第154話 なんで、殺さないんスか!

「ところで、ミュー。そっちはどうだった?」

「何も……問題、ないわ」


 リーガルオンの言葉に、ミューはそう返答した。リーガルオンはミューが連れているスケゾーを一目見ると、そのまま歩いて行って、自分の席に座った。

 金色の王座。リーガルオンが好んで座っている席だ。そのそばに並んでいる一升瓶を開け、リーガルオンは酒を飲み始めた。


「アー。……ところでお前、いつまでそいつを連れてんだよ。さっさと殺しちまえよ、面倒だから」


 リーガルオンはどこか、不機嫌なように見えた。もう、グレンオードの仲間の誰かはリーガルオンに攻撃されてしまったのだろうか。そのような事を、ミューは考えたが。


「言ったでしょう……。この使い魔が居ないと、グレンオード・バーンズキッドが……現れないのよ……」


 ミューがそう反論すると、リーガルオンは何気無い表情で答えた。


「グレンオード・バーンズキッドなら心配しなくても、もう二度と現れねえよ」


 その言葉にミューは思わず、スケゾーを見た。

 ……そうか。不幸にも、リーガルオンの所にグレンは行ってしまったのだ。あの大通りの広場でグレンオードの仲間をバラバラにする事は、リーガルオンの予定通りだった。だが、リーガルオンの所に誰が行くのか。それだけは未知数で、誰にも分からない部分だったが。

 やはり、この男の望むように運命は転がるのだろうか。ミューはそんな事を考えてしまった。

 リーガルオンは王座に座り、嘲笑していた。


「大したことは無かったがな。……くはは、あんな奴が厄介者扱いされるなら、この組織も大した事はねえな。俺の天下って事だ。なァ!!」


 ミューは同時に、スケゾーを見て安堵もした。

 グレンオード・バーンズキッドの命は、この使い魔であるスケゾーが握っている。もしもグレンオードが本当に死んでいるのだとすれば、スケゾー本体にも影響がある。少なくとも、絶望しているべきだ。


 しかし、スケゾーは体力こそ失っていたものの、まだ希望の光を持っているように見えた。彼はグレンの命も同然だから、余計な事をして攻撃されないように、甘んじてこの場所に留まっている。そうでないのなら、とうに抜け出す策を練っているに違いない。


「だから、さっさと殺せよ。何なら、俺がやってやろうか?」


 リーガルオンの言葉に、ミューは首を横に振った。


「……リーガルオン、あなたは……グレンオード・バーンズキッドを、甘く見ているわ。彼は、そう簡単には死なない……」

「簡単に、ったってなァ。上半身と下半身を切断したんだぜ? ……生きてる訳ねェだろ」


 思わずミューは、心臓を握られたような衝撃を覚えた。……だが、悟られてはならない。

 グレンオードの事を気に掛けているようでは、いけない。自分は、この男の部下なのだから。


「……きっと、生きているわ。……そして彼は、この場所に来る」


 リーガルオンは、ミューの言葉に怪訝な顔をしていたが。


「…………そうか。だったら、お前がやるって事で良いんだな?」


 ミューは、首を縦に振った。


「しかし、そうか回復力か。そういう事なら、分からないでもねェが……くはは、とは言ってもあの実力じゃなァ!! ゴミクズが何回再生した所で、所詮ゴミクズじゃねえか。くはは、そうかリサイクルか!! だったらウケるな、おい!!」


