第245話 最後の晩餐
この村の連中は、どうして誰も人の話を聞かないんだ。いや、当然わざとやっているのだろうが。
リーシュ・クライヌの境遇には同情しない事もないが、少なくとも今の所、リーシュは戦力として心許ない……いや、無理がありすぎる。あんなんでどうやって、パーティーメンバーに迎え入れろと言うんだ。
剣を巨大化させて周囲を丸ごと処刑したり、剣を刺して味方を回復させたりするような奴だぞ。
そもそも俺は、パーティーを組む気なんてない。人が増えれば報酬も分配せざるを得ないし、必然的に俺の取り分が減る。
それに――……いや、そんな事よりも。
「スケゾー?」
ふと見ると、スケゾーが消えていた。……どこだ? ついさっきまで、近くにいたのに……。
……ん? 宴会場の方に、小さな影が見える。
「カンパーイ!!」
「おいこら、スケゾオォォォッ――!!」
本当にあいつは、酒の事になると瞬間移動だな!!
何であいつ、村人達に受け入れられてんだ……一応、仮にも魔物だぞ。もしも危険な魔物だったらどうするつもりなんだ。魔導士の使い魔だって、稀に制御し切れなくなって暴走、なんて事もある。完全に無害という訳でもない。
それは、俺に対する信頼の成せる業なのか……いけない。このままでは、小規模ネットワークの持つ家族愛だか、地域的暖かさの波だかに呑まれてしまう……!!
俺は、知った。これが、田舎の人々が持つ独特な『優しさ』という奴なのだと。
「おい骸骨の兄ちゃん、イケるクチだな!? 今日はどんどん飲んでくれよ!!」
「ヘッヘッヘ。オイラの故郷じゃ、酒は飲んでも呑まれるなってのが信条っスからねえ。おじさん、ラムコーラもう一杯!!」
「あいよ!!」
……。
あいつはもう、放っておこう。
ところで、リーシュはどこに居るんだろうか。
見渡す限り、近くにリーシュの姿はない。もう、荷造りを始めているのだろうか。少なくとも今日中には出なければいけないから、そう時間も無いはずだ。
祭と言うのか宴会場と言うのか定かではないような場所をぐるりと一周。やはり、リーシュはここには居ないようだ。それを確認してから、俺は宿屋へと足を運んだ。まだこの村に居るのだとすれば……別れも告げずに居なくなるとは考え難いが……リーシュの居場所は、そこにしか無いだろう。
「……お」
宿屋を見ると、屋根の上に見知った銀髪が見えた。太陽の光に当たって、艶やかな銀髪とアーマーが光を反射している。
屋根の上から、村の様子を眺めているようだ。その表情はどこか寂しげで、湿っていた。
三歩ほど、助走を付けて跳躍。梯子を登る事もなく、一直線にリーシュの所へ。屋根の上にふわりと着地すると、俺はリーシュの隣に立った。
「まだ完治してないんだろ、指。あんまり無理しない方が良いぞ」
「……魔導士様」
痛みは回復魔法である程度引いたんだろうけど、オークに剥がされた爪が治った訳じゃない。
言いながら、俺も屋根の上に座る。
リーシュは少し驚いて、俺を見た。だが、すぐに苦笑すると、俺に言った。
「ごめんなさい。……どうしても登りたくて、少し無理してしまいました」
「もう、村を出る準備は出来てるのか?」
「はい。いつでも大丈夫です」
力無くそう言うリーシュの笑顔に、俺は戸惑ってしまった。
……なんて、声を掛けたら良いんだろうか。
少し押しただけで今にも壊れてしまいそうなリーシュの様子は、ひどく儚げで。俺が手を出して良い状況には見えなかった。……かと言って、このまま村に留まられてしまえば、リーシュは連れて行かれ、村は支配下に入るという、最悪の結末が待っている。
せめて、宴会が終わるまではそっとしておいてやるか――……。
「魔導士様」
「お、おう!?」
と思っていたら、リーシュから話し掛けられてしまった。リーシュは相変わらず、宴会を楽しむ村の人々を見ていた。
「私が居なくなってしまったら、豚さんが怒って、村の人達を攻撃したり……しないでしょうか」
豚さん!?
