第185話 裸の付き合い

 ……あー、気持ち悪い。


『本日のシメは、生ける天使・チェリィ・ノックドゥの、等身大ケーキ!! 『ウェディング・チェリィ』でございます!!』


 等身大の人型を作るのが好きなのか何なのか知らないが、あのシェフという男が作る料理は異常だ。……結局、ケーキで作られたチェリアを山程口に詰め込んで、胸焼けを起こしている俺である。

 やっぱり、何事も適量だ。あんなに生クリームを食べさせられたら、気持ちも悪くなるというものだ。


「……そろそろ良いっスか? ご主人」

「おお、ちょっと待ってな……俺達だけみたいだな。大丈夫だと思うぞ」


 ようやくノックドゥ一族から隠れていたスケゾーが、俺の身体から分離する。

 広い風呂場。当然、脱衣所も広いみたいだな。それでも貸し切りになっているのは、一応俺達がまだ、ギルドリーダーの就任式を終えるまではこの国のゲストだからだが――……リーシュとヴィティアは、今頃隣の女湯で仲良く雑談している事だろう。

 スケゾーは脱衣所の棚の上に立つと、うん、と強く伸びをした。


「んーっ……いやー、流石にこんなに長く一体化してるのは疲れるっスねえ」

「悪いな。まあ、今はもう俺達のために部屋が割り当てられてるみたいだから、夜くらいはのんびりできると思うぜ」


 スケゾーの話によれば、俺の中に居る感覚というのは、例えば狭い箱の中に閉じ込められているようなものらしい。長く居ると、肩がこるのだそうだ。

 体操をしているスケゾーを横目に、俺は服を脱いだ。

 結局、会食の後すぐにチェリアは引っ込んでしまって、話す事はできなかった。……やっぱり王族のなんとやらがあるのだろうから、あまり俺も深入りする事はできない。しかし、気になるものは気になるな。

 ……チェリィ・ノックドゥ、か。俺達に教えられていた名前は、偽名だった。いい加減に俺も、あいつの事情を理解してやらないといけないだろう。

 できれば、どこかでちゃんと話をしたいものだが。

 しかし、あのドレス姿じゃあ、男だとばれる事は絶対に無いだろうな。

 俺は溜息をついて苦笑し、浴場の扉に手を掛けた――……


「グレンさん」

「うぉわっ!?」


 驚いて飛び跳ねると、隣にチェリア……いや、チェリィが立っていた。


「……な、なに!? いつから居たのお前!! びっくりさせんなよ!!」

「いえ、あの、ずっと居ましたけど……」


 俺は咄嗟に、今は肩の上に移動しているスケゾーを見た。


「え? 気付いてなかったんスか?」


 ……。

 いや、全然気付かなかったぞ。服を脱ぐ音すらしなかったし。棚の裏で服を脱いでいたのだろうか。

 チェリアは胸からバスタオルを巻いて、他には何も身に纏っていない。……バスタオルの巻き方がアレで、相変わらずまるで女にしか見えないチェリアだったが……いや、チェリィか。ああもう、ややこしいんだよ。

 俺はどうにか笑顔を作って、チェリィに笑い掛けた。


「お前もこれから風呂なのか? 一緒に入ろうぜ!」


 こいつに聞きたいことも沢山あったし、丁度いい。既に風呂を共有した仲なので、特に恐れる事も何もない……


「……あっ、……ええ、はい。……あの、……お母様に言われて……仕方なく、ですね」


 別にそんな言い訳は要らんが。

 チェリィはもじもじと太腿を擦り合わせながら、どこか顔を赤らめてそう言う。

 エロい。

 ……いや、こいつにエロスを求めてどうするんだ、俺。


「まあ、入るか?」

「は、はいっ……!!」


 若干気まずい状況の中、俺とチェリィは浴場に入った。



 *



 なんというか。

 ……チェリィとの距離がえらい離れている。

 広い浴場だ。そりゃあ、身体を洗う場所なんてどこでもいい……確かに、それはそうなんだが。今は俺達ギルドの貸し切りで、浴場には俺とチェリィの二人しかいない。だったら、別に距離は近くても良いんじゃないかと思う。

