第239話 剣士って言ったよね……?

 な……何だ? 急に周囲の魔力が収束して、リーシュに集まって行く。吸い寄せられているんだ……何に? リーシュの、魔力に。これは……呼応して、同調しているんだ。


 リーシュは剣を引き抜いたかと思うと、高速で何かの詠唱を口にした。聞いた事の無い詠唱。人間の言葉で紡がれる詠唱とは、また違う。それは魔導士として生きる俺にとっても、まるで初めての出来事で。

 突如として上空に分厚い雲が現れ、周囲が暗くなった。謎の現象に俺は、口を開けたままで固まってしまった。


「【アンゴル・モア】……!!」


 ……魔法、剣士?

 あーそうか、魔法剣士だったのか。リーシュの身の丈には大き過ぎる剣だと思ったけれど、もしかしてこの剣は魔法の媒介だったのだろうか。あー確かにそうだとしたら、少し納得が行くかもしれないね、うん……そんな俺の気付きも、口に出される事はなく。俺はリーシュの引き抜いた剣が大上段に構えられ、そしてそれがとんでもない事になっていく様子を、間近で呆然と眺める事しか出来なかった。

 開いた口が塞がらない。


「……ねえ……何? これ。……スケゾー、……何? ……これ」

「お、オイラに聞かねえでくださいよ……」


 スケゾーが慌てている。魔物としての常識をスケゾーはいつも俺に教えてくれるが、どうやらそれを鑑みても不自然な状況らしい。

 リーシュの剣が、瞬間的に大きくなった。……大きくなった、等という表現では語り切れない。巨大化した。最早それは、リーシュの全長を軽々と超え、塔のように高く聳えていた。

 それを両手で持っている、リーシュ。


 それは――そこはかとなく、非現実的な光景だった。例えるならそう、大陸を持ち上げる魔物のような――……いや、全くそれは何の例えにもなっていない。そのまんまの意味だ。

 巨大な剣を構えるリーシュ。それは何故か、少しだけ剣士のようにも見えた。……ああ、いや、こいつ剣士だったんだっけ。魔法剣士ってこういうのだっけ。……違うよね。


「……どうして、酷いことをするんですか……!!」


 物凄い怒りを感じる。鬼気迫る表情だ……リーシュは片手で剣を持った。片手で持てるのか、それ。……いや、持っていない、のか? リーシュの手元は白銀色の光を放ち、眩しくて何をしているのか、よく見えない。

 俺に向かって矢を放ったリザードマンが、遥か遠くに見えた。驚愕仰天して、弓を捨てて逃げ始めている。当然だ。俺だってこんなもの見たら、一目散に逃げる。


「魔導士様をっ……!! 返してくださいっ……!!」


 リーシュの剣から、圧倒的な光が噴出した。


「ヴぉっ……!?」


 眩しい。神々しいまでに光を放つその剣は、もはや剣なのかどうかも定かではなくなっていた。あまりに輝き過ぎて、直視する事もできない。俺は目を細めて、どうにか今の状況を確認しようとしたが。

 いや、リーシュよ。返すも何も、俺は普通に生きているんだが。どうなんだ、そこんとこ。

 リーシュは親の敵とも言わんばかりに、逃げて行く遠くのリザードマンを睨み付けていた。


「いや、待って待って。俺、全然大丈夫だから。生きてるから。……おーい、もしもし?」


 山とこの剣、どっちがより大きいんだろう。ただの草原なら別かもしれないが、木に囲まれていて移動に時間が掛かるこの状況では、リザードマンが避けられる可能性は……ほぼゼロだろうな。


 いやいや。待って。本当に待ってくれ。そんなもん落とされたら、山が無くなる。俺の家も無くなるから。誰もこの山に住めなくなるから。そう言おうとした時、俺はある事に気付いた。

 そういえば、リーシュと出会う少し前、山にとんでもない轟音が響いたような気がする。……そうか。あの時の落雷のような音は、もしかしてリーシュの仕業だったのか。


 ……さっき死ななくて、良かったなあ。


 謎の納得感と、僅かな安堵感と、湧き上がる絶望感。怒りが頂点を迎えてしまったリーシュには、誰の声も届かない。それは既に、俺が身を持って体験していた。

 その剣は、逃げて行くリザードマンに向かって、容赦無く振り下ろされる――――…………。



 あー。



 俺の家。



 *



 馬車に揺られながら、俺は修復された腹を撫でた。


「本当にごめんなさいっ!!」


 何度目の謝罪だろうか。馬車の手摺に肘を付いた状態のまま、俺は苦笑を禁じ得なかった。

 たまたま馬車が通り掛かったのは、幸いだった。そうで無くとも、一旦近場の村に寄って馬車を拾うつもりだったからだ。移動に掛かる時間が短縮できたのは、幸運だったと言うべきだろう。

