第1話 その少女との邂逅
◆ 1 ◆
「やあキョン」
校庭に佇む人影は、俺がここに来るのを見越していたように、背中越しに声をかけてきた。
探したぜ佐々木。といっても、ここに出る最短ルートをだけどな。なにせ全く知らん場所だ。
「くっくっ……それは申し訳なかったね。礼儀を弁えるならば、せっかく招待した友人だ。僕が現在通う学舎を手ずから案内すべきだったね」
まぁ、それは普通の世界で文化祭なりなんなりがあるときにでもしてくれりゃいい。今はそれどころじゃないだろ?
「確かにその通りだね。そして、キミの期待に添えない事に僕は申し訳ないと言わざるを得ない。一時は儚くも描いたプランの一つではあったんだがね」
どういうことだ?
佐々木はまだ俺に背中を向けたままだ。大仰に肩を竦めてみせてから、疑問には応えずに言葉を繋いだ。
「閉鎖空間――確かキミや橘さんは、そう呼称していたね。ああ、この学校自体のことじゃないよ。この、今僕らがいる超常的な空間、そのもののことさ」
そうだな。といっても、俺もよくは知らんのだがな。うちの古泉がそう言っていたのを耳から脳に書き込んだだけだ。俺としちゃあ、もっと非常識であることを自覚させるような呼称を推奨したいところだが、妙案も浮かばないので放置している。
「くっくっ。非常識、か。確かにその通りだ。ふむ、存外よく似合っているじゃないか。キミが着ている……いや、僕の妄想が着させた制服だがね。どこか窮屈なところはないかい? なにぶん裁縫ごとはあまり得手ではない僕の妄想がもたらした産物だ。それに僕が袖を通したことがあるものでもないからね。着心地やら機能性に若干の不安を禁じ得ないところではあるんだ」
佐々木は振り向くと胸の前に組んだ腕を崩し、左の人差し指を顎に添えながら言った。
相変わらず芝居じみた仕草だな。お前の妄想の産物だかなんだかしらんが、別にこの制服にイチャモンを付ける気はないぜ。裸で呼び出されるよりゃましさ。
「相変わらずだね。だが実にその不変さが心地好いよ。こんな非常識極まりない状況に放り込まれても、キミはキミとして安定している。それがまた僕の妄想を確信へと近づけてくれる……それは、なんとも複雑な気分ではあるが、こうしてキミと会話している事自体は不愉快でも不快でもないんだ。ともすれば恐慌状態に陥りかねない僕を、とても……そう、とても安定させてくれる」
濃霧のような光の世界で、佐々木の貌は逆光になって見えない。まるで意図的に俺に表情を見せないかのように。俺はその光に少し視界を薄めながら応えた。
よくわからんが、前にこういう経験をしているんでな。そんなに取り乱しようもないってことさ。
「そうだったね。以前キミの口から直接聞いた事があるし、それから橘さんが話してくれたことでもある。キミが涼宮さんと共に、数時間の間世界から消えて、そして帰ってきた冒険譚をね」
そんな大袈裟なもんでもない。我が儘な団長のストレス発散に付き合わされただけだ。そして行って帰ってきたところで、世界はどうだかしらんが、俺自身の状況は悪化する一方だからな。
「くくっ。なんともキミは素敵に愉快だよ。その倦怠的に自嘲する癖を改めれば、ちょっとした冒険小説の主人公にだってなれそうな状況であるのにね。世界が理不尽な変容を遂げそうになったのを、キミの行動で止めたわけだ。少しは誇ってもいいと思うのだが。彼ら、つまり冒険小説の主人公らに倣って、キミも少しばかり血を熱くしてみてはどうなんだい? 存外サマになるかもしれないよ」
お前にそんな読書傾向があるとは知らなかったが、そんなつもりはない。面倒だからな。それより佐々木――
「ああ、そう急かさないでくれたまえ。キミが繋ぎ変えようとした話題は、僕が勝手に引き継がせていただくことにしよう。この状況に説明を……そういうことだろう?」
ああ。あの時のハルヒと違って、お前は自分の力を自覚していたはずだ。そしてその上で、そんな力を必要とはしない、そう言っていた。『僕には現実に迫った模試や日常の雑事があって、そんな超常的な世界に関わっている時間はない』とな。
俺が言い終わらないうちに、佐々木は再び背中を見せる。その視線の先には校庭にのし掛かるような影を落とす校舎が聳えたっている。
「さぁ……どうだったかな……いや、確かにそんなことを言ったね。キミの記憶力は、こと学問に関する事以外であれば、相当な正確さを見せていたからね。あの頃、中学時代から――」
自己評価を高くするつもりはないが、まだ数日前の出来事を忘れるようなら、ちょいと色々な事を心配しなくちゃならんだろう。それにお前との会話を聞き流して忘れるほど、俺は薄い友誼を結んだ覚えはないぜ。そりゃ全部が全部憶えてるわけじゃないがな。
「くくくっ! 困るなキョン。あまり声を挙げて笑うのは僕の主義にそぐわないんだよ。思わずその自律に反しそうになってしまったじゃあないか。これをジョークで言っているのじゃないのだから困るね。キミが僕を喜ばせてくれることに否やはないが、キミがそこまで僕との友誼を高位においてくれているなんてね。これから僕が実行すべきことに、いささかの躊躇を禁じ得なくなってしまうよ。だけどね、キョン……残念ながら、僕は止まれないのさ。何故ならば、僕がそうしたいからね。そしてキミが述べてくれた僕とキミとの関係を、僕がよしとしないからさ」
意味がわからん。一体どういうことだ。お前はなにをしようっていうんだ?