 もう、リーガルオンと話す事は何も無い。ミューは、その場を後にした。

 ミューがここに居たのは、リーガルオンが誰と当たり、どうなったのかが気になっていたからだ。ならば、まだ――……事件は何も、収束していないのだろう。

 リーガルオンの言葉を無視して、ミューは部屋の扉に手を掛けた。


「おい、ミュー」


 不意に背中から、背筋が凍るような冷たい声が投げ掛けられた。ミューはぎくりとして立ち止まり、振り返った。

 大丈夫だ。……リーガルオンはこんな事では、怒らない。それ程に小物ではない、が。



「――――出来るんだよな?」



 目標を仕留められない時。……それは、同時にミューが『不要』だと判断される瞬間でもある。

 それだけは、避けなければならない。そうなれば、容赦無くリーガルオンは、自分を殺すだろう。ミューはリーガルオンに無表情を貫いて、ただ、一言だけを口にした。


「……馬鹿にしないで、って……何度言ったら、分かるの」


 リーガルオンはその言葉を聞いて、満足したようだった。


「よし。……じゃあ、グレンオードがここに来たら、お前を呼ぶ。それか、お前が見付けたらここに来い。俺が見ていてやるよ」


 ミューは、頷いた。

 リーガルオンはふと微笑みを浮かべ、腕を組んで目を閉じた。


「もうすぐ、お前を拾って十年だな。……そうだな、これを機に、パーティーでもやるか? 盛大に。どうだ?」


 遠い昔に、思いを馳せているのだろうか。


「……必要……無いわ」

「じゃあ、お前の嫌いな奴を一人、殺してやろうか。十年記念だ」


 そう言って、リーガルオンは酒をミューに見せる。

 殺して欲しい、人間。

 ミューはじっと落ち着いた瞳で、リーガルオンを見た。


「……ええ、そうね。……考えておくわ」


 まさか。ミューは、考え直した。

 そうして目を閉じ、部屋を出て行った。

『キンパクジ』は、広い。リーガルオンが廃墟になったこの場所に、無理矢理建てた金色の城だ。趣味の悪い金ばかりの世界には、暖かみは感じられない。

 それでもミューは、廊下を歩く。


「……何で、殺さないんスか」


 半透明な箱の中で、スケゾーがミューに問い掛ける。ミューは廊下を歩きながら、スケゾーの言葉を聞いていた。

 この、金色の城は。歩けど歩けど、冷たい場所だ。ふとすると凍えて、その場に立ち止まってしまいそうになる。

 ミューは、廊下の奥にある窓まで辿り着いていた。その窓枠に肘を乗せて、外を見た。

 目を閉じればいつも、雨の音が聞こえて来る。


『魔力が無いなんて、知らなかったんだ!!』


 その声は、今でも明瞭に思い出す事ができる。

 キャメロンの探して来た夫婦は、確かに資産を持っていた。……だが、キャメロンが正しい説明をしなかったからだろう。ミューに生まれつき魔力が無いと知った夫婦は、途端に取り乱し始めた。まさか、『障害児』であると――……そのような声も、聞いた事があった。


 どうにか魔力を発現させられないかと、夫婦はミューを魔導士の所に預けるなど、様々な事をした。……だが結局の所、ミューの魔力については『体質』としか言いようが無いらしく、発現は不可能に近い状況だった。

 それを知って絶望した夫婦は、結局の所、ミューを捨てる事になった。

 その理由は分からない。だが、夫婦は魔力を持った子供が欲しかった。それしか、まだ幼いミューには理解する事ができなかった。


『……ここで、待っているのよ』


 ある日のことだ。ミューの母親代理はそう言って、ミューをゴミ捨て場に置いて行った。その場所が何を意味しているのか位は、ミューにも分かった。

 何にせよ自分は、あの家庭に受け入れられなかったのだ、と。

 ミューは、終始無言だった。元々、信用していなかった。こうなる事も当然だった、とさえ思った。


 行く当てなど、始めから無い。ミューはゴミ捨て場のゴミを利用して屋根を作り、小さな家で、泥だらけのままで、キャメロンの事を想った。……キャメロンが、あの家庭に入れたのだ。この話は、キャメロンにきっと届くだろう。

 そうしてキャメロンは、あの夫婦を叱り飛ばすに違いない。

 ミューは、他の家庭には受け入れられない。……元々、受け入れてくれたのは孤児院だけだった。キャメロンは、ミューが貧しい生活になる事を嫌がっているようだったが。どれだけ貧しくとも、それしか道は無いのだ。


