第240話 歓迎・サウス・ノーブルヴィレッジ

 サウス・ノーブルヴィレッジに到着する少し手前で馬車から降り、俺達は辺りの草原を歩きながら、村へと向かっていた。

 道中、俺はついでに袋を広げ、アイテムを採集する事にした。


「あの、魔導士様。何をしていらっしゃるのですか?」


 目を丸くして、リーシュが俺に問い掛ける。

 リーシュからしてみれば、雑草を取っているようにしか思えないだろう。それを、手持ちの袋に詰めていく。……勿論、ただ雑草を取っている訳ではない。これらは俺が街で売るための回復薬の原料となる、貴重なハーブだ。

 俺はリーシュに採集した葉を見せた。


「こいつは、『カモーテル』だよ」

「キモーテル?」


 よく分からないが、キモそうだ。


「……魔力回復に使えるんだ。すり潰して湯に浸してジャムを混ぜて飲むと、割といける」


 サウス・ノーブルヴィレッジに行く機会は殆ど無いが、近くに寄る用事がある時には、いつも少しは採集して行くようにしている。


「薬草……という事ですか?」

「ああ、そうなるな。セントラル・シティで一般的に売っているのは、体力回復なら『ラテミント』、魔力回復なら『ファモーテル』だろ。……でも、それよりもこいつの方が効くんだ」


 俺の師匠が教えてくれた知識だ。まさかあの時は、これが生活の柱になるなんて思いもしなかったものだけど。この辺りの草が回復薬として使えるというのは、実はあまり知られている情報ではない。採集できる場所が限定的だから、話題にならないのかもしれない。


「そうなんですか……!!」


 リーシュが目を輝かせていた。薬と言うと、いかにも専門的な知識が必要な気がするが……街で売っている薬の正体など、実はこんなものだ。効くかどうかを知っているのか知らないのかで、役に立つかどうかが決まる。

 少し遠方に見える、幾つもの民家。津波に呑み込まれないよう、堤防によって守られている――……『サウス・ノーブルヴィレッジ』だ。こんなよく晴れた日の日中にも関わらず、人通りは少なく、閑散としている。

 穏やかだと言えば、聞こえは良いが。まったく、俺の家のようだぜ。

 今回ばかりは、草の採集は本来の用事ではない。適度に採集した所で、立ち上がった。


「よし、それじゃあ行くとするか」


 俺は採集した袋を魔力で圧縮し、小さなカプセル状にして、ポケットの薬入れにしまった。


「わあ、それもすごいですね……!!」


 師匠から教わった、手荷物を少なくする為の魔法だ。袋の方にも魔法陣が書いてあって、魔力の掛け方で大きくなったり小さくなったりするものだが――……こうも驚かれると、悪い気はしない。

 偶然ではあったが、山でリーシュの魔法と魔力の高さを見た。あれだけの魔力があれば、こんな魔法程度なら簡単に再現できる事だろう。


「今度、やり方を教えてやるよ。別に、魔導士じゃなきゃ出来ない術って訳でもないから」

「ほ、本当ですか……!? わあ、嬉しいです……!!」


 リーシュは手を合わせて、可憐な笑顔を見せた。……可愛い。


「ただ、他には教えないでくれよ。一応、うちのオリジナルなんだ」

「も、勿論です!! ゆりかごから墓場まで持って行きます!!」

「ゆりかごは既に無理だろ?」


 ……相変わらず、言葉の端々がちょっと変なリーシュだった。

 今まで自分が魔法を見せることで誰かに喜ばれた事なんて無かったから、新鮮だった。セントラル・シティでばんばん仕事の依頼を受ける魔導士なんかは、こんな風に扱われる事も日常茶飯事なのだろうか。

