第3話
「皆本さま」
「半三か」
と、それだけいって……ならまだしも、それすら言い終えぬうちに、義尊はまた二枚の図面に眼をもどしてしまっている。
あいにく、眼はもどせても時はもどせない。そして義尊の眼にはまさにその刹那、見るべからざるものが映ってしまっていた。できることなら時をもどしたい、という切望を抱かせるまでのものが。
織部半三のななめうしろに、ずずぐろい肌を白粉でまだらに塗りたくった、いかにも体毛・体臭の濃そうな四十年配の男が、あきらかに男のくせに、そのごつごつと骨張った躯を鮮やかな女装束につつんでいた。
鮮やかとはいえ、さほど華美でもないその女装束がいやに眼をひき、かつ無惨の念すら起こさしめたのは、怪物的な「中身」との対照ゆえだろう。
……しかも、問題の「中身」のほうは、義尊ににッと片目をつぶってみせた。顔の片面がよじれたといいたくなるような、凄まじい、また恐ろしいウインクである。
背筋に冷汗つたわらせた義尊は、耳に追い討ちのごときつぶやきを聞いた。
「おお、聞きしにまして、ご立派なお方。将軍さまでいらっしゃるだけはある……なんと、好いたらしい」
ここまで人に似つかわしい声もあるまいが、この場合、似つかわしいというのは褒め言葉ではない。さいわい、
「これ、蘭丸。無礼であるぞ、ひかえおろう!」
すぐに半三が叱りつけて、黙らせて、おかげでそれ以上は聞かずにすんだ。
半三は続けて――今度は義尊にいった。
「申し訳ござらぬ、皆本さま。この者は……その、身につけた秘術とひきかえに、いささか、ええ――ナニ、……で、ございまして」
ナニ、とはなんだ? というのはさておき――義尊は知らず、これは半三の大嘘だ。匪土蘭丸の術とその外見、性癖はいっさい関係ない。むしろ蘭丸の術は、この外見、性癖で使ってもらいたくないくらいなのだが――
そのゆえは、いずれ知れることとして。
「しかし、その秘術あればこそ、こたびの大役を果たせるものと存じ、あえて連れてまいった次第にござりまする。匪土蘭丸と申す者で」
「わかった」
と、義尊はいった。二度と、忍者たちには顔を向けぬつもりらしい。依然、図面をにらんだままで、
「おおよそ、役目はきいておろうが――我が軍が出水城を攻めるにさきがけて城内へはいれ。城内からの内応も任務のうちじゃが、かならずや、蓮姫を連れて参れ。ただし傷つけることは相ならぬ、よいな、半三」
早口に伝えた。匪土蘭丸の名を呼ばなかったのはわざとだが、
「かしこまってござりまする。皆本さまのおんためならば、たとえ火のなか水のなか……何人殺されようと、アレッ」
呼ばれざる者はいそいそと、鼻にかかった声で応え、慌てた上司にどこかを押さえられたらしい、そういう術なのか、口をふさがれたようではないのに言葉はもう出なかった。……それにしても、何人殺されようと、とは、比喩としてはずいぶん妙である。
織部半三は、しかしそんなことにはまったくかかずらわず、がっぱともろ手をついた。
「ご無礼つかまつりました、皆本さま。匪土蘭丸にかわって、この織部半三、しかと仰せを承ってござりまする!」
***
夜闇がおちた。
夜闇よりもくろぐろとした影も、また。
「……?」
三つばかりのその影を、門番についていた市川平左衛門と沼田勘兵衛はいぶかって凝視し、それが人の形をしていることに気付いて、
「曲者ッ」
叫んだ……つもりで声は出なかった。
三つの影のうち、ふたつがその手の片方ずつを振り上げた、そちらがわずかに早かったのだ。平左衛門の喉にはマキビシが全体うずまるほど深々とくいこみ、勘兵衛の首には棒手裏剣が、こちらはうなじまで切先を突き出していた。ともに、即死である。
その死体の倒れるまえに、いま手を動かさなかったもうひとつの影が飛び込んで、両の手で死体のふたつの頭をぐわしと引っつかんだ。掴まれたと同時に、髻を結っていた糸はフツと切れて、髪がながく引かれる――影の両拳のなかに。
門番たる二人の手には槍があり、それは殺された瞬間からしばらくおいて、ゆるんだ手の握りからずり落ちるところだったが、影がかすかに拳をゆすり、髪に微妙な波をつたえると、とたんにぐいと手のなかに取り戻された。マキビシも棒手裏剣も刺さったままだが、まるで死からよみがえったような反応だ。
「忍法、しびと
そういって、影はふくみ笑いしたらしい。
そのまま、ゆら、ゆら、ゆれながら、死体たちは門扉のわき、通用門を向いて、そこへとりすがった。