 むしろミューにとっては、その方が楽だった。

 貧しくとも。受け入れてくれる人が居る方が、ずっと良い。

 そうすればミューは、救われる。


 きっとキャメロンが、助けに来てくれるはずだ。そう信じて、ミューは雨の日も風の日も、その場所でキャメロンを待った。


『おう、大変だな。ミュー・ムーイッシュ、お前を俺の部下に加えたいんだが――……』


 変な金色の装飾ばかりを身に着けた男にも、耳を貸す事は無かった。

 その男には耳を貸さず、ミューはキャメロンを待った。時間が経てば空腹は酷くなり、その場所から動く事も出来なくなった。雨の日に口を開けていれば、水が飛び込んでくる。そうして、短い時を耐え忍んだ。


『おい、お前、まだ俺の話を聞かないつもりか?』


 ミューは、その男に耳を貸す事はなかった。

 やがて――……そのゴミ捨て場で、ミューの意識は遠のいた。水だけを頼りに生きて来て、どれだけの時が経ったのだろうか。幼いミューには、よく分からなかったが。

 毎日、その金色の男はミューの所を訪れていた。毎日、ミューに話し掛け続けた。まるでゴミを見るような目で、しかしその内側に、期待の色を見せながら。

 その日も、男は来た。そうして、男が言った。


『お前、そこで死ぬつもりか?』


 空腹で動けないミューの所に、その言葉は投げ掛けられた。ミューは初めて、その男の声を聞いた。

 この場所には、その男以外、誰も居ないのだと。今更ながらに、噛み締めたのだ。

 男は屈み込んで、ミューの目を覗き込んだ。


『俺はお前、利用価値があると思ってるんだけどなァ。……死んだ方が良いと思うなら、やっぱり見込み違いか? それを、見極めようと思ってたんだけどなァ』


 ミューは初めて、男の目を見た。

 どこまでも凍て付くような瞳だった。何者も信用していないと、その顔が語っていた。だからこそ、ミューに話し掛けはするが、助ける事は無かったのだろう。

 その男はただ、ミューに利用価値があるのか無いのか。そんな事を考えているように思えた。


『死にたいのか?』


 ミューは、首を横に振った。


『……お兄ちゃんに、逢いたい。……お兄ちゃんを、待っているの』


 もしかしたら、この男が見付けて来てはくれないだろうか。

 きっとまだ、事情を知らされていないだけなのだろう。キャメロンは、優しい男だ――優しい男だったと、思う。ミューがこうなればきっと、キャメロンは助けに来てくれるはずだ。

 あの優しい男が、助けに来ないはずがない。


『くはは、お前そんなの待ってたのか!? ……なんだ、てっきり俺は死にてえもんだとばかり――』


 男は、嘲笑った。


『来る訳ねえだろ、そんなモン』


 そして、まるでそれが当然のように、言った。


『……来る……お兄ちゃんは、貧しかっただけなの。……勝手な事、言わないで……』

『そうだ。キャメロン・ブリッツは、一人で働く事が難しい程、身体が弱かった』


 どうして、この男が『お兄ちゃん』の名前を知っているのか。そんな事は、気にならなかった。

 ミューに、そんな事を考える判断力は失われていた。


『一人で生きて行くのが限界だと思うじゃねえか。なんでそれが分からない――もしかしてお前、あいつが好意で家族を探していたと思うのか?』


 この男に、耳を貸してはいけない気がした。

 だが、ミューは聞かずにはいられなかったのだ。


『お前が居たら、生活できねえからだ。お前を誰かに押し付けたかった。厄介払いがしたかったんだよ』


 ミューの心に、孔が空く。


『…………ちがう』

『だから、あいつは来ねえよ。誰も助けには来ねえし、元々それが普通だ。皆、てめえの事だけ考えてんだよ。そういうモンだ』

『ちがう』

『弱かったんだよ。キャメロン・ブリッツは、弱かった。ゴミクズだったんだ。……だったら、仕方ねえじゃねえか』

『ちがう……!!』


 男の言葉は、痛かった。降りしきる雨が身体に当たる事よりも、ミューは男の言葉が痛かった。それはミューの身体を流れて、肌から直接染み込んでくるようだった。

 ミューは動かない身体で、どうにか耳を塞いだ。



『現に今、来てねえだろ?』



 ミューは、下唇を噛んで、男の言葉を聞いた。

 ……見捨てられたのだろうか。……確かに今、ミューは危機的状況に陥っている。もしも連絡が行くなら、とうに行っていると思う――……迎えに来ないのは、連絡が行っていなかったからか? それとも、連絡が行っていても無視している?


