第2話 少女は語り出す
◆ 2 ◆
「まず紹介すべきは、あそこだろうね。正面玄関だ。といってもただ下足箱があるだけのエリアさ。どこの学校にもあるものだろう? そこで外履きの靴を学校指定の下履きに履き替える――それだけの場所さ。普通はね」
佐々木は虚ろに語る。
「だがね、キョン。下足箱には鍵をかけられるわけではない。まぁこの辺り日本の学校設備のプライバシーセキュリティが見直される時期も遠からず来るのだろうが、現状はそうではなくてね。無論、この学校のそれも同様だ。そうなるとどういうことが起きるか想像できるかい? キミが不思議現象を体験したいくつかの事例のように、未来人や宇宙人からの手紙が入っていたわけじゃない。そうならば僕の退屈な日常も少しは緩和されたかもしれないが……キョン、僕の下足箱に入っていた多くは、僕に対する中傷や悪口雑言を書き連ねた匿名の投書だったのだよ」
言い終えると同時に、校舎をまたいだ<神人>が、佐々木の指差した校舎の一階に、その巨大な爪先をめり込ませた。
ガラスや金属やコンクリート――数秒前までそこを構成していた物質が砕け散る凄まじい破壊音に、思わず身を竦める。
「くっくっ……この構造物はなかなか頑健に出来ているね。地震などの災害時などには学校に避難するといいなどと言われているが、それは校舎という建物の頑健さから来ているそうだ。図らずも、その実証になったわけかな。それともこの僕の空間では、僕の意思を反映して――まだ破壊が続けられるよう、物理法則を無視してくれているのだろうか? これはなかなかに興味深い疑問だね」
俺は言葉を発せずにいた。一度に大量の情報をぶつけられると人間の脳は、その情報を処理するのに時間がかかる。ましてや俺の脳程度の性能じゃ尚更だ。
佐々木はなんと言った? 中傷や悪口雑言を書き連ねた匿名の投書? なんでそんなものがコイツの下駄箱に入ってたっていうんだ?
いや、想像できないことではない。だが、俺はその想像を否定したかった。
ハルヒは閉鎖空間内で自分のストレスを無意識的に発散させていた。世界に対するストレス、それが転化した存在。
いつぞや古泉に連れられて初めて入り込んだ閉鎖空間内で、俺はそれを見た。目についた建物を片端から破壊する<神人>の姿を。
そしてその矛先は、あの学校の閉鎖空間内に出現した<神人>の姿にも投影されていた。校舎、俺たちの教室、そして部室棟さえ――ハルヒの<神人>は破壊した。
SOS団を結成するまでのストレス、結成してからのストレス。なにも起こらない平凡な日常、その舞台へのストレス。それらが、ああした形になって現れたのだと俺は想像していた。
だが、それらはあくまでも無意識の表出だってはずだ。しかし今のこいつ、佐々木は違う。明確な破壊意思と目的を持って、この空間の校舎を破壊したのだ。そしてその原因は――。
「ふむ。それでも下部から破壊していては、いずれ自壊してしまうかもしれないね。僕が手を下すより先に……そんなことは許されないことだ。そうだろうキョン? なにしろまだ僕はキミに学舎を紹介し終えてないのだからね」
佐々木は次々と校舎を指差しながら、説明を加えていった。
「軽いところから行こうか。あそこにあるのは体育館だ。学習指導要領なるものがあるのはキミも知ってのとおりだが、この、模試で成績を上げて、より有名な大学への進学者数を増加させる為だけの競争機関にも、体育の授業なんてものがあるんだ。バレーボールだのバスケットボールだのをやらされてね。ただしそれは授業内容で行われた球技の名称であって、僕が受けた授業内容はどうやら違ったようでね。僕の記憶が正しければ、それらの球技はチーム戦であったと思うのだが、僕は一人だった。いつでもね。そしてもう一つ付け加えてもいいだろう。カゴ状のゴールや、ネット越しの相手コートを狙う種目のはずが、彼らの放つボールは僕の身体に向かって飛んでくるのさ。ああ、パスのことじゃないよ? もっともぶつけられたのはボールなんていう名称の物ではなく、悪意という名の感情だった事の方が多かったがね」
体育館のドーム状の屋根を<神人>の拳が貫通した。そのまま薙ぎ払われ、踏みつぶされ、次第に原型をとどめなくなる。柱をもたない構造物は、あっけないほどの短時間で、その姿を瓦礫に変えた。
「あそこは念入りに破壊しておきたいところだな。体育館の校舎側に給水場があるだろう? 見えないかな? あそこで何度も手や顔を洗ったものさ。汗や涙を洗い流すためならよかったんだが、それ以外のものを洗い流すためにね。詳しく聞きたいかい? くっくっ……やめておこう。キミは優しいからな。僕の独り語りを強引にやめさせるかもしれないからね」
給水場が踏み砕かれた。
「本校舎の5階は特別教室が備わっていてね。図書室やら音楽室やら視聴覚室なんかがある。情操教育とやらの必要施設とのことだ。書籍やら音楽やら映画やら……そうしたもので感受性を育てる為の施設ということになっているね。これらは本来、静粛を旨とするべき場なんだが、どうやら本校では、騒ぎ立てずとも音を立てずとも人を傷つけることを学ぶ場として活用されていたようだ。もっともこれは僕の特殊体験から導き出された偏見かもしれないがね。だが、事実だ」
五階の一角に突き刺さした腕を横なぎに払う。窓と窓を隔てる壁も柱もお構いなしに、全てが横一線に繋がり、そして崩壊した。
佐々木と、その<神人>は次々と説明しては、その場所を破壊していった。各種教科室、試験結果が張り出された廊下、職員室、各階のトイレ。そして――俺は、佐々木の自傷的な独白と、その破壊行為を何も言えずに、ただ見ている事しかできなかった。
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