……あ、ああ、オークのことか。めちゃくちゃ可愛い表現だったから、まるで姿形が一致しなかったぜ。
豚さん、ね。確かに豚さんだね、うん。
「心配すんな。事が終わるまで、見といてやるよ。……契約が決まっちまえば、魔物の意志で手を出す事は出来ないだろ。あいつらは、あくまで『主人』の何者かの手によって動かされている存在だ。必要以上に手を出す事は、許されないはず」
そう言うと、リーシュは少し安堵した様子で、穏やかに笑った。
「……ありがとうございます。魔導士様は、本当にお優しい方ですね」
涙混じりにそう言われ、俺は笑みとも困惑ともつかない顔をした。
こんな風に人から感謝される事も、助けを求められる事も、俺の長い人生の中で殆ど経験して来なかった事だ。だから、どう反応して良いのか分からない。つい、対応に困ってしまう。
もしこれが俺じゃなくて村の連中なら、「いいよ、気にすんな」だとか、「いいからさっさと行け」みたいな言葉が出て来たのかもしれない。でもリーシュと出会って間もない俺には、そんな言葉の持ち合わせはなくて。
「私は、幸せものです。何もできないくせに、皆から護って貰えて……」
だから。
「悪いな。……村、護ってやれなくて」
「いいえ。魔導士様は、とばっちりを受けただけですから」
「一万セル、どうにかして貯めないといけないんだ。……ある人との約束でさ。ここに居続けたら、それは叶わないから」
「はい」
俺はそんな話をリーシュにした。リーシュは余計な詮索をする事なく、俺の話に頷いて、笑顔を見せたが。
リーシュがそう言って苦笑した事にも、俺は対応する術を持っていなかった。
そして、同時に気付いた。彼女は今とても、悔しい思いをしているんだろうな、ということに。
家族を護る事ができなかった。自分の精一杯を使ってもなお、届くことのない壁に突き当たってしまった。その壁を越えるにはもう、時間も無かった。
もう随分と長い事、俺は感じた事のない思いだ。一人で生きていると、そういった感情は頭の中から消えていく。人と接する事ができて嬉しい。大切な人を失って悲しい。自分の論理と一致せずに腹立たしい。
強い感情は、人といる時にこそ生まれる。
つい、考えてしまったのだ。
――ああ。彼女には、『仲間』も、『家族』も、あるんだな、ということを。
「あの」
「うん?」
「魔導士様は、どうやって強くなったんですか?」
「どうやって……どうやって、って言ってもなあ。とにかく、努力したよ。今の自分の限界をどうやって突破しようかって、そんな事を考え続けた」
「考えるんですか? 鍛えるのではなく?」
「ただ単に、バカ一筋で鍛えたって駄目だよ。強くなるためには、考えなくちゃいけない。今の自分の欠点というのがどこにあるのか、それを改善する方法はないのか。悪い所と良い所っていうのは、表裏一体じゃないか。物事を良くする為には、悪い部分をまず見付けないといけないんだ……そのために俺は暇な時、スケゾーとチェスをやってんだけどさ。まあ、あいつとのチェスで何かが得られた事は無いけどな」
俺は苦笑して、リーシュに言った。リーシュは少し緊張したような面持ちで、それに頷いた。
「な、なるほど……。勉強になります」
「あとは、師匠を見付ける事かな。俺も魔導士になる為に、師匠を作ったよ。この人に付いて行こうって人が一人現れれば、その人と自分を比較することで強くなれる」
「私で言うと、魔導士様ですねっ!!」
「そこは剣士の師匠を作れよ……」
「えへへ。でも、魔導士様はすごいです。私の知らない事を沢山知っていて、学者さんみたいです」
「俺は正直、魔法の事しか分からんからな。過度な期待はするなよ」
「魔導士様がまだ魔導士様として未熟な時に仲良くなれていたら、私も今は結構強かったかもしれませんね……」
「変わんねえよ。努力しろ、努力。俺といつ仲良くなっていたって、自分がやらなきゃ何も変わらないんだぞ」
「もちろんですよっ!!」
俺はリーシュと、様々な事を話した。
セントラル・シティのこと、冒険者のこと、俺が山に住むようになってから始めた仕事のこと。リーシュからも、色々と身辺事情を聞いた。そんな風に誰かと話すのは久し振りで、俺はつい、楽しくなってしまった。
