第115話 信じる者の幸福!

「これで君はもう、どうしようもないだろう。君が聖職者の恰好をしていても回復魔法が使えないって事は、もう分かっている事なんだ。どうしようかね? グレンオードご一行が全てやられた上で、今度は魔物を連れて戻って来てあげようか」


 トムディの四肢は、全て封じられてしまった。…………加えて、痺れ薬の効果も残っている。トムディは既に、全く動けない状態だった。

 J&Bは、トムディに顔を近付ける。


「全部を終わらせたら、また君の所に戻って来てあげよう。…………今度は、最高に痛い形で殺してあげるよ」


 トムディはどうにか悲鳴を押し殺すのが、精一杯の抵抗だった。


「しかし、どうして君なのかねえ。私には、不思議でならないよ。あの武闘家の男を連れて来た方が、幾らかマシだっただろうに」


 J&Bは立ち上がり、周囲の状況を確認しているようだった。…………まだ、広場の向こう側は雑踏に満ちている。

 遠くで、光が見えた。それはとてつもない速度で広場へと近付き、そして爆発した。

 トムディは、その光が迫り来る様子を、ただ、見ていた。


「…………始まったようだな。…………くそ、本当にとんだ誤算だ」


 更に、空には無数の黒い点が見える。…………あれは恐らく、魔物だろう。圧倒的な物量・力量で、このスカイガーデン諸共、撃ち落とすつもりなのか。

 強大な力だ。…………ここに来ているグレンの仲間は、自分と、ヴィティアと、ラグナス。

 とても、抗う事が出来るようには思えない。


「では、また会おう、少年よ。…………バーカ」


 物言わぬトムディは、しかし、顔を顰めて罵声に耐えた。


「…………くっ」


 J&Bが、去って行く。その後ろ姿を眺めながら、自分にはしかし、何もできない。

 この地面に溜まる血が、やがてトムディを死に至らしめるのだろうか。

 トムディは痛い以上に、悲しかった。どうにか作戦を持って戦えば、活路が見出せるのではないかと思ったのだ。そしてそれは、スカイガーデンに来た時からずっと、準備を続けていた。

 自分には、グレンの仲間の中で最も力が無いと、知っていたからだ。


『我々を無理に連れて行け、とは言いませんが。戦える人間を連れて行くべきです』


 グレンの連れて来た、あのモーレンという男が言っていた。


 あの時、グレンの仲間が改めて集まった時に、トムディは少なからず驚いた。グレンは人知れず様々な人間と仲を深めていて、気が付けば沢山の仲間が、グレンオード・バーンズキッドという人間を支えようとしていた。

 初めて出会った時は、そうではなかった。まだグレンの所にはリーシュしかおらず、戦力としても不安が残る状態だった。

 だからこそトムディは、この輪の中で強くなって行こうと、そう決めたのだ。


「…………」


 声もなく、トムディは涙を零した。

 爆撃のような音が、連続して辺りに響いている。誰も居ない通りに一人、トムディは野ざらしになっていた。身動きを取る事が出来ない状態で、もう、グレンを助ける事はできない。

 やるだけの事はやった。それでも、やはり自分では、勝てなかったのだ。


「ごめん、グレン…………」


 漠然とした疑問は、宙に浮く。


 ――――やはり自分では、駄目だったのだろうか?


 不安になった。キララ、モーレン、キャメロン、チェリア、ヴィティアと名を連ねた時。この場所に自分が居るのは、不自然なのではないかと思ってしまった。

 だから、スカイガーデンに行くのは他の人間の方が良いと思っていた。

 だって自分は、『戦える人間』ではないのだから。

 足音を消す。宙に浮く。身体の大きさを変える。…………そのどれも、戦闘時に決定打となるような能力ではなかった。そんな事は、トムディにも分かっていた。だから、空の島に来た時に、魔法石の存在を知って、これしかないと思った。

