第219話 お前は勘当だ!

 トムディ・ディーンは、まるで盲目の人間のように歩いていた。ふと気が付くと、見慣れた光景が広がっていた。

 どこをどう歩いて来たのか、それさえも覚えていない。気が付けば足は棒のようで、喉はからからに乾き、腹は鳴っていた。レンガ造りの家が立ち並ぶ街並み。山のそばで、傾斜の厳しい土地に建てられた城。

 普段は馬車で行く所だ。……歩いていたらいつの間にか、こんな所まで辿り着いてしまったのか。


 トムディは、顔を上げた。身体は限界のようで、すぐにトムディは動けなくなり、その場に崩れ落ちた。

 そういえば、朝も夜もなく歩いていたような気がする。

 ぼんやりとした意識の陰で、トムディはそんな事を思った。


『――――――――てめえら全員、使えねえ。死んだ方がいい』


 トムディは、目を閉じた。

 そうして、考えた。



 ……どうして、自分は変われないのだろうか。



 努力してきたつもりだ。……しかし、どうも人が階段を上って行くようには、自分が成長できていないように感じる。元から遠い距離の開いていたグレンと比較しても、誰と比較しても、自分は後れを取っているようだ。

 元を返せば、聖職者として勉学に励んでいた時のルミル・アップルクラインやバレル・ド・バランタインと比較しても、自分の足並みは遅い。

 自分だけが、常に遅い。周囲はどんどん離れていってしまう――……。


 時間が違うのか? 自分が体感している時間と、周囲が体感している時間には差があるのだろうか。

 頬が地面に触れると、懐かしい感触がした。今となってはもう昔、トムディは歯を食い縛りながら、何度もこの地面に顔を埋めていた。

 こんなにも、頑張っているのに――……。


「……………………トムディ?」


 ふと、誰かの声が聞こえた。

 トムディの意識は遠く、その人に返事をすることは叶わなかった。



 *



 何かが、弾けるような音がする。

 地面ではない。何か柔らかいものに、トムディは包まれていた。寝そべっているのは……ソファーだ。いつの間にか、トムディは毛布を羽織っている。暗い室内に漏れる明かりは、暖炉のものだ。静かな空間に、それだけが鳴き声のように、音を響かせていた。

 どうして? ……確か、そのまま地面に突っ伏した筈なのに。


「気付いたか、トムディ」


 そう言われて、トムディは顔を上げた。

 暖炉のそばに腰掛けて、その男は本を読んでいた。すっかり年老いて皴だらけになってしまった顔や手。それでいて、はっきりとした意志を主張する凛々しい眉。もう結構な歳だというのに髪も白くなければ、足腰もしっかりしている。トムディに微笑みかけると、彼は暖炉の火に視線を移した。


「急に帰って来るから、驚いたぞ」


 サウス・マウンテンサイドの国王。トムディの父親だ。

 近くの低いテーブルには、暖かいスープが置かれている。トムディはそれを手に取って、一口飲んだ。

 優しい味がした。


「何かあったか?」


 父親にそう問い掛けられて、トムディは暫し、父親と目を合わせた。


「……………………ううん」


 だが、父親に話さなければならない事は、特にない。

 冒険者として旅立ち、トムディは城を離れた。父親もそれを認めたのだ。だから、これから先トムディが冒険者として何を成し遂げたとしても、父親とは関係が無いはずで。

 そう考えた時、トムディの意識が、トムディ自身に問い掛けた。

 そう、関係が無いはずなんだ。


 ――――――――なのに、どうして自分は今、ここにいるのだろうか?


「新聞を読んだよ。冒険者としては、ちゃんとやっているようだな。少し不安だったが――続けられているようで、何よりだ」

「……ああ、……いや」


 父親はトムディに、一枚の新聞を見せた。トムディはそれを見た――……セントラル・シティの東門で戦った時のことだ。誰かが撮影した写真の片隅に、トムディの姿が映っている。

 それを、少し誇らしげに父親は見ているようだった。


「どうせまた、すぐに逃げ帰って来ると思っていたんだがな」


 ふとトムディの胸に、痛みが走った。だが父親は微笑んで、トムディに言った。


「お前はすぐに物事から逃げ出す根性無しだと思っていたが。……ちゃんと、やれるじゃないか」


 トムディは、下唇を噛み締めた。

 ……成し遂げられていない。


 或いは、『トムディにしては』という但し書きが入れば、そう言えたかもしれない。お前はよく頑張ったと――……そう言って貰えれば、少しは楽になれただろうか。

 ずっと、気にしてきた。にも拘わらず、結局の所、グレンオードは死んでしまった。……いや、スケゾーが死んでいないのだから、正確には死んでいないのだろうか。しかし、あの状況では。

 セントラル・シティの北で、ハースレッドに襲われた時。自分に、何ができていただろうか。



『魔力差なんて、僕には関係ない!! グレンはカブキでの僕の活躍を見ていないから、そんな風に思うんだよ!! 本当さ!! そんな『不利』、僕はずっと覆してきた!! これからだってそうさ!!』



 本当か?



