「正しい」言葉

 「正しい」言葉の使い方などはこの世にはない。

 同じ言語を使う者の多数が、許容できる使い方とそうでない使い方があるだけだ。


 国が示しているのは、公文書の処理を円滑にするための目安に過ぎない。

 学校の指導要領に書いてあるからと、それを正として、国民が従わなければならない道理はない。

 これが正しい使い方だと、国が個人に強いるのは、完全なる越権行為である。そのような権限を我々は国に与えていない(国も与えられたとは思っていない)。


 言葉には余裕・余白がある。ぶれがある。それがストライク・ゾーンの中に納まっていれば問題はない。

 人間は変わっていく存在なのだから、その操る言葉もそれに合わせて変化していかなければ、道具としての用をなせない。


 ただ、同じ言語を扱う者の多数が認める使い方を、便宜的に「正しい」と表現するのはしかたがない。

 しかし、それはゆいいつの基準であってはならない。


 言葉は、他と識別がつけば十分である。

 逆に言えば、識別がつかない使い方は、これをたださなればならない。



 同じ話で、漢字の「正しい」書き順などはない。

 書き順などは好きに書けばいい。

 視認性と効率性を考えると、伝わっている書き順に従うのが妥当だが。


 「正しい」漢字の書き方も読み方も、字義も解字もない。

 意味の通じる言葉づかいはあるが「正しい」言葉づかいはない。

 言葉は通じるか通じないかが幹で「正しさ」なるものは枝葉に過ぎない。

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