 残念ながら今の俺では、リーシュ一人に喜んで貰う程度が限界だ。……それでも、こうして誰かの役に立つというのは嬉しい事だな。

 思わず、顔が緩んでしまう。

 俺の頬をぐいぐいと小突いて、スケゾーがニヤニヤとした笑顔を向けて言った。


「いやー、にくいねー、色男」

「どうしてこう、お前は良いシーンに水を掛けるのが好きなのかねえ……」


 素早くスケゾーは身を翻し、リーシュへと飛び移った。逃げ足の速い奴め。

 兎にも角にも、こうして俺はリーシュと共に、魔導士になってから初めての依頼人が待つ場所まで辿り着いた。

 すう、と息を吸い込み、俺は深呼吸をした。


 諦めるな。……俺も苦節五年、これまでの評判によって仕事の依頼が来なかったが……今日この仕事で、イメージをがらりと変えてやる。

 まあ、仕事になるかどうかは金次第なんだけどね。

 村に入ると、俺とリーシュは手頃な人を探した。……お、民家のそばで、落ち葉を箒で集めているおばさんが居るぞ。あの人に、村長の居場所を聞くとしよう。


「あ、ミーアおばさん!!」


 リーシュが駆け寄って行く。どうやら、知り合いのようだ――……当たり前か。こんなに小さな村なら、村人全員が顔見知りだとしても変ではない。ミーアおばさんと呼ばれたおばさんも、リーシュに何やら嬉しそうな笑顔を向けている……あ、こっちを見た。

 今まで人と会う時はフードで顔を隠していたから、こうして笑顔を見せるのも少し緊張するな。文化の違いか何かで、変な事にならないと良いんだけど。

 笑顔が引き攣っていないと良いなと思いつつ、俺は軽く会釈をした。


「こんにちは。大魔導士の、グレンオード・バーンズキッドと申します」


 人見知り等と言っている場合でもないので、俺はにこやかな笑顔をおばさんに向けて、手を振った。さり気なく『大』魔導士と言ったのは、ここだけの話である。

 おばさんは、流れるような手捌きで手に持っていた箒を捨て……えっ? 捨てるの?


「あ……あああ……おっ……うおっ……」


 謎の呻き声を発し始めた。


 えっ……何? これは、ビビられている……のか? 何で俺、そんなにビビられてんの?

 何か悪いこと、したか? いや。俺は挨拶をしただけだ。断じて変な事はしていない。絶対。そもそも、まだ出会って二分程度しか経っていないので、悪い事が出来る筈もないのだが。


 かなりヘビーな文化の違いがある。……どうしよう。


「うおっ……うおっ……」

「ええっ……いや、あの、ちょっと落ち着いて……」


 目が飛び出しそうな程に開かれている。微かな震えと、人ならざる声。何が起きているのか分からない。

 いや、顔すごいよ。見てるこっちが怖いから。呻き声も怖いよ。頼むから、もう少し嬉しそうな顔してくれよ。


 文化……!!



「男!! みんな!! 男!! リーシュが男を連れて来たべさ――――っ!!」



 瞬間。



 あちらこちらの民家の扉が、物凄い勢いで開いて行く。


 ……え? 何だ、これ? 何だ、この状況? 次々と人が、こっちに向かって来る……鉢巻を巻いているいかつい顔のおじさん、農作業をしている途中の桑を持ったままの爺さん。包丁を持ったまま、如何にも料理途中といった様子の主婦。

 いや、怖いから!!

 人が……人が……増え過ぎだろオォォ!? さっきの長閑な空気はどこに行ったんだよオォォォ!!


「やだっ……!! ミーアおばさん、そういうのじゃないからっ……!!」


 おいリーシュ!! 顔赤くしてる場合じゃねえだろォォ!? この状況ちゃんと察しろよオォォ!!


