第199話 知らんけど

 チェリィが、目を覚ましたのか。

 クランの背中を追い掛けて、俺は走った。暗い廊下。後ろには、無言ながらもリーシュが付いて来る。

 相変わらず、思考は働かなかった。いつもなら、これから自分がどういう境遇になるかとか、いつまでに何をするべきかとか、そのような考えで意識は埋め尽くされている。今はと言うと、馬鹿になったんじゃないかと思う位に真っ白だ。

 きっと出来事が込み入りすぎて、自分の中で整理できていないのだろう。


 ……自分の事は、いい。今は、チェリィの事が大切だ。

 目を覚ました。ひとまず、難は逃れたと言っていいだろう。……でも、目を覚ましたチェリィがどんな反応をするのか。それはまだ、分からない。

 誰のせいだと思うだろうか。やっぱり、俺達だろうか。あの状況で酒に何かを仕込むのだとすれば、確かにリーシュが最もやりやすい。そんな背景は、ある。

 それとも――……。


「チェリィ!!」


 俺は声を掛けると同時に、勢い良く扉を開いた。何度か訪れた、天蓋付きのベッド。色とりどりのぬいぐるみ達。妙に女の子然とした部屋。

 そこに、チェリィは――――…………いた。


「チェリィ!! 大丈夫か!?」


 ベッドの上で呆然として、明後日の方向を見詰めていた。チェリィのすぐそばでは、ウシュクがチェリィに向かって声を掛けていた。椅子に座っているエドラ。沢山の使用人達。

 チェリィの瞳には、意思を感じ取る事は出来なかった。


「もう大丈夫だ、チェリィ。……式は終わったよ。もう、危険な事は何もない」


 ウシュクは語り掛けるように、チェリィに言った。俺はトムディやヴィティアの話と合わせて、ウシュクの人間性が更によく分からなくなっていた。

 ……どう見てもその表情は、心配している兄のそれだ。不自然な所なんて、何一つない。この男が本当に、実の弟に毒を仕込むものだろうか。

 人間は、そこまで人を騙す事ができるものだろうか。

 チェリィは、ウシュクの方を見ていなかった。辺りを見回すと、ぽつりと呟いた。


「……ここは……」

「就任式の場で倒れたんだよ、チェリィ。そこの『ギルド・あまりもの』の連中に毒を盛られたんだ」


 ウシュクは憎々しげに俺とリーシュを見ると、吐き捨てるようにそう呟いた。チェリィは一度、俺を見て――……そして、すぐに視線は天井に向かった。

 その表情は、完全に沈黙していた。同時に何か、思考を整理しているかのようにも見えた。


「グレン!!」


 遅れて、ヴィティアを先頭に仲間達も駆け寄って来る。……クランの言葉を聞いていたのだろう。俺達は遂に、チェリィの部屋に大集合してしまった。エドラが安堵したかのような溜息をついて、椅子の背凭れに体重を預けた。


「……チェリィちゃんの事は、お願いね。私は少し、休ませて貰うわ」


 そう言って、エドラが杖をついて去って行く。よたよたと、危なっかしい歩みで俺の隣を通り過ぎていく。

 ふと、俺と目が合った。

 エドラは穏やかな笑みを浮かべて、そのまま俺の隣を通り過ぎた。

 ……初めての事だった。

 ウシュクはチェリィに何度か呼び掛けていたが、ふと気付いて、チェリィの肩を叩いた。


「まずは、記憶の確認が先だったか。……チェリィ、大丈夫か? どこまで覚えてる?」


 兄弟。


 唯一無二であるもの。互いに互いの人生を尊重しながら、共に生きて行く事を定められたもの。母さんと一緒に暮らしていた時は、何度も羨ましく思っていた事をよく覚えている。

 セントラル・シティに出掛けて、ふと俺の隣をお菓子なんかを食べながら通り過ぎていく、兄弟を見て。叶わない願いだとは知りながらも、なんとも言えない気持ちを味わったものだ。

 年の近い家族。そんなものは、俺には経験の無い事だったから。


「……チェリィ? ……大丈夫か?」


 ウシュクが何度もチェリィの肩を叩くが、チェリィは呆然として、ウシュクの方を見る事はなかった。

 俺はきっと、憧れを持っていた。誰よりも自分を知っている若い人間。俺から見る『兄弟』の姿は、それは心が通じ合っているように思えていて。道端で喧嘩しているのを横目に見ても、それはどうにも羨ましく、妬ましかった。

