第155話 頭を使え!
トムディ・ディーンは今、この『カブキ』に来てから一番の絶望と戦っていた。
「頑張ってください!! トムディさんっ!!」
岩陰に隠れて、チェリアが一生懸命、トムディを応援している。
そう。チェリアはまだ、知らないのだ。トムディのポケットから魔法石が零れてしまったがために、今現在のトムディがまるきり無力である事を。
向かいに立っているロング・ジョンは、その筋骨隆々で巨大な腕を回して、ウォーミングアップをしているようだった。
トムディは、思った。
「うイ――……よーしチビガキ、覚悟しとけよおー」
まず、顔が怖すぎる。
一体何なのだろうか、この巨体は。既に人の顔をしていない――……と思うのは、トムディだからだろうか。それとも、他の人間でもそう思うのだろうか。
目の下の隈が、もはや入れ墨ではないかと思える程に深い。歯は牙のように鋭く尖っていて、目玉は今にも落ちて来そうな程にぎょろりとしている。
これは、人間なのだろうか。
「……チェリア」
トムディは、チェリアに助けを求めようと思った。
「はいっ!! 援護は任せてくださいっ!!」
駄目だ。
この細い少年に、この化物の相手をさせる訳にはいかない。
若干の理不尽を感じつつも、トムディは杖を取った。盾のように構え、ロング・ジョンと相対する。
……やるしかないのだ。それが例え、どのような相手であっても。ここでトムディがこの化物を押さえておかなければ、やがてその牙は仲間に向くだろう。
バラバラにされた時点で、戦況は圧倒的に不利。その構図が見えていたトムディは、胸に若干の勇気を。
「来いっ!! 僕が相手になってやっ――――――――」
そう、叫んだ瞬間だった。
トムディの真上を、何かが猛スピードで通り過ぎた。サウス・マウンテンサイドから装備していて、自分のアイデンティティにもなっている王冠が盛大に吹っ飛び、山から遥か遠くへと消える。
思わず、トムディは背後を振り返った。
……何? 何が起こったの?
トムディはただ、自分の頭から王冠が無くなったという事実だけを目の当たりにしていた。
「行くまでもねーわ」
チェリアが呆然として、トムディを見ている。何かをした筈のロング・ジョンは、相変わらずトムディとは離れた距離にいる。
……いや、待て。よく見れば、奴の太い腕に亀裂が入っている。
ぞわりと、トムディの背筋が凍った。
「俺の腕は、セントラル・シティからマウンテンサイド位までは伸びるんだぜ。すげーだろ」
筋肉が割れて、その向こう側に動く銀色の何かが見える。
あれは――……バネ、か?
「んううぅぅぅ――――っ!!」
大きく、ロング・ジョンが腕を振り被る。……なんだ、あの、阿呆なポーズは。
トムディは、笑顔とも苦い顔とも取れる、微妙な表情をしていたが。
「【
ロングの右腕が、魔力によるものか、二倍程に巨大化した。
……ただでさえ大きいのに。
そして何だ、その意味不明な魔法の名前は。
トムディは、そう思ったが。
ゴゥッ。
謎の音がトムディの耳に届いたかと思うと、トムディの真横をロングの拳が通過した。風でトムディの髪は舞い上がり、そして―ー……元に戻る。
トムディは、ロングの放った拳の先を見た。
そこだけ、綺麗に山が無くなっていた。
「あれ? おかしいな。外したか」
フッ、と。
あまりの出来事に、トムディは思わず一瞬、笑みを浮かべた。
「ギャアアアァァアァァァァ――――――――!!」
叫んで逃げ出したのは、その二秒後の出来事だった。
岩陰に隠れているチェリアの腕を引っ掴み、勢い良く山を駆け下りる。
チェリアは帽子を押さえて、トムディに合わせて走った。殆ど落下しているような速度で、トムディは山を降りていた。
人間、危機が訪れると身体は動くものである。
「トムディさんっ!? だ、大丈夫ですよ!! グレンさんやキャメロンさんだって、あんな敵と何度も戦って来たじゃないですか!!」
チェリアの言葉に、トムディはチェリアの両肩を掴んだ。
「魔法石が無いんだあああアァァァァ――――!!」
「へっ?」
チェリアの惚けた顔は、妙に愛らしかったが。
「僕の魔法は、魔法石が無いと使えないんだ!! だから今、僕は何もできないんだああアァァァ!!」