 強がっていただけではないか?



 不利を覆してきた訳ではない。これまでは、見え難い利点を活用してきただけだ。

 冷静に振り返ってみれば、トムディがしてきた事は、大した事ではない。……仲間がいた。一人ではなかった。いつもトムディのそばには、人がいた。

『物事を俯瞰して考え、作戦を立てる』。トムディが担当してきた事には、二面性があった。或いは人を動かし、物事を達成する能力。或いは、一人では何もできないという事の裏返し。

 だからこそ、ハースレッドと対峙した時に、自分には何もできなかった。

 いつも、一人の時には何もできずにいる。


「トムディ。……マウンテンサイドに、帰って来る気はないか」


 不意に、父親がそう言った。トムディは驚いて、顔を上げた。


「……えっ?」


 そんな事を言われるなんて、想像した事もなかったのだ。


「冒険者としての経験はきっと、王をやっていくのに役立つだろう。少し話してみたんだが、フレディは意外と、引っ込んでしまっていてな――……どうも、人の前に立つというのは苦手らしい。その点、お前は確かにがむしゃらで頭は良くないかもしれないが、人の前に立つのは慣れているだろう」

「……引っ込んでしまって、って? どういう事?」

「民衆に顔を晒すと、何が起きるか分からないと言ってな。……まったく、困ったものだよ。せっかく頭が良いのに、勿体ない」


 その言葉を聞いた時、トムディは思った。



 ――――――――何かが違う。



 彼は、いつもフレディは優秀だと言ってきた。トムディも、フレディは優秀だと思っていた――……何でも出来る。勉学にも励んでいるし、魔法の腕も優秀だ。聖職者としての知識も技量も、トムディでは圧倒的に敵わない。

 でも。……それは。


「今日は自分の部屋で、ゆっくり休みなさい。そのために帰って来たんだろう?」

「あ、……まあ」

「今すぐでなくても良いから、少し考えておいてくれると助かる。……遅くなってしまったな。私も、もう寝るぞ」


 そう言って、父親は席を立った。その場を離れると、暖炉のそばにトムディは一人になった。

 父親の発言が、トムディにとって大きなヒントになったように感じた。トムディは再びソファーに横になると、見慣れた城の天井を見上げた。


『何をしたって、駄目なんだ!! 思い通りにならないんだ……!! 僕みたいな奴も居るんだ!! 始めっから何でも出来る、お前等とは違うんだ!! 一緒にするなっ……!!』


 努力。


『グレンがまだ、僕のことを信じてくれているんだ……!!』


 ……努力。


 自分はこれまで、一生懸命に頑張っていると思っていた。……でも、そうではなかったとしたら?

 トムディと他のメンバーには、決定的な違いがあった。トムディだけが、いつでもマウンテンサイドに、自分の故郷に帰る事が出来た。いつでも温かい飯があって、自由に使える金があった。

 他の人は、違う。自分一人の力で生きなければ、未来がなかった。どうにか足掻いて、自分自身の未来を作っていく他に道は無かった。


「…………そうか」


 何だか、妙に納得してしまった。トムディは天井を見詰め、ただ純粋に、そう呟いた。

 そうか。……だから彼等は、先に進むんだ。


『フレディは意外と、引っ込んでしまっていてな――……どうも、人の前に立つというのは苦手らしい』


 ずっと、この環境で育ってきた。

 最後はいつも、父親がどうにかしてくれていた。結局の所、心のどこかでトムディは甘えていたのかもしれない――……かもしれない、などという曖昧な言葉では許されない。トムディは起き上がり、テーブルの上に置いてあるものを見詰めた。

 それは、王冠だった。トムディがずっと、冒険者としてやっていてもなお、身に付けていた王冠。

 それをトムディは手に取った。



 甘えていたのだろう?



