第220話 依存していたの!
そうだ。……まだ、捨てられるものがある。
本気でやろうとすれば、まだ捨てられるものが沢山ある。
トムディは、走った。城を出て、どこまでも陽気な日差しの中を、目的の場所に向かって。
立場。プライド。……そんなものは全て捨てて、挑むべきだ。
本当に大切なものを、護るためには。
目的の扉を開いて、トムディは叫んだ。
「ルミル……!!」
喫茶店『赤い甘味』には、数名の客がいた。突然の事に驚いて、皆がトムディを見詰めていた――……勿論、その中心で客に茶を注いでいたルミルも。
目を丸くして、トムディを見ていた。
「あらあら……トムディ……?」
真っ直ぐにトムディはルミルの所へと歩き、ルミルを睨み付けるように見詰めた。
捨てなければ。
すべてのプライドを、捨てなければ。
「頼む……!! 僕に、魔法を……教えてくれないか……!!」
ずっと、言えなかった。同期に魔法を教えて貰うなんて――……しかも自分が好きな女の子になんて、とても。
トムディはまた、額を地面に伏せた。ルミルが慌ててポットを置き、トムディの行動に屈み込んだ。
「えっ……!? トムディ、ちょっと……」
「このままじゃ、本当にグレンが死んじゃうんだ……!!」
ルミルの動きが止まった。
「だから僕は、魔界に行かないといけない!! でも、このまま行ってもお荷物になるだけだ!! だから……僕に、魔法を教えてくれよ……!!」
何を、迷うものか。
情けない姿など、もう散々見られている。今更強がる理由なんて、どこにもないではないか。
「頼むよ……!!」
そうは思いながらも、トムディは羞恥心に潰れてしまいそうだった。
「トムディ……」
ルミルは出来事を受け止め切れずに、トムディの言葉を聞いているようだった。
「ほんと、クールじゃねえなあお前は」
どこかで聞いた声がして、トムディは顔を上げた。今トムディが入って来た扉を振り返る事になった。
首に包帯を巻いて、杖を突いて現れた男には、懐かしささえ覚えた。トムディに向かって、柔和な笑みを浮かべていた。
まさかの人物の登場に、トムディは驚いた。
「バレル…………!?」
久し振りに会ったバレル・ド・バランタインは、随分と傷が残っている様子だったが、どこか晴れやかな顔をしていた。
「ルミル一人じゃ、お前みたいに要領の悪い奴に魔法を教え込むのは無理じゃんよ」
「バレル……もう、傷はいいの?」
「バカの声で目が覚めちまったよ」
頭を掻いてそう言うバレルを、ルミルが気遣っていた。それを見て、トムディはバレルがここに来たことが、最近の話ではないのだと気付いた。
ずっと、何を考えていたのだろうか。
「生きてたのか……」
呆然とトムディがそう呟くと、バレルは笑った。
「まー、二度と召喚士には戻れなくなったけどな? 足掻いて逃げて、お前の何倍もみっともねえ真似さらして、ようやく見逃されたじゃんよ」
少し後ろめたい様子で、バレルはそう言った。
「ほんと、クールじゃねえ……」
遠い昔、トムディとバレルが仲良くやっていた時代も、やはりあった。
どうしてか、そんな日々が戻って来たような気がした。
ルミルが、バレルとトムディの手を取った。
「トムディ。どのくらい、時間はあるの?」
「あんまり、ない……全然ない」
「大丈夫だよ」
久し振りに見るルミルの笑顔に、トムディは救われていた。
そうだ。……まだ、ここで終わるなんて決め付けてしまっては駄目だ。
「また三人で、がんばろう!!」
*
『ロ、ロイヤルストレート……!?』
ヴィティア・ルーズは、カジノでポーカーをやっていた。大金の入った袋を持って、セントラル・シティの路上に出た。
「……勝っちゃった」
ただ、呆然としていた。なんとなく配られた手札が完璧で、ただの一度も交換しなかった。相手も余程の自信があったのか、金額も積んでいた。何もすることなく、ヴィティアはこのポーカーで勝利を収めていた。
対戦相手の放心した顔が忘れられない。ヴィティアの人生において、ギャンブルでこんなにも好成績を収めたのは初めての出来事だった。……つい、ヴィティアは苦笑してしまった。
こんな時ばかり、どうでもいい所で勝ってしまうものだ。
こんな事をしていても、グレンオードは帰って来ない。
胸の奥に、ずしりと重たいものが乗ったような気分だった。レベルの高すぎる戦い。ヴィティアはただ見ている事しかできず、何の役にも立たなかった。
仕方ない。……あの、状況では。
元より、魔法が使えない今の自分では、限界がある。戦闘するための手段が封じられている状況なのだから。
どうしても、やるせない気持ちになってしまった。
――――本当に、グレンオード・バーンズキッドは、死んでしまったのだろうか?
