第2話

 同日同刻。はるか、出水いずみ城の一劃で。

丹羽たんばが、うらぎった」

 いった男は、華奢で、細身で――しかし、肌の色が妙に白いためか、髪が黄みがかって、束ねている位置も普通見かけぬ頭頂あたりであるためか、とにかく人目をひく、そして見た者はことごとくその異風を感じとらずにはいられぬような男だった。まだ若いが、だれも、これを軽んじようと――軽んじて、無事でいられようとは思わぬだろう。

 まさに、その名だけで匪土ひど蘭丸らんまるを慄然とせしめた薬師やくし黄太夫こうだゆうである。

「なんと?」

 そばにいる四人のうち、万里まり庄兵衛しょうべえという男が訊きかえした。

「桃地丹羽が、こちらを裏切ることに決めたらしい。……わしたちがここへ護衛に来てから襲ってきた連中は、ことごとく幕府将軍の手の者と、それは連中がみずから吐いたとおりだが、どこの忍法者もとんだへっぽこで役にたたぬから、きゃつ、こんどは飯賀につてを求めて、そして姫のかどわかしを依頼しおったのだ」

 黄太夫は、細い糸くずを指先でもてあそびつつ、こたえた。

「話をうけたのは織部おりべ半三はんぞうで、あの爺い、ぎゃくに、将軍をおのれの口車にのせおった。将軍は、今晩ひそかに桑折山に軍勢をあつめ、山地をつたって江内から出水へ入り、明晩にでもこの城を奇襲するぞ――まあ、そちらは知ったことではない、わしらの仕事は姫の護衛であって、その親父だの、ましてや城だのを守ることではないからな……が、あちらとしてはどのみち邪魔になるのも、護衛」

 こんどは、また別の――長谷寺はせでら丈馬じょうまという男が、

「つまり、我らだと?」

「いかにも」

「では、もしそうであれば、早々に帰還すべしというご命令が――」

 これはふたたび、庄兵衛。

「たわけ。わしは今、あちらが裏切ったといったぞ」

「裏切った……? とは?」

「ばかめ!――連中は、飯賀のてびきで出水城を陥す。てびきに使った飯賀者に護衛を討たせ、姫をさらわせる。そういうつもりだ」

「つまり――飯賀の……一党の者に、我らを討たせるおつもりだと?」

「くどい。――が、分かりやすくいうとそうなる。きゃつら、はちす姫の前で我らを討てば、それを見た姫がまさか将軍についておるのも飯賀者とは思わぬだろうと考えておるのだ。もちろん、将軍が飯賀者をつかったことを姫に伝えてはなにもならぬゆえ、将軍のほうには、姫の護衛が飯賀者であることはふせたまま、将軍が姫をさらうに使ったのもまた飯賀ということは、何か理屈を――たび重なる、忍者によるかどわかしの試みも将軍によってなされたと思われぬよう、あくまで将軍自らの郎党であると偽られたほうがよろしい、とでもいって、口止めをするつもりだろうが」

「……」

「で、訊きたいのはひとつ。わしは、まさかむざと討たれてやるつもりはない。そしてまた、姫の護衛をやめよという達しもうけてはおらぬから、それをかどわかそうとする者は殺す。――うぬらは、どうする」

 訊かれて、いままで黙っていた千倉ちくら織之助おりのすけやしろ甚左じんざも問いかえした。

「ど、どうする――とは?」

「飯賀の裏切り者どもの……と、いうとこちらが飯賀の味方のようだな。まあ、上忍どもの、と言おうか。――うぬら、きゃつらの意を汲んで、殺されてやるか? それとも、きゃつらの計画を知ったがさいわい、先んじて姫をかどわかし、城の警備をあざむき、きゃつらの動きよいようにしてやって、その功をもってうぬら自身の命を贖うか? ふふん、わしとは違って、うぬらは能力をかわれてもないかわり、そう煙たがられてもおるまいから、仮に成功すれば、うまくゆくかもしれん」

「……」

「が、言ったとおり、姫をかどわかす者があればわしが殺すつもりだから、成功はむずかしい――と、先に伝えておく」

「そ、それは……いずれにせよ死ぬ、ということではないか!」

「いかにも、そうだ。ただし、飯賀を裏切ったとはみなされぬ。丹羽めが『里がため、一族がため。死ぬやつらも本望であろう』などとぬかしたが、そう思うやつは、いずれかを選んで、好きに死ね」