「男だと!?」「リーシュに男!?」「てめえら!! かかれ!!」


 俺は口を開いたまま、その場に立ち尽くした。

 ああ。……俺は今、地獄を見ている。怒りに顔を引き攣らせて(?)農耕具や凶器を持ったまま、俺の方に駆け寄って来る男、女。……いや。俺は歓迎される筈じゃ無かったのか。何なんだこの構図は。まるで戦争じゃないか。

 スローモーションにも見える程の、異様な空気。俺は村人達に背を向け、全力で走り出したが――……間に合わない。



「文化アァァァァァァァ――――――――!!」



 俺の首に農耕具が引っ掛かり、引き寄せられる。俺は白目を剥き、もろにその攻撃を喰らった。

 村人の海に、吸い寄せられ。俺はリーシュの肩に座っているスケゾー目掛けて、手を伸ばした。


 助けてくれ、スケゾー。

 あっさり躱され、スケゾーに指をさして笑われる俺。

 あの野郎、後で殺す。

 無理矢理に引き寄せられて俺が見たものは、村人達のどす黒い(?)笑顔だった――――…………。



「胴上げだああああああ――――――――っ!!」



 身体が、宙に浮いた。

 ……へ?


「村に若え男が来たぞ――!! しかもリーシュの旦那だそうだ!!」

「婚約指輪出せ!! 婚約指輪!!」


 いや、飛躍し過ぎだろ。マリッジブルーも真っ青だよ。


「わあーっしょい!! わあーっしょい!!」


 どうやら、歓迎されていた。……らしい。

 鬼気迫る表情で沢山の人に追い掛けられると、想像以上に怖いのだという事を知った。……良かった。殺されなくて本当に良かった。

 俺は胸を撫で下ろす……間もなく、この盛大な勘違いをさてどうやって告白したものかと、そんな事を考えていた。



 *



「乾杯――――――――!!」


 ようやく地に降ろされたかと安堵する暇もなく、俺は熱烈な歓迎を受けた。わいのわいのと広い草原にテーブルやら椅子やらを出し、真昼間から酒盛りを始める連中。とんでもない手際の良さで組み立てられた、集会用テント。各々がやっていた事を全て投げ出し、急遽俺の為に、サウス・ノーブルヴィレッジは歓迎会の準備を始めていた。

 何でも、リーシュが無事に魔導士を連れて来た事そのものが、祝われるべき事だとされているらしい。まるで初めてのお使いのようだ。


「兄ちゃん、ラムコーラいけるか?」

「ああ、まあ……好きですけれども」


 俺が戸惑っている間に、村は酒盛りを始めていた。

 ……まあ、いい。長く魔導士をやっていれば、こんな事もあるだろう。拒否されなかっただけ、まだ良い状況ではないかと思える。場合によっては助けを呼んでおいて足蹴にするような輩も、この広いセントラル大陸には結構居るからな。

 勘違いと言えど、悪い気はしていなかった。リーシュの旦那説は間違いだったとしても、ちゃんとリーシュが魔導士を連れて来たのだと話になれば、リーシュも少しは認められるだろうし、俺の株も上がるだろうと思ったのだ。


「おいコラ。飲むぞ青年!!」

「言ってみろてめえ。俺が世界一の魔導士だってな!! 実際そうなんだろ!?」


 どうにも、気の良い村人達である。口は悪いみたいだが。

 こんなタイプの人達なら、俺が来た事情を知れば、益々俺に頭が上がらなくなるに違いない。

 何と言っても、まだ報酬の話をしていない。それなのに来てくれる魔導士様、ステキ。そう、今の歓迎もきっと、旦那から魔導士に変わるかもしれないが、より熱烈に行われる筈だ。



 そして、今――……



「おいコラ。リーシュのどこが駄目なんだよ」

「言ってみろてめえ。下らねえ事だったら許さねえぞ、この若造が!!」


 そう思っていた時期が、俺にもありました。

 そんな気持ちを、俺は味わっている。

 酔っ払った住民は余計に激しくなり、気が付けば俺はラムコーラのジョッキを両手に、リーシュを嫁に貰えという説得を受けていた。

 何だよ。何でこんなに愛されてるんだよ、リーシュ。何故か連中も、俺が魔導士だという話を全く聞いてくれる気配もない。

 興奮すると人の話が聞けなくなるのは、リーシュだけの問題ではなかった。……こいつら全員、どうかしている。頬にラムコーラのジョッキを押し付けられながら、俺は自虐的な笑みを浮かべた。


