人類は祝福されました

淡嶺雲

第1話

 地球は滅亡の淵にあった。

 環境汚染が進んだとか、核戦争が起こったとか、それとも小惑星が落ちてきたとか、そういう話ではない。宇宙人が攻めてきたり、太陽が爆発しそうであったりするわけでもない。

 ただ、子供が生まれなくなっているのだ。

過去数百年にわたり出生率が低下し、すでにもう四半世紀、地球では子供が生まれていなかった。十数年にわたり、ありとあらゆる不妊治療が試されたが、無駄だった。結局のところ、私の世代が、もっとも若い人類となった。

そして、最後の人類となるだろう。


今日はちょっと人に会いたくなったので、隣の家まで行ってみることにした。

隣の家といってももちろん簡単に行けるわけではない。かつて人は集落や町を作り集まって暮らしていたというが、それは昔の話。一番近い隣人でも、歩いて往復すれば半日とかかってしまう。

 ただ会いに行くなら歩きでもよいかもしれない。しかし訪ねるからにはなにか手土産が必要だ。そうなると徒歩ではちょっと辛い。

 そんなときが電動スクーターの出番である。作られたのは100年近く前だというが、物持ちよく今でも遠出の時には使う。荷台に私の畑で採れた野菜を詰めた行李を載せて縛ると、庭でかいがいしく働いてくれているロボットたち――これもまた相当古いものらしい――に声をかけて、友人のもとへとスクーターを走らせた。

 天気は極めて良かった。どこまでも青い空の下、もはや消えかけた道を、スクーターは走っていく。橋を渡り、森を抜け、草原を駆ける。

 水も空気も、昔では考えられないくらい澄み渡っていた。心地よい風は頬をなで、鳥は美しい声で歌い、色とりどりの花が咲き乱れている。

なのに、どうして、この世界は滅びようとしているのだろう。

そんな思いが頭をよぎった時、草原の彼方に佇む、パラボラアンテナの群と、陽光を受けて輝くソーラーパネルの海が見えてきた。


「やあ、よく来たね、ミカ」パラボラアンテナの主であり、ほぼ唯一の私の友人、エリは私を出迎えた。彼女はアカデミーを出て以来、この天文台で一人で暮らし、電波望遠鏡で宇宙の観測を続けている。「君と会うのは1ヵ月ぶりかな?」

「正確には42日ぶりね」私は答えた「これお土産の野菜。よい葉物ができたから持ってきたわ。それにしても……」私は持ってきた野菜を天文台の管理小屋の中に入れながら、エリを見てため息をついた。小屋はそう大きくなく、入ってすぐのところにコンピューターや、書類が山積みされた机があり、紙束は床にまで散乱していた。エリ自身もボサボサの髪にヨレヨレの白衣を着て、顔を朝洗ったかどうかすら怪しいなりであった。突っ伏して仮眠したのか、顔には眼鏡の跡があった「白衣は洗っているの? シャワーも浴びている? 汚れっぱなしじゃない。こんな時代でも……」

「女の子らしくしなくっちゃ、だろ」エリは私の言葉に続けていった。まだアカデミーがあり、そこに通っていたころの、エリに対する私の口癖だった。彼女は昔からだらしがなかったのだ。

「ご心配忝いがね、今更女の子らしくしても、男が寄ってくるわけでもないし。それに、今はそれどころではない。ここ数日は忙しくて夜もほとんど寝れていないんだ」

「何が忙しいっていうのよ、家事や農作業、ロボットのメンテナンスも全部ロボットにさせているんでしょ」

「面白いものをみつけたんだよ」彼女はやや興奮気味に言った。

「面白いもの?」私は野菜を運び入れおわり、少々玄関扉を乱暴に閉じながら答えた。

「まあ、順番に話すよ、これを見てくれ」彼女は0と1からなる数列がプリントアウトされた紙束を机の書類の山から引っ張り出した。紙をもらうと、椅子に座ってそれを眺めた。

「なにこれ、もしかして例の恒星間播種船の電波?」彼女がかつてこのパラボナアンテナを用いて探していた旧時代の宇宙船のことかと思った。人口が減り始めた人類は、種の存続の望みをかけて、銀河の各方面に遺伝子情報を載せた探査船を打ち上げていた。「それがどこかの星にでもたどり着いたの?」

「いや、違う、全然別のターゲット。4000光年先にある中性子星だ」

「中性子星? 死んだ恒星がなる、あの?」

「そう、中性子星だ。それが発している電波信号だよ」

「さっぱりわからない」私は紙を彼女につき返していった「これの何が面白いの」

「信号に規則があることが分かった。同じ数列を何百万回も発信している」

「ふうん」

「規則的な信号の場合、パルサーといって、電波を出す極と自転軸が一致しない中性子星が地球のほうを向いた瞬間だけ、つまり数秒に一度、信号を送ってくることがほとんどだ。この星も、5秒に一度、信号を送ってくる」