 リーシュが来たのが朝方だった。タイミングが良かったので、この調子なら昼過ぎには村に到着できそうだ。

 更に幸運なことに、俺の傷は素早く治された。……リーシュの手によって。半ば強制的に。


「良いよ、大丈夫だよ。ありがとな。……でも、次からあの技、禁止な」

「うっ……!!」


 リーシュが涙目になって、口を噤んだ。

 巨大化した剣が振り下ろされた後、直ぐにその剣は元のサイズに戻った。……俺の家が壊されていない事を、心の底から願うけれど。方向的に、壊れていないと考えるのはかなり無理がある気がする。

 しかもリーシュの暴走は、巨大な剣を振り下ろすだけでは済まなかった。

 その後、リーシュは俺の方へと向いた。泣きながら俺に駆け寄るリーシュ。腹を貫かれている俺。リーシュは俺の肩を抱き、俺の頬に涙を零した。


『魔導士様……!! 大丈夫ですか!?』

『大丈夫だよ、リーシュ。……ありがとな、助けてくれて』


 それは光景だけで見れば、少し美しくも見えた。

 その瞬間までは。


『少しだけお待ちください。今、治しますので……!!』


 ぶっちゃけて言うと、俺が仰向けに倒れていたのはリーシュの魔法で地震が発生して足下が覚束なくなったからで、別に腹が痛かったからでは無かったんだけど。

 てっきり俺は、リーシュが回復魔法を使えるのかと思った。だって、『今、治しますので』ときた。剣士で回復魔法が使えるなんて少し便利じゃないかと思った当時の俺を、心の底からどつきたい。

 俺は矢を抜いて、リーシュに言ったのだが。


『ああいや、これ位ならほっとけば大丈夫だから……』


 一体何だったんだ、あのスキルは。

 リーシュが次の瞬間、何をしたと思うだろうか。俺に向かって抜き身の長剣を振り翳し、宣言したのだ。


『【ケア・ソード】!!』

『ぎゃああああああ――――――――っ!?』


 信じられなかった。目の前のリーシュが取った行動が、本当に信じられなかった。だがあれは、どうやら回復魔法だったのだ。魔法……? いや、違うな。スキル……? ……剣を刺して回復なんて。リーシュが俺に向かって刺した剣によって、何故か俺の胸の傷は少しずつ、修復されていった。

 だが、代わりにそれは酷い激痛を伴った。……当たり前だ。どんな治療法だろうと、剣を刺している事に変わりはない。


『【ケア・ソード】!! 【ケア・ソード】!! 【ケア・ソード】!!』

『やめっ……おま、あがあ!! やめろぉっ……!! やめてくれぇっ……!!』


 矢が引き抜かれ、血を流した男に、必死で剣を刺しまくる少女。

 ……地獄絵図だ。


 しかも、俺を回復させて魔力尽き果ててしまったリーシュは、その場に眠ってしまった。……どうやらこいつは、魔力が枯渇すると勝手に寝るらしい。これを確認した事で、リーシュが来る前に聞こえた轟音の謎と、その後のリーシュがいきなり眠ってしまった件、その二つが何故起きたのかが判明したのだが……ちっとも嬉しくない。

