第223話 生物は皆、非合理的!

 ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルは、クライヌの家にいた。

 そこは旅館だった。食堂と思わしき場所で座っているラグナスは、キッチンで食器を拭いているリーシュの祖母と二人だった。先程まではシャワーを浴びる音が聞こえていたが、今、二階は静まり返っている。おそらく、リーシュが準備しているのだろう。

 誰にも発見されない場所に居たリーシュが戻って来たにもかかわらず、祖母はぴくりとも表情を変えなかった。事情は知らないが、おそらくかなりの手練れ――……であると、ラグナスは悟っていた。


「……それにしても、本当に魔界なんぞに行くのかい」


 祖母の言葉に、ラグナスは頷いた。


「ええ。……本当に、行き方が分かるのですか」


 先程、祖母はラグナスにそう言ったのだ。ラグナスが問い掛けると、祖母はふと微笑みを浮かべた。


「懐かしい話だよ。しかし、ラフロイグンがねえ……今どうしているのか、少し気にならなかった事はないけどね」

「あなたは、一体――……」

「詮索はそこまでだよ。なに、大した話じゃないんだから。旧友でね……グレンオードとスケルトン・デビルは今、魔王城に居るんだろう? 確かあの子には、マックランド・マクレランが師匠に付いていなかったかい?」

「今は、病院に。セントラル北の戦いで、派手に負傷したもので」

「そうかい……そりゃ、仕方ないね。しかしあの、ハースレッドがねえ……」


 どこか懐かしむような表情を見せたリーシュの祖母に、ラグナスは困惑してしまった。

 まるで、今起こっている出来事が過去と重なっているかのような態度だった。少し、彼女の背景を予想してみれば……ラフロイグンと知り合いで、マックランドとも面識があるという。冒険者業界に居たことは、誰の目にも明らかだ。

 過去からまるで因縁のように、ずっと続いているのだろうか。その表情は、ラグナスにそう予想させた。

 今のように、冒険者同士が対立して争ってきた事が、過去からずっと。


「クライヌさん、リーシュが来てるって!?」


 豪快に扉を開けて登場したのは、眼鏡の中年男性だった。ラグナスは面識のない男だが……ふとラグナスを一瞥して、慌てて男は苦笑した。


「おっと、来客がいたのか。これは失礼しました」


 ……どうやら、悪い人間ではないらしい。


「今、リーシュは着替えてる所だよ。間の悪いことをするんじゃないよ」

「ご、ごめん。でも、どうしてまた急に?」

「グレンオードが危険な状態なんだよ。もう、修羅場の後さ」

「バーンズキッド君が……!?」


 男はぎょっとして、青ざめた顔をした。グレンオードとも面識があるらしい……ふと耳をすませば、旅館の外からも何やら話し声が聞こえて来る。

 恐らく、村の人間だろうか。……随分とまた、お節介なものだ。ラグナスはそう考えながら、朝食ついでに出された紅茶をすすった。


「リーシュはこれから、グレンオードを助けに魔界へ行くんだよ。そこのラグナスと一緒にね……だから、余計なことをするんじゃないよ」

「ええっ……!? そ、そうなのかい……!? そりゃあ大変だ……!!」

「騒ぐんじゃないよ、朝っぱらから。何考えてるんだい」


 ……ところで、魔法を使っているのか何なのか知らないが、リーシュの祖母はリーシュよりも若い風貌だ。一見して幼女のようにも見える子供が大の大人に説教している様は、どうにも見栄えが悪い。


「君が、そのラグナス君かい!?」


 不意に男は、ラグナスの目の前まで歩いて来た。


「……ええ。……俺が、そのラグナスですが」


 思わず、少し間の抜けた反応をしてしまうラグナスだったが。男は少し訝しげな表情で、ラグナスを見ていた。


「失礼だけど君は、戦える人間なのかい? バーンズキッド君でさえ苦戦する相手なんだろう? ……正直、生半可な腕で太刀打ちできるとは……」

「なんだと?」

「ひっ!!」


 少しラグナスが凄むと、すぐに男は怯えて引き下がる。……少し強気になったかと思えば。仕方がないので、ラグナスは溜息をついて流した。


「……安心してください。ウエスト・リンガデムの戦地で、幼少の頃から傭兵をやって来ました。腕には覚えがあります」

「そ、そうなのかあ……それなら、安心……なのかな?」


 それでも疑問符を付ける辺り、余程グレンオードに信頼があると見える。……まだグレンオードがラグナスと出会う前、この村で何かがあったのだろう。


「村のみんなと、話して来たんだ。なんだかよく分からないけど、敵が多いのは確かなんだろう? なんだか最近、セントラル・シティにも襲撃のニュースが相次いでいるし……何なら、僕達だって村人総出で戦っても……」

