第十一・五章 幕間

第169話 ヴィティアとラグナスのその後……!

※ミューがヴィティアとラグナスの身体を入れ替えてから、グレン達が『カブキ』に行っている間の話です。





 ヴィティア・ルーズは、目の前が真っ暗になったような気がしていた。


「なにこれ……」


 つい先日まで、ヴィティアは確かに女性だった。だが、今はどうだろう。ヴィティアにはある筈の無いモノが付いているし、目線は今までと違い、かなり高いし、声は低過ぎて違和感が留まる所を知らない。

 ラグナスと二人一組でなければ、生活もままならない状態だ。既にトイレで叫び、風呂で叫び、ラグナスの奇行を見て叫んだ。

 一体自分の身に、何が起こったと言うのか。それさえも分からず、ヴィティアはただ呆然と、セントラル・シティの脇にあるベンチに腰掛けて、空を眺めていた。


「ヴィティアさん。ラムコーラを買って来ましたが、おひとついかがですか」

「ああ、ありがと……」


 金髪の少女が無駄に男前な雰囲気を醸し出しつつ、ヴィティアにラムコーラを手渡した。だが身長が合わないため、どこか不格好である。

 違うだろう。ヴィティア・ルーズはお前だろう。ヴィティアは思わずそう思ってしまったが、これは確かにヴィティアではなく、今まさに自分が身体を使っている、ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルその人なのだ。

 ラグナスはヴィティアの隣に座って、ヴィティアに笑みを浮かべた。


「まだ、慣れませんか」

「一生慣れる気がしないわ」

「ははは。今のうちだけですよ」


 一体何だろう、この得体の知れない自信は。ヴィティアは頬杖をついて、鏡に映る自分自身、その人を見詰めた。

 ラムコーラを啜ると、どこかいつもよりも炭酸が弱く感じる。

 ヴィティア・ルーズの身体はニヒルな笑みを浮かべて、ヴィティアにジョッキを向ける。


「君の瞳に」

「聴牌」

「はっはっは。ヴィティアさんはギャンブルが好きですね」


 単に、乾杯したく無かっただけである。第一、君の瞳にとはこの場合、一体誰の瞳を指すのだろうか。

 アホか。

 ヴィティアは思った。

 因みに聴牌とは、麻雀において、アガリ一手前の状態を示す言葉だ。

 ヴィティアは思わず、苦い顔をしてしまったが。


「あんた、私の顔でそういう顔すんのやめてくんない?」

「つまりどういう顔ですか、それは」


 全くその通りだ。ヴィティアは溜息をついた。

 恐らくこのデリカシーの欠片も存在しない男に、空気やら感情やらを読めと言った所で通用はしないだろう。ならば、どうすれば良いのか。

 自分の身体で、変な事をしでかさなければ良いのだが。


「あーあ。……グレン達、無事だと良いけど」


 ヴィティアがそう言うと、ラグナスは自信満々の笑顔で言った。


「自分の事が自分でどうにかできないような、呆けた男ではありませんよ、奴は」


 そう言ってラムコーラを口にするラグナスの表情は、どこか凛々しい。ヴィティアは思わず、ラグナスを見てしまった。


「……意外とグレンの評価高いわよね、あんた」

「意外と、とは?」

「普段、犬猿の仲みたいな顔してるじゃない。その割に二人共、なんだか信頼し合ってるって言うのかしら」

「やめてくださいよ。俺が信頼するのは、女性の尻だけです」

「尻に寄せる信頼……?」


 ヴィティアは苦笑した。

 しかし、こうして呆然と待っているというのも。グレン達が戻って来るまで、何日掛かるか分からない。ヴィティアはそのように思い立って、立ち上がった。

 宿に戻っても良いが、昼から眠りこける訳にも行かないだろう。


「ヴィティアさん、何処へ?」

「やる事も無いし、この恰好じゃミッションも受けられないし、ね。ポーカーでもやって来ようかなーと思って」

「また金を減らしにですか」

「殴るわよあんた」


 ヴィティアは自分の鞄をラグナスから奪うと、背負い立ち上がった。何もしていなければ、グレンの事が不安になってしまう。スケゾーとペアであるからこそ、グレンは強いのだ。スケゾーを失っている今、グレンがどこまで戦えるのか分からない。

