第十二章 千の種族と心を通わせる魔物使い(性別不明)
第170話 嫌な夢
降りしきる雨の中、俺は膝を折り、黒焦げの草原にいた。
どこか遠くで、雷の音が聞こえて来る。すっかり肌は冷え切っている……時折身を震わせているのは寒さのせいなのか、それとも絶望しているせいなのか。俺は母さんの頭を抱きかかえた状態のまま、頭から雨を受けていた。
目の前にいる、母さん。
透き通るように美しい顔。傷一つ付いていない。まるで、眠っているかのようだ。俺はその様子を眺めながら、ただ、そこにいた。
……草原の向こう側に、誰かいる。
「グレン」
母さん?
もう一人、母さんが立っている。俺を見下ろしている――……鋭い眼光。身体の動かない俺を見て、母さんは口を開いた。
俺が見上げると、母さんは静かに、俺に向かって言う。
「どうして、お母さんの言う通りにしてくれなかったの?」
ぞわりと、悪寒が走った。
――だって。――それは。言葉にならない想いは、カラカラに乾いた喉からは出る筈もなく。俺は唇を震わせ、眉を寄せた。
母さんはぞっとするような冷たい笑みを浮かべて、血の涙を流しながら言う。
「そう。……私は、裏切られたのね?」
俺は、振り返った。
俺の背中には、これまで苦楽を共にして来た仲間達がいる。
トムディ。ヴィティア。……リーシュ。
母さんが魔法を使うと、細長い槍のような形をした氷が、母さんの手のひらから出現した。母さんはそれを、真っ直ぐにヴィティア目掛けて飛ばした。
やめろ。
声が出ない。
「グレン……!! 助けて!! グレン!!」
俺の身体は動かない。
涙ながらに、俺に助けを求めるヴィティア。だが、俺にはどうする事もできずに――……ヴィティアを、氷の槍が貫いた。
為す術もない。
ヴィティアの身体に、孔が開く。うつ伏せに、地面に倒れ込んだ。
ヴィティア……!!
違う。……裏切った訳じゃない。俺はずっと、母さんを助けようと思っていた。ほんの少しでも母さんの生活が楽になればって、必死で考えていた。
母さんが戦っていたように、俺だって戦っていた。
「グレン!! ……大丈夫だ、この至高の聖職者が、今助けるからね!!」
駄目だ、やめろ、トムディ。ここに来るな。
駆け寄ってくるトムディが、ヴィティアと同じように、氷の槍に貫かれる。
ああっ……!!
トムディ……!!
「貴女は、避けないわよね?」
母さんが、何かを言っている。
俺の背中には、リーシュだけが残っている。
剣を捨て、そこに立っている。リーシュは涙を流していたが、俺に向かって微笑んだ。
逃げろ、リーシュ。
そう思ったが、やはり声は出なかった。
「グレン様」
少し、リーシュは残念そうに。
「ごめんなさい」
一言だけ、俺にそう言った。
リーシュの身体が、貫かれる。
……リーシュは、違う。リーシュは誰かに言われて、母さんを攻撃したんだ。リーシュ自身、その事を知ってからショックを受けているようだった。記憶も無かった。リーシュには幼少期の記憶が無いんだ。
確かに母さんは、できる事をやっていた。でも、それは誰だって同じだろ?
俺だって、自分にできる事をやっていたよ。
あの日の俺に、できる事を。
いつだってそうだ。
俺はいつだって、必死だった。
なら、誰が悪い?
この中に、悪い人間なんていない。
そうだろ?
