第7話
まさに匪土蘭丸は五つの肉塊に分かたれて、転がっていた。
「どちらでもかまわぬ、少なくとも、これで生きておるときよりはいささかマシにはなった」
と、月光のもとに出てきた黄太夫は上機嫌でいって、どこから探し出してきたか、桐の箱などを小脇に、つかつかと寄ってきた。
「ひとつ、首だけはもらっておこう」
「それを、どうなさる?」
織之助が訊いたが、すっかり敬語になっているのは、誰もまったく気にとめない。
「織部の爺さんに届けてやろう」
「織部? とは、織部半三かえ?」
これは、蓮姫だ。
「たしか、将軍のもとにおる飯賀の上忍であったな?」
「左様」
「おまえは、たしかこう申しておったな。その織部半三なる者が、皆本義尊の依頼をうけ――飯賀にそれを受けるようすすめ、さきに出水に護衛としてつかわしておったおまえたちごと、出水を裏切らせたと」
「おおむね、そのとおり。ただし、飯賀で話をうけた桃地の爺さんも、欲の皮はおなじほどつっぱっているが、な。将軍側の報酬――飯賀の自治だの、幕府の隠密御用を承る身分だの、そんなものにつられて、ほいほいと手をかえした。今夜来た連中を直接さしずしたのは、むしろ桃じいだ」
桃地丹羽を「桃じい」にしてしまった。
「では、ゆきゃ、黄太夫」
蓮姫は眼をかがやかせている。
「その首を見れば、そやつも心穏やかではあるまい――いや、身をもんで悔しがろうな。わたしも、見たい」
「こちらの役目は姫の護衛、守り役とはちがう。いちいち、頼みをきく義理はないが」
「では、わたしがみずから織部とやらをこらしめにゆく。ついでに、義尊めにも平手のひとつでもくれてやろう。おまえは、来たくなければ来ずともよい」
「……護衛としては、ついてゆかねばなるまいな。ついでに化物の首ひとつ、持ってゆくのもおもしろかろう」
変な理屈だ。結局、つれだって織部半三に嫌がらせをしに行くのは同じであろうのに、なんだってこう、この姫君と忍者は面倒なやりとりを経ねば気がすまぬものやら。
「ところで黄太夫」
姫君は、いっそうわくわくとした様子でいう。将軍と織部半三をギャフンといわせる、そのたくらみに無邪気で残酷なよろこびを覚えているのかと思われたが――ちがった。
「その首、如何にして箱にいれるつもりじゃ? さんざん汚らわしいとかなんとかぬかしておいて、まさか手ずからやろうつもりではあるまいな」
彼女が心躍らせているのは、黄太夫が蘭丸の首をどう扱うかという一事であり、一心にのぞきこんでいるのは、その手もとであった。
「さて、かような首に、姫がまだ御執心とは思わなんだが」
黄太夫のほうはどうしても、蓮姫を逆撫でするような言葉をどこそこに入れずにはいられぬようだ。そこで相手の反応をうかがったが、なんと、姫は城下の子どもみたいにしかめっ面でべえ、と舌を出した。それから、珍しくも眼をぱちぱちさせたまま次の言葉も忘れたような黄太夫に、してやったりといわんばかりの笑顔となった。
憮然たる顔で、黄太夫は桐の箱を地におろし、中から黒布をとりだした。ただ、箱はすぐにまた蓋をしてしまう。
笑いやんで見守る姫と――それから、さっきから出番もなく置物然とそこにいる万里庄兵衛らのまえで、彼は右手で黒布を匪土蘭丸の首にかぶせた。そして、左手の指の節では箱の蓋をコツンと打った……が、なにがおこったのか、さっぱりわからない。黒布でさえ、首のかたちに盛りあがったままなのである。
ところが、黄太夫が黒布をとりのけるや――
「あ……っ」
ひとつではない口から、一様にそんな小さな叫びがあがった。布をとりのけたあとに、首はなかった!