それがもう間もなくして終わる楽しさだという事を、俺は多分、気付かない事にしていたと思う。
話の最後に、リーシュが言った。
「それでは、そろそろ行きます」
「そうだな。……宴会の方、参加しなくて良かったのか? 一応、お前のお別れ会だったみたいだぞ」
「大丈夫です」
リーシュは苦笑して、立ち上がった。
「寂しくなりますから」
俺は見上げたリーシュの顔を、当分忘れる事は無いだろう。
気が付けば、すっかり夕暮れだ。昨日は夜に現れた。今回もそうだとすれば、朝を待っている時間なんかない。リーシュは屋根から降りて、梯子の下にまとめてあった自分の荷物を背負った。
リーシュが抱えるには絶対に重い、大きなリュック。腰には、村の人々からの想いが込められた、剣を添えて。
「で、では……!! あっ、夕御飯はお部屋の中に用意してありますので、食べてくださいね。鍵は置いていきますので、お宿を出る時に村長さんに渡して頂ければ大丈夫ですので」
だから、どうして指が完治してないのに俺の食事なんか作ってんだ。つい、苦笑してしまった。
本当にこいつはいつも、人の事ばかりだな。
「ああ、分かった。……それじゃこれ、宿代な」
俺はリーシュに、五セル程の金を渡した。リーシュは目を白黒させていた。
「えっ……あの、代金なんて、大丈夫です。わざわざ来て頂いたのに、お金なんて……」
「良いから取っとけ。セントラル・シティなんて、一晩泊まるのに一セルくらい掛かるんだぞ。これ位無いと、ようへ……冒険者の仕事も受けられねえよ」
後は自転車操業でも何でも、稼いで行けばいい。だが、先立つものは必要だ。
リーシュは少し戸惑っている様子だったが、俺が手を引っ込める意思が無いとわかると、おずおずと手を差し出し。そうして、俺の金を受け取った。
同時に、腰から折って、深いお辞儀をした。
「……すいません。ありがとう、ございます」
俺にしては、かなり珍しい行動だ。スケゾーがもしこの場に居たら、相応に驚いていただろう。
ありったけの事情を知ってしまったから、やはり俺にも、幾らかの情が働いているのかもしれない。
「では。……さようなら」
リーシュは俺に手を振ると、背を向けて歩き出した。
暫く俺は、去り行くリーシュの背中を見詰めていた。非常にゆっくりと、しかし確実に小さくなっていく背中。どこか、悲しみを背負っているように見えた。
ふとリーシュが立ち止まって、夕日を見た。何かに気付いたようだ。……なんだ?
「あ……」
――海が。七色に、光ってる。
『ゆ、夕暮れになると光の影響で、海が七色に光ります!! いつも見ているのですが、とても綺麗です!!』
そうか、こんな風になるのか。確かにこれは、綺麗だな。初めて発見した事を考えると、日によって出たり出なかったりするのか。
長い村の生活で、毎日のようにリーシュは、これを見ていたのか。
……リーシュ?
「ひとを護れないのは、弱いから、ですか」
俺は、リーシュの想いを理解した。
そうか。明日からは、これも見られなくなるんだ。村から離れる以上、どうしても。
少し、その想いには共感する。大切な物っていうのは、奪われて、或いは奪われそうになって初めて、その大切さってヤツに気付くもんだ。持っていられる内は、その意味が理解出来ないもの。
失ってから、気付くことも。手を離してから、傷むことも。
その頬に一筋の涙が流れた事を、俺は努めて見ないようにした。
「強くなりたい……!!」
そうして、一歩ずつ歩いて行く。
小さくなっていく背中はやがて、俺の視界では捉え切れなくなった。もう声も届かないだろうし、リーシュが振り返る事も無いだろう。それでも俺は、その背中のあった場所を見ていた。
そうだ。強くなれ、リーシュ。
優しさだけじゃ、人は救えないんだよ。思いとか信念とか曖昧な言葉では、人の運命は変えられない。人を救うためには、強くならなければいけないんだ。
「自分と重なりますか、ご主人」
「スケゾー。……お前、いつの間に帰って来たんだ」
俺の肩に戻って来ていたスケゾーを見て、俺はしかし、スケゾーを咎める事はしなかった。
「……馬鹿言え。俺なんかと重なってたまるかよ」
リーシュは、もう十分に辛い想いをした。これ以上、逆境に追われる必要はないだろう。
俺と同じ思いは、しないで欲しいと願う。
*