 だって、喧嘩する相手なんて、俺には居なかった。

 チェリィはふと、ウシュクを見て言った。



「――――――――兄さんですよね?」



 俺は、両拳を握り締めた。ウシュクが一瞬、完全に気を取られて――すぐに、何の事を言っているのか分からないといった様子に変化した。


「……ああ、俺はお前の兄だぜ。もしかして、記憶が曖昧なのか?」


 ウシュクがそう言うと、チェリィはふと笑った。微笑み、少し吹き出して、首を横に振った。

 ギルドリーダー就任式の場で、チェリィは何故か寂しそうな顔をして、国民の前で演説していた。

 その理由が今、分かったような気がした。


「いいえ。そうではなくて。……兄さんですよね」


 ウシュクの意識が張り詰めて行くのが、俺にも分かった。ベッドと天蓋を繋ぐ柱を握り締めて、ウシュクはぎこちない笑みを浮かべた。


「…………何が?」


 チェリィは微笑みを崩さずに、ウシュクに向かって口を開いた。


「昔から毒を作るの、好きでしたよね。悶え苦しんで死んで行く虫や動物を見ながら、『ざまあみろ』って言って、『居場所があると思うからこうなるんだ』って、笑っていましたよね。……僕、知ってるんです。ウシュク兄さんが城を抜け出して、いつもどこに行くのか。……気になっていましたから」


 それはきっと、核心だった。

 この、どうやっても証拠の出ない事件と、ウシュク・ノックドゥを繋ぐ、一本の細い糸。それが初めて明るみになり、陽の光の下で輝いた。

 ウシュクの時が止まり、その場に固まった。チェリィはその様子を見て、悲しそうにしていた。

 ……俺は次第に、どうしても――……やるせない感情が渦を巻いて、制御が効かなくなった。


「昔、お友達とこっそり二人で会って、話していた事もありましたよね。痛みも苦しみもなく、一瞬で人の気を失わせて、半日で命を奪う毒を作った、って。……あれは、僕に使うためのものだったんですね」

「ち、違……」

「あの時、嬉しそうに話していた内容と、全く同じ効果でしたね。……僕、すぐに意識が無くなりましたよ。ステージでグレンさんと乾杯してから、一口飲んだ後の記憶は、もうありません」

「違うんだ、チェリィ。聞いてくれ」


 チェリィの瞳には、光が灯っていなかった。



「僕が、そんなに憎いですか」



 決定打だった。

 ウシュクは完全に言葉を失って、固まっていた。俺は湧き出るように溢れる怒りの矛先を、どこに向けて良いのか分からなくて。

 やがてウシュクは、諦めたように――……苦笑して、言った。


「……………………ああ。憎いよ」


 頭が沸騰した。俺は歩き、猛然とウシュクに詰め寄った。


「グレン!!」


 クランの呼び掛けにも、応じない。

 真っ直ぐにウシュクの所へと歩いて行くと、同時に振り返ったウシュクの胸倉を掴み上げて、持ち上げた。ウシュクが苦しそうな顔をするが、俺はそのままウシュクを持ち上げて歩いた。

 広い部屋を支える窓枠近くの太い柱に、ウシュクを背中から叩き付けた。


「お前が……やったのか……!?」


 ウシュクは苦い顔をしながらも、俺にどうにか薄笑いを浮かべた。


「……さあな……? もしそうだとしたら、どうするんだよ……」


 まるで、ウシュクは自分の罪を認める気が無い。俺は怒りのあまり、拳を振り上げた。

 ウシュクが左手を俺に向けて、制止を掛ける。


「おっと!! 良いのかなあ、それで。……俺を殴ってみろ。俺は、ノックドゥの国王の血族だぜ。ここで俺を殴れば、もう二度とノックドゥの所属ギルドになる事なんざ不可能だ。そうだろ?」


 この溢れ出る感情は、一体何だろうか。俺の身に起きた事件ではない。俺が殺され掛けた訳でもない。社会的に、殺される寸前ではあったものの――……そんな事が原因じゃない。

 ただ俺は、どうしても――――…………。


「俺に証拠は無いんだからな」


 胸倉を離す代わり、俺はウシュクの頬を殴った。

 勢い良く、ウシュクが部屋の壁に向かって吹っ飛ぶ。チェリィのベッドのすぐ隣、棚に向かってウシュクは激突し、激しい音がした。棚にあった写真やら鏡やら、その他様々なものが衝撃で引っ繰り返り、後頭部を強く打ち付けたウシュクの頭に降った。


「なんでだよ…………!!」


 俺は、歯を食い縛って唸り。そうして、ウシュクに言葉を叩き付けた。


「家族なんだろ……!? 今までずっと、一緒に生きて来たんだろ……!! どうして、殺そうとするんだよ……!!」


 俺をギルドリーダーにしないためか。リーシュに罪を擦り付けるためか。……そんな事は、どうでもいい。

 ただ、そのためにウシュクが取った行動が、俺は許せなくて。


「世の中にはな!! どれだけ欲しくたって、家族が手に入らない人間も居るんだぞ!! ずっと一人で生きて行かなきゃいけない人間が居るんだぞ!! 簡単に、一番近い人を手放すような真似をするんじゃねえよ……!!」


