さようなら、わたし
人は死んで「む」になれると決まっているわけではない。
人が肉体を失っても、「わたし」というものが残る可能性は捨てきれない。
「わたし」であることに不満のない者はよい。死後も「わたし」でありつづけることは、天国に行くのと同じ話である。
逆に、「わたし」から解き放たれたい者にとっては、地獄に行くのと同じ話だ。
人が死んでも「わたし」を失わないと仮定してみる。
すると、天国も地獄も「わたし」の中にあることになる。
輪廻という考えは、日常生活の中から生まれてきたのだろう。
人生と言うのは繰り返しである。
苦にならない者はよい。
しかし、飽きた者にとって繰り返される日々は苦痛である。人がうらやむ生活であろうとも。
そこで、死ねば「む」になると思い込めればよい。
だが、死後も、この繰り返しの輪の中にふたたび投げ込まれるのではないか。
という疑問を持ってしまうと、いっそうの苦痛に苛まれる。
「む」になることはできないかもしれない。
では、「む」に近づくために人ができることは何であろうか。
それは、「わたし」を忘れようとすること、捨てようとすることだけかもしれない。
死んで「わたし」が消える確証はない。
生きつつ「わたし」を遠ざける。それが、「わたし」を無くすために、死ぬ以上にできることではないだろうか。
「わたし」の中から「わたし」を減らしていくことにつながれば、やすらかになれるだろう。
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