 何か協力できる事があれば良いが、自分はこの状態なのである。どうしようもないのだ。


「気晴らしよ、気晴らし。負けたって別に構わない金額でやるんだから……たぶん」

「ふむ……」


 ラグナスは――と言っても、ヴィティアの見た目なのだが――俯き、考え、やがてヴィティアの方を向いた。

 丸い瞳が、ヴィティアを真っ直ぐに捉えた。


「もし何もやる事が無いのであれば、少しばかり……俺に、付き合って頂けませんか?」


 ヴィティアは思わず目を丸くして、ラグナスを見た。


「付き合う?」



 *



 ラグナスはセントラル・シティの中心地にある商業区域、花屋まで足を運んでいた。花屋の店主は気分の良さそうな顔で、ヴィティアとラグナスを迎え入れた。


「へい、らっしゃい!! お嬢さん、可愛いねえ。どの花をお探しかな?」


 花屋の店主がラグナスの――ヴィティアの身体の、肩を掴んだ。

 ラグナスは一瞬、鷹も貫いて殺しそうな程の鋭い眼光で店主を一瞥し、その手を振り払った。


「気安くヴィティアさんの身体に触れるな、下郎が。反吐が出る」

「えええ……」


 一体何を言っているんだろうか、この男は。ヴィティアは慌てて、店の奥に歩いて行くラグナスを追い掛けた。露店だが、随分と敷地を取っているようだ。


「ちょ、ちょっと……!! あんな言い方無いでしょ!? 肩を触っただけじゃない!!」

「今あの男、この身体を低俗ないやらしい目で見詰めていました」

「あんただって、いつも低俗ないやらしい目で見てるじゃない!!」

「なっ……!? 違いますよヴィティアさん!! 俺は神聖ないやらしい目で見ています!!」

「どんな目よ!!」


 ヴィティアとラグナスのやり取りを、花屋の店主が呆然と見詰めていた。

 そうだ。今自分は、男の身体を使って会話している。ヴィティアは思わず黙って、店主の視線を避けるように花々の陰に隠れた。


「男女と女男のカップルみたいになるから、静かに話しましょう」

「ふむ」


 今度は小声で、花を選ぶラグナスに耳打ちした。


「……何なのよ、急に花って。どうするつもり?」


 ラグナスはヴィティアに、花を指さして見せた。ますます意味が分からず、ヴィティアは怪訝な表情をしてしまったが。

 はっきりと、明瞭な声色で言った。



「選んで頂けませんか」



 今、静かに話そうと言ったばかりだろうが。思わず、ヴィティアはラグナスを殴りそうになってしまったが。

 よもや自分の身体から、このように快活な声が出るものだとは。

 はっきりとした滑舌でそう話すラグナスに、ヴィティアは眉をひそめてしまった。だがどうやら、ラグナスは本当にこの場所へ、花を買いに来たらしい。

 だが、目的も分からなければ趣味も分からない。ラグナスの事などよく知らないヴィティアには、花を選んでくれと言われても、ラグナスの求める結果を出す自信が無かった。

 困惑してしまう。


「選ぶって……何に使うのよ。私、花言葉なんて分からないわよ」

「良いんですよ、そんなものは。気持ちですから、直感で」

「直感なんて言われても……」

「ヴィティアさんの運を試す、良いチャンスではないですか?」


 不敵な笑みを浮かべてそう話すラグナスに、ヴィティアは思わずむっとして、胸を張った。


「馬鹿にしないでくれる? こんなもの、運試しにもならないわよ」

「ははは。それは、頼もしい」


 ……いけない。乗せられている。気付いた時には既に遅く、ヴィティアは少し悔しい気持ちになった。

 だがまあ、花を選ぶだけだ。ヴィティアは事情を知らないし、ラグナスが良いと言っているのだから、良いのだろう。ヴィティアは適当に店内を見回し、最も目立つ赤い花を指さした。