 ウシュクは俺の言葉を聞きながら、押し殺すように笑っていた。可笑しくて仕方がない、と言いたそうな雰囲気だった。

 ウシュクの頬には青痣が出来ていた。痛々しい顔で、俺に向かってどす黒い笑みを浮かべた。


「……へえ、そうなんだ」


 どうしようもなく歪んだ、悲しそうな笑顔。

 それが更に、俺の怒りを増長させる。



「……………………ま、知らんけど?」



 俺は今一度、ウシュクに詰め寄った。


「グレン!! やめるんだ!!」


 クランが俺を止めようと、慌てて駆け寄る。俺はウシュクの胸倉を掴み上げ、無抵抗のウシュクをもう一度、立たせた。

 ウシュクは減らない口で、苦しそうに呟いた。


「一人で生きて来たお前に、俺の気持ちが分からないように……俺にも、お前の気持ちは分からねえよ……」


 もう一度殴ろうとして構えた拳を、クランが掴む。

 離せ、クラン。

 俺には、もう――……こいつを許す事はできない。

 でも、不意に。

 ウシュクに、変化が生じた。


「お前に分かるのか……? 一度手に入れたものを、全て奪われる男の気持ちがよ……。最初から遮るものが何も無かったお前に、後から奪われる俺の気持ちが分かるのかよ……!!」


 ウシュクは俺を睨み殺すような眼差しで見詰めた。これまでの、どこか人を小馬鹿にしたような態度とは違う。その剣幕に、俺は思わず、拳の力を緩めてしまった。

 頬にできた痣など、気にも留めない。いつもスマートな対応をしている男の、見ない顔。

 ウシュクが俺を指差して、俺の仲間に目を向けた。


「なあお前等!! 誰からも愛されず、誰からも好かれないクズ共よお……!! どうせ、こいつも同じ境遇だったからとかいう理由で、後を付いて来たんだろうが……!!」


 唐突に声を掛けられて、ヴィティアやトムディ、キャメロンとミューも、ウシュクの言葉に反応して不安そうな顔をした。


「良いか、よく覚えとけ!! こいつは、グレンオード・バーンズキッドはな!! セントラル・シティでも指折りの魔法使いの『アイラ・バーンズキッド』を母親に持ち、龍を素手で殺せる伝説の武闘家『ハイランド・バーンズキッド』との間に産まれた子供だ!! 分かるか!? バリバリのサラブレッドなんだよ!! てめえらとは全然違う、雲の上の存在なんだよ!! なにが『ギルド・あまりもの』だ!! ふざけんな!!」


 もう、ウシュクに余裕はなかった。

 誰もが圧倒され、ウシュクの言葉を聞いていた。俺はウシュクの胸倉から手を離した。

 まるで、行き場の無い感情の拠り所を探すように、ウシュクは叫んだ。


「俺は違う……!! 俺は、こんな家に産まれながらにして、何も持たなかった!! 男だからとかいう理由で、立場がなかった!! 身体も強くなければ、魔法の才能にも優れなかった!! それをな、一つ一つ積み上げて、作って来たんだ……!! 唯一つ、母親に認められる、ただそれだけのために!! 俺がここに生きて良い理由!! 目標!! 役割!! すべてだ!!」


 ウシュクは、チェリィを指さした。

 それはまるで死刑宣告のようで、チェリィは胸の前で握り拳を作って、ぴくりと震えた。

 絶望していた。


「それをな……!! こいつが産まれて、こいつが育って行く過程で……!! 全部、奪われたんだ……!!」


 誰も、何も、言えなかった。

 ただ、それはあまりにも、痛々しくて。


「ただ俺よりも女顔だったってだけでな!! 俺が積み上げて来たものを、全部ぶち壊されたんだ……!! 次期国王の立場も!! 母親からの愛も!! 俺にはもう、何も残ってなかった……!!」


 今度はウシュクが、俺の胸倉を掴む。


「俺を犯人だと言って、治安保護隊に通報してみるか!? 良いぜ、やってみろよ!! どうせ証拠は出ねえ、俺も絶対に犯人だとは認めねえ!! それでも勝てると思うなら、やってみれば良いだろうが!!」


 俺は、何も言えず。鬼気迫る表情で俺に向かって吠えるウシュクに、今度は圧倒されるばかりで。

 ただ、それは、悲しかった。



「誰にも、分かってたまるかよ……!! 誰もなにも、分かりもしねえくせに……!!」



 ウシュクが、俺の頬を殴ろうとした。



「……なさい」



 だけど、その腕は止まった。



「…………ごめんなさい……」



 嗚咽の音が聞こえた。ウシュクは停止し、俺に殴り掛かろうとする姿勢のまま、泣いているチェリィを見て。そうして、若干の戸惑いを見せた。

 ウシュクは沈黙し、やがて――……チェリィのすすり泣く音だけが聞こえて来る。


「……謝るなよ」


 俺は、気付いた。

 これだけの、恨み辛みを話して。……それでもウシュクは、ただの一言も話さなかった。

 チェリィ本人に対する、怒りのことは。

 きっと、チェリィが悪い人間なら、ウシュクだってこれ程に怒りを見せはしなかった。もっと冷静に、事を運んでいたのだろう。

 だけど、そうはならなかった。どれだけ冷酷にチェリィを殺す算段を立てていても。心のどこかでは、葛藤していたのだろう。

 そうであって欲しいと、俺は願う。


「お前が、謝るなよ……!!」


 それはきっと、何よりも悲しい真実だった。


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