第238話 それがこの俺、ゼロ距離魔法の()

 暫く歩くと、少し道が険しくなってきた。魔導士として山で仕事を待つと言っても、登れなければ依頼もクソもない。だから、ある程度は登り易い山を選んだつもりだったが……まあ、山は山である。


「ご主人、喉乾いたっス。オイラに酒を……!!」


 早くもスケゾーが、俺の肩の上で項垂れていた。


「樹液でも舐めてろ」

「水もくれないんスか!?」


 ……おや?

 ちらちらと、リーシュが俺の肩を見ている。

 どうやら、スケゾーの事が気になるらしい。家に居た時と違い、俺と同じ、漆黒のローブを羽織っているスケゾー。鼠のような見た目でも、髑髏を被ってローブを巻けば、少しは上等な魔物らしく見える。

 と言っても、所詮全長三十センチかそこらの身体では、ペット扱いが関の山だが。


「あの、大変今更で申し訳無いのですが、そちらは……」

「おお、やーっと聞いてくれたっスね。オイラはスケルトン・デビルっていう、魔物としてはかなり高ランクで知られる悪魔族の末裔でして。実はこのボサ髪の魔導士、グレンオード・バーンズキッドよりもすげえ悪魔っス」


 誰がボサ髪だ、誰が。

 胸を張って偉そうにしているスケゾーを指差して、俺は言った。


「こいつは俺の使い魔で、スケゾーという名前を付けた。別に大してすごくはない」

「ご主人!!」


 スケゾーが憤慨しているが、俺は嘘を言った覚えはない。仕方ないだろう、チェスのルールも分からないような使い魔では。

 こいつを使い魔に選んだ日の事を思い出す。……まさかあの時は、スケルトン・デビルがこんなに小さい姿になるなんて予想もしていなかった。

 頭が悪くて役に立たなくて頭が悪い。ついでに言うと頭が悪い。

 なのに、悪知恵の部分では妙に頭が良いのがまた、腹が立つ。


「……まあ、良いっスけどね。オイラの事をスケゾーなんて呼んで良いのはご主人だけっスからね。そこは勘違いしないで欲しいっスね」

「お前を呼び出したのは俺だ。文句あるか」

「いや、それは別にねーですけど」


 そのやり取りを聞いたからか、リーシュが微笑んだ。


「仲が良いんですね。よろしくお願いします、スケゾーさん」

「うぐっ……」


 ……たった今、スケゾーって呼んで良いのは俺だけだと言ったばかりだろ。

 スケゾーも相手に悪気が無いことは理解したようで、苦しそうに唸った。

 まあ、長い付き合いだからな。お互いの性質は理解してしまった間柄という訳だ。

 今となっては、俺の会話にしゃしゃり出てくる事も無くなったし。うっかり無駄な事を話して、俺のイメージを下げる事も無くなった。何だかんだ言っても、良い相棒だ。

 スケゾーがリーシュの肩に飛び移って、耳打ちをしていた。


「リーシュさん、ご主人なんて女の子耐性無さ過ぎなんで、色仕掛けでイチコロっスよ。もし金が無かったらさっきの作戦、悪くねえと思います」


 俺はスケゾーを殴った。


「痛い!! 暴力反対!!」

「俺はお前のような使い魔を持てて幸せだよ!! クソが!!」


 どうしてこう、こいつは無駄に俺の評価を下げに来るのだろうか。リーシュが顔を真っ赤にして、俯いてしまったじゃないか。

 そして、それとなく暴露された俺の弱点である。……突拍子もない事をされて、出会った当初からリーシュには格好悪い所を沢山見られているので、今更という感じもするが。一応、女性に対する耐性の無さは隠しておきたい所なのだ。

 ……ん?

 リーシュがこちらを上目遣いに見ている……!!


「私なんて、相手にもされないと思ってましたが……一応、女の子として見て頂けているんでしょうか」


 やめろ破壊力がやばいからやめろ!!

