第222話 スケルトン・デビルという存在!

 その魔物は、走っていた。

 嘗て、スケゾーと呼ばれていた。だが、その名を呼ぶ主人は彼の体内に宿り、出て来なくなった。種族的にはスケルトン・デビルという名が付いているらしいが、自分の名前ではないもので、どうにも定義しづらい。


 名無しの魔物だ。自分は、名無しの魔物。


 行き先は、魔王城。魔界までの道程は完全に覚えていて、まるで迷うことがない。黒雲を頭上に見据えながら、名無しの魔物はただひたすらに、魔王城めがけて走った。

 ……しかし不思議な気分だと、魔物は思った。

 グレンと契約する前は、怒りや憎しみに支配されていた。それらの感情がその魔物にとって、全てであるかのようだった。だが、今はどうだろう。どういう訳か、ひどく落ち着いている。

 未だ、敵も健在なままだ。どうして、こんな気持ちになっているのだろう。

 魔物は、再び地上に復活した時のことを思った。


『アァァァァ暴れ足りねエなアァァァァァ!!』


 そもそもあの状況であれば、ハースレッドよりも先に、戦力である黒い翼の人間を攻撃するべきだったのではないのか?

 ハースレッドの命令次第で柔軟に動く、黒い翼の兵士。どうして、そちらを先に片付けなかったのか。

 当時、懐かしさを感じていたと思う。状況や体力などよりも、真っ先に。

 再び、この地に魔物として戻って来たからだろうか。


「……」


 広い荒野には、魔物の足音しか響かない。

 グレンオード・バーンズキッドと出会うまでは、彼は長い間、牢獄に閉じ込められていた。

 内側からは魔力を一切通さない、人間界最強の檻。そんなものに入れられてしまい、魔王城の近くにある荒野に捨てられた。丁度、今走っている場所のすぐ近くだ……魔物を捨てた人間はその場を去り、そこから魔物は、悠久の時をその檻の中で過ごす事となってしまった。

 檻はまるで岩のような質感で、内側に居る魔物からしてみれば、それは小さな洞窟のようだった。手がどうにか通せるほどの小さな光だけが、その空間の真実だった。


 過去の記憶だ。

 自分を閉じ込めた人間の顔でさえ、もう思い出すことはできない。

 ……そうだ。当時も確か、そう言っていた。


『暴れ足りねェ……』


 あの時、魔物は怒りと憎しみに満ちていた。

 小さな光以外、何も入って来ない空間。魔力を使えない身体。……しかし、それでも身体は魔物。数百年の時でさえ、生き長らえる事ができる身体だ。破壊することができない檻に閉じ込められ、魔物は何日間も、何週間も、何ヶ月間も、何年も、その場所で生き続けた。

 生き長らえた。


 一人だった。


 入れられて暫くの間は、どうにか叫ぶことで誰かを呼ぼうとした。しかし、外側からも内側からも、その檻は壊すことができない。自分がどのようにして入れられたのかさえ分からない状況で、やはり助けられる事はなかった。

 それからどれだけの時が経ったのか、その魔物は覚えていない。


『お前が、スケルトン・デビルか』


 不意に魔物は、声を掛けられた。

 小さな穴の向こう側に、人間が居るようだった。何事かと思えば、赤髪の少年が内側を覗き込んでいた。まだ若い――……人間の子供だ。しかし、その瞳には強い意志を感じた。

 ここは魔界。人間にとっては未開の地だ。一体誰の協力を得て、こんな所まで辿り着いたのだろうか。


『……てめェは誰だ?』


 問い掛けると、少年は明るい顔で答えた。


『俺は、グレンオード・バーンズキッド。魔導士のタマゴだ。今日は俺と契約して貰いたくて、ここに来た』

『契約だと?』

『スケルトン・デビル。俺の使い魔になってくれ』


 魔物は少年の言葉を鼻で笑った。何を言い出すのかと思えば、少年は自分を使い魔にしようと考えていると言う。大した度胸だ……魔物は少年の目前まで顔を近付けると、少年に向かって殺気を放った。


『馬鹿言ってんじゃねえぞ、クソガキが。てめェに何ができる』


 そう言ってみたが、魔物は驚いた。

 魔物が殺気を放っても、少年はまるで動じなかった。眉一つ動かさない……そんな事は初めてだった。例え魔力が使えなくとも、少し考えればすぐに分かる。その檻がどうして、そんなにも固いのか。その魔物がどうして、その中に閉じ込められているのか。