 チェリィは俺に肌が見えないように、バスタオルで身体を隠しつつ、チラチラとこちらを窺っていた。


「……おい、チェリア」


 びくん、とチェリィの身体が跳ねる。


「えっ、ええと!! はい、なんでしょう!?」


 ぎこちない笑みが、俺に向けられた。

 ……おかしい。どう考えても、チェリィの様子は明らかにおかしい。なんで俺をこんなに警戒しているんだ。今までから考えれば、有り得ない光景だ。

 俺、チェリィに何かしただろうか。……いや、覚えはない。


「その距離だと、喋り難いんだけどさ」

「は、はいっ!! そうですよね!! ち、近くに行きましょう!!」


 慌ててチェリィが俺の所に来る。緊張しているのがバレバレだ。

 まるで初対面だ。……どういう事なんだよ。会議の場でわざわざ俺の手を取って連れ出したチェリィとも、同一人物には見えない。

 思い出せ、俺。やっぱり何かしたんじゃないか。寝ている間にこいつの貞操を奪うとか。なんかそんな感じのアレが。

 ……いや。残念ながら、やはり身に覚えはない。

 くそ。こうなりゃ直球勝負だ。


「『チェリア』ってのは、偽名、って事で良いんだよな?」


 忙しなく動いていたチェリィの身体が、不意に止まった。

 俺は真剣に、チェリィの目を見詰めた。


「…………はい。……今まで騙していて、ごめんなさい。……僕はチェリアではなくて、本名はチェリィ・ノックドゥといいます」


 どうやら、ようやく本音らしきものが登場したらしい。

 隠れていたチェリィの真実が、ようやく明かされるのか。何故かチェリィは遠慮の塊になっていて、俺はどこまでチェリィに踏み込んで良いのか、分からなくなっていたけれど……まあ、こいつが話してくれる所まで聞くとしよう。

 俺は目を閉じて、苦笑した。

 不意に、チェリィは少し自虐的に笑った。


「軽蔑、しますよね。……やっぱり、グレンさんも。許されるとは思っていないんですけど」


 ……んん。


「でも、これからノックドゥの国王としてやって行かないといけないのは、もう確実なので。……だから、できれば殴るくらいで、許してくれると嬉しいんですけど……」


 …………んん?

 あれ? ……何だろう。二人で話している筈なのに、まるで会話に付いて行けていないぞ。

 何だこれは。チェリィマジックか何かなのか。


「おい。お前は一体、何を言っているんだ」

「ご、ごめんなさいっ!! ……あの、謝って許して貰えるとは思ってないんですけど……!! でも、謝るしかないから……!!」

「そうじゃなくて、一体何について謝ってるのかって聞いてるんだよ」

「はい、ごめんなさいっ!!」


 瞬間、チェリィはふと目を丸くして、俺を見た。


「……え?」


 何故、俺が怒ると思ったのか。むしろ、その理由について聞きたい。

 ……はあ。ノックドゥに来てから、こいつとは噛み合わない話ばかりだな。俺の周囲で唯一の、まともに会話できる人間なのに。

 悲しいぜ。


「だ、だって。僕、一国の王族だっていう事を隠して、グレンさんのパーティに入っていて……」

「……それで?」

「何だか一人だけ、お金持ちの道楽みたいじゃないですか。みんな一生懸命冒険者で稼いでいるのに、僕だけ安全な場所があって……」

「……だから?」

「あの、でも、一応冒険者をやっていた時は、ノックドゥとは縁を切ってまして!! 一応、自分の稼ぎで生きていて……」


 あー……うん。

 話を推測するに……どうやらこいつは、冒険者という職業が基本的に金のない奴が死に物狂いでなる職業だと理解していて。その上で、自分だけは一国の国王っていう金持ちポジションに居て、それを後ろめたく思っていると。そういうことか。

 チェリィは今にも泣きそうな表情で、俺から目を背けていたが。……これが、富裕層と貧困層のギャップってやつか。ここまでナチュラルな勘違いは、初めて見たよ。


「チェリア……いや、チェリィ。ひとつ言って良いか」

「は、はいっ……!!」


 殴られると勘違いしたのか、チェリィは固く目を閉じて、両拳を握り締めた。

 俺は思わず、溜息を付いてしまった。


「別にお前が一国の姫だっていうのは、なんとも思わねえけどさ。……その勘違いは、むしろ冒険者の怒りを買うからやめような」


 沈黙があった。

 チェリィは目を見開いて、俺と目を合わせた。


「えっ? ……な、なんで!?」

「何でもクソもあるかよ。……あのな。お前の意見を直訳すると、『皆貧しくても苦しくても頑張ってるのに、僕だけ安全地帯でごめんなさいね、テヘッ』って事だぞ。お前馬鹿にしてんのか、って言われても仕方ないだろ」

「……えっ、……ええっ!? テヘッ!?」


 俺はチェリィの額にデコピンを放った。


「いたっ」


 裕福が故に生じる勘違いってやつだ。立場が違うと、途端に人の気持ちは理解できなくなる。魔法が得意な俺に、魔法が使えないミューの悩みが分からないのと同じだ。

 第一、そんな事を言ったらトムディも金持ちの道楽だっていう事になるじゃないか。あいつはあいつで、頑張っているんだ。

 チェリィは額を押さえて、痛そうにしていたが……やがて、上目遣いで俺を見た。


「……ごめん、なさい」


 何故か俺が虐めているような光景になっている。……こいつは男だぞ。どうしてか弱い乙女にデコピンを喰らわせたみたいな雰囲気になってんだ。

 まあ、これは必要なデコピンだろう。間違った事はしていないつもりだ。


「お前には、お前の事情があるんだろ。さっきも言ったけど、それをどうもこうも思わねえよ。人には人の生き方があって、歴史がある。考え方なんかさ、人によって違うんだから」