 ……あー。来なきゃ良かったかなあ……。


「リーシュは良いぞ、リーシュは。料理もできる。嫁さんに持って来いだ」

「あー、そうなんすね……」

「美人で、料理ができて、面倒見も良くて、料理ができる」


 料理できすぎだろ。


「いや、あのね。……俺、別にリーシュを嫁にくれって話をしに来た訳では無いんですよね」

「だからそれが何でだって聞いてんだよ!!」


 てめえの村が五日後に滅ぶとか言われて来たからだろうが!!

 やばい。……まるで緊張感が無いぞ、このオッサン共。俺が聞いた言葉は何かの間違いだったのか。……それとも、もう覚悟が決まっているとでも言うのか。いや、とてもではないが……そんな風には見えない。

 埒が明かないな、このままじゃ。ひとまず、俺がリーシュには興味がないという事を、どうにかして分かって貰わないと。

 しかし、どうすればいい。何か決定的な内容で、この謎の結婚談義を終わらせる為の台詞を言わなければならない、としたら。


 ……はっ!! やはり、あの恋愛小説を今こそ利用するべきでは……!!

 俺は立ち上がり、片手で顔を隠しながら言った。


「すいません。俺、乳が無い女は対象外なんで」


 どうだ。このポーズでこの台詞を喋れば、男も女も顔を赤くして黙ると小説に……!!


「何言ってんだお前」


 効いてない……だと!? 馬鹿な……!!


「リーシュは胸、あるだろ」

「ああ、ある方だな」

「村で一番あるな」


 あれでか……!? 酔っ払って、目が悪くなったんじゃないのか。

 俺は黙って、静かに着席した。……あの恋愛小説、やっぱり役に立たないんじゃないかな。そろそろ諦めた方が良いのかもしれない。


 しかし、面倒な事に巻き込まれたもんだぜ……。

 そういえば、リーシュとスケゾーはどこに行ったんだ。リーシュは……いた。村人達の輪に入って、楽しそうに酒を飲んでいる。そんなリーシュの肩にはスケゾーが……おい、お前の居場所はそっちじゃないだろ。さっさと帰って来い。


「やめなよアンタ達。良い歳して、みっともない」

「ミーアさん!!」


 年寄り連中からこぞって質問攻めに遭っている俺に――何故、リーシュを嫁に取らないのかという質問攻めに遭っている俺に――先程ムンクの叫びもかくやといった顔で連中を呼び出した張本人のおばさんが、何故か大人びた顔をして現れた。

 やめなよ、じゃないよ。元凶はアンタだろ。


「……そうだな。いきなりってのも、流石に無理があったかもしれねえな」


 おや? ……ミーアさんの一言で、追撃の手が少しだけ緩んだ。


「そうだべさ。まだ出会って三日も経ってないんでしょや? まだ恋人にはならないよ」


 おお……!! 何だか知らんが、オッサン共が納得している……!!

 すごいな、ミーアさん。俺が何度言っても聞かなかった事を、こんなにもあっさりと……やっぱり地元の人は違うのか。

 俺は少しだけ、ミーアおばさんに感謝した。……まあ、人を呼んだのもこの人なんだが。今の俺の状況を見て、流石に不憫だと思ってくれたのかもしれない。

 そりゃあ、過去と現在は変えられない。幾ら今の段階で結婚しろと迫られたって、駄目なものは駄目だよな。


 ふー。ミーアおばさんが横に座ってくれたお陰で、ようやく俺もゆっくり酒が飲めそうだぞ……。良かった良かった。村人達が思い描くステキなリーシュのブライダルストーリーも、いい加減に終了だ。

 ミーアおばさんは俺の肩に手を添えて、そして――にこやかな笑みを浮かべた。


「――それで、いつから付き合って、いつ結婚するの?」

「それは一体誰の未来ダルストーリーだアァァァァ!!」


 俺はラムコーラのジョッキを握力で破壊した。

 こいつ、過去と現在が駄目ならと、未来を切り崩しに掛かったぞ……!!