「やめてください」


 その声の主は、程なくしてラグナスの視界に現れた。

 以前とはまるで別人のようになった、覇気のない表情。ただ憂鬱そうに、リーシュは男の提案を拒否した。

 いつものビキニアーマーを着て、外套のようにすっぽりと、身体を覆うマントを羽織る。簡素な鞄には、生活用のアイテムが詰められているようだった。ラグナスの前に座ると、リーシュは微笑んで言った。


「ラグナスさん、お待たせしました」

「……ええ」


 以前ならば、人の意見を一蹴する事など、リーシュは絶対にしなかった。

 それだけの危険を孕んでいるという事を、認識しているからだろう。

 リーシュは困惑している男を見た。


「良いですか。……絶対に、来ないでください。……お婆ちゃんも、何があっても村長さんを村から出さないで」

「ああ。分かっているよ」


 どうやら、男はこの村の村長だったようだ。リーシュの圧力に屈しながらも、少し焦って口を開く。


「でも!! バーンズキッド君が危険なんだろう!? 僕達だって、彼に命を救われた身だ。何もせずにはいられないよ!!」

「村長さん」


 リーシュは苦笑した。


「ありがとうございます。……でも、お気持ちだけ頂いておきます」

「……リーシュ」


 まあ、リーシュの判断は正しいだろう。戦闘経験の無い者が魔界に行ったとしても、足手纏いになるだけだ。まして、今回の敵があれだけの強さとなれば尚更だろう。

 危険を冒してまで、前線に来るべきではない。無駄死にするだけだ。そこに何の価値を見出せと言うのか。

 ラグナスは、少しばかり考えてしまった。飲み終わったカップをテーブルに置くと、リーシュの祖母がキッチンから出た。


「魔界への門を開くよ。……ついておいで」

「あなたが、開くのですか」


 驚いた。魔界に行くルートは限られていると言う。行き方を知っているとは言っていたが、まさか自分で開くとは。

 リーシュの祖母は笑って、ラグナスを見た。


「前に、とある事情でアイテムを貰ってね。一度しか開けないから、帰り道は自分達で探すんだよ」

「……はい」


 祖母の後ろを、リーシュが付いて行く。これだけの情報を一人で握っているリーシュの祖母に、ラグナスはどう接して良いのか、分からなくなってしまった。最後に祖母はラグナスの方を向いて、一言だけ呟いた。


「ハイランドに、よろしく言っといてくれ」


 ラグナスには、その意味が分からなかった。



 *



 そうして魔物は、辿り着いた。


「……ここか」


 黒雲が頭上に立ち込めている。辺りの荒野は一面、草一つ生えていない――……遠くに見える空が紫色に見えるのは、光の屈折によるものだろうか。

 幾つもの魔力を感じる。その殆どは、その魔物にとっては取るに足らないものだが……その全ては、建物の内部にあるようだ。


 魔王城。


 その昔、魔王と呼ばれる者が住んでいたという、漆黒の城。

 その近くに昔、魔物は閉じ込められていた。

 無機質な身体は、痛みを感じないように出来ている。まるで限界など無いかのように。だが、それは錯覚だ。元より痛覚というものは、感じることで死に近付いている事を認識するためのものだ。

 それを感じる事が無いということは、即ち死に対して、抵抗力を一切持たないという事と同じこと。

 いや――……もしかしたら自分は、もう死んでいるのかもしれない。

 そのように、魔物は思った。


「来たか。待ちわびたよ」


 魔王城の前に立つと、城の中からそのような声がした。

 おもむろに、城の扉が開く。塀も何もない、剥き出しの城だ。魔物は呆然と立ち尽くし、その扉が開くのを待っていた。

 どういう訳か、魔物は再び懐かしさを感じていた。

 扉の向こう側に居たのは、当然のようにハースレッドだ。黒い翼の人間を背中に何人も引き連れ、莫大な魔力を抱えて現れた――……セントラル・シティの北で見た時も十分な魔力があると思ったが、これでは比較にならない。人間が扱う事のできる魔力を、遥かに超えている。