まだ俺が魔導士になって、間もない頃のことだ。
当時の俺はセントラル・シティで傭兵として働き、金を稼ぐ方針で考えていた。傭兵の仕事は種類が多い。報酬が小さく安全な仕事から、大きく危険な仕事まで、何でも入ってくるのが傭兵だ。
だから魔導士になった時、傭兵として働く以外の事は想像もしていなかった。
しかし、傭兵の仕事は二名からが制限となっている場合が非常に多い。そうでない仕事もあるにはあるが、肉体労働や使いなど、特に身の危険が無いものばかりになる。
それらは一様に報酬が少ない。だから、傭兵として生活しようと思ったら、それらの仕事だけでは飯を食っていくことができない。
リーシュも言っていたが、そういった意味で俺達がセントラル・シティに拠点を構えるとすれば、パーティを作るという事は必須条件に近いものがあった。
危険な仕事でこそ傭兵。報酬を大きく稼がなければ、これまで身体を、そして魔法を鍛えた意味がないと。
『なあ、今俺達、魔導士を探しているんだ。あんた、魔導士だろ?』
傭兵登録をして、一番最初に仲良くなったパーティの事は、今でも忘れられない。
確か、アードという名前だった。剣士をやっていて、武闘家の男、聖職者の女と共にパーティを組んでいた。前衛と回復役が居て、範囲攻撃できる人間が居ない。典型的な後衛不足だった。
俺が一人で依頼所に立っていた時、真っ先に声を掛けてきたのが彼だった。
『あ、ああ。一応、魔導士をやってるけど』
『実はドラゴンを倒しに行く依頼を受けようとしていてさ、火力が必要なんだよ。魔法の攻撃力ってどの位?』
当時の俺はまだ、傭兵としてパーティを組む場合のセオリーなんてものは考えた事も無かった。だから、『魔法の攻撃力』と言われた時に俺は、得意分野として活躍できると勘違いをした。
『ドラゴン系統にダメージを与えられるって意味では、問題ないと思う』
『うおおっ……!! すごいじゃないか!! 是非俺達と、パーティを組んでくれないか? 一緒に冒険しよう!!』
俺とアードは、握手を交わした。
火力の高い魔導士と言えど、ドラゴンの硬い皮膚を突き破るだけの魔法を扱えるのは、ほんの一握りだ。それだけドラゴン系統が強いという事はあるが――……長く鍛えて来た身体がようやく役に立つのかと、期待も抱いた。
話してみると、アードという男はとても人当たりが良くて、人望が厚い。パーティのリーダーを勤める男として申し分ない強さも持っていると言われていて、頼りになる男だと感じた。
但し、全体的にまだ未熟なパーティだという事はあったが。当時の俺から見ても、足りない部分は多いように感じた。ドラゴンを退治しに行くメンバーとして適切だったかどうかは分からないが、俺とは強さに差があったように思う。
だが、真剣に仲間と作戦を練るアードを見ていると、うまくやって行けそうな気もしていた。
その予感は、思い掛けない形で裏切られる事になるのだが――……。
そのチームでダンジョンに入って、最初の戦闘だった。
『お、おい……!! 危ねえっ!!』
魔物に突っ込むタイミングが武闘家の男と同じで、危うく俺は武闘家の男を殴ってしまう所だった。唖然とする武闘家の男を横目に魔物を倒した後、俺はパーティメンバーと早速、揉め事を起こした。
『えっ、遠距離魔法が使えない?』
俺は、師匠と二人きりで魔法の訓練をして、魔導士になった男だ。他の魔導士がどのような戦い方をするもので、一般的に何を期待されているのか。そんな事はまだ、知識には無かった。
魔導士は後衛で、剣士や武闘家に護られて魔法を詠唱し、高火力で遠くから敵を倒す。そういうものだという事を、後から知ったのだった。
『ああ、うん……駄目、かな?』
俺以外の三人は顔を見合わせて、少し困っているように見えた。
いや。実際の所はその時から既に、俺を切る計画は始まっていたのだろう。
『……そうしたら、近距離で魔法を撃つって事になるのか?』
『ああ。殴って発動するものが多いかな』
『俺とポジションが被るな……』
武闘家の男は露骨に嫌悪を示した。確かに、最前線で殴る男が二人では、動き辛いという問題があったのだろう。
『まあ、まあ!! 高火力ではあるんだから、大丈夫だって。仲良くやろーぜ、なっ?』
アードがそう言った事で、俺達は一見、まとまったかのように思えた。