「首は、ここにある」
にやりとして、黄太夫は桐の箱をあけた。あいかわらず正視に堪えかねるしろものながら、それだけにたしかにそれと判るものが、中にあった。
ほう、とつめていた息を吐きだしてから、蓮姫がたずねる。
「これは……なんとしたことじゃ、黄太夫」
「忍法――と、いってよいか、微妙なところだな。左様な言葉でひとくくりにするには、このわざは高尚すぎる、玄妙すぎる。……だから、あえて忍法とはいわぬ。ただ『万象拿移(ばんしょうない)』とよぶことにした」
「しかし……」
社甚左が顎をかいて、
「おれは……似たような手妻をみせておるやつを、むかし町なかで見た気がするぞ」
言ったあとで、しまったとばかり肩をすくめて黄太夫の顔色をうかがった。ほかの三人までも、おなじ瞬間、ぎょっと息をひいてかたまったが――意外なことに、黄太夫はふんと鼻を鳴らして笑ったのみだ。
「実のところ、着想はそこだ」
あっさりそう認めて、
「ただし、手妻でこれはかなうまい――」
両の掌を天にむけた。ひとつ、ふたつ、数える間に、右掌からは陽炎がたちのぼり、いっぽう左掌のうえの空間には、キラ、キラ、と月華にかがやくものがあらわれた。
「――さればこそ、『万象を拿(つか)み移す』という」
「……いまの、これも?」
なにかを、さっきのごとく右から左へ移したのか、という質問だ。
「万象とは、眼に見えるものばかりではない。いま移したのは、いうなれば熱……」
「熱?」
「左の熱を、右に移した……それで、左には氷の粒ができ、右には陽炎がたったのだ。さっきのように、箱や布で覆っておるわけではなく、もとより眼には見えぬものだから、どこにあったものがどこに移った、とは判りにくいが。玄妙というのはまさにそこだ。見えぬもの、ふだん意識しておらぬものでも移せることは移せるらしい」
いつになく饒舌な黄太夫だが、聞いているほうはちんぷんかんぷんである。一同、きょとんとしているのに、彼は苦笑した。
「まあ、よい。――さて、姫。こちらの支度はととのった」
蓮姫が、とたんに困惑の顔となる。ちょっと前に、売り言葉に買い言葉でなにやら勇ましいことを言いかえした記憶があるが、それを行動にうつした場合の具体的な像が頭のなかにあるわけではなかったのだ。
彼女は意味もなくあちらに眼をやり、こちらに顔をむけたが、ふと城外、山のつらなる方角をみて、
「――おお」
驚愕の声をあげた。
「……燃えておる……あの方角は――黄太夫、おまえが、将軍の潜んでおるといった山ではないかえ? 父上が、向かっておられたはずじゃが」
きっとして、ふりかえった。
「黄太夫! あちらは、……あちらはどうなっておるのじゃ!」
薬師黄太夫は彼女の目前にいて、目にする光景はおなじであるはずなのに、この尋ねかたは、現場からこちらへ急報にかけつけてきた者にでも対するようだ。もっというなら、黄太夫が現場から中継しているレポーターか何かのようだ。……この時代、テレビもニュースもありはしないが。
もちろん――忍者たちのみならず、蓮姫もまた、黄太夫がいまの質問に返答可能であることは、まったく疑っていなかった。
まえの日の朝のことである。黄太夫から将軍の奇襲を知らされた庄兵衛たちは、その事実を蓮姫に注進した。黄太夫は「知ったことではない」と言ったが、捨ておけるものではない。
姫はその父に注進し――最初に警告を発したのが黄太夫というので、その人格はともかく、腕がたしかなのはこれまで数度、姫にせまった曲者を討ちはたしたので唐実外記にも判っていたから、彼は物見を該当方面におくりこむいっぽうで、とっさに集められるだけの兵力をかきあつめ――ほとんど一族郎党と直接の家臣ばかりとなったが――奇襲部隊をさらに奇襲すべく飛び出していった。
