第244話 事態は何も変わっちゃいない

 俺は隠れていた民家から出て、戦闘中の村人達を見回した。

 可哀想に。その殆どは、まるで相手になっていない。だが、どうにかリーシュを行かせるまいと必死になっているようだった。あの温厚な村長でさえも、オークと対峙しているのだから驚きだ。

 報われない戦い。緑色のオークはその様子を見て嘲笑い……そして、リーシュもまた、それを見ていた。


「オイオイ、お前は村長だろ。村長が真っ先に死んだら格好付かねえだろ」

「うるさいっ……!! まだ、私は動けるぞ。どうした、豚の化物……!!」


 ……無茶しやがって。

 リーシュの瞳に、意志が感じられなくなって来た。絶望の光景を目にして、思考が働かなくなっているのだろう。

 この様子を見れば、分かる。リーシュは村で唯一の冒険者だ。つまり、魔物と戦う事の出来る、たった一つの壁だ。その役割を果たせずに居る自分が、どれほど悔しいか。


「ご主人、『共有』どうします?」


 歩きながら、スケゾーが問い掛ける。俺はスケゾーに笑みを返して、言った。


「別に、良いんじゃないか? 大した相手とも思えないしな」

「ヘッヘッヘ。まあ、そうっスね。オイラほどの優秀な使い魔の主人ともなれば、オーク如きに手古摺っちゃ駄目っスわ」


 全く、その通りだ。

 真っ直ぐに緑色のオーク目掛けて俺は歩いた。怒りを見せる訳でも、衝動に突き動かされる訳でもない。……少し用事を済ませるつもりで、ただ前へと進む。


「おいコラ!! 余所見してんじゃねえよ!!」

「お前はどの位、戦えんだ!?」


 俺に向かって来たのは、二匹のゴブリン。俺はポケットに手を突っ込んだ状態のままで、歩いて行った。

 剣を握ったゴブリンが、俺に向かって剣を振る。


「ギャアッ――!!」


 俺が触れる事も無く、二匹のゴブリンは勝手に爆発し、地に落ち、本来あるべき場所へと還った。

 おっと。……どうやら、緑色のオークがこちらに気付いたようだ。恐怖を感じたのか、冷や汗をかいている。周囲の異変に気付いたようで、村人と戦っていたゴブリン達も動きを止めた。

 俺は立ち止まり、緑色のオークと向き合った。


「な、……なんだ? お前……」


 俺の不敵な笑みに、オークが動揺している。

 構うものか。

 全身からほとばしる、溢れんばかりの殺気。俺はそれを、オークに向けて放った。


「なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ。お前と戦えば、お前の主人がここに来るのかな?」


 今の今まで隠していた魔力を、一気に放出させる。全然本気ではないが、こいつ等にとっては恐ろしい量の魔力になるのだろう。

 この頭が悪くて性格が悪くて頭が悪いスケゾーを、俺が選んで置いている理由でもある。


「……魔導士様」


 リーシュが小さく、呟いた。


「なっ……何だ、てめェは!? この前来た時は、居なかったじゃねえか……!!」


 魔物は、自分や相手の持っている魔力に敏感だ。言葉を交わさずとも、それだけである程度、相手の実力を推し量る事が出来ると言われている。最もそれはオークのように、上下関係を重視する魔物だけで、さっきのゴブリンみたいな低級種族には分からないみたいだが。

 そんな相手から殺気と笑顔を同時に向けられれば、恐怖もするというものだ。


「ちょいと野暮用でね、カモーテルを摘みに来ていたんだ。まあ、特に用も今の所それだけだから、明日にでも帰ろうかと思ってたんだけどな。何やら面白そうな事してるからよ、騒ぎの首謀者の顔が見たくなったんだよ」