 蹴散らしたリザードマン。どうしようもなく、眠ったリーシュを背負って歩くしかなかった俺。

 そして、たまたま山の麓まで降りた時に、馬車に乗った男――今乗せて貰っている男だが――が現れて、俺にこう言ったのだ。


『へ、変質者か……!? その娘に何をした!?』


 背中に抱えていたリーシュのビキニアーマーがずれていて、それが男に良くない想像をさせたらしい。


『えっ……いや、こいつは寝てるだけで……ハハ』


 説明するのも恥ずかしい。

 そうなるのが嫌だったから、ローブを着せたのに。背負っているうちに、リーシュの身体に不釣合いなローブの首元がずれてしまったんだろう。

 男の説得に、少しの時間を要した。……何しろ、変質者扱いされたら馬車に乗せてなんか貰えない。


 ……今日は厄日だ。


「いいか、絶対に禁止な。特に村では打つなよ絶対。村が五日で滅ぼされる前に五秒で自滅するわ」


 リーシュは少し小さくなって、上目遣いに俺を見詰めた。


「……禁止って、攻撃魔法、ですか? ……回復魔法、ですか?」

「両方だよ!! 分かんだろ!? 両方!!」


 馬車の手摺をバンバンと叩いて、怒りの意思を示す俺。……形振り構ってなどいられない。あんなに凶悪なスキルを暴走してぶっ放す同行者なんて、怖くて夜も眠れない。

 格好も性格もポンコツなら、使う技までポンコツときた。

 本当に、美少女が激しく無駄だ。無駄過ぎる。

 やってられるか。


「大体何なんだよ、【ケア・ソード】って!! 聞いたことねえよ!! 針治療か!? ものすごい針治療か!!」

「いえ、剣治療です!!」

「じゃかあしいわ!!」


 控えめにも胸を張ってそう言うリーシュに、俺は更なる敵意を見せた。一時的に余裕を見せたものの、直ぐに再び小さくなるリーシュ。


「すいません、馬車の中では静かに……」

「あ、すいません……」


 怒られた。

 馬車の人には迷惑を掛けられない。仕方無く、俺は溜め息を付いた。

 やれやれ、だ。剣士と聞いていたが今の所、感覚的には魔導士に近い。……いや、まだ実際に剣を振るっている所を見ていないのだ。これだけ魔法の威力が高いのなら、剣の腕もそれなりにあるのかもしれない。

 ……どれだけ強くても、感情に身を任せて暴走する仲間はちょっと困るが。


「ごめんなさい」


 リーシュが俯いてしまった。……ショックを受けてしまったのだろうか。少し言い過ぎてしまったか。

 やっぱり、どれだけ抜けていようが女の子だ。スケゾーとは感覚が違い過ぎて、どう接していいのか未だによく分かっていない。

 くそう。これが男だったら、遠慮無く殴る所なのに。スケゾーのように。


「私、こんな能力を持っているせいで、どこのパーティーにも入れて貰えず……未だに、仕事を一件も受けさせて貰えないんです」


 リーシュはどうしようもなく苦笑して、頬を掻いた。

 パーティ。共に傭兵の依頼をこなす、グループのことだ。


「私の居場所、何処にもなくて。……駄目ですね、私」


 そうか。リーシュに傭兵仲間ができないのは、このぶっ飛んだスキルが原因だったのか。

 その言葉に、俺はリーシュから目を逸らした。


 違うだろう……それは、違う。外側に自分の居場所なんてある筈がない。自分の居場所は、内側にあるもの。内側を広げて作るものだ。

 他所の誰かに自分の居場所を求めたって、辛いだけだ。

 心の内側に浮かんだ言葉を、俺はリーシュに言うべきか、どうするべきなのか、はっきりとした解答を見出す事が出来なかった。


 俺はすっかり、言葉を失ってしまった。壊れそうな笑みを浮かべる少女には、俺の言葉は矢のように突き刺さって、抜けなくなってしまうような気がしたのだ。

 俺が経験した苦い記憶と通じるものがあったから。

 ……やり切れないな。


「まあまあ、今回はイレギュラーもあったんで。うちのご主人が気付かないなんて、珍しいんスよ。戦う事に関してだけはオイラも認める真剣さ、マジっスからね」


 都合良く、スケゾーが話を切ってくれた。いつも小言ばかり言う仲だが、偶には良いアシストをするじゃないか。

 少しだけ、空気が明るくなったような気がした。


「……そういえば、最近魔物が凶暴化しているって言いますよね。街や村が襲われたり……何か、起こっているんでしょうか」


 リーシュが問い掛けると、スケゾーが手を叩いて、それに反応した。


「そうそれ、オイラも気になってるんスよね。こっちで人を喰らおうとやってる魔物ってのは自己責任なんで、オイラ達にとっちゃ、勝手にやってくれって感じなんスけどね……凶暴化の仕方が、ちょっと変っスよね」

「変、ですか?」

「まるで何かに操られてるみたいな雰囲気じゃないっスか。それか、使い魔みたいな動きしますよね」


 先程俺達を襲った、リザードマンの群れ。……普段なら、あんな戦い方をする連中じゃない。俺の顔を覚えて、戦い方を学習したのか。……それにしては、やり口が逆に陳腐な気もする。