何という種類のドラゴンだったかは忘れてしまったが、そのドラゴンはとある洞窟の最深部に居るという事だった。俺達は奥へと進んで行く度、より強い魔物と戦わなければならなくなっていた。
潜ったばかりの頃はあった余裕も、食料と体力が失われて行くに連れて、段々と奪われていく。俺自身、複数人数で受ける依頼は初めてで、かなりきつい思いをした。
やがて、共に戦っていた武闘家の男が言った。
『お前、何でそんなに俺の近くで魔法を使うんだよ……!!』
俺は、爆発魔法を中心に戦う魔導士だ。爆発系、火力系の魔法が最も得意で、威力がある。強い魔物相手では、他の魔法を使う選択肢は無かった。
だが、戦えば戦う程に、剣士と武闘家は俺の近くで戦わざるを得ない。後衛の魔導士は詠唱を終えた所がポイントで、どこで引けば良いのかが分かる。それに比べて俺は、無詠唱で高火力の魔法を放つ前衛だ。
だから、噛み合わなかった。
『お前は魔法抵抗力が高いから、良いかもしれないよ!! でも俺はお前と違って、お前の魔法に巻き込まれるんだよ!!』
『わ、悪い……。でも、俺の魔法じゃないと攻撃が通らないだろ』
『何だと……!? 俺の方が足手まといだって言いたいのか!?』
武闘家の男が俺の胸倉を掴むと、慌てて剣士のアードが仲裁に入った。
『まーまーまー!! 仕方ねえよ、グレンの存在も必要なんだし。この状況で喧嘩してる場合じゃねえって!!』
こんな関係で、無事にドラゴンを倒し切る事が出来るのだろうか。誰もが、そう思っただろう。実際聖職者の娘なんかは、気不味そうな顔をして、俺とは一切口を利かなかった。
奥へと進んで行くたび、段々と俺は三人から距離を置かれ始めていた。最も、当時の俺はそんな事には気が付かなかったのだけれど。
俺が先頭を進み、後ろから三人が付いて来る。何かを話しているようなのだが、俺には伝わって来ない。そんな関係が続いた。
そうしてようやく、ドラゴンが現れた。
『おい、これは……やばいんじゃないの……?』
呆然と、アードはそう言った。
全身漆黒の硬い鱗に覆われた、巨大なドラゴン。俺も初めて見る種族だった。赤い瞳は一目で獰猛だという事が分かる程に鋭く、始めに受けた咆哮は、それだけで俺達が敵だと見なされている事を理解させるには十分な迫力だった。
誰もが、恐怖を感じた。戦うのを躊躇い、このまま逃げてしまおうかとも思っただろう。
だが、ドラゴンは素早かった。一度捕まったら最後、逃しては貰えそうになかった。
俺達は、戦うしかなかった。
『おい!! 回復間に合わねーぞ!!』
『す、すいませんっ!! すぐに……!!』
きっと、俺を除く三人も、そこまで長いパーティでは無かったのだろう。余裕が無くなると武闘家の男は声を荒げ、聖職者の娘は怯える。アードもまるで壁にならず、ドラゴンの高い攻撃力に為す術もなかった。
だが、ドラゴンの放つ火球を、魔法抵抗力の高い俺だけが無効化できた。物理攻撃は無理だったが、どうにか倒し切る自信はあった。
やがて、アードが言った。
『ごめん、グレン。ちょっと俺らじゃ、もう戦えそうにない……』
限界が近付いていたのだろう。
俺は、奮起していた。この状況をどうにかできるのはきっと、俺だけだ。俺だけがドラゴンの炎に対抗する事ができ、俺の魔法だけがダメージを与えられる。
この状況をどうにか出来るとしたら、俺だけなのだと。
『分かった、任せてくれ。……どうにか、倒してみせるよ』
『すまんっ……恩に着る……!!』
剣士と武闘家が下がり、俺だけが残った。
ドラゴンは強かった。その爪が向かって来るだけで、衝撃波で俺の身体は傷付いた。体力が少なくなるたび動きの速くなるドラゴン。火球の威力も上がり、俺も避けなければダメージを受ける状態になっていた。
生命の危機を覚えると、強くなっていくタイプの魔物だった。リミッターが外れる度、俺は想像を超える動きを見せられ、ダメージを蓄積させて行った。
やがて、俺の攻撃が当たらなくなった。もう一発でも受ければ、ドラゴンの方も耐えられなかったのだろう。そんな空気を肌で感じていた。
だが、その一発を当てなければ。そうしなければ、ドラゴンは倒せない。
ならば、どうすれば良いのか。
『うおおおおおおっ!!』