「あの、だからね!! 俺、村が危険だって知らされて来ていてね!! こちらの村長さんと話したいんですけれども!!」


 もういい。聞いていない事なんて承知の上だ。


「リーシュの結婚にカンパーイ!!」


 本当に聞いてねえ!!

 俺は無理矢理に席を立って、村長の家と思わしき民家を探した。辺りの家より大きいものを探せば良いんだろう。歓迎してくれている所、悪いが……いや、もはや歓迎されているのかどうかも定かではないが……酒の席に付き合っているような場合ではない。

 どうしてそれが分からないんだ、この村人共は。今日を過ぎたら、もう一日しか猶予が無いんだぞ。明後日だぞ。明後日、この村は謎の相手の支配下に置かれるんじゃないのかよ。


 ふと、俺の手の甲が叩かれた。

 何だ……? ミーアおばさんが、俺の事を険しい顔で見詰め、親指で何かを指差している。俺はその親指の先へと、視線を移動させた。

 既に祭と化し、騒いでいる村人達。指差されているのは、その団体の一部で座っている男のようだ。眼鏡を掛けた、優男。すっかり酒に酔い、リーシュの隣で何かを楽しそうに話している。

 あれ。……もしかして、あれが村長?



 お前も飲んでるのかよ!!



 *



 で、ようやく村長の家である。


「いやー、すいません。すっかり酔っ払っちゃって。村の皆も勘違いしてしまって」


 既に日は暮れた。真っ昼間っから酒に溺れた村人は殆ど寝静まり、今日は魚を捕るための船すら出ないらしい。

 ぶっとんだ村だ。……楽しそうで何よりだが、普通は余所者に対する礼儀ってもんが……もういいや。一応あれは歓迎されていたんだろう。そう考える事にしよう。

 だが、時間が無い事に変わりはない。俺だって、金の約束が出来ないのなら無闇に助ける訳にも行かないしな。


 リーシュの隣で遊び呆けていたスケゾーは、既に取り返しが付かない程酔っていた為、俺の好意で近くの草原に捨てて来てやった。……あんな奴、野良犬にでも襲われて泣きながら後悔すればいい。

 村人が村人なら、村長も村長だ。一緒になって遊び呆けていては。……俺は何故呼ばれたのか、既に当初の目的を半分失っているようにも思えた。


「ごめんなさい、魔導士様。私のせいで、とんだ勘違いを……」


 村長の隣で、リーシュが俺に頭を下げた。腕を組んだまま不機嫌になっていた俺は、その態度を見て、少しだけ怒りを静めた。

 まあ、正直な所リーシュは巻き込まれただけなので、リーシュが謝る事ではないようにも思える。

 止めろよ、って感じもするが。


「それで、バーンとキッズ! さん」

「バーンズキッドです」


 ちょっと可愛いじゃねえか!! ……じゃない、村長!! お前は『いやー、すいません』じゃ済まされないんだよ!! このスカタンが!!