「おーい!! おい、あんた!!」
呼び止められて、ヴィティアは振り返った。
見知らぬ男だった。姿からすると、冒険者のように見える。だが、ヴィティアはその男と話した事は無いし、関係も無さそうだ。
しかし、男はヴィティアの所まで走って来ると、立ち止まって肩で息をした。あんたというのは、ヴィティアで間違いないらしい――……何だかヴィティアはぼんやりと口を開いて、男の登場を迎えていたのだが。
「あんた、グレンオードの仲間だろ……!? ちょっといいか……!!」
「……えっ? な、なに? どうしたの?」
グレンオードというワードがどうも引っ掛かったが、ヴィティアは無理矢理腕を引いて行こうとする男に抗った。しかし、すぐにヴィティアはその向こう側に気付いた――……十数名の冒険者が、こちらに向かって駆け寄って来ていた。
ヴィティアはすっかり、戸惑ってしまった。
「グレンオードは、無事なのか!?」
開口一番、告げられた台詞がそれだった。
ヴィティアは、その場に固まった。
「この前、北の方に魔物が攻めて来たんだろ。その時に、グレンオードが危機を救った、って聞いてさ」
「あ、ああ。そのこと……」
「グレンオードは無事なのか? 化物みたいな姿に変身したって聞いたけど……」
グレンオード……グレンは、どうなってしまったのだろうか?
自分が聞きたいくらいだ。
ヴィティアは、引きつったような笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫よ。何度もこんな事はあったけど、そのたびに私達は、それを乗り越えて……」
どういう訳か、胸が痛くなった。
胃の上の方が、きりきりと痛む。別に緊張している訳でもないのに、冷や汗がじっとりと脇を濡らす感覚があった。
どうして?
ヴィティアには、その理由が分からない。
冒険者の一人、まだ若い……グレンと同じ位の青年が、笑顔でヴィティアに言った。
「グレンオードが戻って来たらさ、みんなで感謝祝いをしようって話をしてるんだよ。冒険者の間でだけ、なんだけどさ」
「……感謝、祝い」
「前の東門でもそうだったけどさ。俺達冒険者はみんな、グレンには助けられてばっかりだからさ。ノックドゥのギルドリーダーになるのは駄目だったみたいだけど、俺達にとっては恩人だって話をしていて」
景色がひっくり返るような、不思議な感覚がヴィティアを襲った。
目の前の、グレンオードを信頼する人々。……ついこの前までは、こんな事はなかった。グレンは『零の魔導士』で、周囲からは嫌われていて。
リーシュやトムディやヴィティアや、限られた少数の人間にとっての心の支えで、それはずっと変わらないと思っていた。
どうしてだろう。
今、彼等の言葉が、痛い。
「まだ、グレンのことを誤解してる奴も居ると思う。……でも、セントラル・シティにあいつは居ていい。逆に、居なくちゃいけない存在なんだ」
人なんて、都合のいいものだ。
昨日までは反発していた人達が、ある日成功した瞬間、手のひらを返したかのように懐き出す。そういうものだ。良い意味では、誤解を解いて。悪い意味では、結果を出した方に付いて行くように。
ヴィティアも、そうだった。だから、彼等がどう思い、何を言おうと、ヴィティアが口を出せるものではないと思う。
でも、この胸の痛みは。
「そうだ!! ちゃんと戻って来るんだろ、あんた!!」
そうやって、グレンに過剰な期待をしてきたからこそ、グレンは頑張り過ぎて、倒れてしまったのではないのか?
「また魔物が攻めて来たら、今度こそグレンオードがいないとやばいぜ……」
誰も助けず、誰もグレンを護ろうとしなかった。だからこそ、グレンは一人でどうにかしなければいけなくなってしまったのでは、ないのか?