 ……ったく、どうしてこう……女の子の上目遣いっていうのは威力が高いんだ。静まれ、俺の心臓。まだスケゾーが適当な事を言っただけの段階だ。色仕掛けで落とせるなんて確信を持たれたら、村との交渉に問題が出るかもしれない。

 くっ。どうする、この状況。どうにかして主導権を取り返さないと。何の主導権かは知らないが。


 そうだ……!! こんな時こそ、あの恋愛小説に出て来た台詞を使う時じゃないのか……!? 確か、こう……背筋を伸ばして顎を引いて、流れるような目配せでリーシュを見て。

 若干後ろ体重で、リーシュを指差した。


「一応言っておくが、金が無ければ俺は動かないからな。お前の洗濯板のような胸では、俺を動かす事は出来ないと思っておけよ」


 どうだ。これで、俺に色仕掛けは通用しないと分かっただろう。


「えっ……」


 リーシュは絶句した。……悪いが、釘を差しておかなければスケゾーの挑発に乗る可能性もある。なめられる訳には行かないのだ。

 しかし、我ながら大した演技だ。余裕のある大人の男が演出できたのではないだろうか。自分の虚勢が誇らしいぜ。


「洗濯板じゃ……ないです……」


 ……。

 そう言って、リーシュは自身の胸を揉んでいた。

 俺は思わず振り返って、近くの手頃な木に向かって何度も頭を叩き付けた。


「きゃあっ!? ま、魔導士様っ!?」


 静まれ俺、静まれ俺、静まれ俺。

 何もしていないのに、息が上がっている。心臓に悪い。今すぐ逃げ出したい気分だ。


「リーシュさん。さっきご主人、リーシュさんの顔もまともに見られないくらいドキドキしてたみたいなんで。気にしねえでください」


 俺はスケゾーを殴った。


「兄貴!! 平にご容赦を!!」

「とにかく!! ちゃんと金は払えよ!!」


 リーシュが笑って、何かを言い掛けた瞬間だった。


「あの、魔導士様は、パーティとか――」



 おかしい。



 咄嗟に俺はリーシュの口を左手で塞いで、身を屈ませた。……大した事は無い魔物だと思っていたが、数が多い。それも、俺達が歩いている間に次々と増えている様子だった。

 周囲の状況に、耳を傾ける。……五……六。片手では数え切れないな。奴等は木の陰に隠れて闇討ちするのが主な戦法だから、先ずはそれを潰さないといけない。

 リザードマン如きから逃げるのは少し癪だが、場所が悪い。五、六匹掛かりで背後から襲われるとしたら。リーシュを守って戦う事も考えると、この場所では無傷の突破は難しいか。


「走るぞ。付けられてる」

「……は、はいっ」


 確か、この坂道を下った先には少し開けた場所があった筈だ。そう思いながら、俺は走り出した。リーシュも俺に付いて来る。

 リザードマンの群れは、どうにか俺達を捕まえようと追い掛けているようだ。可哀想な連中だ、と思う。奴等は人間の顔にいちいち区別なんて付けられないから、何度も俺を襲ってはやられるという、負のループに陥ってしまう。

 まあ、俺もリザードマンの顔に区別など付かない。種族の違いってのは、案外そういうものなのかもしれない。

 だが――それを差し引いたとしても、少し状況がおかしい。


「ご主人。……なんか、変っスね」


 俺の肩で、スケゾーがそう呟いた。


「だな」


 リーシュが俺とスケゾーの会話を聞いて、頭に疑問符を浮かべている。……まあ、この山での戦闘経験が無いリーシュには、当然違いなんて分からないだろうから仕方がない。

 何がおかしいのか。普段見掛けるリザードマンの特徴と一致しないから、おかしいと思うのだ。


 リザードマンというのは普通、四匹一組で狩りをする。少ない時はあるけど、それよりも多いって事は中々無い。五年もこの山で暮らしていれば、その生活ってのは分かって来るもんだ。

 元々粗暴で、互いに手を組む事も少ない連中。一匹で狩りをする奴の方が多い位なのに、群れでとは。

 連中の気が変わったのか、それとも。


「あ……あの、魔導士様は後衛……ですよね。……私、頑張って戦いますから」


 リーシュは剣の柄を握り締め、喉を鳴らしていた。……まあ、普通はそう考えてしまう所だろう。

 言っている間に、開けた場所まで辿り着く。木が少なく、そこだけ草原のようになっている場所だ。俺は高く跳躍し、身を翻すと同時に背後の状況を確認した――……こちらに向かって走っているリーシュ。その更に後方に居るのは、気配を察知した通りのリザードマン。一……二……肉眼で確認出来るのは三匹か。

 この状況。見えない場所に隠れているリザードマン……合計して、倍は居ると見て良いだろうか。

 両拳に魔力を込める。


「ご主人、どうします?」

「いやー、まあ良いだろ、これくらいなら」


 俺とスケゾーにしか分からない会話をして、俺は草原に降り立った。

 丁度リーシュが俺の所まで到着し、剣を引き抜いた所だった。俺達をどうにか今日の晩飯にしようと、リザードマンも奴等の作った独特の長剣を構える。その刀身は、S字を描いている……リーシュとリザードマンは、互いに剣を向き合わせていた。