 リーシュが少し戸惑ったような顔をして、言った。


「すいません、使い魔について私、あまり詳しくなくて……」

「昔は人間も魔物も同じ場所に住んでいやしたが、今となってはそんな事は無理なんスよ。仲悪いっスからね……だから、この星のちょうど裏側に魔族の大陸があって、魔物はそこに住んでるんス。こっちに来る物好きってのは、大体は人間を食い物にしたいか、何者かに召喚されてる筈なんスけどね。食い物にする為なら旅人を襲った方が都合が良いんで、まあ人数的に街は襲わないっスよね。全滅の危険もあるし」


 矢など、一撃限りの奇襲に過ぎない。あれで必殺にするつもりだったのだろうか。……それにしては、矢の性能が悪い。特に魔法が掛かっている様子も無かった。

 少し、不気味だ。


「じゃあ、誰かが魔物を操っている……と?」

「それは分かんないっスけどね。でももし人間の仕業なんだとしたら、人間的には酷い裏切りになるんじゃないっスかね」

「それ以上はやめとけ、スケゾー」


 口の軽いスケゾーが、有るかどうかも分からない予想の話をペラペラと始める前に、俺はスケゾーの言葉を遮った。リーシュとスケゾーが俺の方を向いて、話を中断した理由を表情で問い掛ける。

 俺達の予想をリーシュに話したとして、それが何かの解決になるかと言われれば、ならない。なら、変な固定概念を植え付けるべきじゃない。


「……根拠の無い話だよ。ある日、魔物が人間との決着を付けに来てるのかもしれねえ。……元々仲の良い種族じゃねえからな、人間と魔物ってのは」

「まあ、そういうのはあるっスね」


 使い魔ってのは魔導士と魔物の間で交わされる契約だが、場合によっては魔物が人間を従えるケースもある。まあ人間と魔物では余程の事が無い限り、人間の方がスペックで劣るので、そうある事ではないが。

 人間が魔物を手下にしたい時は往々にしてあるが、魔物が人間を手下にしたいケースはあまり無いものだ。

 そして契約は、人間と魔物の仲が『通常は良くない』からこそ、特別に行われる。だからこそ、『使い魔』なのだ。使い使われる契約以外に接する手段を持たない。基本的に、仲良くしてはいけない存在なのだ。

 俺とスケゾーは、人間と魔物の関係としては、相当特殊な部類。

 リーシュに少しでも、そのニュアンスが伝わっていれば良いと思ったが。


 それきり、俺はスケゾーとリーシュと会話する事を止め、眠っている振りをした。……どの道、サウス・ノーブルヴィレッジまで半日以上は掛かる。眠っていた方が楽だ。

 特にこれ以上、話題も無いしな。


「……魔導士様、眠ってしまったのでしょうか」

「みたいっスねえ」


 ふと、リーシュから少し嬉しそうな声が聞こえた。


「スケゾーさん。……さっき私、初めてパーティというのを経験しました」


 一緒には戦っていなかったような気もするが。

 流石にそれは、言うべきではないか。


「そうなんスね。ご主人にとっても、久々でしたよ」

「えへへ……少し、嬉しかったです」


 ……喜んで貰えたなら、何よりだ。

 しかし。俺は少し、短気が過ぎるな。リーシュの事も確かにあったとはいえ、俺が腹を立てていては話が始まらないかもしれない。第一、初めてのお客様だった。今更だったが。すっかり忘れていたぜ。

 もう少し、優しくしなければならない、か。


「あの、スケゾーさん。ちょっと、お伺いしたいのですが」


 リーシュが俺を起こさないよう、スケゾーに耳打ちしている。……だが、残念な事にこの距離では丸聞こえだ。


「魔導士様……グレンオード様って、いつもこんな感じなんですか……?」


 ……ん?


「へえへえ。と、言いますと?」

「なんだか、あんまり目を合わせて頂けないので……少し嫌われているのかもと思ったんですけど、どうもそういう風でも無いですし……少し、寂しいです」


 思わず、身体が反応しそうになってしまった。

 馬鹿、スケゾーにそんな事を言ってはいけない……!! 奴の格好の餌じゃないか……!!


「うふふふへぇ。リーシュさんがあんまりに可愛いんで、照れてるだけっスよ。本当は今でもどう扱って良いのかよく分からなくて、戸惑っている筈っス。いやー、リーシュさんさえ良ければ、うちのご主人を旦那に引き取って貰っても構わな」


 俺はスケゾーを殴った。

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