「だ、大丈夫よ。大丈夫、グレンは……」
ヴィティアは距離を詰めようとする冒険者達をどうにか押し留めて、不器用な笑みを作った。
「グレンは……」
これまでグレンオードと共に過ごしてきて、その中で起こった様々な出来事が、ヴィティアの頭の中を駆け巡った。
『よく頑張ったな』
『初めて自由を許された私が、グレンに尽くしていたいの』
冒険者達の不安と期待に満ちた目が、ヴィティアに向けられる。
『……仕方ないじゃない。グレンは私達の事を考えて、前に出て戦ってくれてるんだもの。……ね?』
『大丈夫よ、トムディ。……今は少し調子が悪いけど、ゆっくり休めばまた、グレンもセントラルの冒険者として戻って来るって言ってたし』
そうして、ヴィティアは気付いた。
――――――――過剰な期待をしてきたのは、自分も同じではないのか?
『それで君は、愚かにもそんな言葉を丸ごと信用しているってわけか』
思わずヴィティアは、口元を押さえた。
まずいと思った時には、涙は目元から溢れ出していた。
「ごめんなさい……!!」
止められなかったのだ。
「お、おい!!」
冒険者の間をすり抜け、ヴィティアは逃げた。既に使うあてもない、大金の入った袋を握り締め。まるでヴィティアに迫り来る圧力から逃げるかのように、ただ、必死に。
空が暗い。ぽつり、ぽつりと、ヴィティアの頭に雨が降り始めた。それはものの数分で、あっという間に辺り一帯を取り巻く豪雨になった。
ようやく、胸が痛くなる原因が分かった。
事情を知っているからだ。
グレンオードがどれだけ危険な状態であったかを知らされながら、全くそれに危機感を抱くことなく、遂にあの状態になるまで、放置していた。そうして、騒ぎの中心に居ながらにしてヴィティアは、まるでそこらの都合良く同調する冒険者達と同じように、ただ時間が過ぎることだけを待ってしまっていた。
胸が痛くなるのは、事情を知っていながらにして、それを放置していたからだ。
「ヴィティアさん……?」
ちょうど、高価な桃色の傘をさして、馬車から人が降りた所だった。その人物はヴィティアを見ると、驚いて目を丸くしていた。
肩で息をしていたヴィティアは、下唇を噛んで、その人物と対面した。
チェリィ・ノックドゥだった。
「私、勘違いしてた……」
雨の音が、辺りに響き渡る。チェリィを降ろすと、馬車は静かにその場を離れた。傘をさしたチェリィはヴィティアの様子を察したようで、不安そうな表情を向けていた。
「グレンは私なんかよりもずっと強いし、すごいから……いつでも、最後はなんとかしてくれるんじゃないかって思ってた……!! 倒れたりなんかしないって、思ってた……!!」
チェリィは、ヴィティアに向かって歩いた。
走って来たのに、すっかり冷え切った身体を震わせた。ヴィティアは悲鳴を上げるように、言葉を発していた。
「でも、違う……ひとは、一人で生きていくだけで精一杯だから。簡単に他人を支えて生きて行けるほど、楽ではないから……」
「ヴィティアさん」
「私、ずっと気付かなかった……!! 自分で未来を選択して、それでグレンと一緒にいるんだって思ってた!! ……でも、そうじゃなかった……」
ヴィティアは、膝を折った。
降りしきる雨はヴィティアの身体を濡らし、涙と混ざり合って落ちていく。
「私はグレンに、依存していたの」
チェリィの手のひらが、ヴィティアに触れた。
嗚咽を漏らしながら、ヴィティアはどうにか、言葉を紡いだ。それはどれだけ、チェリィに届いたのだろうか。
「……何が、あったんですか」
「どうしよう。……グレンが死んじゃったかもしれない。……スケゾーが大きくなって、ほんとの魔物みたいになって、それで……グレンは死んだって言ったの」
チェリィの表情が、自然と険しくなっていく。
「どうしよう。……私、何もできなかった。しようともしなかった……私には手の届かない、大きい事だって思ってた」
不意に、ヴィティアの両肩が掴まれた。それにも気付かず、ヴィティアは懺悔するように呟いた。
「私は、取り返しのつかないことを――……」
「落ち着いてください、ヴィティアさん。スケゾーさんが、グレンさんは死んだって、そう言ったんですか?」
唐突にそう言われて、ヴィティアは固まった。チェリィが何を言わんとしているのか、すぐには気付けなかったからだ。
「グレンさんとスケゾーさんは一心同体なんだから、スケゾーさんが生きている以上、グレンさんも生きているんじゃないですか?」
ヴィティアは、目を見開いた。
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