 沈黙がおちた。

 しばしあって、千倉織之助が問うた。

「ひとつだけ、よいか――そもそも、おぬし、どうしてそれを知ったのだ?」

 黄太夫は、指先の糸くずを日にすかすようにして、

「丹羽の着物から、抜いたものだ」

「それが?」

「物はな、そのものの主を記憶しておる――その記憶は、主の記憶とすくなからず合致しておる。主の記憶は、人そのものとむすびつく……わしは、そこからその者の現在を、つまりその者がいま、見、聞き、感じ、思い……などしていることを、ここに居ながらにして知る。そういうわけだ」

「それが、おぬしの忍法か」

「そういえば、納得するか? おかしなやつめ」

 笑ったものの、黄太夫は首をふった。

「まあ、よい。うぬら、手を出せ。わしの……そうだな、袖にでも、そちらから触れろ」

「どうするのだ?」

「触れれば、わかる」

 四人は、へっぴりごしで手をのばし、言われたものに手を触れた。――とたんに、

「わわわっ」

 へんな声を発して、のけぞっている。眼はひらき、頭は醒めているのにもかかわらず、彼らの耳目は、現実の風景や音声に重なってもうひとつ、さらに鮮明なある映像を感覚していた。

 ――そうとしかいいようがない。織部半三が桃地丹羽にかたったときの、さらに桃地丹羽が匪土蘭丸に命じたときの映像は、なまなましい色彩と音響をもって、彼らの脳裏でふいに「再生」されたのだから。

 四人は、まさに黄太夫の説明したとおりのことを、おのれが体験するがごとく知った。もはや、疑いのかけらもなくして、ただ愕然と口をあいて虚空を見つめているのに、

「さて、どうする?」

 また、黄太夫が訊いた。

「死ぬか? 好きにせい……わしは、とめぬ」

 首をひねり、また糸くずを指先でくるくると弄びながら黄太夫はいう。

「ただし、死にたくないと申すなら、いささか面白い考えがないでもない。……いま聞いてのとおりの経過だ、ここへくるやつらは精鋭ぞろいとなろう。きゃつらが、わしはともかく、うぬらは確実に殺せると思ってくるのは間違いないが、そこを、うぬらが逆に討てば――ふん、さぞ、あてがはずれて虚脱するだろうな。それをぜひ、見てみたい。そのために、わしはうぬらにこの話を伝えたのだ」

「その話――聞く!」

 間髪いれずに社甚左が答えた。

「まことか? かかってくる連中は顔見知りだぞ。討つ気はあるか?」

「顔見知り? たしかに顔は知ってはいるがな、精鋭とやらの連中はわざを頼みに威張りくさっておって、正直おれは気にくわなかったのだ。目にものみせてやれるなら、そうしてやりたいわ」

「それは、たしかに」

 血の気の多い甚左の言葉に頷いたのは、意外にも冷静でちゃっかりしたところのある千倉織之助だ。が、

「こっちは殺されながら、向こうばかりに手柄をやって、甘い汁を吸わせてやる義理はないぞ。よしんば、それでこちらが裏切り者呼ばわりされることになろうと、あちらがなんの痛痒もないよりは」

 こう続けたのをきけば、やはりこれも彼らしい損得勘定からでた結論とみえる。

「しかし……生まれ育った里を――おなじ釜の飯を食った一党を――」

 ひとり、庄兵衛は半べそで二人に意見しかけたが、その横で、

「俺も、のった」

 腕組みして考えていた丈馬もきっぱり言いきった。

「いろいろ、思うことはあるが……なんといってもやはり、むざむざ殺されたくはない。で、殺られるくらいなら殺ろう、と思う」

「わしは、同朋を手にかけるくらいならば……おのが命を絶ったほうが、まだ……」

 庄兵衛だけ、うじうじと歯切れがわるい。無理もない、ほかの三人にくらべればまだ忍者として常識家の彼だから、たとえ上司に背かれようと、上司に背くのは抵抗が大きいのだ。

