第8話 その感情は嫉妬

 ◆ 8 ◆


 ハルヒが分裂――? 一体どういうことなんだ?


「キミと旧交を改めた僕を放置するか、それを阻害して独占を続けるか……決めかねたんだろうね。涼宮さんは迷いに迷った。そしてその分岐点に、僕ら……といっても僕自身に何ができるわけでもないからね、名指しするならば九曜さんが――介入し、少しばかりの情報操作を行った……まぁそれは彼女の弁だがね。僕にはよくわからない。ただ、キミのところの長門さんの動きを止めるとか、そんなことを言っていたね。そうすることで、こちらの世界への優位性を高め、結果……この平行世界が生まれた。僕らはそう認識している」


 よくわからんが……じゃあ、こっちの世界はどう分岐した結果だっていうんだ?


「おいおいキョン。この状況にあって、それを認識しないというのは、さすがにキミの頭脳の回転を疑ってしまうぞ? 確かに非常識な状況下ではあるが、もう少し頭を使ってくれたまえ。それとも、キミはわかっていても、それを認めたくないとでもいうつもりなのかな?」


……無言の返答を返す俺。だが、佐々木の言う通りだった。その証拠は、今俺と佐々木がいる、この閉鎖空間そのものにあった。佐々木にこの力があるということは、ここはハルヒが佐々木の存在を無視しなかった世界だってことなんだろう。


 さっき佐々木は『介入した』といった。そして『情報操作』と。それは聞き覚えのある言葉だった。部室の指定席で本を読む無表情な同級生を思い出す。そして……その顔に表情を浮かべた、同時に『別の世界』にいた長門の儚げな仕草と表情も……。


 あの時、長門はハルヒの能力を自分に移し替え、世界を作り替えた。一年前、いや今から遡れば二年前の時点から、世界と自分とを書き換えた。今の長門には出来ないことらしいが、佐々木についている宇宙人……周防九曜に同じ事ができないとは言い切れない。つまりそういうことなんだろうか。


「残念だが少し違うね。キミは橘さんが語った僕の存在を忘れてはいないかい? 九曜さんはあくまでも観測者だそうだしね。彼女は涼宮さんの意思と能力の方向性を少し変えただけだそうだよ。つまりは、こういうことだ。彼女は僕をライバルとして認めた。そこから先の世界では、僕は彼女と対等な立場になる。まだ、同じ学校の同じ教室で同じ部活に所属している……という彼女の絶対優位性は揺るがないとしても『対等であると認めた』という意識が大切なのだそうだ。だから僕は手に入れることができたんだ。なにしろ『対等』だからね。彼女の力も、仲良く半分にもできるってわけさ」


――そうか、そういうことなのか。きっかけが必要だ、そう橘は言っていた。だが……そのきっかけが、こんな形になったということなのか。


 だが、移し替えなんだか割譲なんだかわからんが、橘がハルヒのインチキパワーは佐々木にいくべきものなのだ、と言っていたのは、佐々木が安定した精神を持っていて、世界を改変するなんてことはないだろうと考えていたからだ。


 しかし、佐々木の安定というのはこいつ一流のポーカーフェースでしかなく……結果、今、こいつは閉鎖空間を生み出し、世界を作り替えようとしている。やれやれ、橘の泣き顔が見えるようだぜ。


「彼女には悪い事をしたかもしれないね。だが利用しようとしたのは彼女も同じ事。僕に力を自覚させ、九曜さんを引き合わせてくれたことには感謝しているがね。僕にも人並み……いや、それ以上に世界を変えたい願望があったってわけさ。ちっぽけなものだがね」


 どうだい? そう言いながら佐々木はくるりと背中を向けながら、すっかり構造物がなくなってしまった学園跡地と、まるで主の命令を待っているかのような<神人>を、伸ばした腕で示し、再び俺に顔を見せた。


 どうだい、と言われてもな。お前が大変だったのは……その……わからんでもない。こんな場所壊しちまえと思ったのも、理解ができるなんて図々しいことは言えんが、納得はできんでもない。


