第184話 リーシュ・クライヌ、復活です!

 リーシュ・クライヌは一人、ノース・ノックドゥの城下町を歩いていた。

 既に日も変わろうという時間なのに、通りは自慢の品物を売ろうと声を掛け合う商人で溢れ返っている。セントラル・シティでは、商人達が露店で活動できる時間が限られていたが、ノックドゥにはそれが無いのだろうか。それとも、閉店の時刻がセントラル・シティよりも遅いのかもしれない。


 そのような事を考えながら、リーシュはふと、街の中央にある花壇を見た。円形の花壇には色とりどりの花が咲いており、その周囲には座って休むためのベンチがある。リーシュはそこへ向かい、腰を下ろし、頭上の空を見上げた。

 明かりに溢れているからか、星はあまり見えない。だが、月は変わらずに光り、リーシュを照らしている。何を考える事もなく、リーシュはただぼんやりと、その月を見詰めた。


「眠れないのかい、お嬢さん?」


 声がして、リーシュは首を向けた。

 長身で目の細い男が、リーシュを見下ろすように立っていた。先程、城の会食でも話した――……ウシュク・ノックドゥだ。リーシュは作り笑いを浮かべ、ウシュクに向かって軽く会釈をした。

 ウシュクはリーシュの隣に座って、足を組んだ。


「出会った時から、随分と元気がないみたいだけど? ……何かあったのかい?」


 リーシュはノックドゥに来てから、或いはセントラル・シティに居た時からずっと考えていた事を、ウシュクに相談するべきかどうか悩んだ。

 今、リーシュはあまり、人目に付くような行動はしないようにしている。それは先のタタマの一件や、白い翼の件など、怪しまれてしまうような出来事が続いたからだが。

 俯いて、リーシュは苦笑した。


「……いえ、別に、なにも」


 ウシュクは懐から煙草を取り出して、火を点けた。大きく息を吸い込んで、月夜に向かって煙を吐き出す。リーシュはその様子を密かに窺いながら、ウシュクが去る時を待った。


「別に、なにも、か。……とても、そういう風には見えないけどねえ。ま、知らんけど」


 この男を見ていると、どこか心がざわつく。

 そのような思いが、リーシュにはあった。だから城でも積極的に話しかける事は無かったし、どこかリーシュは見て見ぬふりをしていた。ウシュクはへらへらと笑いながら、しかしどこか、内側に押し殺した感情を抱えているように見えたのだ。

 だからリーシュには、ウシュクが何かを隠しているような気がしてならなかった。

 その笑顔の内側に、黒いものが見えるような気がして。



「別に、お前さんのせいで『白い翼』が反応した訳じゃない。……そうだろ?」



 リーシュは思わず、顔を歪めた。


 ウシュクは相変わらず、煙草を咥えたまま。通りを忙しなく歩き回る商人を見ながら、ポケットに手を突っ込んだままで、リーシュにそう言う。どうしてウシュクが、その事を知っているのか。リーシュはウシュクの顔を見て、急速に不安を膨張させた。


「気にしなさんな、リーシュ・クライヌ。お前さんは前から、神経が高ぶると魔力のコントロールが効かなくなる性質だった。今回だってそうさ。誰に何を言われようが、気にする事じゃない。グレンオードにも、そういう風に言われただろ?」


 まるで当然見て来たかのように、ウシュクは言った。

 心臓の鼓動が速まる。リーシュは胸を押さえて、どうにか動悸を鎮めようとした。ウシュクは優しげな瞳をリーシュに見せて、柔和に微笑んだ。

 今すぐに、胸の中の不安を曝け出したい。そのような想いはありながら、しかしリーシュの感覚的な部分では、このウシュク・ノックドゥという男を信用してはいけないと感じている。


 リーシュは迷った。どうして良いのか分からず、言葉を失った。

 まだ、出会って時間も浅い。共有していない事が多過ぎる。……そのような中で、この男の意見を聞いても良いものだろうか。


「お前さんは悩んでいるんだ。グレンオードの飛躍的な立場の変化に、付いて行くことができるだろうか。これからもずっと、グレンオードの隣に居ることができるだろうか、ってな具合に」


 まるで心の中を見透かされているようだ。酷く気分が悪い――……だが、それは同時に安堵でもあった。周囲がリーシュに対して反感を覚えるのと同じように、リーシュの立場に共感する人間も居るのだという、ひとつの事実が示されたからだ。

 どうして良いのか分からないリーシュには、行動の指針がない。それは、頼る者が居ない状況に等しい。

 何より、グレンに相談できない内容だ。

 誰かの意見が欲しい。……しかし。


 この胸のざわつきは、杞憂だろうか。

 ウシュクは言った。


「――――そいつは、杞憂ってもんだぜ」


 共鳴する。


「……そう、でしょうか」


 胸の内から、言葉がせり上がってくる。

 リーシュは立ち上がっていた。未だ座っているウシュクの目を見詰めた。ウシュクは穏やかな笑みを浮かべ、首を傾げた。その表情に吸い込まれるように、ウシュクに対するリーシュの不安は消えていた。