「それはそんなに珍しいものなの?」

「いいや、パルサー自体は銀河に遍在している。問題なのはその信号だ」彼女は再び紙を私に見せた「この一瞬だけ受信できる信号の中にゆらぎがあることがわかった。このゆらぎを数列にしたとき、信号はどうも同じ数列を繰り返しているらしい」

「同じ、数列を…?」

「うん、まるで何か伝えたいことがあって、それを何度も繰り返しているように」

「ははっ、なにそれ」私は思わず噴き出した「誰が何を私たちに伝えるのよ。こんな滅びゆく種族に、弔電でも送ってきている存在がいるの」

「逆かもしれない」彼女は眼鏡を白衣の裾で拭きながら、意味深に言った「誰かが私たちを助けようとしてくれているのかもしれない」

「それに何か書いていたとしても、何が書いてあるかなんてわかるわけないじゃない」

 私の言葉に、エリはにやりと笑った。それに私は一瞬たじろいだ。「もしかして、分かるの……?」

「いいや、一つの仮説を立てただけだよ」彼女は続けた「ヤハウェはヘブライ語でモーセに語り、アッラーはアラビア語でムハンマドに語った。ならば、何者かが我々に語りかけるとすれば、それは地球の言葉だろう。膨大な文章と照らし合わせることができれば、その中に、数列に適合する句がどこかに見つかるかもしれない」

「そんなことをして何になるの」私は言った「それが人類を救えるとでも?」

エリは頭を振った「いや、ただの暇つぶしだよ」

「暇つぶしなら、どうして夜も寝ないでする必要があるの?」

「暇つぶしだからだよ」彼女は答えた「そもそも今生きること自体が終末までの暇つぶしなんだ。生きることと等価なら、逆に言えば一生懸命しなくちゃというわけだよね」そういって彼女は部屋の片隅に積まれた箱を指さした。そして、にやりと笑って、有無を言わさぬぞという風に、こう言った。

「あそこに古代の図書館から発掘してきた本のメモリーカードが詰まっている。これをコンピューターに入力するのを手伝ってほしい」


 古代の図書館から発掘してきていたメモリーカードは思ったほど多くはなかったが、分野は数学や物理学の専門書や古代の神話や経典まで多岐に上った。そのテキストデータを入れてやると、コンピューターは暗号解読のアルゴリズムの要領で一致する文章を検索していく。

 すべてのデータを入れ終わったころは、すでに陽が沈んでだいぶ時間がたっていた。慣れない作業をした私とエリは、ベッドに横になりしばし仮眠を取った。


目が覚めたときまだあたりは暗かった。エリもぐっすりとまだ眠っていた。

 顔を洗い、湯沸かし器でコーヒーを入れようとして、ふとコンピューターの画面を見ると、検索は残り十分程度で終了すると告げていた。

 答えが出るとは全く思えないのだが、エリの思いつきにまた付き合わされてしまった。私は考えをめぐらせた。そもそも地球に伝えたい事があるというなら、どうして数秒に一度しか伝わらない方法を取るのか。地球に向けて確実に送ればよい。何百万回、何百億回と同じ言葉を繰り返す必要はない。

 何百万回と同じ言葉を繰り返す意味があるのは、修行の時だけだ。

 古代の修行者は、なんども同じ経典を繰り返し読んだという。中には数百万回と繰り返し経文を唱えた者もいた。得られる功徳は計り知れなかったという。

 そしてその功徳を簡単に得ようとする者もいた。マニ車と呼ばれる経文の入った円筒がつくられ、これを1度回せば1度経典を読んだのと同じことになる。

 一つの奇想が浮かんできた。回るものつながりである。もし回転する中性子星の表面に経文を彫ればどうなるのか。 

 マニ車を回したものは功徳を積む。それは人だけではない。風車が回れば風が祝福され、水車を回した水は功徳に満ち溢れるのだ。

 では中性子星を回すのは何だろうか。それは中性子星自身の質量が転化したエネルギーである。そしてそのエネルギーは電磁波となり放出される。中性子星自身が祝福され、その功徳に満ち溢れたエネルギーは電磁波となり地球へと降り注ぐのだ。

 自分で考えてもおかしな話だ、と思った。功徳が降り注ぐなら、どうして人類は滅亡するというのか。祝福されないから滅ぶのではないのか。

 そこまで考えてはっとした。

 マニ車の宗教――つまり仏教における最終目標は輪廻から解脱すること。祝福されるとはその目標に近づくこと。つまり、今後、人が生まれ変わらなくすることなのだ……

 そのとき、コンピューターが計算の終了を知らせた。画面には、検索結果が映し出されていた。私も見覚えのある文字列だった。56億年もかからなかった。すぐに救いはやってきたのだ。

 何かの衝動に突き動かされるように、私は窓を開く。暁を告げる薄明かりが、部屋の中へ流れ込んできた。私はそのまま空を見上げた。

 明けの空に、紫色の雲が細くたなびいていた。しだいにあたりは明るさを増し、雲は広がっていた。そして、見つめているうちに、雲は――紫色の輝く雲は――こちらへ向かって降ってきた。

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