一瞬、チェリアの瞳が空中を泳いだ。現状を把握しているようで、そして……状況が理解できると、チェリアは絶望的な表情をしていた。
「どうするんですかああぁぁぁ!!」
「どうしよオオォォォ!!」
何故か叫びながら二人、どうにか打開策を考える。そうしている間にも、山頂から降り注ぐロングの拳が、まるで隕石のように二人の近くに落下した。
ぎくりとして、トムディとチェリアはその場に固まった。山頂からジャンプしたロングが、とてつもない勢いでトムディとチェリアの隣に落下する。
ぎろりと、化物が二人を睨んだ。
「ギャアアァァァァァ――――!!」
二人はロングを見て、思わず叫んでしまったが。
「……お前等、戦う気……あんの?」
ロングがそう言って、首を傾げる。
トムディは考えた。……どうにか、この化物の気を逸らす事は出来ないものだろうか。弱点と思えるのは、恐らく食べ物。だが、トムディは何も持っていない。
そうだ。トムディはチェリアを見て、気付いた。
「ロ、ロング・ジョン……だったっけ? ……ふふ、実はね。僕達は、君と戦う気は無かったんだ」
「ええっ!? ……そうなのか!? 何しに来たんだよお前等!!」
トムディは、チェリアに目配せをした。チェリアはトムディの作戦に気付いたのか、やや強張った顔で笑みを見せ、頷いた。
良かった、相手が馬鹿で。トムディは、そう思った。チェリアのリュックをトムディは持ち、それをロングに見せた。
「ここいらで、お菓子パーティーと行こうじゃないか!!」
「おおっ!? それは良いな!!」
チェリアのリュックを開ける。……その殆どは魔物用の食べ物ばかりだったが。しかし、人間の食べ物も無い訳ではない。
この場合、ロング・ジョンにはどちらが当て嵌まるのだろうか。つい、そんな事を考えてしまうトムディだったが。
ロングは涎を垂らして、トムディに言った。
「じゃあ、俺にはドラゴンの肉をくれよ!! 俺、あれが好きなんだよなー」
トムディは、固まった。
「……ドラゴンの肉?」
「……ないのか?」
「…………」
「…………?」
トムディとロングは、顔を見合わせた。
手早くリュックに荷物を戻して、それをチェリアが背負う。チェリアはロングに向かって指をさし、その背後からヘドロスライムが飛んだ。
「たあっ!! ヘッド君、溶解液!!」
ヘドロスライムの放った溶解液がロングの目に入った。
「ギャアアアアアアアア!!」
涙を流して、ロングが叫ぶ。その声に合わせて、トムディとチェリアはロングから逃げ、隠れた。
肩で息をしつつ、呼吸を殺す。この程度の抵抗では、ロングを足止めする事は殆ど出来ない筈だ。そう考えたトムディは道から森へと入り、こちらは身を隠した状態で、ロングの動向を確認できる位置に身を潜めた。
「お……俺は……なんって、アホな罠に……!!」
どうやら、ロングは大層怒っているようだ。そんな事は一目で分かる。トムディは小声で、チェリアに言った。
「完璧なアドリブだったよ、チェリア……!!」
トムディが親指を立てると、チェリアが首を傾げた。
「えっ? そういう指示じゃなかったんですか?」
……。
トムディは暫し、真顔でチェリアの事を見詰めていたが。
「まあ、そうなんだけど」
トムディは嘘をついた。
あの一瞬の目配せで、そこまで指示が出来るわけがない。トムディはそう思ったが、チェリアがそうだと信じてくれている以上、そうだという事にしておきたかった。
とにかく、どうにかしてあのロング・ジョンという化物の動きを止めなければならない。もし仮に平和的解決を望んだとして、あの様子では本来の目的を思い出した瞬間、トムディとチェリアは殴り潰されてしまうだろう。
トムディは、チェリアに言った。
「ねえ、チェリア。……本当に、ほんっとーに、魔物使いとして、何も技はないの? とっておきの切り札とかないの?」
「そ、そう言われましても……」
チェリアが前に抱えたリュックの中で、小さな魔物達が不安そうに様子を見守っている。
……確かに、こんなにも小さな魔物達では。あの巨大な化物と張り合うだけの技は、無いのかもしれない。しかし、この場に居るのはトムディとチェリアと、この魔物達だけなのだ。
トムディは魔物達を指さして、小声で言った。
