第4話


 「蘭丸……いえ、お蘭さま」

 闇の中から、呼びかける声がした。

「万里庄兵衛でござる。はるばるお越しと存じ、お迎えに参上いたした。長谷寺、千倉、社もここに」

「ほう?」

 蘭丸は眼をまるくした。この展開は、ちょっと予想外だ。しばし考えて、

「姫をおいて、遊んでおってよいのかえ?」

「いえ」

 落ち着きはらって返答したのは、今度は千倉織之助らしい声である。

「あちらには、黄太夫どのがついておられますゆえ、いかなる者が襲い来ようと、なんら心配はございますまい?」

 どうも、口調に皮肉のひびきがある。しかも、身分的には同格であるはずの黄太夫に「どの」づけとは。蘭丸の脳裏に、一抹、煙のごとくある疑念がゆらめいた。が、

「甲班」

 彼はあくまで平静な声色でいっている。……前に現れた四人を、完全に無視したかっこうだ。――いや。

「この四人、討ってわらわたちを追って参りゃ――乙班、黄太夫を討ちに参るぞえ」

 誰にも、なんら言葉を口にする隙を与えず、蘭丸は身をひるがえして寝所へ向かった。あわてて乙班の連中があとを追う。

「やはり、こうなったか」

 苦笑していったのは長谷寺丈馬、しかし彼も、あとの四人も、困った様子ではなかった。

「……やはり、とは?」

 甲班のなかから、訊いたやつがいる。

「俺たちが来ると、知っていたのか」

「知らいでか」

 社甚左がからからと笑って、

「織部、桃地、藤森の爺いどもが耶摩門の将軍にしっぽを振り、俺たちがここにおるのが都合がわるくなった――それで、来たんだろう」

 甲班の者たちは沈黙した。

「甚左」

 千倉織之助がやはり皮肉なふくみ笑いの声で、

「こやつらが、そんな事情を知るわけがあるまい。眼も耳もふさがれて、ふらふらと泳いで――やがて食われるを待つばかりの運命さえ知らぬ、あわれな連中だ」

「おまえとて、いまのお蘭の言葉をきくまで、黄太夫どのの話に半信半疑でおったではないか」

 と、もう蘭丸を呼び捨てにしていう万里庄兵衛に、織之助は言い返して、

「庄兵衛、どの口でほざくか。おまえは里に背くくらいならば命を絶とう、などとぬかしていたぞ」

「とはいうが、織之助。やはり己がその気でおっても……あちらから先にこちらを見放した、どころか裏切ったのがこれほどはっきりとわかってみれば、話は別じゃ。それを、いま知った」

 と、こんなやりとりのかたわらで、長谷寺丈馬が甲班に笑いかけた。――凄絶な色のある笑顔だが、それで、訊いた。

「我らがなにゆえうぬらが来ると予期しておったか、不思議か?」

 訊かれた甲班は、しかしそれではっとしたように目をみはり、身震いした。

「ええ、つべこべぬかすな、問答無用っ!」

 本来の指令を思いだしたのである。喚くと同時に、四人がいっせいに忍刀抜きつれて、斬りかかった。

 庄兵衛、丈馬、織之助、甚左のほうの四人は、もともと決して優秀な忍者ではない。というより、何をしでかすかわからぬ黄太夫のついでに人数あわせでくっつけられたくらいだから、腕のお粗末さたるや、推して知るべし。

 対して、斬りかかったほうは……対薬師黄太夫に選ばれなかったとはいえ、今度のことに匪戸蘭丸が連れてきただけはある精鋭ぞろいで、当然、彼らは相手を大根のごとく斬りすてることを予測した。

 血飛沫は、たしかにあがった。

 ただし、甲班四人の身体から。彼らは、ほとんど身体を真っ二つに――いわゆる二ツ胴という状態にして、地に転がっていた。

「……見事だなあ」

 と、丈馬。自分のこしらえた死体を、まるで他人の作品のように眺めている。

 ――そうなのだ、四つの死体は、彼がこしらえたのだ。つまり、本来ならば彼とはスッポンに対する月たるべき飯賀の精鋭四人を、彼は一瞬に撃ち破った!

 そして、彼ばかりか、残る庄兵衛、織之助、甚左さえ、落ちてきた白刃にかすりもせず身を避けていた。いかにまったく芸のない斬撃であったにせよ、死者をのぞく甲班の面々にはあまりに意外な決着である。

 が、それよりも。

 四人の身ごなしに、彼らはある不吉な連想をしていた。

「薬師……」

「……黄太夫!」

 いくつかの口が同じ名をあえぎ、叫んだ。

「判るか。さすがは精鋭」

 庄兵衛らが、こちらも異口同音に、

「忍法『血網往来』。判ったら、死ね」

 ――台詞のみならず、態度の常ならぬ傲岸さに、ようやく甲班の連中は反応しだしたようだ。ようやく一人が、

「黄太夫はどこにおるか」

 そう訊いた。

 もっとも、いまだ悪夢から醒めぬ心地には違いない。彼らの前にいるのはたしかに庄兵衛であり、丈馬であり、織之助であり、甚左であった。が、そのわざと身ごなしとは、彼らの脳裏に恐怖、驚嘆とともに刻まれている薬師黄太夫のものなのである。

 見た瞬間にはただの連想であり、不吉な予感ですんでいたものが、その後の会話で確信となったことで彼らはいよいよ戦慄した。

 それはもはや戦闘への戦きより、死そのものへの慄きに近かった。

「いったではないか、姫のもとにおられると。忘れっぽいやつらめ」

 甚左が笑って、さきほどの問いに答えると、織之助が続けた。

「忘れっぽいといえば、うぬら。――常々おのれの技を鼻にかけて、手柄あらそいに励んでいたではないか、彼のわざより己のわざ、奮う機会を逃してなるか……とな。それも、忘れたか?」

「たしかに、いつものように我先に飛び出す気配がないな」

 と、丈馬も首をかしげた。

「からかうのは、これくらいにしてやろうではないか」

 分別くさく、庄兵衛がため息をついた。

「すこし前までは、わしらがそうであった。お役目のための特異な忍法とて身につけることかなわず――いや、まったく心得ぬわけではなかったが、そこな……」

 と甲班の面々を顎でしめして、

「ご仁らの前にあっては児戯にひとしい――」

 声が、ふるえた。それが過去の口惜しさを思いだしたためではなく、笑っているのだと知って、甲班ののどから恐怖の喘鳴がもれた。

「だが……いまや、立場は逆転した!」

 異様な笑いの合間に、庄兵衛はいった。

「なるほど、いままで知れなかった、手柄あらそいをしたくなる心がよう解る」

「庄兵衛」

 丈馬が、そう声をかけながら目だけ甲班へ向けて、

「手柄あらそいとは?」

「つまり、よ――そこに、さよう、七人ほど残っているが」

「ああ、わかった」

 織之助がわりこむ。

「誰が、より多く仕留められるか……?」

「それよ」

 庄兵衛がうなづいた。「からかうのは、これくらいにしておいてやろう」といったのは、つまりもう始末をつけてしまおうということであったようだ。

 それは、甲班の連中にも当然わかったはずだが――彼らは夢魔のなかにあるがごとく、脂汗にぬれながら身動きひとつかなわなかった。

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