな世界にならなければ、誰もがその世界へと足を踏み入れるはずだった。


だけど、いつまで経ってもその世界の入口は見えず、ならばと人々は自らでその扉を作り入って行った。


有限の世界から無限の世界へ……


僕は闇を見つめながら、その選択も良いかもしれないと思い始めていた。一人観測対象を見つけては、観測が終われば次の人を探す。それの繰り返し。


観て探して観て探して。


その先に何があるのだろう?

全世界の人を見終えたら、僕は誰を観ればいい?

観る対象が居なくなったら、僕に残された選択は他のそれと同じではないか?


ならばいっその事、今すぐその扉を開けてこんな世界とおさらばするのも良いかもしれない。


僕は目を閉じて膝に顔をうずめた。

出て行くのは簡単だ。木の枝に首を吊れそうなものを巻きつければ良い。そういやベルトをしていたな。それを使うか?うんうん。それを使おう。


……とその時、僕の耳に音が転がり込んできた。

非常に小さな音で、周りが騒がしければ聞き逃していたであろう音だ。僕はその音が何なのか確認しようと、その音に耳を集中する。


そして、僕は音の正体が何なのか理解した。


歌だ。


しかも、聞き覚えのある歌声。


「宇田部さん?」


僕はさらに耳に集中して、歌の発信源を探す。

聞こえてくる方向に重たい足を引きずりながら進んだ。そして、暗闇なので危険なのは承知だが、草むらの中に足を踏み入れ歩んでいく。


すると星のような灯りが見えてきた。


ポツポツと温かい光が確認できる。


街だ。街がある。


そこから歌声は聞こえてくる。どういう理由かわからないけれど、宇田部さんはスピーカーを使い大音量で唄っているのだ。


しかも新曲だ。


歌詞はハッキリと聞き取れないが、新曲のような気がする。


僕は、その新曲の中に入りたいと思った。そして、じっくりとその曲を味わうのだ。


そうだ。こんな所で道草を食っている場合ではない。


歩かなければ。


立ち止まらず。


歩かなければ……!


それまで重くなっていた足が急に軽くなる。

僕はシロイさんが照らしてくれている灯りを目指して、最後の力を振り絞り足を進めた。


歌声を頼りに暗闇の中を前進する。灯りに勇気づけられながら街を目指す。それまでこの世界から出て行こうとしていた僕の心は、再びこの世界に留まる事を望んでいた。


道なき道を進む事数時間。僕の目にくっきりと街並みが見えて来た。

歌声も大きくなっている。

家に帰りたいが、その前に宇田部さんに会いたくて、僕はコンサート会場のビルを目指して歩いた。


そしてビルの前に行くと、なんと十数人もの人がそのビルの前で歌声を聴いているではないか。


この街にまだこれだけの人が居たのか……と僕は驚き、ビルの玄関扉に手をかけて押してみる。すると、扉は開き僕は中へと入った。


僕が入るのを見て、他の人もそれに続く。


なんだか僕が連れて来たみたいな構図になっていて、少し恥ずかしい。


そして階段を使って屋上を目指す。前に来た時はどこも鍵がかけられていたが、今回は屋上への扉もすんなりと開いた。


屋上への扉を開くと、さっきも大音量だったけれど、それよりもさらに大音量で僕の鼓膜を震わせる。さすがにここまでくると耳が痛い。


宇田部さんは僕の姿を見て唄うのやめた。そして、視線を横に移す。すると、その視線の先にはモノちゃんとリュウちゃんが居た。


僕の姿を確認したモノちゃんは僕に近寄って来る。リュウちゃんもその後ろに続く。


「私が宇田部さんに頼んだの」


モノちゃんの第一声はそれだった。


「ほら、あんたさ、家に帰って来ないから道にでも迷ってるじゃないかと思って」


その通りだ。僕は道に迷っていた。その事実が恥ずかしくて僕は頭をポリポリとかく。


「それか出て行ったのかなって。まぁ、ぶっちゃけどっちでもいいんだけどさ。出て行ったなら出て行ったで」


モノちゃんのその言い方に少し寂しくなる。僕の事なんてどうでもいいという事か?


すると、後ろに居たリュウちゃんはモノちゃんに向かって言った。


「えーー?お姉ちゃん、どうしたんだろう?ってずっと心配してたじゃん!」


「バカ!」とモノちゃんは少し顔を赤らめてリュウちゃんの頭を叩く。「それは言わない約束でしょ!」


それを聞き僕は安心した。この世界に残るのは間違いじゃ無かった。


僕の後ろから付いてきていた人達が、ぞろぞろと屋上内へと入ってくる。その人の流れの中には、穴を掘っていた人もトキコさんも居る。

宇田部さんは音量を少し下げて再び歌を唄い始めた。


僕は騒がしくなる前にモノちゃんに言う。


「ありがとう」


感謝の言葉を聞いたモノちゃんは「ありがとう?」と返す。


「その前に、言う事あるんじゃない?」


その前に?


「えーーっと……心配かけてごめんなさい」


モノちゃんは「違う違う」と軽く首を左右にふって呆れた表情を見せた。


他に何があるだろう?と暫く考えた僕は、あーアレか、と一つの言葉が頭を過り、それを口にした。


「ただいま」


モノちゃんは「うん」と頷き、笑顔を見せて僕に言う。


 

 

「おかえり」

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

止まった時の中で ねこがめ @nekogame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