女子供とそれをまもる程度の郎党は城外――戦時につかう山城に避難させた。ただしこの件の渦中にあるはずの蓮姫は、腰元たちの眼をぬすんでそこから抜け出し、城へ舞い戻ってしまったのだが、それは外記も知らない。
忍者たちはそれを気づきながら止めるでもなく、ただくっついてきて、黄太夫のごときは、
「姫をさらいに来た忍者どもを、ぎゃくに姫が討てば……将軍も、さぞやおのれの考え違いを痛感しような。姫、さようないたずらを考えたか」
まさに蓮姫がわざわざ舞い戻った理由をいいあてた。そのうえで、やはり「血網往来」の技で、彼女に刃隠れの精鋭を上回る忍法を送りまでしたのである。もちろん、それ以前に彼が物の記憶をたどってはるかな場所にいる人間の感覚も記憶も手にとるがごとく知ることも、彼女はそのとき聞いたのだ。
しかし、「身の程知らずのことをして、怪我をされてもこまる。ましてや攫われては、もとも子もない」と言ったくせ、本来の護衛の仕事からは外れるからといって、それも無償ではないところがどうもただの好意とも思われないが。
そのとき忍法の代償に櫛をせしめた薬師黄太夫は、いま蓮姫が発した質問に、にやにやしてその顔を見返した。
――無礼な! と彼女はそれを睨みかえしたものの、相手の顔がにやけているのではいつまでも眼を合わせているのも決まり悪い。かっと頬を染めて、顔をそむけてしまった。
「報酬は、ではこれをやろう」
打掛をむぞうさに脱いで、彼女は黄太夫につきだした。
「これは父上から貰うたものじゃ。父上のご様子も、それでたどれるな?」
「たしかに。姫、かたじけない」
黄太夫は遠慮するでもなく打掛をうけとり、とたんに首をかしげて、
「……もう二、三刻待っておればよかったな」
「なにを」
「さっきの、質問を。この打掛を貰うまでもない、城主は、勝った、というべきなのであろう。意気揚々と城へかえる準備をしておる。それに会ってから、直接話をきいてもよかったものを。――奇襲によって将軍は討たれた――そして、織部の爺さんも死んだらしい。とすると、この首のもって行き先は飯賀……桃じいのところに直接とどけてやるべきか……」
後半を、蓮姫は聞いていなかった。
「黄太夫、何とえ? そ、それなのに打掛をとるつもりか! 返しや!」
「いや、これをいただけたからこそ、奇襲の首尾が知れたので。……だいいち、質問の答えによっては質問をとりけすなど、聞いたこともない。これは、もらってゆく」
ひょいと自分の肩にひっかけてしまった。
蓮姫はじだんだを踏んだが、
「好きにしや!」
叫んだあとはそっぽをむいて、もう相手にするものかというそぶりである。
「おお、好きにする――護衛の役も、さようさな、今しばらくは要らぬであろう。元凶の将軍が死んだとあっては」
ひとりごとに近い調子で黄太夫はいって、庄兵衛ら四人を見た。
「うぬらも、好きにせい」
桐の箱(蘭丸の首入り)を布につつんで提げ、打掛をひるがえして、ひらりと屋根の上にとびあがった。
「あ、お、お待ちを!」
「どこへゆかれる!」
残されたほうが叫んだときには、すでに軒づたいに、ふたつみっつ先の建物の上を移動している。好きにしろとは言われたものの、動転して、四人はカルガモの雛みたいに黄太夫のあとを追っかけた。
「あっ」
こんど慌てたのは、ひとりそこに残された蓮姫である。
「待ちゃ! おまえたちは――こ、ここの見苦しい骸をそのままに捨ておく気かえ?」
忍者たちが足をとめる様子は、ない。
「よくも、かようなまねを! こんどしゃッ面見せたら許さぬ! おぼえておきや!」
優婉な容姿に似つかわしからぬ叫びをあげて、なお苛立たしげに彼らの消えた暗天をみつめる蓮姫の背後で……
匪土蘭丸の肉塊のこり四つ……首以外の部分が、なにやらぶるぶると震え、そして縁の下へ入りこんでゆくのを、彼女はついに見なかった。
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