 リーシュが振り返り、俺を見た。


「詠唱してください!! 私が時間を稼ぎます、から――……」



 まず、リーシュには大きな誤解があった。

 この俺に限って、『詠唱』も『大魔法』も存在しない、ということだ。



「良いよ。下がって見ていてくれ」


 剣を抜いて、俺を護るように壁となっているリーシュをすり抜ける。そのまま俺は、リザードマンの群れに突っ込んだ。


「……えっ」


 今となっては俺の背後に居るリーシュが、呆然とそんな言葉を呟いた。

 両拳は燃え上がり、俺の身体に炎を纏わせる。反撃しようと俺に向かって剣を振り下ろすリザードマン、その懐に入って奴が俺を斬るよりも速く、その腹に右の拳をめり込ませた。


「まず一匹……!!」


 微かな振動。リザードマンの眼球が飛び出しそうな程に大きく広がり、血を吐くよりも早く、上空にぶっ飛んだ。

 力の差を思い知らせる、というやつだ。俺に向かって飛び掛かろうとしていたリザードマン……残り二体が、堪らずその場に足を止める。燃え上がった拳の炎は足にも転移し、目的を変更する動きの一環で、立ち尽くしているリザードマンに後ろ回し蹴りを放つ。

 衝撃は一度。……しかし、奴にとっては信じられない程、重い一撃だろう。


「二匹、三匹……!!」


 食い込んだ足から、ばねのようにリザードマンは吹き飛んで行く。狙いは、木々の後ろで俺に奇襲を仕掛けようと待っているリザードマンだ。

 暗闇に向かって、リザードマンは突っ込んだ。その向こう側で呻き声のようなものが聞こえる。……やっぱり、そこだったか。半ば勘に近いものだったが、わざわざ探す手間が省けたな。

 さて、見えているのは残り一匹だが。俺は振り返り、リザードマンを見た。


 残った一匹は、俺に背を向けていた。俺から走って逃げて行く……逃がすかよ。その後ろに仲間が控えている事は、俺も知っているんだ。追い掛けて袋小路に追い詰めた所を、集団で叩くっていう戦法なんだろうが。

 残念ながら、その足は俺にとっては遅過ぎる。一足飛びにリザードマンへと近付くと、もう敵は目の前だ。


「また会おうぜ、トカゲ野郎……!!」


 その背中に、強烈なヤクザキックをお見舞いした。


「ギャオオオオ――――――――!!」


 情けない呻き声が漏れる。……過去何度、俺がリザードマンと戦ったと思っているのか。その剣技も得意な間合いも、心得ている。

 俺は目を閉じ、周囲の音に耳を澄ませた。残りのリザードマンは……もう、ここからは離れただろうか。


 そうして、戦闘は終了した。


 リーシュがすっかり戦意を喪失して剣を降ろし、目を丸くして俺を眺めていた。

 魔導士様、か。恐らく俺の事を、所謂一般的な魔導士……仲間の後ろで構えて、その圧倒的な攻撃力で味方をサポートする。そんな役回りだと信じて疑わなかったんだろうな。


「魔導士様……」

「ところで、セントラル・シティで有名な『零の魔導士』って何なのか、気になっていたんじゃないか?」


 丁度良い。俺の良い自己紹介になるだろう。一応、リーシュは俺の初めてのお客様だからな。ここでその実力をアピールしておくに越した事はない。

 俺はリーシュに背を向けたまま、言った。


「嘗て魔導士業界で、『如何なる魔法も全て飛ばない』と呼ばれた魔法使い見習いがいた。周囲は『魔導士のくせに』と馬鹿にしていたが、そいつは『飛ばない魔法』のスキルを極限まで磨き、そして、新たな境地を見出した」


 あまり、良い噂ではないけどな。だが、それさえもアピールポイントにしてやる。今となっては、これは既に俺の強み。『魔導士と言えば』の型から外れた、新しいスタイルと言っても良い。

 どうせリーシュも、『零の魔導士』という名前だけ知っていて、そこから先を聞いていないに違いないのだ。

 今日は吉日。せっかく初めてのお客様が現れたんだ。今日から俺は、自分を変えてやる。


「それが、この俺。ゼロ距離魔法の専門家、『零の魔導士』グレンオード・バーンズキッドだ」


 不敵な笑みを称え、俺はリーシュに振り返った。

 リーシュは剣を柄に戻し、両手を胸の前で合わせた。そして、深々とお辞儀をした――――…………。



「ごめんなさい、『零の魔導士』を知りません」



 えっ。


「……知らないの? ……あのセントラル・シティで有名な、『零の魔導士』の事なんだけど」

「は、はいっ。知りません」


 お辞儀をしたまま二度見された俺。

 不敵な笑みを称えたまま、この状況をどうして良いのか分からず、固まった。残念な事に腰から上体を折ったまま、顔を上げないリーシュ。……肩でスケゾーが笑いを堪えているのが、非常に、ああ、非常に腹が立つ。