 リーシュの中から、何かが消えた。


「グレン様は、すごい人です。私なんかよりも、ずっと――……今まで認められていなかったのが、不思議な位で。グレン様の周りに居る方々も、みんな、すごい人ばかりで」

「まあ、一国の所属ギルドとして見込まれる位だ。そりゃあ、そうなんだろうなあ」

「だから、私が隣にいたら、グレン様の立場を、奪ってしまうかも……しれなくて……」


 薄く目を開いたウシュクが、リーシュに問い掛ける。


「どうしてそう思う」


 ウシュクもまた、夜の広場で立ち上がった。

 煙草の灰を落として、靴でそれを踏み付けた。暗い夜の広場に、煙草の小さな明かりがひとつ。ウシュクはそれを眺めながら、再び煙草を口に咥えた。

 リーシュは、肩で息をしていた。


「……私には、魔物の血が混ざっているからです」


 それを自分の口から言うには、相当な覚悟を必要とした。

 ウシュクは再び、へらへらとした笑みを浮かべた。軽く帽子を押さえると、リーシュに向き直った。


「いやあ、実は俺、お前さんらのギルドの管理役なのよね。だからさ、リーシュちゃんが元気ないと、俺もちょいと困るんだわ」


 真実が見えない。

 だが、気付けばリーシュは、ウシュクに心を許していた。


「魔物の血が混ざってるのは、俺も知ってる。調べたからさ。……でも、それが何か関係あんのかい?」


 ウシュクは再び椅子に座ると、今度はリーシュを見ずに言った。


「――――『黒い翼』と?」


 どこまで知っているのだろうか。

 東門の戦いでは、姿を見る事は無かった。にも関わらず、ウシュクはまるで事件に立ち会ったかのように、出来事を詳細に把握している。

 誰かに聞いたのだろうか。


「……そうです。東門で見た魔物の群れは、もしかしたら私と関係があるかもしれないんです」

「魔物を裏で操っている、何かの存在があったから?」

「……そう、です」

「でも、お前さんはもうスカイガーデンの一件で、連中とは切れた筈じゃないのかい?」


 写し鏡のように、ウシュクは言った。

 まるで、鏡だ。リーシュが考えていることを、ウシュクはぴたりと言い当てて来る。リーシュはそれに疑問を持ちながらも、しかしウシュクに言った。


「魔物の先頭に居た……お爺さんが、誰かに操られていたとしたら!?」

「ラフロイグン・ショノリクス。以前は世界でも二人と居ない、優秀な剣士だった」

「私だって、操られてしまうかもしれないじゃないですか……!! 私が、私でなくなったら……もう、どうしようもないじゃないですか……!!」


 泣き叫ぶようだった。リーシュは思わず、力強くウシュクに言ってしまった。

 ウシュクは少し困ったような笑みを浮かべて、リーシュを見た。はっとして、リーシュはウシュクから目を逸らして、ウシュクの隣に座った。


「ご、ごめんなさい……」


 やり切れない。

 ウシュクに強く当たってしまった事を後悔しつつ、リーシュは言った。


「……私、幼い頃の記憶がないんです。だから、なんとなく……操られた時って、記憶が無いような感じかなって、思って」

「怖くなった?」

「私のせいで、グレン様が失脚してしまうかも……と、思って……」


 沈黙が訪れた。

 リーシュは、ウシュクを見る事ができなかった。身体ごとウシュクから離れて、少しばかりの距離を取った。

 少しだけ、相談した事を後悔していた。それは実体のない、得体の知れない後悔だったが――……ウシュクは、ノックドゥ側の人間だ。これだけ情報を持っているなら、リーシュが何を話した所で変化などない。

 それは分かっていたが、どういう訳かリーシュは、不安を覚えていた。


「じゃあ、さ。リーシュちゃんは、どうしたい?」

「……今のうちに、グレン様のギルドは抜けた方が良いんじゃないかって、考えています。何も起きていないうちに、そっと離れて」

「いやー、それは駄目だと思うぜ」


 遮るように、ウシュクは言った。リーシュは思わず、ウシュクに振り返ってしまった。

 ウシュクは煙草を地面に投げると、靴で火を消した。


「だって、そうだろ。もう、リーシュちゃんがグレンオードの仲間だっていうのは、誰もが知っている事実だ。これでギルド設立の時に居なかったら、連中はこう思うだろう。『やっぱり、リーシュ・クライヌは黒だったんだ』」