 分からなかった。

 悪魔が、微笑んだような気がした。


『死んだら終わりだぜ。死ななければ、チャンスがどこかにあるかもしれねえじゃねえか』


 ミューは、自問自答した。

 この男の言っている事は、正しいのかもしれない。確かに、このまま死んでしまっては。自分には、何も残っていない。

 このままで良いのか。ミューは、そう思った。


『俺に付いて来れば、必要なものは何でも買ってやる。その代わり、俺に従え。簡単だ、俺の望む通りにすればいい。……分かるか? 俺の駒になれ、って意味だ』


 リーガルオンは、ミューに手を差し伸べた。


『自分の事だけを考えて、生きろ』


 ミューは、その言葉に衝撃を受けた。

 それは、これまでのミューに大きな変化を与える一言だった。誰も――そんな事は、言った事が無い。誰もが人のために生きるべきだ、人に優しくするべきだと、そう語り掛ける。

 だが、この男は違うと言う。


 そうだ。孤児院に入る前もそうだった。自分は捨てられたのだ。何度も、捨てられたのだ。どうしようもなく無用の長物のように扱われ、人間として生きる権利を与えられなかったからこそ、今、ここに居るのだ。

 そんな風に自分を扱って来た連中を、赦しても良いのだろうか。

 自分の為に、生きる。それは、とてつもない説得力があった。だが、同時に――……心の奥底に眠る冷たさを、感じていた。


 今、この手を取らなければ。自分は、人の為に死ぬ事になるのだろうか。

 このままで、良いのだろうか。


『…………死んだら、終わり』


 誰かの為に、ではなく。

 自分の為に。……自分が生きる為に。ただ、それだけの為に。

 優しい人間など、居ない。

 脳裏にキャメロンや、孤児院の事が蘇ったが――……。


『おお。そうだ』


 もう、忘れた。

 ミューは、リーガルオンの手を取った。

 ……それが、ミューの身に訪れた変化だった。


 どうして、スケゾーを。グレンオードを、殺さないのだろうか。ミューは目を閉じて、そんな事を考えた。そうして、ミューは再び目を開く。スケゾーに返答をした。



「…………わからないわ」



 スケゾーは憔悴しながらも、ミューの言葉を真剣に聞いている。

 ミューは初めて、素直な気持ちをスケゾーに話していた。


「私は……もしかしたら、彼に、私を……殺して欲しいのかも、しれないわね……」


 その言葉に、少なからずスケゾーは衝撃を覚えているようだった。

 だが、生きなければ。

 それだけが、ミューの全てだった。生きてさえいれば、何かが起こるかもしれない。その『何か』が何なのかは分からずとも。そのように、藁にも縋るような思いで生きて来たのだ。

 生きてさえいれば、いつかは幸せになれる、かもしれない。

 キャメロンの言葉を、ミューは思い出した。


『魔法、少女だ』


 思わず、笑ってしまう。

 ミューは、ぎこちない笑みをスケゾーに向けた。


「でも、私は生きるわ」


 どう表現して良いのか、分からなかった。


「だって、この世にヒーローは……居ないでしょう……」


 スケゾーは俯いて、何かを考えている様子だったが。

 例えるならば、それがミューの本心だった。この冷え切った場所には、誰も助けには来ない。それが分かっていたからこその言葉だった。

 そして、それがどうしようもなく悲しい一言であることを、ミュー・ムーイッシュは知っていた。


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