生を強要される私たち

 ホームレスを見て、彼らのように身をやつすぐらいなら自殺をする、と考えている人はすくなからずいるように思う。

 また、現在ホームレスの人の中にも、落ちぶれる前にそのようなことを考えていた人はいるだろう。

 いざとなったら死ねばよいという考えは、私からしてみると、あまりに楽天的な考えのように見える。

 基本的に、私たち人間はその構造上、自ら生を放棄することは難しいのではないかと、他人の生き死にを眺めるに、私は想像する。

 私たちは生を強要されているように、私には感ぜられる。


 生まれて来ないのがいちばんの安楽である。

 しかし、生まれて来てしまった以上、それは望めないことであり、考えてみても仕方のないことだ。

 生を強要されているという現実を受けとめて、生きている者がおぼえることのできる安楽を、追い求めていくのが最良であろう。


 地獄でも工夫をすれば、少しばかりかもしれないが、その苦痛を減らすことは可能であるはずだ。

 否定しても仕方がないのだから、生まれ落ちた境遇を受け入れ、苦痛を伴うものならば、それを減らす努力をするしかない。

 神がいるのかいないのかはわからないが、目に見える形で手助けはしてくれないようだから、自分で自分を救うしかない。


 自分が辛い境遇にいると思うのならば、多くを求めず、身を律し、早く過ぎ去ることを望みながら、黙々と働くのが最善だろう。

 生を自らめる資質をもって生まれてくる人間は稀であり、多くの者は生を強要される。

 後者にできることは、生が早く過ぎ去ることを願うことぐらいであろう。



 なぜ、事物が存在するのか。

 なぜ、自己を意識する私たちが存在しているのか。

 そこに大きな目的があるのか。

 なにも意味がなく、ただ束の間存在して、消えていくだけの存在なのか。


 上の問いに対して、私たちはほとんど何も知らない。

 わずかならがわかっていることのひとつは、私たちが生を強要されていることであり、それに対して後ろ向きな対応をしたところで、苦痛が増すだけで益するところがないことだ。


 なるべく安らかに生を耐えていく工夫をしよう。

 自分の身の丈を知って無理をせず、しっかりと働いて、良き家族、良き隣人となる努力をする。

 努力。生をやり過ごすうえで重要なのは、結果ではなく過程だ。

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