「あれなんてどう?」

「あれですか」


 名前も知らない花。ラグナスがそれを手に取ると、花屋の店主が手を叩いて笑顔を見せた。


「お目が高いな! そいつは、『ロマンスコンテ』。三年に一度しか市場に出回らない希少種だよ」


 何故か、笑顔が引き攣っているように見えるのは。ヴィティアの気のせいだったのだろうか。若干の戸惑いを覚えながらも、ヴィティアは聞いた。


「三年に一度?」

「ああ。花としちゃ、随分と珍しいんだが――……三年に一度、赤い綺麗な花を付けるんだよ。うち殆どの時を、地面の下で種として育つ。その手のマニアに好まれるんだ」


 ラグナスはふんふんと頷きながら、ロマンスコンテと呼ばれたその花を見詰めていた。その様子をただ、ヴィティアは見ていた。


「……うむ。これにしよう」

「良いの、それで?」

「ええ、構いませんよ」


 何やら、ヴィティアは奇妙な視線を店主から感じていたが。

 ラグナスはその花を選び、購入した。綺麗な紙に包んで貰うと、ラグナスは店主から花を受け取る。

 腕を組んで、ヴィティアはその様子を眺めていた。


「……私、責任持たないわよ?」

「ははは。この俺がヴィティアさんに責任を問う訳がないでしょう」


 第一、そんなものを購入して、一体どうするつもりなのか。ラグナスはふと笑みを見せて、花屋に背を向けて歩いて行く。


「すいませんヴィティアさん、ありがとうございました。俺、少しばかり行く所がありますので、これで」


 ちょっと待て、とヴィティアは思った。

 そういう訳には行かない。今、ラグナスは自分の身体を使っているのだ。人混みに紛れて姿を消すラグナスに向かって、ヴィティアは手を伸ばした。


「ちょ、ちょっと!! 待ちなさいよ!!」

「あ、ちょっとあんた」


 慌てて、ヴィティアはラグナスを追い掛けようとしたが。花屋の店主が小銭を出して、ヴィティアを呼び止めた。


「釣銭、彼女に渡してやってくれ」

「あ、すいません。どうも……」


 仕方なく、釣銭を受け取るヴィティアだった。

 花屋の店主はやたらと爽やかな笑顔をヴィティアに向けた。……少しばかり笑顔が儚い雰囲気に見えたのは、ヴィティアの気のせいだったのかどうか。


「――――愛には、色々な形があるんだね」


 ヴィティアは今この場でラグナスを追い掛けて張り倒すべきか、本気で悩んだ。



 *



 ラグナスが訪れた場所は、セントラル・シティから少し歩いた所にある、小高い丘の上だった。

 ただラグナスを追い掛け続けたヴィティアは、普段あまり訪れる事のない、その場所を見回した。そこは――墓地だ。幾つもの墓石が規則正しく整列している。ラグナスはその墓の間を通り、真っ直ぐに目的地を目指して歩いていた。

 きっと、目的の墓があるのだろう。


「……ラグナス」


 ヴィティアが問い掛けると、ラグナスは振り返った。


「ヴィティアさん。……付いて来ていたのですか」

「ずっと居たわよ。気付いてなかったわけ……?」

「すいません。集中していたもので」


 何に、だろうか。

 何かあるとは、思っていたが。ヴィティアは改めて、ラグナスの様子を観察していた。やがてラグナスは目当ての墓に辿り着いたのか、買って来た花を墓のそばに差し出した。

 手を合わせる。

 ヴィティアはその様子を、ただ眺めていた。


「……こんな事に付き合わせてしまって、申し訳ない」


 その言葉は、ヴィティアに向かって発されたようだ。ヴィティアは髪の毛を弄りながら、ラグナスから目を逸らした。

 気になってはいたのだ。

 ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルという男はいつも、グレンやその他大勢と仲良くしているようでいて、一線を引いているようにも見えた。言うべき事ははっきりと言うのに、普段はふざけて真面目な事を一切言わずにいる。その様子はどこか、ある意味では他人行儀ではないか、と。