 だが――――、それも所詮、焼け石に水のアイテムでしかなかった。トムディの足りない部分を補ってくれるような、そんな代物ではなかった。


『…………ごめん、キララ。やっぱり、今回の旅にはトムディとヴィティアを連れて行くよ』


 トムディは、泣いた。

 どうして、自分だったのだろうか。

 明らかに戦力として不安の残る自分を、どうして連れて来たのだろうか。

 他の誰かの方が、明らかに――――…………。



『それは、始まりじゃないのかよ』



 どこかで、グレンの声が聞こえた。

 それは、トムディの涙を止め、心を奮い立たせるには、十分な言葉だった。あの時、挫けて諦めかけていたトムディの心に火を点けたのは、あの『零の魔導士』だったのだから。

 グレンオード・バーンズキッドだったのだから。


「…………終わりじゃない」


 左肩は、背中にナイフが刺さっている。だとしたらまず、右からだ。

 トムディは顎を動かし、右肩のナイフを咥え、引っ張った。激痛と共に、右肩に刺さっていたナイフが抜ける。


「ぐああっ…………!!」


 右腕が自由になった。麻痺した右腕は不器用で、動き難い…………だが、両足に刺さっているナイフを抜き取る。

 一本。二本。三本。…………そしてトムディは、背中のナイフに手を掛けた。


「始まりなんだ」


 遂に、トムディは全てのナイフを抜いた。

 足下に、血溜りが出来ている。しかし、トムディはどうにか、その場に立った。再び杖を握り締め、恐怖の代わりに闘志を胸に抱き、決意ある眼差しで通りを見詰めた。

 J&Bの姿は、まだ遠方に少しだけ見えている。

 まだ、間に合う。


「これは、始まりなんだ…………!!」


 トムディは、自分に言い聞かせた。

 走る事が出来るだろうか。やっとの思いで、前に進むことができる程度だ。…………この状態では、歩いているJ&Bに追い付く事すらできない。まして、これから戦おうと言うのだ。

 自分にできる限界を、超えなければならない。それも、飛躍的に。傷付いた、この状況で。…………自分に、できるだろうか。トムディはポケットに入った、残っている魔法石を全て、口に突っ込んだ。

 やらなければならないのだ。グレンオードが、ヴィティアを救出する時に、そうしたように。

 今、立ち上がらなければ…………もう、自分に価値などない。


「はああぁっ…………!!」


 力が漲る。同時に複数の魔法石を使用するのは、あまり良くないとされる。服用は基本的に一日一回、インターバルを置くのが自然だ。しかし、トムディは既に、通常有り得ない頻度で魔法石を使っている。