 俺はそのまま歩き、緑色のオークと相対した。近くに寄ると、微かに震えていたオークが更に挙動不審になる。


「こっ、ここには居ねえよ。俺達の主人は、別の場所に居る……逆立ちしたって、今は呼べるような状態じゃねえ」

「へえ。……じゃあ、どうにかしたら出て来んのか?」

「主人は、呼ぼうと思えば呼べる。だが、その魔導士も誰かの主人なんだ。親玉を呼ぼうってんなら……」


 ほう、なるほど、『魔導士』か。オークの召喚主は人間だったか。


「ふーん……ま、いいけど。でもさ、戦いにならない弱者を相手に、嬲って楽しむ奴ってのは……あんまり、好きじゃねーんだよな」


 ここで下手にオークを倒して、より強い魔物を送られたら面倒だ。今、騒ぎの首謀者は隠れている。そいつを炙り出さなければ、どのみち勝機はない。

 俺はオークを睨み付け、言った。


「てめーは下っ端だろうが。こういうのは、俺が見ていない所でやった方が身のためだぜ」


 奴の表情が恐怖に染まっていく様子が、一目で分かる。

 オークは舌打ちをして、俺に背を向けた。


「クソッ……良いか、一日だけ待ってやる!! 次までに契約の意志を固めておくんだな!! そうしなけりゃ、今度は村が無くなると思えよ!!」


 捨て台詞のようにそう呟いて、緑色のオークは俺とリーシュに背を向ける。その後を、慌ててゴブリンの群れが付いて行った。

 俺はその後姿を、じっと見詰めていた。

 村を出て離れて行くオークは、やがて魔力の光に包まれて消えた。召喚体である彼等は、何時でも戻ろうと思えば主人の下へと帰る事が出来る。行きはどうだか知らないが。

 ……しかし、これで一段落だ。

 その場には、気が付けば沈黙が訪れていた。残された村人達は、今目の前にある危機が去った事を、今更ながらに実感し始めたようだった。


「……魔導士のあんちゃんが、撃退したのか?」


 農耕具を持った男が、呆然とそう呟いた。


「追い返した……!!」


 徐々に、歓声が上がる。だが、俺はちっとも晴れやかな気分にはなれなかった。

 この村の人達は、良い人ばかりなんだろう。良く言えばポジティブ、悪く言えば現実が見えていない。だから、俺の事も無条件で信頼してしまうし、こうも簡単に『仲間』扱いする。

 だが――……それは必ずしも、良い事ばかりじゃない。

 大きく、息を吸い込んだ。


「呆けてんじゃねえ!! まだ何も、問題は解決してねえんだよ!!」


 そう叫ぶと、周囲の歓声が一瞬にして収まった。


 村長にしても、既に家が焼かれていると言うのに、この期に及んで土下座とは。下手に出る事が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。それどころか足下を見られて、より不利な立場に追い込まれる事だってある。

 相手が魔物なら、考える事はシンプルに行かなければならない。それはつまり、要求を呑むか、戦うかだ。

 その事が、少しでも伝われば良いんだが。


「俺が倒したゴブリンを見ただろう、召喚された魔物には多くの場合、『本体』がない!! だから今ここで撃退しても、奴等は俺が居なくなれば、もう一度、いや、何度だってこの場所に来るんだ!! だから、ここで俺が奴等と戦う事は、殆ど何も意味がない!! どの道この村は、いつかは要求を呑むしかないんだ!!」


 静まり返った。……俺が激昂した事で、周囲には冷えた空気が流れていた。……だが、俺の言っている事は間違いじゃない。だからこそ、村人達は何一つ、言葉を発する事が出来ずにいるのだ。

 村長も、リーシュも、誰もが俺を見て、固まっている。

 俺はリーシュを見下ろして、言った。


「おい。お前と村をどちらも救う方法が、一つだけある」

「なっ……なんですか!? 私は、どうしたらいいんですか!?」


 村長が見ている。滅多な事を言うべきでは……いや。いっそ、見ていた方が良いのか。

 物事は、はっきりしていた方が良い。誤解の余地を与えない話し方が、最も人に伝わる。



「お前、村を出ろ。戦う事なんか考えるな、まるで相手になってねえ。好意だか未練だか知らないが、お前の行動が今、村にとって最も迷惑だ」



 リーシュが、目を見開いた。


「なっ……バ、バーンズキッド君!! 無関係の君に、そんな事を言われる筋合いはない!!」

「うるっせえっ!! 安い金で使おうとしただろうが!! アドバイスしてやってんだ、聞く耳持ちやがれ!!」


 村長の言葉を一蹴した。別に俺だって、汚い言葉を好んで使っている訳じゃない。こうでも言わなければ、リーシュが村から離れないから。そうでもしなければ、村がリーシュを離さないからだ。

 リーシュが離れれば、村は安心して支配下に入る事ができる。村が支配下に置かれれば、無理に戦争をする必要も無くなる。村人が戦うのは、リーシュが連れて行かれるからだ。リーシュが残ろうとしているのは、村人に苦難を強いたくないから。この二つの問題は、同時に解決する事ができない。