俺は一か八か、ドラゴンの懐目掛けて突っ込んだ。
思えばあの時、俺は気付かなければいけなかった。
前衛が下がったのはまだ分かる。だがどうして聖職者の娘は、俺に向かって回復魔法を使ってくれないのか。魔力切れには見えなかった。背後に居る剣士と武闘家は、俺が戦っている間に全快しているようだった。
だけど、戦っている俺には、そんな余裕はなくて。一度まともな攻撃を受ければ、即死も有り得る。恐ろしい相手を前にして、仲間の事には頭が回らなくて。
護るだけで、精一杯だった。
精一杯だったのに。
『がああっ……!!』
ドラゴンの爪が、俺の身体を貫いた。電流が流れるような激痛が、俺の全身を襲った。
しかし、それはピンチであり、チャンスだった。俺が攻撃を受けたその一瞬、ドラゴンに隙が生じる。
俺は、その瞬間を待っていたのだ。炎を拳に纏い、俺はドラゴンの爪を身体から抜いて、その腕の上を走った。
もう、その腕を引くタイミングは与えるまいと。
『カウンターだよ、馬鹿野郎……!!』
そうしてドラゴンの懐に飛び込めば、今度は避ける事ができない。
俺は拳を構えた。敢えて一度攻撃させる事によって、その身体の自由を奪ったのだ。避けてしまえば懐には潜れない、たった一度のチャンス。もう逃す訳には行かなかった。
互いに、限界が近付いていた。俺も、ドラゴンも。
だから、その次の一瞬で俺はもう、止まる事が出来なかった。
『今だっ……!!』
そう叫んだのは、武闘家の男だった。そして、俺の視界、真正面に、アードが現れた。
アードはドラゴンに向かって剣を振り被りながらも、俺を見て、驚愕しているようだった。
何故?
このタイミングでアードが出て来る理由が、俺には分からなかった。
その理由は今でも、知らされていない。だけどそれは、咄嗟に起こった出来事でもなければ、俺を護るための行動でもなかった。
だって俺は、その前の一撃で致命傷を負っていたのだから。
だから、確信がある。
――――――――俺は、囮にされたのだ。
うまく体力を削って、ギリギリの所で殺される。そういうシナリオを描いていたのだろう。もしもこの状態で依頼を達成したら、グレンオードの取り分が多くなるだとか、連中はそんな危機感を覚えたのかもしれない。
動機も過去も、当事者ではない俺には分からない。だが確実に起きていた事は、俺がカウンターで攻撃をしようとした瞬間に、アードが俺の目の前に飛び出して来たという――……その事実だけだった。
俺もアードも、同じ場所。ドラゴンの心臓を狙っている。攻撃をまともに受けた俺より、俺の負傷を確認して飛び込んだアードの方が一歩、早かった。
だから、俺の攻撃はそのまま、アードを貫通してドラゴンに当たる。
もう、止まる事は出来なかった。
俺は、限界だった。
フルパワーで放たれた爆発魔法が、アードの身体に直撃した。そのまま攻撃は貫通し、ドラゴンに当たる。アード一人の壁では大した衝撃吸収にはならず、ドラゴンは断末魔の悲鳴を上げて、その場に倒れる。
だが。……それは同時に、アードに致命傷を与える結果になった。声も無く俺の攻撃に巻き込まれたアードに、俺は青褪めた。
……どうして? 無理だと言っていたじゃないか。だから俺は、前で戦おうと思ったのに。何故、わざわざ飛び込んで来たんだ。
俺は皆を護ろうと思って、戦ったのに。
『どうして、止まらなかった……!!』
俺は病院で、武闘家の男に胸倉を捕まれ、壁に叩き付けられた。
頭が真っ白になった。意識を失ったアードをどうにか背負って歩き、セントラル・シティに帰った後の出来事だった。
ぼろぼろになった俺の腕を、聖職者の娘は回復しない。どこか怯えたような様子で、その時も俺の事を見ていた。
『仕方ないだろ……!? 俺が攻撃しなきゃ、あのドラゴンはお前等を狙っていたよ……!! なんで飛び出して来たんだよ!!』
『壁になるのはな、俺の役目なんだよ!! 壁は範囲攻撃とかしないもんなんだよ!! お前、それだけ魔法が使えるのになんで後ろに立たないんだよ!!』
そんな事を今更になって言われるとは、思っていなかった。論点をすり替えられた事にも気付かず、俺は叫んだ。
『飛ばないんだよ……どうやっても、俺の魔法は飛ばないんだよ!! わざとやってる訳じゃないんだよ!!』
