第3話 破壊、そして

 ◆ 3 ◆


「随分と我が学舎は見窄らしくなってしまったね。もっとも自分の手で――これは些か比喩的な意味だが――自らの手で破壊した結果なのだがね。やれやれ、振り返ってキミの表情を見るのが少々怖ろしいね。僕が今どんな表情をしているのかをキミに見られるのも、キミがどんな表情をしているのか僕が確認するのも、両方の意味でだよ。キョン」


 俺、俺の表情か。多分自分でも驚くほどマヌケなツラをしているに違いない。


 なにか佐々木にかける言葉を出そうと模索しながらも、俺の口は開け放たれたまま音を出さず、そして次々と繰り返される破壊行為から目を背ける事も出来ず……なんとも中途半端な状態だからな。


「だが、ここを破壊して最後だ。これが終わったら、僕は振り返らなければならない。オーケストラの指揮者は演奏が終われば客席に頭を下げるべきだからね。静粛なる聴衆に対する感謝を持って、ね。勿論拍手やアンコールをキミに求めるつもりはないよ。くっくっ」


 佐々木は右手の指を校舎の3階の一角に向けた。


「キョン。最後に破壊するのはあそこだ。唯一カーテンが開いている教室が見えるだろう? あそこはキミがこの世界に招き入れられたときに居た場所さ。つまりは僕の教室なんだ。キミはどこの席で目を覚ましたか憶えているかい? ああ、こんな質問はなかったね、失敬。さすがのキミも、自分が目を覚ました時に見知らぬ教室にいたら恐慌としたかもしれない。そんな状況で自分の周囲を具体的に認識するなど困難の極みだということは想像に難くないからね」


 くつくつと喉を鳴らして笑う佐々木。


 確かに細かい事は憶えちゃいない。だが目覚めた席の場所なら憶えているぜ。窓際の一番後ろから二番目の席だ。だからあそこの窓から、校庭にいるお前をすぐに見つける事ができたんだ。


「そうかい。くくっ……妄想というか、まぁ願望というべきかな? それは本当に正直で、そして怖ろしいものだね。キョン、それは僕がキミにいて欲しかった席なんだよ。もっとも現実世界では、全くキミとは似ても似つかない別の人物が座っているのだがね」


 俺は何も言葉を返せないでいた。この学校のものと思しき制服を着せられ、佐々木が望んでいたという席に座らされていた俺。そこから導き出される佐々木の願望、そんなものはいくら俺の脳の出来があまりよろしくなかろうが、すぐにわかる。つまり、佐々木は俺に存在して欲しかったのだ、こいつの通う、この学校に。


 そしてその理由も朧気ながら想像できていた。こいつが自嘲気味に語りつつ破壊した校舎。その破壊理由。佐々木は、この学校を地獄だと言った。そして好意的な言葉は一つも出ていない。


 傷つけられ、罵られ、中傷され、そして、孤立していた。そう佐々木は語っていた。だから――。


「キョン。キミがあの窓から僕を見つけて、すぐに駆けつけてくれたことに感謝するよ。僕自身は確認していないから、なんともいえないのだが、キミがあの教室に長居して、後ろの席をみなかった事に対する感謝だ。きっとそれを見ていたら、血を熱くすることを拒絶し、日常に対するモラトリアム主義者を気取りながらも、人並み以上の正義感と呼べるものを保持しているキミは不愉快になっただろうからね」


 佐々木は教室を指差していた手を降ろすと、校舎の逆側に顔を向けて嘆息した。横顔は巨大な影に覆われていて、その表情を解析することはできない。


「あの窓からはね、この学校の最寄り駅が見えるんだ。そしてその先には何があるかというと、僕らの住む街の駅があるのさ。キミと僕が再会した自転車置き場のあるあそこだよ。加えて言うならば、その先には――これは僕の方向感覚が間違っていなければ、だがね。キョン、キミが通う北高があるんだ」


 言い終えてから、佐々木はさも可笑しそうに笑い始めた。口を押さえて身を捩る。沸騰した鍋のお湯のような喉から漏れる独特の笑い声。だがその姿は異様に芝居じみてみえた。


「くっくっくっ! 我ながらなんとも情けないね、そして愚かしく、悲しいことだ。キョン、笑ってくれたまえ。キミが目を覚ました席の後ろ、つまり教室の窓際最後尾の席はね、僕の席なんだよ」


 堪えきれなくなったように口から手を離すと、佐々木は――あはははは――と声を上げて笑った。学芸会の歌劇で『笑い』の芝居をさせられた道化役のように。


「ああ可笑しい。いや、すまないねキョン。だがこの独り語りももう少しで終わりなんだ。今のキミと僕の関係は、一時的に楽団の指揮者と聴衆、舞台上の演者と観客、そのようなものになっていることにしておいてくれたまえ。さて、次の台詞だ。そう、一つ一つキミに説明しなければいけないね。先ほど僕が言った事だ、キミが後ろの席を気にしていたら、不愉快な思いをしたっていうことだね。それはね、僕の机の表面に様々な傷が入っているからだよ。ひょっとしたら油性インクの痕も残っていたかもしれないね。無論、それらは自分でやったことじゃない。だが……そうだね、思い出すのも嫌悪を催すが、この学校に入学。いや、この地獄に入獄してからすぐに行われた学力テストの結果が公示された辺りかな、その頃から恒常的に、その現象は続いているんだ」


 さっきまで話した僕の自傷的独白に添って考えれば、どういうことかキミにもわかるだろう?――佐々木はそう続けた。


「油性インクなど、リムーバーで拭ってしまえばすぐに落ちる。ああ、リムーバーというのは、マニキュアなどを落とす除光液のことさ。意外かい? 僕も一応は相応の年齢の婦女子だからね。それくらいのものも知識も持ち合わせているのさ。残念なことに購入に踏み切った理由は、自らを装飾したものを拭いとる為ではなかったがね。そうそう、傷にしてもね、可愛いものさ。なにしろ進学校だからね、噂に聞くような彫刻刀での凄まじい傷というわけじゃあない。せいぜいシャープペンの先端やカッターでつけた程度のものさ。下敷きさえ敷いてしまえば答案用紙に記述するときに困るものでもない。そんなもので僕を困窮させることができると思っているのだから、これは嘲笑せざるを得ないね、そうは思わないかいキョン」


 俺は開けっ放しだった口を閉じて、その中で声には出さず呟いた。いやがらせ、そんなものじゃない。妨害工作、そんなものじゃない。俺たちの年齢くらいには、佐々木が遭遇した様々な事に対する、おきまりの表現があった。


(いじめ……か……)。


 その結論には随分と前に到達していた。だが、どういうわけか俺はそれを認めたくなかった。認めたくなかったから、その表現に到達するのを拒否していた。


 だが、最早それは意味をなさなかった。そんな三文字に集約しきれない、数々の暴力、そう直接的にせよ間接的にせよ、肉体的にせよ精神的にせよ。佐々木の日常にあったのは、まさしく『それ』なのだ。


「ふふふっ……笑いごとさ、笑い事なんだよ。だがね、それはこの僕に対する妬みや嫉みなどがもたらす、彼らの稚拙な暴力や威嚇や中傷や妨害に対することじゃあないんだよ、キョン」


 本当に嘲笑うべきは――そう繋げてから、佐々木は再び教室を見上げ、そこに<神人>の拳を振り下ろさせた。


「僕自身なんだ」

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