 何でだよ。一時期、セントラル・シティ中で話題になった話なんだぞ。……こいつセントラルの剣士じゃないのかよ。おかしいだろ。ちゃんとセントラル・シティ繋がりだと聞いた上で話したのに。

 俺が固まっているのを発見して、リーシュは顔を上げた。


「……あ、あのっ!! ……えっと、……そういえば言われてみれば、……ゼロっぽいかなー、なんて……」


 死にたい。


 格好付けてしまった事を激しく後悔しつつ、俺は何事も無かったかのように歩き、リーシュの肩を叩いた。


「さあ、村に行こうぜ」


 輝け、俺の笑顔……!!

 未だ戸惑っているリーシュに、俺は満面の笑みで対抗する。

 こうなりゃ流す。それしかない。


「あっ、ご主人」


 俺はスケゾーが何かを言う前に、スケゾーの首根っこを掴んだ。


「……!! ……!!」


 許せ、スケゾー。口が軽くて頭が悪くて空気の読めないお前に、今、何かを喋られる訳には行かないんだ。


「えっと……あ、あの、リザードマンを倒してくださって、ありがとうございます、魔導士様」

「よせよ気にすんなって。さ、早く行って解決しようぜ。な?」


 有無を言わさぬ、俺の笑みよ。

 リーシュはどうにか俺をフォローしようと作戦を練ってくれているみたいだが。今更何を言われた所で、傷が深くなるだけだ。

 苦笑して、リーシュは俺の後に付いてくる。……どうやら、俺の意図を察してくれたのだろうか。


 やれやれ。まあ、この場にリーシュ一人だったのが幸いしただろうか。沢山人が居る状態でこんな事をやってしまったら、俺は恥ずかしい所の騒ぎではなく、魔導士引退宣言をしなければならない所だった。

『零の魔導士』の名前がリーシュに伝わっていなかったという事は、つまりリーシュは俺の悪評を知らないという事で……冷静に考えてみれば、実はそこまで悪い話でもない。

 しかし、まさか本当に何も知らないとは。傭兵登録をしていただけで、セントラル・シティには殆ど滞在しないんだろうな。

 無駄な汗をかいた。本当に、さっさと行って片付けて来よう――……



 そう考えて、ほんの一瞬、気が緩んだ瞬間だった。



「づっ……!!」


 腹に激痛を感じた。その時には、既に俺は血を吐いていた。少し表情の明るくなったリーシュが、次に発見した俺の変化に、顔色をがらりと変える。

 俺は膝を突く。

 鳩尾の辺りを、矢が貫通していた。

 スケゾーが俺の手から逃れる。……どうやら、憤慨しているようだ。


「ご主人!! 何スか!! だから言おうと思ったのに!!」


 しまった。……そうか。スケゾーは余計な一言を言おうとしたのではなくて、身の危険を伝えようとしていたのか。

 どうやら、頭が悪くて空気が読めなかったのは、俺の方だったらしい。

 ……いや、付かねえだろ、区別。前科もあるし。


「きゃあああああ――――――――っ!! 魔導士様ぁ――――――――っ!!」


 リーシュが叫んだ。

 しかし、リザードマンに弓矢。……聞いた事の無い組み合わせだ。この山での戦闘歴は長いから、すっかり意識からは抜けていた。……相手がゴブリンなら、まだ考える事もあったかもしれないが――……もしかして、手を組んでいるのかもしれない。

 イレギュラーだ。あまり考えたくはないが、この山に何かの異変が訪れているのかもしれない。リザードマンの数といい、五年間俺が生活してきて一度も見た事の無い光景が、こう何度も訪れると違和感を覚える。

 リーシュが蒼白になって、俺を見ていた。……腹を矢が貫通しているからだ。常人ならば、結構な重傷になるのかもしれないが。

 俺は手を振って笑い、リーシュに言った。


「あー、大丈夫だよ。この程度の傷じゃ俺は死なねえから。……おい、おま……」


 思わず、言葉を止めた。

 瞬間、凄まじい殺気を感じたからだ。

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