『じゃあパーティなんて募集してんじゃねえよ!! 役に立たねえんだよ!!』
ドラゴンを倒したのは、俺だ。
あの四人の中では、俺だけだった。俺だけが、あのドラゴンと対等に戦う事ができていた。
俺は、激昂した。
『じゃあ、見捨てれば良かったのか!? 仲良く全滅すりゃ良かったのかよ!! 俺が戦わなかったら、間違いなく全滅してただろうが!!』
人は、自分に都合の良い時だけ、仲間になる。
損得勘定を抜きにして、人が誰かを救う事はない。その身が危険になったときはいつも、自分が一番大切になる。
あの時。ドラゴンと戦っていた時、彼等はきっと、俺を囮にして依頼を達成する事を、作戦に入れていた。そうして、その作戦を実行した。グレンオード・バーンズキッドがドラゴンに勝つ。そんな可能性は、考慮に入れていなかった。
それでも、そんな話は決して、外には出なかった。結果として残ったのは、グレンオードがアードという名前の剣士を攻撃した。そんな事実だけだった。
『……すまなかった』
だから、俺がアードに謝罪しに行く事もまた、必然だった。
数日後、目を覚ましたアードはすっかりやつれた顔でベッドに座り、窓の外を眺めていた。別人のように変わり果てた目元、痩せこけた頬。俺が入って来た事にも、まるで反応しなかった。
俺が頭を下げても暫くの間、アードは俺に目も合わせず、無言のままでいた。
『……はっ、……ははは』
程なくして、アードは笑い始めた。
どうしてアードが笑い出したのか分からず、俺は顔を上げた。
『……俺、もう、完治しないってさ。弱い骨をやられたんだってさ。日常生活に支障はないけど、もう剣士としてはやって行けないってさ』
それは、俺が見ていた――明るくて誰にでも優しいアードの姿とは、似ても似つかなくて。どうしても、別人のように見えた。
アードの心は、憎しみに満ちていた。血走った眼で睨まれると、俺は身体が竦んだ。
一体誰なんだ、こいつは。そう、思った。
でもきっと、それは本心だったのだろう。パーティを組んでドラゴン退治に行った時から、ずっと。
俺はただ、ドラゴンを倒す火力があったから採用されただけ。そこに信頼関係や、まして友情なんてものはなかった。
俺は、誰にも好意を持たれていなかった。
そんな事が、分かって。
『おい、グレンオード。……土下座しろよ』
『え……?』
『土下座しろって言ってんだよ』
言われるままに土下座すると、アードは俺の頭を踏み付けた。
偶然ではなかった。何度もアードは俺の頭を踏み付け、呪いのように言った。
『なんで、俺のパーティに来たんだよ……!!』
頭の痛みよりも、心の傷の方が深かった。
言葉は胸の奥深くに突き刺さり、抉るように俺の腸を引きずり出した。
思わず、歯を食い縛った。人知れず、涙は頬を流れ落ちた。
『魔法が飛ばねえ魔導士なんざ、要らねえんだよクズが……!! お前のせいで全部、メチャクチャだよ……!! クズはクズらしく、囮にでもなってりゃ良かったんだよ……!!』
俺は、悔しくて。
惨めで。
『なんでお前が生きてんだよ!! 消えろよ!! このっ、疫病神が!!』
何かに取り憑かれたような顔で俺の頭を踏み付ける男が、本当に信じられなかった。
『疫病神が!!』
噂は根も葉もない尾ヒレを付けて、セントラル・シティ中を歩き回った。
仲間を一人、わざと攻撃したらしい。傭兵としてやって行けなくなる位、痛めつけたんだって。……気が付けば俺は、そんな風に言われるようになっていた。『零の魔導士』等という不名誉な称号まで与えられて、やがて俺は『魔法の飛ばない魔導士』として、傭兵達から拒絶される存在となって行った。
為す術もなかった。
ただ一つ、俺に分かる事があるとすれば。人は、自分の都合の良いように物事を解釈する頭を持っている、という事だけだった。
例え事実が捻じ曲がっていようと、構わないのだ。分かり易い悪さえあれば、人はそこに飛び付く。そうやって社会の輪から外され、気が付けば『余り物』と化していた俺には、もう居場所がなかった。
だけど、少し気楽になった部分もあった。
もう、誰の事も気にしなくて良いんだ。余計な重荷を背負う必要はないんだ。どうせ人は都合の良い時だけ仲間で、都合が悪くなったら切り捨てるのだから。それなら、俺もそうしよう。
俺はもう、『悪』で構わない。