 リーシュも随分ぶっ飛んだ奴だと思ったが、こいつはぶっ飛び過ぎている。逆転サヨナラホームランだ。……言葉の意味などないが、そういう気分、という意味だ。


「気持ち良く酔っ払ってる所、申し訳無いんですけどね。……あのね、俺はまだ、別に契約も何もされていない状態なんですよね」

「ええっ!? そうなのかい!?」


 ……なんか、頼りない人だな。


「だから、まだ村に協力するとは決まってないんですよ。……金の問題なんですけどね、まだ折り合いが付いていなくて」


 そのように伝えると、村長は急に酔いが覚めたような顔をして、リーシュを見た。


「あれ? リーシュ、お金の話をしなかったのかい? うちの希望、出る前に話しただろ?」

「えっ? えーと……そうでしたっけ……」


 リーシュは苦笑して、明後日の方向を見詰めている。……これは、あれか。リーシュの方がちゃんと事情を察していなかった展開だな。

 初めて俺の家に入って来た時の、リーシュの態度を思い出す。どうせ俺を連れて来るのに必死で、他の事なんて考えられちゃいなかったのだろう。リーシュは何やらショックを受けて、小さくなっていた。


「それじゃあ、どうしてここに?」

「とにかく話だけでも、って頼まれたんもんで。まあ仕方ないかと思って来ました」


 残念ながら、これは本音だ。


「そうか、それなのに来てくれたのか……申し訳無いね。今日はもう遅いから、宿を用意してあるよ。勿論、お金はいらない……ゆっくり寛いで、明日また、この話をする事にしないか?」


 おお、宿が用意されているのか。それはありがたい。確かにもう遅いから、金と仕事の話をするのは明日でも良いかもしれないな。

 誰のせいで遅くなったのかと言えば……いや、良いさ。俺はそんなに細かい事をねちねちと掘り下げるような人間じゃない。ここは穏便に、お言葉に甘えるとしよう。


「じゃあ、お言葉に甘えて。明日また、ここに来ても良いですか?」

「勿論だよ。リーシュ、お客様をお宿にお連れして」

「は、はいっ!!」


 俺は立ち上がり、今更ながらの村長からの厚意を受け取る事にした。

 村長の家を出ると、夜風が鼻をくすぐった。つい先程まで夕日が出ていたのに、それが沈んでしまうと急に暗くなるものだ。まだ海の方は僅かに赤く染まっているが、それも間もなく闇に消える事だろう。

 夜の海は暗い。それでも月明かりが綺麗なので、道が見えなくなる程では無いか。

 俺が村長の家に入っている間に、宴会場はすっかり消え去ったようだ。出すのも速いと思ったが、引っ込むのも速い。慣れているんだろうか。


「魔導士様、こっちです」


 俺はリーシュに言われるままに、暗い夜の村を歩いた。


「宿までは近いのか?」

「はい、すぐそこですよ。村も小さいので」


 そう言って、リーシュは苦笑した。そういえば、スケゾー無しでリーシュと喋るのは初めてだ。


「本当にごめんなさい、魔導士様。……びっくりしましたよね」


 思わず、俺は苦笑した。


「そりゃあな」

「いつもこうなんです。村の人達みんな、宴会が好きで」


 いや、そこは問題じゃないだろ。問題なのはお前の旦那を求め過ぎてる所だろ。

 そうは思ったが、その旦那候補が俺という事なので、ここは黙っておく事にした。藪蛇は突付かない。人間社会の法則である。


「あの……ひとつ、聞いても良いですか」

「んー?」

「魔導士様は、どうしてお一人で、あんな山の中で暮らしていたんですか?」


 リーシュはそう言ったが、俺はリーシュの方を向かなかった。

 確かに、師匠の言葉はあった。だけど、それだけが理由じゃない。昔とは違い、今は魔導士だって傭兵登録をするし、依頼所に行けば傭兵の仕事を受ける事もできる。

 だけど、それは俺には出来なかったからだ。

 山の中で暮らす事でしか、俺は俺の噂を消す方法を知らなかったからだ。セントラル・シティに毎度顔を見せれば、いつまでも俺の話が続いたからだ。あの――……魔法の飛ばない、『零の魔導士』がいると。