景色は消え、気が付けば俺は、何もない、暗澹とした世界の中にいた。
俺は頭を抱えて、地面に蹲ったまま。
「だったらあのまま、少しずつ死んでいく母さんを放っておけって言うのか!? 他にどうしようも無かっただろ!? どうしようもなかった!! 俺にどうしろって言うんだ!! どうしたら助けられたって言うんだよ!!」
誰も聞いていない。
「違う……!!」
暗闇の中で、俺は叫んだ。
「俺が悪い……!! 俺が弱いから悪い……!! それでいい。それで良いから、もう俺から何も奪わないでくれよ……!!」
頭を抱えた。
ふと、俺と同じように、俺の頭を抱える人がいた。
「グレン」
……母さん。
「ごめんね」
目を覚ました。
「……はあっ!! ……はあっ!! ……はあっ!!」
宿部屋の天井が見える。
全身、汗塗れだった。呼吸は荒いし、酷く頭が痛い。起き上がり、頭を押さえた。頭や腕がズキズキと痛むのは、リーガルオンとの戦闘で、スケゾーと高い共有率を維持し続けたせいだ。
……そうだ、皆は。
俺と同じように、同じ部屋で眠っている。
「くそ…………!!」
やり切れない。
*
どうにも最近、身体が重い。
「ご主人、身体に変化があるんじゃねーですか?」
「んー」
俺の肩で、ふとスケゾーがそんな事を言った。
セントラル・シティの敷地内。少し広くなっている場所には、ベンチが二つある。俺はそのベンチに座って、遠くでクレープを焼いているオヤジを漠然と見詰めていた。
「何もないよ。別に、いつも通りだろ」
全然、いつも通りじゃない。
「……やせ我慢は、しねえ方が良いと思うんスけどね」
リーガルオンとの一戦から、俺の身体には明らかな異変が訪れている。今の所、スケゾー以外の周囲には悟られずに日々を過ごす事ができているが。両腕が痺れて、本当はまるで感覚が無い。
動いているのが不思議な位だ。慢性的に睡眠不足で、夜中に何度も目が覚める。悪夢もよく見るようになった。頭痛も頻繁にある。
こんな状態で、よく生きているものだと思う。
クレープ屋の前で唸っているリーシュを横目に、俺は言った。
「なあ、スケゾー。……休んでりゃ、良くなるよな」
暫しの沈黙。
スケゾーは、何も言わなかった。
そりゃあ、そうだ。俺だって、スケゾーだって初めての出来事だ。こいつに聞いて分かるなら、何も苦労はしない。だからこそ俺は今、こんなに困っている訳であって。
魔力については知識の多い魔導士界隈と言えど、魔物と魔力を共有したなんて話はそう多くはない。魔力共有における反動や副作用について書かれた文献なんて、そりゃあ世間に転がっている訳が無い。
そもそも、魔物と人間は相容れないのが世の常なのだから。
リーシュの隣で欠伸をしている魔物。ネコべロスとか言っただろうか……結局空を飛んで、リーシュに付いて来てしまった。クレープ屋の店主が、その異様な姿にビビりまくっている。
……人間と魔物は相容れないのが世の常、の筈なんだけどなあ。
「す、すごい魔物だね」
「あ、大丈夫ですよ。タタマは何もしませんから」
世間話のような態度で、リーシュはクレープ屋の店主に言っているが。
あのサイズでは、付いて行こうとするのを無理に止める事は難しい。実際、止めようと思ったら戦うしか無かった訳で……船の後ろからバッサバッサと音が聞こえるのを、俺は聞いていない事にしていたが。
消耗したあの状態で戦えるとも思わなかったし、第一別に害はない魔物だ。戦いたくない。
それでもやっぱり、街にまで付いて来られてしまうと……問題だよなあ。
「へえ。タタマって言うんだ、その魔物」
「はいっ。首が二つあるので、私はタマタマが良かったのですが……皆さんに止められまして」
「そりゃあ、止められるだろうね」
そりゃあ止めるよ。
付いて来られている当の本人は、まるで気にする様子がない。……神話にも登場する、森の守護神じゃなかったのかよ。もはやこれでは、リーシュのガーディアンのように見える。
「ええっ!? 駄目ですか!? 可愛いじゃないですか、タマタマ」
「ええっ……ま、まあ、可愛いかもしれないね……ある意味?」
だからある意味って何だよ。どこに意味を見い出してるんだよ。
「大丈夫っスかね、あれ」
同じ事を考えていたのか、スケゾーがそんな事を俺に聞いた。
「あれって、タタマのことか?」
「そりゃあ、まあ」
「……まあ、大丈夫ではない、よな」
セントラル・シティに戻って来てから数日以上が経つが、未だに治安保護隊員辺りが動いて来る気配もない。流石に噂はされているようだが……実害が無ければ、放置しても大丈夫なのかどうか。
それよりも、あの大きな魔物に寄り添われているせいで、リーシュは行く先々で注目の的だ。そっちの方が問題な気がするが。