 ならば、選択するべきは前者だ。

 確かに、何処の誰の支配下に置かれるのか、それは分からない。だが連中はしっかり、協力の内容を明言しているんだ。それに耐えられるのなら、今は悪い話じゃない。

 例えそれがどれだけ苦しい承諾であったとしても、死ぬよりずっといい。

 相手は魔物を使って来たりと、多少強引かもしれないが。協力すると決めた以上、そう安々と村人は殺されないだろう。

 連中がそれを望んでいないからだ。

 リーシュは、俺の言葉の続きを待っている。


「ちゃんとした、冒険者になれ。……強くなれ。そうすりゃ、いつかは戻って来る事が出来るかもしれない」


 もしもリーシュに村が護れるとしたら、それは『今』じゃない。『未来』だ。

 少し声のトーンを落として、俺は言った。


「お前が今、村の為に出来る『最善』は、それなんじゃないのかよ」


 リーシュは何も言わず、俺の話を聞いていたが。……いや、リーシュだけじゃない。誰もが、俺の言葉に耳を傾けていた。

 こういうのは、あんまり得意じゃないんだが。まあ、何もせず放置して胸糞悪い気持ちになるよりは幾らかマシか。



 *



 緑色のオークの奴が『一日』とか言っていたので、それが朝になるのか夜になるのか分からなかったが、どうやら日中に襲い掛かって来る様子は無いようで、その日は朝から平和だった。

 俺は前日と同じように、リーシュの旅館で飯を食い、宿代は村長に払って貰う事にして、結局未だ、サウス・ノーブルヴィレッジに居た。どちらかと言えば明るかった村人達も、何やら朝から静かで、通りには一人も人が居なくなっていた。


 リーシュはと言うと、すっかり気落ちしてしまったのか、誰とも話が出来ない様子だった。

 すぐに両手は魔法で治療されて、ある程度は動くようになったみたいだが、完治とまでは行かなかったようだ。……最も、心の傷の方が、今はずっと問題なんだけれど。

 俺と二人、何も会話のない朝食を食べ終えた所で、自分の部屋に閉じこもってしまい、出て来る事は無くなっていた。

 だが、仕方ない。これは乗り越えなければいけない壁、だ。リーシュや村長だけでなく、サウス・ノーブルヴィレッジ全体に、一つの大きな転機が訪れようとしている。

 ちょうど朝食を食べ終えた所で、特に室内でやる事もなく、俺は再び堤防に来ていた。黙って座っていると、スケゾーが間延びした声で、俺に問い掛けた。


「ご主人、どうします? なんもやる事ねーっスよね。チェスでもやります?」

「できねえだろ、お前」

「できますって!! 今度こそ覚えますってば!!」

「まずチェス盤がねえだろ」


 勿論、あの無意味な時間を外泊先でまで耐える価値は微塵も無いので、仮にあったとしてもやる事は無いだろうが。

 どうせ、村中暗い気持ちになっているのは変わらないのだろう。この状態じゃ、外を散歩する気にもなれない。


「バーンズキッド君、ここに居たのか」

「……村長」


 ふと、呼び掛けられた。振り返ると、村長がくたびれきった瞳のままで、俺に笑顔を向けていた。

 俺は村長を一瞥すると、海に視線を戻した。


「昨日は、色々とすまなかったね。……それと、ありがとう。払うお金も無いのに、助けてくれて。君が居なければ、リーシュは連れて行かれていた」


 俺が居たって、リーシュがこの村に居る限り、いつかは連れて行かれる。俺はそれを、先延ばしにしただけだ。


「……別に、特に礼を言われるような事は、してねえっすよ。俺は、奴等の親玉の顔を見てみたいと思っただけなんで」


 そう言うと、村長は苦笑していた。

 村長は俺の隣に座り、俺と同じように、水平線を見詰めた。眼鏡の向こう側にある優しげな瞳に俺は、夜の出来事を思い出していた。

 人は危機に陥った時にこそ、本性を発揮する。誰がなんと言おうと、あれは村長の本心だったのだろう。

 ふと村長は、真剣な眼差しで俺の方を向いた。


「ごめん。村にお金が無いのは本当だけど、正直、君を呼んだのは、払うお金が少なくても君なら引き受けてくれるんじゃないかと思っていたからだ。何を言おうと、やっぱり私は、君の足下を見ていたのかもしれない」