 だが、関係のない事だ。

 自分がやらなければならない事は、今ここで、J&Bを止める事。それだけだ。

 再び、トムディの全身に活力が漲った。走り、J&Bを追い掛け、そして――――――――その、前に出る。

 J&Bの前に出て、広場に向かう足を止めるため、トムディは両手を広げて道を塞いだ。


「……………………どういうつもりかな?」


 仮面の内側から、背筋の凍るような怒りの声が聞こえて来る。


「今、死にたいという事かな?」


 怖い。…………トムディは、そう思った。誰かから怒りの感情をぶつけられる事そのものが、怖くて堪らないのだ。正面から張り合う事など、とてもではないが出来ない。

 そう、思っていた。だから本当は、『ヒューマン・カジノ・コロシアム』の時も、そうだった。自分はいつギブアップするのか、そんな事ばかり対戦中は考えてしまっていた。

 それでもいい。


「信じてくれているんだ」

「はァ…………?」


 トムディは、仮面の向こう側を睨み付けた。

 恐怖していてもいい。信じてくれる人が居るのなら、自分の役割を果たさなければ。


『――――――――ありがとう!!』


 自分を信頼してそう言った、彼の顔を思い出す。



「グレンがまだ、僕のことを信じてくれているんだ…………!!」



 トムディの全身から、魔力が吹き荒れる。それは巨大な竜巻と化し、周囲に風を生み出していた。

 その質量に、トムディの事を舐め切っていたJ&Bが驚く。魔法石の力だけではない。元よりトムディは、人一倍の魔力を持っているのだ。

 ただ、不器用にも、それを扱い切れないだけ。その事を、J&Bは理解していなかった。


「なっ…………!? なんだ、この魔力は…………!!」


 一度もやった事はない。まして、実戦で出来るとは思っていなかった――――だが、トムディは両手を前に出し、杖を振った。

 そうして、宣言する。



「【リバース・アンデット・トムディ】ッ――――――――!!」



 杖の先から、莫大な光が放出された。

 仮面の向こう側でも、眩しかったのだろう。腕で仮面を覆ったJ&B。トムディは杖を背中に戻し、その光が落ち着くのをじっと待つ。

 魔法は成功した。後は、これが有効かどうかを確かめるのみ、だ。J&Bは光が治まった事を確認し、慎重に、辺りを見回した。


「…………また、何かの撹乱魔法かい?」


 トムディは答えない。情報を与える事は、トムディを有利にしない。だから、深く腰を落として、ただじっと、待った。


「ハッ。君は、そんなのばかりだな…………!!」


 やがて。

 地面から手が伸び、J&Bの足首を掴んだ。


「おわぁっ!?」


 思わず飛び退いた、J&B。少しふくよかな真っ白の手は行き場を求め、空中を彷徨った。やがて引っ掛かりを見付け、地面に手を掛ける。

 そうして、何も無い地面から――――トムディが、顔を出した。


「ファッ…………!?」


 トムディの周囲から、次々と『トムディ・ディーン』が這い上がって来た。これといって、地面に変化はない。穴も空かず、半透明の身体は地上に出ると、やがて実体化する――……まるで、地面から何人ものトムディが這い上がっているように見える。

 中央のトムディが、ファイティングポーズを取った。周囲のトムディもまた、J&Bに向かって拳を構える。

 気が付けばJ&Bの周囲は、トムディによって埋め尽くされていた。


「…………は、ハハハ…………!! 本体の居場所を撹乱させたつもりかい…………!? こんな映像、私には何の意味もないね…………!!」


 J&Bに向かって構えているトムディのうち、一体が猛スピードで、J&Bに飛び掛かった。

 慌てて、J&Bはナイフを構える。トムディはその腕に抱き付き、右腕の自由を奪った。


「なっ…………!? 何をする!! 離れろ、このっ…………!!」


 J&Bが、もがいている。続いて、『もう一体のトムディ』が飛び出し、今度はJ&Bの左腕に抱き付いた。


「こんな訳の分からん奇術で、私が倒せるとでも――――――――」


 どうやら、気付いたらしい。

 今、J&Bの身体には、二体のトムディが絡み付いている。仮にその内の一体が本物だったとしても、もう一体は仮の姿の筈。J&Bの頬を、冷や汗が流れた。

 トムディは、言った。



「『映像』じゃない。…………全部、『本物』さ。ただ、僕の魔力次第で身体能力が変わるって所を除いてはね」



 そうして、J&Bは。


「なん、だと…………!?」


 魔法石を幾つも同時に使用したせいで、トムディは軽い目眩を覚えていた。この魔法にしても、トムディがこれまでに使ってきた魔法と比較すると、圧倒的に魔力を消費していた。

 しかし、トムディは考えていた。『聖職者』として活躍出来ないのなら、他にどんな戦略があるだろうか、と。その為にトムディが出来る、一つの答えがこれだったのだ。

 即ち、『自分は変化魔法が得意だ』という、一つの優位点に気付いた。

 そこから先の努力は、方向性が定まっていた。


「【ターン・アンデット】っていう、アンデットを倒す魔法があるだろ? …………それに、回復魔法もアンデット系の魔物にはダメージになるのさ。…………僕は気付いたんだ。『魔力を変換してアンデットを倒す事が可能』なら、『魔力を変換してアンデットを生み出す事も可能』だって事にね」

「はあ…………!? 魔法で生物は生み出せない!! そんな超理論が実現する訳がないだろう!!」

「『アンデット』は、生物じゃない。魔力に喰らい付いて生きる、魔力の塊みたいなもんだよ――――やろうと思えば、創れるさ」


 無数のトムディが、J&Bを指差した。たったそれだけで、J&Bは竦み上がり、仮面の向こう側でも、怯えているのが分かった。

 事実、トムディは、J&Bを圧倒していた。

 抜け道ではない――――確かな、『力』で。


「僕『一人』では、確かにお前には敵わない。…………でも、『百人』ならどうかな?」

「お、お前…………!! ア、アンデットだと!? …………本当に、『聖職者』なのか!?」


 そうして、無数のトムディが、一斉に叫ぶ。



「行くぞおオォォォォ――――――――!!」



 J&Bの、仮面が外れた。

 その向こう側には、信じられない光景に未だ驚愕している、若い男の姿があった。


「ちょっ…………!! 待っ――――」


 余りにも無残な打撃音と共に、何者かの悲鳴が、『サイドスベイ』に木霊した。

 既に地響きを伴い、轟音が絶えず発生している空の島で。その男の悲痛な叫びを聞いた者は、スカイガーデンには居なかった。


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