 チェリィは、俺の言葉を何度か反芻しているようだった。

 何度も、人の輪から外れてきた。だから、思う。

 人の評価というのは、あくまでそいつらが固まって同じように生きて来たが故に生じた、『常識』というものを基軸に考えるから生まれる。その常識の中に入ってしまうと、ひとたび違う目線の人間が混ざって来たとしても、受け入れられないのだ。

 生き方の違いは、そのまま争いに繋がる可能性がある。だから、『あまりもの』は淘汰される。本来人間は、見方の違う同種にこそ恐怖を覚えるものだ。同じ程度の知能を持っていて、何をしでかすか分からないんだから当たり前だ。

 そうやって、淘汰されてきた。

 ……俺も。


「受け入れないと、始まらないだろ。何も、言葉が通じない訳じゃないんだ。意思疎通できる相手とは、分かり合えるよ。それともお前は、俺の言葉が分からないか?」

「…………いいえ」


 呆然とそう言うチェリィに、俺は苦笑した。


「俺はさ、視野を広げたいと思ってるんだ」

「視野を?」


 身体を流して、俺は湯船に浸かった。透明な暖かい湯の中に入ると、自然と気持ちが穏やかになる。チェリィは未だ泡まみれのまま、俺の話を聞いていた。

 風呂場で真面目に語らっていると、これぞ裸の付き合い、という感じがして良いな。等と、阿呆な事を考える俺も居たけれど。


「全員と等しく同じように分かり合って、友達になるなんて無理だ。……それは、分かってる。だから、敵視してくる人間とまで無理に分かり合おうとは思わないよ。……でも、できる事なら。俺の方で視野を広げて、人を受け入れて解決する問題なら、分かり合いたい。チェリィとも、だよ」


 チェリィの表情が、変わった。その空気から、もう怯えを感じていない事を把握した。

 少し、安心する。

 俺が恐れられていたのは、きっと『自分が淘汰されるだろう』と、チェリィが思ったからだ。立場の違いに、或いは人間性の違いに。

 多分、そういう経験をして来たんだろうと思う。王族のチェリィは、一般人から見れば異質だ。余ってしまったのかもしれない。社会の輪という名の、人間の集団から。

 それならと、俺は思う。肩の上のスケゾーと同じ。立場や境遇は違っても、同じ経験をして来た人間である事に変わりはないって事だ。

 まるで分かり合えない訳じゃない。思いを共有する事はやっぱり、可能なんじゃないか。


「随分急に、態度を変えるじゃないか。……何があったのか、聞いても良いか?」


 こうやって本音を話しても駄目なら、まだチェリィは俺に心を開いていない、って事だ。

 それはそれで、仕方が無い事だとも思うけれど。

 チェリィは身体の泡を流して、俯いた。


「…………きっと、気持ち悪いと感じますよ。……グレンさんだって」


 重い話を聞くなら、空気だけでも穏やかに。


「さあ、どうだろうな?」


 軽く、笑って見せた。

 チェリィは一瞬、睨むように俺を見た――……怒っている訳ではない。緊張しているのだ。

 まなじりのつり上がった険相な表情の内側で、言外に『分かり合えない』と確信しているのが分かる。

 楽じゃないな、人と想いを共有するというのも。究極の所、俺にチェリィの抱えている闇は理解できない。それでもこうして、分かり合おうと努力しなければいけないというのは。

 チェリィは不意に、自虐的な笑みを浮かべた。


「僕は……グレンさんが言っているのは、綺麗事だと思います」

「そうか?」

「皆、心の中にフィルターを掛けているんですよ。お世辞を言ったり、建前を言ったりして。……本当の意味で分かり合うなんて無理です。人と仲良くなる難しさを知らないから、そんな事が言えるんじゃないですか」


 そんなに泣きそうな顔をして俺を見るなよ、と思う。

 俺にはチェリィの事情は分からないけど、きっとそういう風に扱われて来たんだろう。建前上は仲良くされて、裏で文句を言われるような事があったのかもしれないな。


「そう思うなら、俺を試してみたらどうだ?」

「……えっ?」

「お前の事を気持ち悪いと思うとしたら、それは俺がお前を理解できないって事だろ。話してみれば良いじゃないか、お前自身について」


 チェリィが動揺しているのが、よく分かる。

 ここで俺が揺らいだら、きっとチェリィはもう、俺に心を開いてはくれないだろう。そんな状態で、ノックドゥを支えていけるのか。答えはノーだ。

 だから、俺は聞かなければならない。


「でも多分、大丈夫だと思うぜ」


 俺は苦笑して、チェリィに言った。


「自慢にもならないけど、人に理解されなくて悩んでる奴の気持ちは、よく知ってんだ」


 チェリィの瞳が揺れた。

 やれやれ。やっと、チェリィの本音が聞ける頃だろうか。随分時間が掛かったもんだ。


「……わかり、ました。話します」


 チェリィは胸に手を当てて立ち上がり、俺に向かい合った。



「実は僕――……男じゃないんです」



 ……………………は?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る