誰も護らず、誰とも仲良くならず、誰のことも気にせず、誰にも懐かない。
誰にも期待しなくていい。
期待しなくていいんだ。
*
「ご主人。……ご主人っ」
スケゾーが俺の身体を揺さぶっていた。寝惚け眼を擦りながら、眠っていた俺は目を覚ました。
「なんだよ、スケゾー。お前酔っ払ってたんじゃないのかよ」
「オイラが酒如きにやられると思ってんスか。さっさと起きてくださいよ」
ここに来た初日、俺が草原に捨てて来たのはスケゾーじゃなかったのか。あれは一体、誰だったんだろう。
「連中が来やした」
俺は飛び起きて、服を着替えた。
結局、夜になっても来なかったので、眠ってしまった。僅かに外は明るくなり始めている……奇襲は、人々が眠っている朝方が最も有効だと言われる。前回とは違い、朝に来たのか……俺が居ないタイミングを見計らっての時間だろうか。
まあ、前回は奴等もこの村を舐め切っていたからな。その点、今回は抜かりないという事だろう。
「リーシュは……」
そうだ。……もう、居ないんだ。
前回は日付変更と同時に来た。今回が朝方になるとは、誰も予想していなかった。……あれ。という事は、俺は夕方から寝ていたから……寝過ぎだな、完全に。
「日付が変わったら起こせよ、一応」
「いやあ。魔物の気配もしなかったんで、大丈夫かなと。ご主人、ここに来てから全然眠れて無かったでしょ。いざ戦う事になったら、寝不足だと困るっスから」
気付かれていたのか。普段、俺の体調なんて気遣わない癖に。昨日なんて、俺の事は無視して酒を飲んでたじゃないか。
まあ、気心知れていて助かる。
俺はマントを羽織ると、魔導士用の手袋を嵌めて、部屋を出た。小走りで廊下を進む。
「リーシュさん、今頃セントラルに着いてる頃っスかね」
準備しながら、スケゾーがそんな事を呟いた。
村を出てから半日以上経っている。金は渡したから、まさか歩いて行っているという事はないだろう。着いているかと言われれば馬車のタイミング次第だろうが、今はもう、結構な距離を進んだ所だろうな。
「さあな。……俺は、こっちの仕事を終わらせるだけだ」
「金にはならないっスけどね」
「言うな。悲しくなるだろうが」
旅館の扉を開いた。
周囲はまだ、少し暗い。セントラル・シティと違って、外は街灯の一つも無いものだから、昇りかけた太陽の淡い光を頼りにするしかないが……この場合、俺には関係ない。目を閉じると、周囲の魔力を察知した。
小さな村だ。どこに魔力が集まっているのか、その程度は意識すれば分かる。場所は……以前と同じ方向。
――こっちだ。
俺は、走り出した。
走っていると、すぐに視界に入って来る。前回と同じ場所だ。遠くに村人が固まっているのが見える。もう始まっているのか。
だが、戦闘はしていない。戦闘になる気配もまだ、無い。
殺気を感じれば、俺にだって分かる。まだ、連中は村人を殺すつもりじゃないって事だ。交渉は途中……でも、魔物も村人も大集合している所を見ると、ちょっと何とも言えない所だろうか。
「オイふざけんなお前ェ!! 娘が居ないだと!?」
怒鳴り声が聞こえて来る。聞いた事のある声だ……相対しているのは、緑色のオークと村長。その周りを村人とゴブリンが囲っているのは、これまでと同じ構図だ。
俺は前回と同じように民家の陰に隠れて、笑みを浮かべた。
「中々ナイスタイミングだな、スケゾー」
「何言ってんスか。オイラはご主人の使い魔ですぜ?」
こんな時だけ調子の良いスケゾーは、俺の肩で胸を張っていた。
連中から、徐々に強い殺気を感じ始めた。奴等が来てからまだ、そんなに時間も経っていないんだろう。恐らく、問題はこれから。戦わずに乗り切る事ができるのかどうか。それと、魔物と村人の向こう側に、今回目的としている、オークやゴブリンの『主人』が来ているのかどうか。それが問題だが。
村長は胸に手を当てて、声高に叫んだ。
「我々は協力する!! だから、それで勘弁してくれないか!! 私達は、何も違反はしていないはずだ!!」
オークを前に、村長は恐怖を制して立ち向かっていた。オークが一歩、前に出る。
「違反して、無いだと……?」
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