「ふむ。このまま事を進めてしまっては自己満足の極みだね。僕自身はそれでも構わないのだが……いや、キミをここに巻き込んだのは他ならぬ僕の妄想であるし、それは願望でもある。そしてキミがここに立ち会うことにも大いなる意義があるのだろう。僕が考える以上にね。何しろ僕はまだこの力の全てを把握しているわけではないからね。まぁ……むしろキミには何も知らないでいて欲しかったところもあるのだが……」
本来、佐々木は饒舌なやつであったが、それは俺との会話で、俺をその膨大な知識と舌先で丸め込むのが目的だった。いわば言葉の弾幕だ。
だが、今のこいつはその大半を一人語りに用いている。俺に語りかける体裁はあるが、その内情は自問自答だ。
こんな非常識空間。おそらく俺たち二人以外には、生命を持って動くもののない、この閉鎖された空間で、こいつは饒舌に自問自答を繰り返している。
――おかしい。
国木田や中河のいう『変な女』なんていう外周10メートルくらいからの客観的な見解なんかじゃない。仮にも中学三年生の一年間を学校や塾の隣の席で、自転車のサドルと荷台で、ファストフードの差し向かいで、図書館のテーブルで、距離にすれば半径1メートル以内で見てきた俺の見解として、今の佐々木はおかしかった。
佐々木、お前なにをする気なんだ……?
逆光の背中に向かって歩を進めながら、俺は佐々木に疑問を投げかける。それは茫漠とした疑問であり、そして命題的な疑問でもあった。
「ん……? 失敬、少々思考の迷宮に足を踏み入れていてね。まさかこの期に及んで考える事があったなど、まさしく思いの外なのだが。さて、キミの疑問に応えるべきだろうね。そう『なにをする気なんだ』か。それなら簡単さ、せっかく我が学舎にご足労願ったんだ。やはり紹介すべきだろう?」
まぁその気持ちはありがたいが、今はそれどころじゃないんじゃないか?
「くっくっくっ。まぁそう急かないでくれたまえキョン。僕としては初めての、そして最後とすべきスペクタクルの真っ最中なんだ。少しばかり芝居がかったり大仰になったりもしたいものさ。劇的に、そう劇的に行うべきなんだからね。重複を詫びつつも進めさせていただくよ。僕はキミに紹介したいんだ。我が愛すべき親友に、僕が通う学舎を――そして、僕が囚われている地獄をね……」
地獄? 一体どういうことなんだ?
俺の疑問はその途中で急停止させられた。これまで瞼を薄く閉じざるを得ないほどだったオックスフォードホワイトの光が、急に消えたからだ。
数歩先にある佐々木の背中が、今やくっきりと見えた。見覚えのない制服の背中。きっと今俺が着させてられている男子用のものと対になっているのだろう、こいつが通う進学校の制服。
その黒い後ろ姿が『影』に飲み込まれた。光源の変化だろうか、こんなことがこの空間でも起こりうるのか、いや、逆にこんな空間だからこそ――今度は俺の思考が急停止した。
影が差すということは、光を遮るものがあるはずだった。俺と佐々木の視界の先には5階建ての校舎があり……そしてその先に、俺は『この場にあらざるもの』を見ていた。
「まぁ、その紹介さえも最初で最後のものになるんだがね。くっくっ」
佐々木の声はどこか虚ろな響きを持って俺の聴覚を震わせた。俺は既に台詞を放った佐々木の背中を見てはいない。俺の視線はそれより遥か上――校舎の5Fを越えて、その先にある異様な『人影』を見つめていた。文字通り、呆然と。
それはまるで熾火に未だ盛る炭の様だった。粘度の高い溶岩の様だった。
闇の赤、透明な黒。
それは巨大な人の様な姿をしていた。
脳裏に友人の古い言葉がよぎる。
『物理的には自分の重さで立つことも出来ないはずなんですがね――』
<神人>。
古泉がそう呼んだもの。
橘が佐々木の閉鎖空間での存在を否定したもの。
ハルヒの閉鎖空間で『世界』を破壊せんと大暴れしていたもの――。
それがそこに、いた。
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