俺も協力したが、どうしてもタタマは、リーシュから離れようとしない。
困ったもんだ。
「そのうち飽きて、どっか行くんじゃないか」
「そうっスかねえ」
……まあ何にしても、一時の平和は戻って来たという訳だ。
悪さをしない魔物なんて、ぶっちゃけ今はどうでもいい。考えなければならないのは、悪さをする可能性のある方だろう。
最近は、冒険者の緊急招集なんて珍しい話ではなくなったらしい。俺はまだ、経験していないが……数日に一度は、セントラル・シティに魔物の群れが襲い掛かって来るのだ。
「セントラル・シティに魔物が来てるって、本当だったんだな」
別に、クラン・ヴィ・エンシェントを疑っていた訳では無いけれど。
「そうっスね。大した事ねーと思ってましたが」
「これから更に敵が強くなるとしたら、街の中にまで入って来る事も考えられるからな。魔力共有だけは、いつでも出来るようにしといてくれよ」
そう言うと、スケゾーはふと表情を曇らせた。
「……ご主人」
「ん?」
リーシュがようやく、ジンジャーチョコクレープを選んだようだ。クレープ屋の店主が生地を焼き始めている。
おお、薄い。
「魔力共有は、暫く止めた方が良いかもしれねえっスね」
俺は、スケゾーを見た。
「……お前の気持ちは、分からないでもないけどさ」
はいそうですか、じゃあ魔力共有を止めましょう、という訳には中々、行かない。
敵が強くなり過ぎている。ゴールデンクリスタルの存在を知ってからというもの、俺の周りの戦闘力は留まる所を知らない程に上昇していて、昨日は通用していた戦術が今日は通用しない。そんな状態になっている。
実際、バレル・ド・バランタインに始まり、ヒューマン・カジノ・コロシアム、スカイガーデン、カブキと、相手の強さは底上げを続けている。
敵が弱くなりでもしない限り、魔力共有をしないで戦える相手じゃない。
「仕方ないだろ。他に手段がないんだから」
「ご主人。……人間に手は、二本しかねーんですよ」
不意に、スケゾーはそんな事を言った。
俺は、スケゾーを見た。
「人を抱えれば、重荷は増える。でも、抱えられる人間の数には、限度があるんスよ。何でも背負える訳じゃねえ」
「……スケゾー。でもな」
「使えねえ仲間は、切り捨てて進むべきだ」
俺は、肩のスケゾーを掴んで、正面に持って来た。スケゾーと視線を合わせる。
……冗談を言っているようには、見えない。
「スケゾー」
「適当に見限れ、って言ってんじゃねーですよ。取捨選択をしろって話をしてるんス」
「取捨選択って、お前な。見捨てろって言ってんのと同じじゃねえか」
「ご主人が作って来た仲間が、本当に転び方を知らない程使えねえなら、そうするしかねえ」
俺は思わず、口をへの字に歪めてしまった。
「ひと一人の手は二本しかねえんだから、使える仲間と協力するしかねーでしょう」
……こいつは、一本取られたな。
俺は溜息をついて、スケゾーをベンチに戻した。スケゾーは少し笑って、俺を見ていたが。……うまく言い包められてしまったものだ。
「……俺だって、別にあいつらの力を信じていない訳じゃないよ。……でも、まだ成長段階だろ」
「ま、そりゃあそうっスけどね。とにかく、これ以上の魔力共有は危険っスよ。緊急の場合を除いて、使うべきじゃねえ」
「分かったよ。……ったく、うるせーな」
俺の身を案じてくれているのだ。ここは、素直に受け取っておくべきだろう。
「グレン様!!」
リーシュが駆け寄ってくる。その後ろにはネコベロスのタタマが……こうして見ると、異様な迫力があるな。
俺はベンチから立ち上がって、リーシュを迎えた。
「ジンジャーチョコクレープ、ゲットしました!!」
「おー、ありがとうリーシュ」
「くれてやります!」
「どうぞで良いだろ、そこは」
俺は手を出して、リーシュの持っているクレープを受け取る。
あっ。
一瞬の出来事だったが。リーシュが手を離して、俺はそのクレープを掴めなかった。俺とリーシュの目線は地に落ち、落下したクレープは地面に着地すると、べちゃりと音を立てた。
…………しまった。
「あっ……ご、ごめんなさい! 手を離すのが早すぎましたね……」
「あ……いや」
リーシュはそう言って、慌てていたが。
違う。……今のは、俺が受け取り損ねたせいだ。
……クレープを握る瞬間、左手に感覚が無かった。ちゃんと持てたのかどうか分からず、力を抜いてしまったのだ。
今もなお、手には感覚がない。
「ごめんなさい……折角買ったのに」
「あー、いいよいいよ!! 俺も悪かったな、ちょっと手が滑っちゃってさ。代わりの代金、俺が払うから――……」
言いながら、俺は冷や汗をかいていた。
俺…………大丈夫か?
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