「……助けてくれ……曲者じゃ、曲者が」
「おおい、応援を――助けを……」
死体の口も動いているが、声はうしろの影からながれている。
よばわる内容もさることながら、ほそぼそと絶え入りそうな声にあおられたか――
「平左、勘兵衛、どうした――曲者だと?」
その声が朋輩のものではないことは、あるいは平常心で聞けば判ったかもしれず、もしくはそれでもなお、普段聞かぬ種類の音声だけに聞きわけは不可能だったかもしれないが、とにかく、このとき門は開いた。
「……お、おぬしら、それは……」
顔を出してみて、そう意味もないあえぎを発したのは、もちろん棒手裏剣やらマキビシやらが刺さった相手の形相と、それ以前に、眼のまえにいるのが「死体」であることを直感したことからきた恐怖ゆえだった。
……その死体の、さらに背後にただずむ影の群れには、彼は気付かなかった。否、気付けなかったというべきか。――彼ののどは、そのまえに死体の繰り出した槍に貫かれていたのだから。
三つの影は、死の風のごとく城内へしのび入った。
そのあとで、また一群、新たに影たちが現れた。こちらは三十人ほどはいるか、その後方に、女装束の妖怪じみた影をくっつけている。妖怪はいった。
「太郎坊、次郎兵衛、三郎丸、あの三人にて皆本さまの軍を城に入れるはかなおう。邪魔さえ入らねば、のう。わらわたちは姫の御寝所をめざす。有象無象の侍どもにけどられてはならぬぞえ。あくまでも忍んでゆけ――無用に目立ってはならぬ」
……無用に目立っているのは独り、こんな台詞をはいたやつ自身なのだが、だれもそこをつっこむ勇気を持ちあわせてはいない。
むろんこれは匪土蘭丸で、影――あわせて、三十六、ある――は、その配下であった。本来、忍者たるものがここまで群れることは稀なはずだが、今回ばかりはべつ、なにせ相手には薬師黄太夫がいる。おのが腕をたのんで一人駆けなど、するどころではない。
この時代らしく平屋の多い城内を疾駆しだした彼らが、そこの空気の異様さに気づくのに、そう時はかからなかった。
あまりに、静かすぎるのだ。
仮にも……どころか正真正銘、臨戦状態たるべき出水城である。もちろん皆本義尊が今夜まさに攻めんとしている事実は知られていてはならないが、だいたい、
それが、門番こそいたが、城内に巡邏の影すらないとは?
「ら……蘭丸、さま」
不安にたまりかねてひとりがあえいだ。たちまち反応があった。
「お蘭と呼びや!」
――反応は反応だが、この際どうでもいいことに関してだ。それでも、
「お蘭さま」
おとなしく言い直したのは、憐れというかけなげというか。
「どうも、人の気配がせぬのが面妖でございまする」
「左様なことはわかっておる」
蘭丸はまだご機嫌ななめで、
「じゃがわらわたちの仕事は、護衛どもを討ち、蓮姫をひっさらうことじゃ。城中を内より乱すは太郎坊どもがやる、それはいま申したであろ、解らぬやつじゃ。多少の異変ごときで心をみだすでない」
「は……しかし、よもや、けどられたものではありますまいな」
「けどられたとて」
冷ややかに蘭丸は配下を見わたして、
「わらわたちのなすことに、何ぞ変わりがあるかえ?」
強引だが、まさにそのとおりのことをいった。ただし、不安をもらした配下が黙ってしまったのは、そこを納得したわけではなく、いま一瞬見てしまった蘭丸の顔面に視覚的打撃をうけたためだが。
「……姫の御寝所はすぐ先じゃ、近づけばかならず
「は」
黒装束のうち、三分の一が答えた。
「乙班」
「は」
これはのこり三分の二。
「万里らとともに、薬師黄太夫も出てまいるはず。わらわとともに、きゃつを、いかなる手を使おうと、殺すのじゃ」
「……は」
今度は、応答までにやや時がかかった。声そのものも、いくらか小さいようだ。――本当に、殺せるのか? と、彼ら自身疑う声でもあった。
「ほ、ほ、ほ……」
甚だぞっとする声で、蘭丸は笑った。
「もしかなわなんだならの、このお蘭が地の果てまで追って、とり殺してくれようぞ。何人がかりとなっても、のう」
やっぱり、妙なせりふを吐いて、
「――それゆえ、うぬらは殺す気で、また死ぬ気で、黄太夫にかかれ。そうして、きゃつが甲班の仕事を邪魔せぬよう引きずりまわすのじゃ」
「は!」
乙班は応えた。それくらいならやれぬことはない、と考えたらしい、さきほどにくらべ、迅速な応答であった。
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