 しかし、魔物は笑みを浮かべた。


「随分と丁寧な登場じゃねえかァ。……キヒヒ、いきなり攻撃してくりゃ、話は速かったんだがよ」


 魔物は挑発したが、ハースレッドは乗って来なかった。魔物の態度を笑って流すと、城の内側に向かって手を差し出した。

 驚いた。……どうやら、中に入れ、という事らしい。


「……何のマネだ?」

「ゆっくり考えて、そして――……考えが変わったよ。スケルトン・デビル、やはり君は殺すには惜しい」


 まるでいつでも殺せると言っているかのようで、魔物は面白くなかった。だが、ハースレッドがこうして歓迎しているという事は、何かの意味があるという事だろう。

 魔物はただ、ハースレッドの言葉を待っていた。


「君は、この世の全てを壊したいと思っている。……そうだろう?」

「……あァ、まァな」

「実は、私も同じなんだよ。二人は運命共同体だ……分かるね?」


 魔物は、答えなかった。

 ハースレッドは幾つもの黒い翼を持つ人間を従えているが、特にアイラを気に入っているように見えた。……確かに、その姿は数いる人間の中でも、特に美しく見える。


「中に入ろう、スケルトン・デビル。君を私達の仲間に加えたいんだ」


 アイラの肩にハースレッドが腕を回すたび、魔物はどういう訳か、怒りを感じているようだった。

 ――どうして?

 その怒りの根拠が分からず、魔物はその想いを掻き消して――……ハースレッドに向かって、歩いた。

 城の中に入ると、長い廊下を進む。暗い道は蝋燭を使い、微かな光に照らされていた。まるで人形か何かのように、ハースレッドに付き従い、黒い翼の人間は歩いている。それを不気味に思いながらも、魔物は進んだ。


「……どうしてこいつらは、一言も口を聞かねえんだ?」


 魔物が問い掛けると、ハースレッドは答えた。


「従っているからさ。『大いなる意思』に」

「……大いなる意思?」

「ここだよ。入りたまえ」


 そうして、ハースレッドは――――…………扉を開いた。

 魔王城の中央……幾つもの階段に繋がっている、広い部屋。そこは、七色の光で満たされていた。そんなものは見た事がなく、魔物は少しばかり驚いた。虹色に輝く中心にあるのは……人間の脳だ。魔物には、そのように見えた。

 幻想的だった。しかし、どこかグロテスクでもあり。なんとも奇妙な気分にさせられる。


「なんだァ、こりゃ……」


 思わず魔物は、そう呟いた。


「これが、『シナプス』さ」


 ハースレッドは魔物の問いに答えて、歩いた。

 何故だろうか。少しばかり得意気なハースレッドの顔を見ていると、魔物はやたらと腹が立った。感情など、とうに捨てた筈だった。この身体は漠然とした怒りと憎しみに満ちていて、それ以外の意識は入る余地さえない。その筈だったのだ。

 だが、どうしてだろう。ハースレッドを見ていると、忘れていた感情が呼び覚まされるようだった。

 いや――……アイラを見ているから、だろうか?

 ハースレッドは『シナプス』と呼んだ、七色の脳の前に立った。両手を広げて、高らかに叫んだ。



「生物は――――――――非合理的だと思わないかい?」



 魔物は、ハースレッドの言葉に耳を傾けた。


「目指しているのは、皆同じこと。自らの種族の繁栄……そして、進化だ。同種として誰もが同じ、大いなる目的を持ちながらも、それぞれの個体は別々の過去を持ち、現在を持ち、未来を持ち、個々の異なる世界観において行動している」


 それは――当然だろう、と魔物は思った。

 生物は、繋がっている訳ではない。究極の所、誰もが孤独だ――……そのようにできている。この世に産み落とされたその瞬間から、最終的には誰もが孤独であり、己の内側にあるもの全てを共有する事などできない。

 例えそれが、最終的には『種族の繁栄』という、同じ未来を目指していたとしても。


「当たり前だろ。違う生物なんだからよ……それがどうした」

「それが、『非合理的』だと言っているのさ」


 その言葉を聞いて、魔物は思った。

 ――――既視感がある。

 この語り口。この考え方。この想い――……記憶にはない。……だが、見ている筈だ。聞いている筈だ。確実に、どこかで――……。

 ハースレッドは、魔物を取り込もうとしていた。



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