第4話 ライク・ア・ローリング・アップル

 まじヤバい来年こそ人生どうにかしなきゃ、と毎年除夜の鐘の鳴る十五分前くらいに吐き気がするほど思う。でも寝て起きたら忘れてるそんな焦りは。それこそ除夜の鐘みたいに、毎年決まった時間に繰り返すことだけが重要な伝統芸めいた不安。いつまで続くのかこんな毎日。いい加減人生を片付けないと。そうは思うけど何をすれば人生がどうにかなるのかが分からない。そもそもどうしたいのかも分からない。一体どうすれば、人生が「どうにかなった」ことになるんだろうか。


「それでハローワークは行ったの?」

「行ったよ、職業訓練の申し込みしてきた」

「ならいいけど。給付金貰うなら一日だって遅刻しちゃダメなんだからね、分かってんの。遅刻するってことは仕事できませんって言ってるのと同じなんだから。仕事に就く為の訓練でそんなの許される訳ないんだからね」

「そういう話じゃねえとか、色々思うけど、あなたが親だってことに免じてその暴言は聞き流すよ」

「当然でしょ、あんたが戻ってきただけで私倍働いてこうしてご飯奢ったりしなくちゃなんないんだから」

 母親に天ざるを奢られながら、俺はこの人とは一生分かり合えないだろうと思いつつ、別に分かり合えなかろうと生きてはいけるのだから構わない、それでも死んだ時には希望通りに遺骨を海に撒いてやるから、それで俺の孝行は全部だ、と改めて思っていた。他人のセックスで生まれさせられたって時点で、そもそも人生に救いなんかある訳ない。好きにやってりゃいいだろう、何でわざわざ生みやがる。それが愛だと言って生むことが許されるなら、これも愛だと言って殺したって構わないんじゃないのか。流石にこんなことをもう一々親に言ったりしないのは、俺がそろそろ三〇歳になるからではなくて、別に俺たちは分かり合う必要がないからだ。親の勝手で生み出されたのだから俺は俺の勝手で生きる。そのことに口は挟ませない。とは言え橋にも棒にも掛からない実家暮らしのアラサーのフリーターであるところの俺は今更家を追い出されても樹海くらいしか行く宛がないので、享受している経済的支援と釣り合うくらいの暴言は聞き流す。手前が生んだんだろ、と言わないという判断ができる程度には生きるということに狡猾になった。結局俺は死ねなかったのだから、どれだけ惨めでも、誰を欺いても、生きるしかないのだ。それは単に、林檎が樹から落ちるというのと同じくらい当たり前で取るに足らない事実だ。第一、生むなと言ったって母親だって別に生まれたくて生まれた訳じゃないだろう。それに俺を孕んだのだって父親にレイプされたことによってではないという保障はない。そこに愛があったかどうか、二人の当時の関係の力学がどのようなものであったかなど俺には知る由もないし、性に惹かれることが原理的に差別的なのだとしたら、あらゆる性行為はそもそもレイプでしか有り得ないのかも知れない。愛なんて言葉は、その暴力から人々の目を逸らさせ、種を存続させる為の単なる動物としての発明じゃないのか。だからまあ、俺が生まれてしまったことの責任を母親にだけ求めるのは筋違いだし、責任ということを言うならどう考えても父親にこそ求められて然るべきだろうと思うが、残念ながら幼い頃に別れた父親は最早何かしらの感情を抱く相手にはなり得ないほど関係が遠く、ならばまだ道端ですれ違い様に肩をぶつけられた男に舌打ちをする時の方が俺の感情は動いている気がする。まあつまり不可抗力である訳だ、何もかもが。俺は生まれたくて生まれた訳じゃないし、母親も生みたくて生んだ訳ではない(少なくとも俺にこんな風に世界を捉えて欲しいと望んで生んだ訳ではないだろう)かも知れないし、そもそも母親自身が生まれたくて生まれた訳でもない。それでも生きなくてはならないのだから、一々責任の所在を探ったって仕方ない。土台無理なのだ、そんなことは。存在の悲劇を真に嘆こうとするなら、その前に存在の謎そのものを解き明かさなくてはならない。しかしそんな元気はもう俺にはない。俺はもう、ただゴミを拾って、それをゴミ箱に捨てて、そんな風にして生きていければいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつものこと 東藤沢蜜柑 @non_poli_impo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る