 過去を消すことはできない。

 それがどんなに苦い過去でも、無かったことにはできない。……そういうものだ。

 俺はリーシュに向かって、苦笑した。


「まあ、人見知りだからな?」


 そう言って、嘘を吐いた。


「……そう、ですか」


 仲間を求めた事だって、勿論ある。でも、どうやら俺が求めた所で、周囲は俺の事を求めていないようで。それは痛い程、良く分かったから。

 どんなに一生懸命、両手で水を掬おうとしても、数秒後には下に落ちてしまう。例えて言うなら『仲間』というのはそんな類のもので、俺はいつもそれを、自分の口元まで持って行くことができない。


 全て、流れ落ちてしまう。

 人の両手には、隙間が多すぎるのだ。


「……あの!!」


 不意に立ち止まり、リーシュは俺を強く呼び止めた。

 俺はどう反応するべきか迷ったが、一旦立ち止まり、リーシュに向かって振り返った。

 少し、緊張しているように見える。俺は先に続く言葉の正体が分かって、少し冷めた目でリーシュを見ていた。


「私、一緒に依頼を受けてくれる、パーティを探しているんです」


 睨むように俺を見詰めるリーシュと、視線を合わせる。

 どうやら、真剣に言っているみたいだ。


「もし、魔導士様さえ良ければ、私を――……」

「宿はそこか?」

「えっ?」


 俺は意図して、リーシュの言葉を遮った。

 民家の中に一つだけ、少し大きな建物がある。中には幾つかの部屋があるように見える……小さな村だとリーシュは言った。おそらくあれが、宿屋だろう。

 電気は消えているが、大丈夫なのだろうか。

 俺は宿屋を指さして、リーシュに聞いた。


「あれだろ? 宿屋」

「あっ、はい。……そうです」


 俺に言葉を遮られて、リーシュは少し寂しそうな顔をしていた。

 そんなリーシュを無視して、俺は歩く。背中にリーシュの視線を感じながら、特にそれを気にする事もなく、前へ。

 少し、そんな予感はしていた。


『あの、魔導士様は、パーティとか――』


 山を降りる時に、リーシュが言った言葉だ。仲間が居ないとも言っていた。一人で剣士として生きて行くのは、そりゃあ大変な事だろう。

 だが、セントラル・シティで傭兵登録している剣士にとって、俺は『仲間』には成り得ない。

 俺は振り返り、未だ俯いているリーシュに言った。


「悪いな。俺は、パーティは作らない事にしてるんだ」

「えっ?」


 リーシュは少し、驚いたような顔を見せた。

 それも、長くは続かない。すぐにリーシュは少し寂しそうな顔をして、しかし俺に力無い笑顔を見せた。


「……はい」


 人は、心の底から繋がり合う事はできない。


 こいつとは仲良く出来るかも、と思いながらも、腹の底では互いを探り合っている。それだけならまだ、仲良くなれる可能性もあるのかもしれない。でも最大の問題は、そうやって出来た仲間というのは、ピンチの時に何も協力してくれない事もある、という点だ。

 逃げるだけなら良い。下手をすれば手の平を返されて、一瞬にして自分の敵になってしまう事もある。

 仲間同士で、傷付け合う事もある。

 誰かを、傷付けてしまうことも――――…………。

 リーシュは宿屋の鍵を開けて、中に入った。


「どうぞ、お入りください」


 ……鍵?


「ここ、お前の家なのか?」

「あ、そうですよ」

「……宿屋は?」

「ここですよ?」


 ええっ。

 小さな村の宿にしては少し大き目だぞ、この宿屋。……まさか、一人で切り盛りしているのか? 家族はどうしたんだ。電気は消えているし、どう見ても誰かが居るようには見えない。

 まさかの展開だな……。


「お風呂沸かして来ますので、お部屋で寛いでいてくださいね」

「お、おう……」


 リーシュは足早に、廊下の闇に消えて行った。明かりくらい点けて欲しいものだが。……いや、俺の部屋はどこになるんだよ。

 まあ、今日の所はさっさと休むとするか。


 ……あれ? 何かを草原に置き忘れて来たような……まあいいか。

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