 それは、危険だからだ。魔力さえ使えれば、その魔物は何にも負けない自信があった。


『そうだなァ……良いぜ、俺を解き放てるならやってみろ。そうしたら俺は、てめェをその場で握り潰して、自由になってやるからよ』

『いや。俺は、握り潰されねえよ』

『あ?』


 しかし少年は、魔物の態度などはまるで気にせず、言う。


『強い怒りや憎しみは、魔力を受け取る対価としては十分だ。……俺はただなんとなく、お前を使い魔にしたい訳じゃない。同じ運命を背負う者になって欲しいんだ。お前の怒りや憎しみを、俺も背負おうと思う。だから、俺は握り潰されない』


 真っ直ぐな瞳。しかし、言っている事は常人のそれとはかなり掛け離れたものだ。まして、彼ほどの小さな子供が口にするような言葉ではないだろう。

 魔物は、そう思った。だから少年が覗いている穴に向かって腰を下ろし、今度は少年と同じように、真っ直ぐに少年を見詰めた。


『聞こう』


 少年は、冷静だった。名をグレンオードと言っただろうか……その凛とした表情と幼さのアンバランスさは、少年の過去を考えさせる。

 少年は、小さな穴に筒のようなものを差し込んだ。


『これを』


 筒……ではない。紙だ。中は暗いが、魔物の視力ならばどうということはない。紙には、複雑な魔法陣が描かれている。


『これは……お前が書いたのか?』

『そうだよ。俺達は、お互いに魔力を共有するんだ。俺の身体に、お前を取り込む。普段はお前の意識は外にいて、俺達は会話ができる。魔力が必要になったとき、お前は俺の中に入り込んで、俺に魔力を分け与える』

『人間の身体だぞ。俺の魔力に耐えられると思えねえ』

『五%でいい。それでも、俺にとっては十分な魔力だろ』

『いーや。無理だね、たった五%でもなァ』

『俺の身体にお前を取り込めば、可能だと思ってる。……そのために、お前に命を預ける』


 魔物は、少年を見た。


『……正気か?』

『もちろん。俺が魔力に耐えられなくなったら、多分俺の身体はお前に支配されるんだろうな。そうしたら、そこから先は好きにしてくれ』

『この中にいると、魔力が使えねえ。契約はどうする』

『俺の魔力でやるよ。外からなら干渉されないだろ』


 穴の向こう側に感じる魔力は、二つ。……どうやら、偶然ここに現れた訳ではないらしい。自分の事を知る人間が、少年をここに連れて来させたのだろう――……と、魔物は考えた。少年ではない。誰か、別の人間の作戦だ。

 魔物は思った。自分を利用しようなどという事を考えるのも、とんでもない発想だと思うが。それ以上に、この知的な少年がその作戦に乗ったというのも、とんでもない話だ。

 少年からは、稚拙さや幼稚さといった雰囲気がまるで見えない。当然、自分の怖さも知っている事だろう。

 だから、魔物は聞いた。


『……どうして、そうまでして強さを求める? ……正直、いらねーだろうと思うんだがなァ。普通の生活を送るならよ?』


 何故その時、そんな言葉を言おうと思ったのかは、魔物本人にも理解の及ばない事ではあったが。それでも魔物は、問い掛けた。


『力を持てば、それだけ自分を利用しようとする人間が多くなる。力を持たなければ、誰かに付き従うだけだ……何も変わらねえぞ。それでもお前は、力を必要とするのかい? 何のために?』


 金の為か。それとも、権力の為か……いや。この幼い子供に、社会の仕組みなど問うても仕方がない事のように思える。

 魔物は問い掛けながら、考えていた。それよりは、もっと純粋な気持ちのようにも思える。

 すると、少年は笑うでもなく、こう言うのだ。



『優しくなるために』



 それは、魔物が想定していたよりも、遥かに輝いていて。遥かに夢のある言葉だった。

 幼さを感じさせない少年は、それでいて、誰よりも純粋だった。


『大切な人を護れる強さが欲しい。……優しくなるための、強さが欲しいんだ。だからお前に、協力して欲しいんだ』


 魔物は、笑った。

 こんなにも面白い気持ちになったのは、何年ぶりだろうか。魔物は思わず、少年に言った。


『優しくなるために、怒りと憎しみを取り込むって? キヒヒ……お前が今話しているのは、恐らく世界で最も優しさからかけ離れた存在だぜ。それでもお前は、俺を取り込もうって言うのか?』


 少し不満そうに、少年は言った。


『やるさ。……管理してみせる』


 大したものだ。

 その時、魔物はそう思った。その少年の中に、確かなものを感じたような気がしたのだ。


 少なくとも自分は、世界を作って行く存在ではない。それが魔物であるか人間であるかはともかく、これから先、世界を作って行くのは――……子供。この目の前に居る少年のような、若い世代だろう。