 いつか、助けて貰えると思っていただろう。仲間は当然のように、自分を助けてくれると思っていただろう。……だから、今のトムディの立場があった。トムディの活躍できる部分は限られていて、その立場に甘んじることで、トムディは周囲の役に立っているのだと満足感を得ていた。

 一人、荒野に放り出された時のことを考えてみろ。自分に一体、何ができるというのか。

 仕事を『与えて貰っている』立場で、『満足に仕事をしている』などと、よく言えたものだ。

 ――――それは本当に、チームワークなのか。


 暖炉の火は、トムディを照らしていた。

 トムディはその胸に、覚悟を秘めた。



 *



 翌朝、すぐにトムディは着替えて身体を流し、身なりを整えて、向かった。日がある程度高くまで昇り、鳥の音が聞こえて来る時間になると、父親の支度も終わる頃だ。

 真っ直ぐにトムディは歩き、父親の部屋の扉を開けた。


「父上……!!」


 すると、既に父親は王族の衣装を着て、トムディに柔和な笑みを浮かべた。


「トムディ。起きていたのか……これから朝食だ。久し振りに家族四人で、ゆっくり取ろう」


 この優しい笑顔に、救われてきた。今更ながらにトムディは、それを感じていた。

 ここに居れば。……ずっとこの場所にいれば、自分は傷付かずにいられる。もう苦しい事などなにもない。……平和でいられる。

 歯を食い縛って、耐えた。


「逃げてきたんだ……!! 父上の言う通り、僕はこの場所に……!!」


 トムディの剣幕に父親は目を丸くして、動きを止めた。何かを察したようにも見えた。

 ただ、トムディは『覚悟』を。


「でも、助けたい人がいるんだ……!!」


 叫ぶように、そう言った。


「……ここは、暖かいよ。駄目な僕を、最後はいつも受け入れてくれるんだ。こんな、ゆるくて、泣き虫で、へぼい僕を……でも、それじゃ駄目なんだ。……それじゃ、変われないんだ」


 トムディは、頭の王冠に手を掛けた。

 自分が、サウス・マウンテンサイドの王族である称号だ。それは、トムディの誇り。トムディの立場を護ってくれるものだ。

 それさえ無ければ、自分は満足な冒険者ですらない。それは、よく分かっていた。

 それでも。


 トムディは、その王冠を――――…………地面に置き、土下座した。

 自分の、父親に向かって。


「もう、父上のお金は使わない……!! 全部を……全部を、自分の力で生きていく……!! そうしないと、自分の力で生きている人達には、どうしたって追い付けないんだ……!! いつまでも僕は、子供のままなんだ……!! だから……!!」


 どんな言葉が待っているか、トムディには分からない。



「背中を、押してくれませんか……!!」



 分からず屋の父親だと、陰で罵っていた事もあった。何度も怒られ、頭を殴られた後で、愚痴を言っていた時もあった。だがそれは、トムディが父親を信頼していたからだ。何があっても絶対に嫌われないという、確たる自信があったからだ。

 なんと、子供だろうか。

 それは恥ずかしく、そして――――情けない。



「……………………親の知らない内に、子供というのは育つものだな」



 優しい声がした。

 トムディは、顔を上げた。


 その人は、とても優しい顔をしていた。少し、目尻に涙まで浮かべていた――……トムディは、驚いてしまった。マウンテンサイドの国王になって欲しい、という話をされたばかりだ。どう罵倒されるだろうかと、覚悟を持っていたのだ。


「私も、仮にも王だ。一族の長男を次期国王にしないとなれば、それなりの責任を取らなければならない。……分かるな」

「……はい」


 こんな話は、そもそも冒険者としてマウンテンサイドを出る時に、話されていて然るべきだ。しかし、父親はそうしなかった。

 もしかしたら、トムディが戻って来るその日を、待っていたのかもしれない。

 待っていてくれたのかもしれない。


「王冠を捨てるという意味がどれだけ大きなものか。……どれだけ過酷で大変な事か、分かっているな。お前はもうマウンテンサイドの、ディーンの一族を名乗らないという事になる。それがどういうことか……それも、分かるな」

「はい……!!」


 後は、期待に応えることだ。



「お前は勘当だ、トムディ……!! 二度とこのマウンテンサイドの城に、足を踏み入れるな……!!」



 怒られることに。

 これ程に感謝をする時が来るとは、思っていなかった。

 トムディは顔を上げ、せめて精一杯の誠意で、父親に言った。



「はいっ…………!!」



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