「そもそも、君達は何ができるのさ……!!」
チェリアは、ヘドロスライムを手に取った。ぐにぐにと形を変えている。
「ヘッド君です。自在に形が変わります。……あと、ちょっと溶解液とか出ます」
「わあ、おもしろい」
チェリアは、モアイゴーレムを手に取った。トムディの手の平に、軽くジャブを入れた。
「モアイ君です。他の子よりは、力が強めです。……あと、一番素直です」
「おお、良い子だねー」
チェリアは、リトルフェアリーを手に取った。チェリアの手の平の上で踊るように飛んでいる。
「リトルちゃんです。少し魔法とか使えます。……攻撃魔法以外」
「まあ、便利」
トムディは手を合わせて微笑み、直後に言った。
「……全然駄目じゃないかよおオォォォ……!!」
これで、どうやって戦えと言うのだ。頭を抱えるトムディだったが。
チェリアが俯いて、ぽつりと呟いた。
「……一応、まだ練習中の大技が……ひとつだけ」
「や、やった!! そう、そういうやつだよチェリア!! それで戦おう!!」
「で、でも……!! これは本当にまだ、練習中で……!! ものすごく時間が掛かっちゃうんです。だから、使い物にならなくて……!!」
瞬間、トムディとチェリアの隣の森が突如として消失した。
「この野郎ォ――――!! 俺を騙したな……!! 出て来い!!」
ロングが叫んでいる。とにかく何かをしなければ、いずれ見付かるか、この森諸共消し飛ぶだけだ。
パニックになりそうな頭をどうにか制御しつつ、トムディは策を練った。
「時間って、どれくらい……!?」
「ごめんなさい、結構掛かる、としか……しかも大振りなので、外れやすいと思います。そこがなんとかなれば、一応火力はあると思いますが……!!」
ということは、時間を稼げば良い、ということだ。
あの怪物を放置して準備すれば、簡単に避けられてしまうだろう。あの巨体で、意外な程に身軽なのだ。そして、攻撃のリーチとパワーが桁違い。場合によっては、森ごと壊滅させられてしまうかもしれない。
つまり、足止めが必要だ。絶対に、チェリアの大技が当たる……何らかの、足止め。この場に居るのはトムディとチェリアのみ。ということは、どうしても二人で協力して、ロングを停止させなければならない。
トムディは、気付いた。
「分かった、チェリア。作戦を伝えるよ」
「は、はい……!!」
トムディはチェリアの両肩を掴んで、真っ直ぐにチェリアの目を見た。大きな丸い瞳が、トムディの真剣な眼差しに動揺する。
そうしてトムディは、言った。
「――――服を、脱いでくれないか」
思わずといった様子で、チェリアが呟いた。
「ラグナスさんですか……?」
*
戦いの準備は、万端だ。
トムディとチェリアは離れ、互いの持ち場についた。ロング・ジョンは大暴れして、もはや誰にも止められない様子だ。だから、彼の攻撃が向かい難い背後でトムディは待機していた。
姿が見付からなくて、苦労しているのだろう。魔力に過敏なタイプだとは思えない――……隠れられてしまえば、相手の居場所が分からないのだ。
しかし、チェリアのヘドロスライムが溶解液を目に掛けたと思ったが。特に失明する事もなく、ロング・ジョンは赤くなった目から涙を流しているだけだ。……あの溶解液、一応チェリアの服を溶かす位には威力があった筈だが。やはり、化物だろうか。
「ちまちま隠れやがって、チビガキがああうああ!! 俺は強いんだぞ!! 理解させてやる!!」
だが。……どんな化物であれ、アホである事に変わりはない。
トムディは、密かに笑みを浮かべた。
「うがああぁぁぁ!! ……こうなったら、森ごと潰してやるぞ……!!」
直線上の木々を破壊しようと、ロングが拳を振り被る。
今だ。
「……あの、ちょっとすいません」
ロング・ジョンがその声に視線を向ける。
「あ……!?」
「実は、道に迷ってしまって……『カブキ』はどちらか、教えて頂けませんか?」
唐突な出来事で、ロングは思わずといった様子で首を傾げた。
そこには、ヘアクリップで髪をアップにした――……チェリアが立っていたのである。
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