 魔物はすっかり、少年に興味を抱いていた。


『良いぜ、『ご主人』。この身、暫しお前に預けよう。……でもな、お前が死ぬ時には……その身体、貰って行くぜ』

『ああ。約束だ』


 同時に、どういう訳か懐かしさも感じていた。どこかで見た事があったような気がする……いや。そんな筈はない。魔物はずっとそこに閉じ込められていて、それより前の記憶などないのだ。

 やがて、魔物の所に彼の魔力が流れ込んでくる。

 その幼さには不釣り合いな、それなりに大きな魔力が。

 不意に、少年が問い掛けた。


『お前、名前はなんて言うんだ?』

『ねェよ、そんなもん。さっき自分で言ってたろ、俺はスケルトン・デビルって呼ばれてるらしいなァ。それ以外は何もねーよ』

『そうか。……じゃあ、名前は俺が付けるよ』


 少年は、穴に向かって手を伸ばした。……握れ、という事だろう。


『スケゾー』


 魔物は契約通り、少年の手を握った。

 少年の――――…………グレンオード・バーンズキッドの手を。


『お前の名前は、スケゾーだ』


 魔物は、笑った。


『…………だせェ』


 もう何年、血の通った手に触れていなかっただろう。少年の手は思った通りに暖かかった。骨だけの手とは対照的に、とても柔らかかった。

 グレンオードと自分の関係は、そこから始まった。それきり魔物は檻に入っていた時の記憶を失い、グレンオードと共に過ごす事になった。

 すっかり、思い出した。

 もう随分と長い事、そんな事は忘れていたのに。


「力を持っていれば、誰かに利用される。力を持たなければ、誰かに付き従う。……同じことだ」


 当時、自分が言っていた言葉だ。

 魔物は遂に、魔王城の前へと辿り着いた。岩場を越えると、その向こう側に巨大な漆黒の城が見えた。

 人が住んでいるようには見えない。見張りも居ないようだ――……だが、奴がそこに居るのだろう。


「ならばどうして、強さを求める。お前はその先に、何を見ていたんだ? ……グレンオードよぉ」


 どうしてだろうか。

 自由になった今、どういう訳か、グレンオードの事がとても気に掛かるのは。



 *



 キャメロン・ブリッツは、そこにいた。


「ヴィティアが来るわ」


 そう言ったのは、ミュー・ムーイッシュだった。キャメロンは振り返って、ミューを見た。

 小さな家だ。ミューはテーブルの上で、水晶玉のようなアイテムを見て、そう言っていた。


「ヴィティアが? ……どうしてここに?」


 キャメロンが問い掛けると、ミューはキャメロンと目を合わせた。


「分からない……でも、真っ直ぐに……こっちに、向かっているわ……」


 ……何故?

 場所は伝えていなかった。今二人が居るのは、セントラル・シティから遥か西。『ウエスト・リンガデム』だ。貧民が寄り添い、集まって作った大きな街で、今となってはセントラル・シティにも引けを取らない場所。

 しかし一方で、その貧富の格差から、最も孤児が多い街。キャメロンとミューにはうってつけの街だった。


「グレンも居るのか?」

「いいえ……。居るのは……ヴィティアと、チェリィ……」

「チェリィ? それはまた、珍しい二人だな」

「誰かに……何か、あったのかも……」


 キャメロンとミューは、目を合わせた。

 確かに、もしも自分を追い掛けて来ているのだとすれば……それは、仲間に何かがあった時しか考えられないだろう。協力を求める。自分はあのパーティでは、数少ない前衛だ。ミューの特殊なスキルも、戦闘においてはかなりの価値を生む。

 或いは、裏で糸を引いていた黒幕が遂に顔でも出したのだろうか。


「どうする……?」


 ミューは問い掛けたが、キャメロンの答えは決まっていた。

 まだ、この場所で金稼ぎをする所からスタートだ。孤児は抱えていない――……悪いタイミングではない。そもそも、ノース・ノックドゥで皆と別れて、それ程の時間も経過していない。

 キャメロンは、笑った。


「どうするって、決まっているだろう」


 つられて、ミューも笑っていた。


「……そうね」


 瞬間、扉が開いた。

 しかしどうして、この場所が分かるのか。誰かに居場所を話した覚えも無いのだが。

 ノックもせずに扉を豪快に開いて、その少女は笑みを浮かべた。


「ここに居たのね、変態マッチョと電波女!!」


 その時、キャメロンは確信した。

 それは、おそらく――……ヴィティア・ルーズの、あの類稀なる事件への嗅覚によって成された、世紀の……勘、なのだろうと。


「協力して!!」




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