 墓に刻まれた者の名は、『アバ・フェルディ』。

 名前を見ただけでは、男か女かの区別は付き難い。


「昔の仲間?」


 ヴィティアが問い掛けると、ラグナスは振り返り、ヴィティアを見た。


「どうして、冒険者だと?」

「なんとなく。……あんた、一人で鍛えたにしては異様に強いじゃない。だから、前は仲間が居たのかなって」


 驚いているようだったが。……やがてラグナスは、ふと微笑を浮かべた。


「……なるほど。それは、名推理ですね」


 自分が強いという事に関しては、否定しないのか。一瞬、ヴィティアはそんな事を考えてしまったが。

 ラグナスはただ墓の前に座り、丘の向こう側と空を眺めていた。

 それきり、ラグナスは何も言う事は無かった。


「……話しては、くれないのね」


 一応、ヴィティアは問い掛けてみた。

 暫しの沈黙――ヴィティアは少し、居心地が悪く感じてしまう――の後、ラグナスは不意に、口を開いた。


「ヴィティアさん。……『故人』とは、時が止まった人の事を言うような気がしませんか」


 思わず、ヴィティアはラグナスの言葉に耳を傾けた。


「この世から居なくなる、というのは、まるで建前のようです。進んでいた時間が、ある日ふと、止まってしまう。そこから未来が無くなる。……そちらの表現の方が、俺は正しいような気がする」


「……そう?」


「失った人はもう、戻って来ないと言います。でもそれは、まるで建前のようだ。どうせなら、二度と戻って来ない方が。無くなってしまった方が、気が楽で。――本当は、何度でも戻って来る。他の誰にも似ていない声も、触れればどこまでも艶やかな髪の感触も、すべるような肌の温もりも……本当は忘れてしまいたい、伝えられなかった言葉も」


 ラグナスは自身の手を広げ、見詰める。それは、昔の事を思い出しているように見えた。

 少なくとも、ヴィティアには。


「――――全て、覚えている。忘れる事などできないのに。ただ、あの日から、止まってしまった時だけが……ただ、俺のものです」


 その言葉には、信じられない程の重みがあった。普段のラグナスからは似ても似つかないような、底知れぬ深さのある何かをヴィティアは感じていた。

 時折、ラグナスはこんな顔を見せる。ただの変態かと思いきや、スカイガーデンでもはっきりと自分の意見を主張し、それだけは決して曲げる事は無かった。その様子を見ていると、不思議と表面上に見えているラグナスとは、まるで違う人物像が描き出されるのだ。

 ラグナスは苦笑して、その場に立ち上がった。


「失礼。……要らない話をしてしまいましたね。セントラル・シティに戻って、グレンオード・バーンズキッドを待ちましょう」


 ヴィティアの言葉も聞かず、ラグナスは墓に背を向ける。墓とヴィティアに背を向け、歩き出した。

 その寂しい背中には、何も書かれてはいなかった。アバ・フェルディという人間とラグナスとの間に一体何があったのか、それをラグナスが語る事は無かった。

 それはやはり、自分達にラグナスはまだ、心を開いていないのだと――……ヴィティアには、そのように映った。


「ねえ」


 ヴィティアは、ラグナスを呼び止めた。何かを質問されると、気付いたのだろう。ラグナスは足を止めたが、ヴィティアの方は向かなかった。

 ただ、ヴィティアは素直に。


「あんたどうして、下手な女好きの真似事なんかしてるわけ」


 ラグナスに、そう問い掛けた。

 ラグナスは振り返り、ヴィティアに顔を向けた。

 笑っていた。



「いえ。俺は、女性の裸が何よりも好きだ。……それだけですよ」



 その笑顔に、ヴィティアは底知れぬ寂しさを感じた。

 それきり、ラグナスはヴィティアに背を向けた。気付けば地平線近くにまで落ちて来ていた夕日が、ラグナスとヴィティアを照らした。


「……嘘ばっか」


 一人で、ここに来る予定だったのだろう。ヴィティアが付いて来た事は、予想外だったに違いない。

 墓に添えられた、目覚めるような赤い花だけは、ラグナスが居なくなってもなお、その輝きを失っていなかった。



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