「ならそうすればよい。とめぬ、と黄太夫どのも言っておられたろうが」

 織之助は薄情である。

「死ぬならさっさと死んでしまえ。いま死のうが明日死のうが同じようなものだ」

 庄兵衛はしかし、これにもぶるぶるとかぶりをふって、

「それも……ここでいま死ぬのも、ええい、笑うなら笑え、決心がつかぬのじゃ!」

「困ったやつだが――わからぬでもない。ほかの三人より、いや、わしより歳はくっておるからな。それだけ、飼い主への服従もすりこまれておろう」

 黄太夫のせりふは、つまり「飼い犬根性のかたまりめ」というわけだが、この言い方とてけっして遠まわしだとか、もってまわったようには聞こえない。

「だが、」

 と、彼はつづけた。

「死にたくない、とは思っておるらしいから、とりあえずは、ほかの三人と同じものはくれてやる」

「何を、くれると?」

「忍法――は、ちともったいないな」

 誰にどうもったいないのか、それは言わずに、

「体術。……と、いうほどのものか、ちとマシな身のこなし。それで十分だろう。十分、きゃつらは愚弄できる」

 庄兵衛も、丈馬らあとの三人も、わけがわからぬという顔でぽかんとしている。当然だ。

「黄太夫……どの。それは、体術もしくは身ごなしを、いまからわれわれに修練させようという……?」

 庄兵衛がたずねた。

「さようなことで、いまさら追いつくか」

 と黄太夫は笑って、

「さっき、袖をうぬらに触れさせたとき、見たものがあるだろう」

「は」

「あれは、まさかうぬらがわし同様、桃地の爺いの『いま』を見たわけではない。考えてもみよ、わしがすでに見た場面が、また実際に繰り返されたわけはないからな。――わしが、うぬらに、わしの持ちものを触れさせることで、わしの記憶を見せたのだ」

「はあ……」

 つまり、黄太夫は物を媒介して他人の記憶、さらには現在の思考や状況までも読み取り、あるいは逆に、おのれの記憶を他人に見せることすらもできる――ということらしい。

「記憶ばかりではない。わしの思考、わしの感覚、すべてを送りこめる。むろん、忍法だろうと、体術だろうと。送りこまれれば、すぐに使える。さっき、なにもせずともわしの記憶がうぬらの脳裏でよみがえったがごとく」

「では、そうなれば、われらは黄太夫どの同様の体術の使い手となりうるわけですな?」

「わしの送った技の数だけは」

 黄太夫は頷いたが、

「ただし――さっきと同じ方法でうぬらに体術を送ったにしても、うぬらがそれを使えるのは、わしの身体の一部か、わしがくれてやったものに触れておるときにかぎられる」

「それでは、たたかうに不便ではないか」

「さよう。だから、血をつかう」

「血?」

「血は身体の一部。しかも、全身をくまなく巡ることによって、当人ともっとも密着し、記憶をよく宿すもの――古来、いわく因縁のある血の染みが、拭こうと塗り重ねようと消えぬなどということもよくあるではないか。

 ――それ、忍法においても『生霊いきりょうさかながれ』などでは生き血をそそぐように、有効だ。ただ、わしの場合、そそぐのはただ一滴だが」

「ううむ? 生霊逆ながれ……?」

 聞いたことがない、と顔見合す四人を、黄太夫は無視した。

「逆にうぬらの血を採れば、わしはうぬらのすべてを読める――が、そちらのほうはあまり興味がないな」

 が、もし欲すれば、彼はこの技をもって、他人の独自の忍法すら掠めとることが可能ということだ。もっといえば、この技を最大限に駆使した場合、技にかけられた者たちは、身も心も黄太夫に制御されることになるということだ。

 さらに――そうして黄太夫の一部に組み込まれた者たちが相互に血の交換をするならば、それはさながら蜘蛛の巣状の、すべての情報を共有する一個のシステムとなる。ただひとりの人間専用の、おそるべき血のネットワークシステム、というべきだろう。

「忍法、血網往来けつもうおうらい――と名づけた」

 本質を理解せねば、なんとも不可解な名称だ。しかも、なんでわざわざ漢語にするのかわからない。

 四人の下忍たちもキョトンとしていたが、黄太夫はかまわず、おのれの左中指の爪のしたに傷をつけて、ぴしりと弾いた。四人の額にごく小さな紅点が飛んだかと思うと、まるで皮膚にしみこむようにすぐに消えた。

「甚左」

 黄太夫が呼んだ。呼んだときにはもう、その首根っこひっ掴んで宙に抛りあげている。黄太夫本人は細身でそう剛力には見えないのに、これはどうしたことか? いや、それよりも投げ上げられた甚左は、この不意討ちにどうにも対応できまい……

 と、思われたが、甚左はかるがると身をひるがえし、空中で体勢をたてなおして、音もなく着地した。

「おおっ……!」

 驚きの声が、当人からももれたのに、黄太夫はにやりとした。

「そういうわけだ。それで、飯賀の精鋭とやらと遊んでやるがいい――それで、きゃつらごときには十分。……」

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