 ……まあ、そうだろう。

 悪気があるか無いかは、また別の話として。俺は村長に、何も言わなかった。そういった選択をどうしても取らなければならない事は、あるものだ。

 溺れる者は何とやら、である。自分達にどうにも出来ないのなら、それがどういった態度であれ、外部に助けを求めるしかないのだ。

 そう考えると、一直線な村長の態度は、むしろ気持ちが良いと思う事もできる。

 だからまあ、これはきっと、感じ方の問題だ。今となっては、特に悪い気はしていない。


「……君がどういう事を考えて、魔物を追い払ったのかはどうでもいい。礼を言わせて欲しいんだ。……ありがとう」


 素直に礼を言われるのは嬉しいものだが……俺に礼を言ったところで、問題が解決していないという状況は、未だ残っている。


「まあ、さっさとリーシュは村を出ないと、ですね」

「そうだね」


 村長は目を閉じて、笑みを浮かべた。


「村長。……ごめん」

「どうして、謝るんだい?」

「……なんとなく」


 俺は村長と目を合わせる事が出来ずに、そう言った。

 今まで俺が見て来た沢山の人間と同じように、この村の人間もまた、危機が訪れた時には自分を優先するものだと勘違いをした。身を挺して誰かを庇う。そんな事は、現実には起こらないものだと思っていた。

 きっと、俺が謝った事の意味は分からないだろう。おそらく、村長の立場では。

 でも俺は、謝らなければいけない気がした。


「魔物を倒しても意味が無いというのは、本当なのかい? 召喚された魔物には本体がないとか、なんとか」

「……はい。魔導士と使い魔の間で交わされる契約には、大雑把に言うと、召喚契約と実体転移契約の二つがあります。実体転移契約はその名の通り、本体を召喚する契約です。実物だから強いけど、魔物を倒せばそれで終わりで。召喚契約っていうのは、魔力で仮の肉体を作って、意識だけをそっちに転移させるんです。本体ではないから……強さから言えば大した事は無い相手だけど、倒しても術者の――魔導士の魔力が続く限り、何度でも再生する事ができる。そういう意味では、本体よりも厄介な側面があって」


 最も、召喚契約で作られる肉体は、術者の魔力から作られる。だからこそ、使い魔の召喚には本来、絶大な魔力を消費するものだ。先日村を襲ったオークやゴブリンがもしも本当に全て召喚契約だとしたなら、それは相当異常な状況ではある。

 だが、相手は大層優秀な魔導士なのだろう。それは、村に送られてきた契約書を見ても明らかだ。


「ということは、何度でも魔力を回復させて、村を襲うつもりなのかな」

「おそらくは」

「そうか……という事は、最初からやる事は決まっていた、という訳だね」


 村長はふと笑って、俺の肩を叩いた。



「リーシュのこと、よろしく頼むよ」



 ……………………ん?


「リーシュが、どうかしたんですか?」

「君のことだから、リーシュを連れ出す決心が付いたんだろう?」


 何、俺のことだからって。俺は何も言ってないだろ。

 全く会話が噛み合わずに、暫し、俺はフリーズしてしまった。

 ああ、村から出ろってけしかけた事か……いやいやいや。俺は剣士として、冒険者として旅に出ろって言ったんだよ!! 誰も俺に付いて来いとは言っていない!!


「村長、ちょっと待って。いや、落ち着こう。俺はリーシュを連れて行く気なんざ、さらさらないぞ」

「え? 結婚式の日取り?」

「何であたかも聞き間違えた風なんだよ一文字も出てきてねえよ!!」


 驚愕に目を見開いた瞬間、何かの爆発音が聞こえて来た。まさか……もう来たのか? ……いや、違うな。爆発音は、連続して聞こえて来る。これは……花火? 真っ昼間から?


「バーンズキッド君、行こう。リーシュのお別れ会を始めようって、話していたんだ」


 そう言って、村長は村の端の方へと歩き出した。スケゾーが笑いを堪えている中、俺はどこか清々しくも見える村長の背中を見た。



「おおオーイ!! 村長!! 村長ォ――!! 俺は連れて行かないからなァ――!!」



 く、くそが……!! 完全に無視して行きやがった……!!

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