 だが……俺がそう言いかけたところで、佐々木はいつになく鋭い口調で俺の言葉を遮った。もう涙は流れておらず、やや興奮気味にまくし立てる。


「軽々しく否定はして欲しくないな。キョン。お説教も沢山だ。僕が大変だったろうって? そうさ、僕は酷く大変だった。でもキミは僕のそばにいなかったじゃないか。涼宮さんや、あの先輩や、長門さんと楽しくやっていたんだろう? 僕がこの地獄にいる間ずっと」


 俺には返す言葉がなかった。佐々木が無茶な事を言っているのもわかったが、こいつの一年間の苦痛に対して俺が語るべき言葉はなかったからだ。


「それに大体卑怯なんだよ涼宮さんは。キミを独占していたんだからね。もちろん僕はキミと進路を違えたのだから、同じ学校にいないという現実は仕方ないとしよう。だがどうだろう? 同じ街に住んでいる同じ年齢の二人が、一度もすれ違うことなく一年という月日を過ごすかい? 確率論は提示しないよ。何故ならば、全てを偶然に委ねていたわけじゃないからね。なにしろ僕は、中学を卒業してからというもの、しばしばキミを探していたんだ。これがどういうことかわかるかい?」


 お前がいつどこで俺を探していたかはわからないが、偶然会えなかった……ってな話じゃないよな。


「その通りだよキョン。もっと積極的に、例えばキミに電話をしたり、直接家に行ったりということもできただろう。だが僕はそれをよしとしなかった。それは……まぁわかってくれとは言わないが、僕のプライドでもあり、僕の持論に対するエクスキューズであり、そして僕の意気地のなさの表れでもあった。でも、キミの面影を求めて街を放浪していたのは事実なんだ。キミとよく行ったファーストフード店にも、二人で自転車に乗った道も、キミが初めて僕に御馳走してくれたクレープの屋台前も、二人で単語帳をもって出題し合いながら歩いた公園の小道も、キミと別れる時にかけたい言葉を飲み込んだバス停もだ。他にも挙げればキリがないさ。僕はそんなところをずっと彷徨い歩いていたんだよ。キミと他愛もない話がしたかった。許されるならキミに甘えて泣く事だってしたかった。でもキミはいなかったんだ。そしてその間ずっと涼宮さん達と一緒にいたんだ」


 顔が熱くなる思いだった。こいつがそんな風に思い悩み、俺を捜していたなんて、まるで想像もできなかったからだ。


「わかるだろう? 僕が探してもキミの面影さえ見つけられない間、キミは涼宮さんと一緒にいた。でも僕らは逢えなかった。何故? そう広くもない街で、それも若者が歩くような場所なんて限定されているにも関わらずね。涼宮さんと一緒にいる姿さえ、僕は昨年末になって初めて見たのだよ」


――つまり、彼女が独占したいと思っていたから独占されていたわけなんだよ。


 佐々木はそう言うと、憤然とした表情を眉に浮かべた。


 佐々木に言わせると、年末に遭遇できたのは、ハルヒにとって『余裕』が芽生えてきたからだという。それがなんの、とは明言しなかったが、代わりに『ツバでもつけたつもりだったのかね』と鼻を鳴らしながら吐き捨てた。


 ハルヒのトンデモパワーで俺と佐々木が遭遇できなかったというのは、コイツの勘ぐりではないかと思う俺もいたが、あいつの強制力を考えると、それもあながち否定できない。それでもあいつに付いていっていたのは、俺の意思ではあったが、その外側でどのような事が起きていたかまでは認識の範囲外だ。


 なんとも言えない気分で、佐々木の顔を見つめていると、やがて眉間の皺を解いた佐々木は、ちょっと凄味のある笑みを浮かべてから言った。


「だからね、キョン。僕も彼女に倣う事にしたのさ」


 どういうことだ?


「そうだね。僕がこの力を手に入れて、もっともしたかった事は……今の世界の破壊さ。おっと怪訝な顔をしないでくれ。僕が破壊したかった世界なんていうのは、小さなものだからね。学生にとって世界とは、学校と家と、まぁ予備校などの舞台だけさ。その世界の枠組みの中で生きていかねばならない。それはわかるだろう。だからね、僕は自分の世界を破壊したいと思ったのさ。だから学校を破壊した。その上で都合良く作り変えようと思うんだ……一年と少し前からね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る