 リーシュは、下唇を噛んだ。


「そうしたら、どうなる? そんなリーシュ・クライヌを引き連れていたグレンオードだって、どれだけ信用できるか分からない。俺だったら、そう思うかなあ」


 ……確かに、それはそうかもしれない。


「じゃあ……どうしようも、無いという事ですか」


 今ここに居る時点で、リーシュはグレンに害を与えているという事だろうか。

 どうしても、そう考えてしまう。


「まあさ、本当に操られるかどうかっていうのは、実際の所分かんない訳っしょ。だったら、そこについては気にしても仕方がないんじゃないの?」


 ウシュクは手を広げて、リーシュに見せた。


「だったら後は、今の信用を取り戻せば良いっていう、ただそれだけの話じゃない。ちゃんとしたグレンオードの仲間だっていう事が分かれば、噂話なんかそのうち治まるんじゃないの? ま、どれくらいかは知らんけど」

「……そう、でしょうか」

「そうだよ。だから杞憂だって言ったんだぜ、俺は」


 リーシュはウシュクの手を取った。ウシュクはリーシュを立ち上がらせると、夜空に向かって人差し指を立てた。

 どうしようもなく、リーシュはぎこちない笑みを浮かべた。


「ギルドリーダーの就任式でさ、ギルドリーダーと国王に、酒を注ぐ役があるって言ったの、覚えてるかな。それをリーシュちゃんがやったらいいさ。どんな酒が良いかを選んで言ってくれれば、城の方で買っておくよ」

「……お酒を?」

「就任式の中でも、『盃を交わす』っていうのは重要な部分なんだ。だから、酒を注ぐ役割っていうのは、ギルドリーダーが最も信頼する人間に任せるもんなんだよね。そこにリーシュちゃんが出れば、グレンオードに最も信頼されている人間だっていう事が周囲に伝わるだろ。それで、回避できると思うよ」


 確かに、そんな役回りがあるのだとすれば。リーシュはギルドメンバーとして、周囲からも認めて貰えるかもしれない。

 そうすれば、タタマや白い翼の件も、何れ認めて貰えるかもしれない。

 そんな提案を持って来たウシュクに、リーシュは何より驚いた。城とギルドという違いはあれど、ノックドゥを護っていく立場の人間である事に変わりはない。……やはり、リーシュの不安は杞憂に過ぎなかったのだ。


「正直、今のお前さんはノックドゥでも、かなり最悪の評価だよ。そこは変わらない……けど、ギルドリーダーの側近となったら話は別だ。周囲はリーシュちゃんの存在を認めるしかないし、悪名を返上した後は、精一杯グレンオードの隣で頑張れば良いんじゃないの?」

「……私に、できるでしょうか」


 ウシュクは笑って、リーシュに言った。


「俺は、リーシュちゃんに頑張って欲しいね」


 その言葉を聞いて、リーシュにも希望が訪れた。

 まだ、自分を支えてくれる人間がいる。……それは、確かだ。そうだとしたら、今は余計な事を考えるべきではないのかもしれない。

 そうだ。まだ、自分は頑張れる。

 リーシュはようやく、ウシュクに屈託のない笑顔を見せた。


「ウシュクさんっ。……私、グレン様の所に戻ります!!」

「もう良いのかい?」

「はいっ……!! お酒の件、明日には選んでおきますので、よろしくお願いしますっ!!」


 手を振るウシュクに合わせて、リーシュは手を振り返した。

 ウシュクは、様々な事情に詳しい。その知識の量が、リーシュに怯えを抱かせていたのだろうか。実際に相談して、リーシュはようやく方向性を見付けられたような気がした。

 ギルドリーダーの就任式で、酒を注ぐ。その役割を、自分が担う。重要なことだ。しっかりとやらなければ。リーシュは拳を握り締めて、城に向かって走った。

 もう、リーシュに迷いは無かった。



「リーシュ!!」



 呼び止められて、リーシュは立ち止まった。

 驚いて、リーシュは目を丸くした。既に城の前まで戻って来ていたが――……気付けば、ヴィティアが追い掛けて来ていたようだ。ヴィティアは肩で息をしていた。走って来たのだろうか。


「……ヴィティアさん?」


 ヴィティアは暫く、呼吸を整えていた。リーシュは何もできず、ぽかんと口を開けてヴィティアを見ている事しか出来なかったが。やがて、ヴィティアは言った。


「大丈夫!?」


 何が『大丈夫』なのか、リーシュには分からなかったが。……自分の事をずっと心配してくれていた。その件だろうか。

 リーシュはファイティングポーズを取って、ヴィティアに満面の笑みを見せた。


「はいっ!! リーシュ・クライヌ、復活です!!」


 その言葉に、ヴィティアは複雑な笑みを浮かべた。

 やはり、リーシュにはヴィティアが何を考えているのか、その真意は分からなかった。


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