第116話 可愛いグレンの仔猫ちゃん!

「ベリーベリー・ブラッドベリー…………は、まさかあんたに当たるなんてね…………!!」


 スカイガーデン、『サイドスベイ』広場の東側。ヴィティア・ルーズは、目の前で怪しい瞳を向けている、ベリーベリー・ブラッドベリーに、そう言った。


「あら。…………嬉しいわ、まだ私の事を覚えていてくれたなんて」


 ベリーは、愉しそうな笑みを貼り付けて、ヴィティアに躙り寄って来る。

 ラグナスとギルデンストは、戦闘が始まると恐ろしい速度で、どこかに消えてしまった。グレンオードはリーシュを追い掛けて、『サイドスベイ』の敷地を離れた。魔物と相対している、スカイガーデンの住民達。ここに、ベリーベリー・ブラッドベリーの相手が出来る人間は、ヴィティアしか居なかった。

 ベリーの肚から、突如として獰猛な魔物の首が顔を出した。


「良いわ。…………『彼』は放っておいても、あのコが殺しちゃうでしょうし。折角だから、遊んであげる」


 彼とは、グレンオード・バーンズキッドの事だろうか。


「ひっ…………!!」


 思わず、ヴィティアの口から悲鳴が漏れる。

 首、肩、背中。ベリーの各部位から現れたのは、無数の魔物の『部位』だ。見た事もない、ドラゴンのような腕。ハイエナのような首。何故か肩から、鳥類のそれと思われる脚が顔を出している。

 相変わらず、不気味な女だ。ヴィティアはゆっくりと、後退った。


「うげえ、気持ち悪い…………!!」


 ベリーの首が、九十度に近い角度で、横に倒れる。その隙間から、蛇のような舌が顔を出した。


「ざぁんねん。…………でももう、すぐに忘れてしまうのよね? 私のことも…………私が貴女に掛けてあげた、『呪い』のことも」


 そうして。

 ヴィティアに向かって、ベリーの折れた首から伸びた『蛇』が、勢い良く飛び出した。


「いいいいいっ――――――――!!」


 声にならない声が、ヴィティアから漏れる。

 普段は、ベリーの中に隠れている『獣』。それは、魔法ではない。ベリーの『呪い』によって、あの魔力に満ちた体内で、飼われているものだ。

 ヴィティアはまだ、ベリーの事だけは覚えていた。ベリーベリー・ブラッドベリーは、ヴィティアの直属の上司に当たる人間だったからだ。しかし――……、こうして出会うまで、その能力についてはすっかり忘れてしまっていた。いや、『忘れさせられて』しまっていたのだ。

 だが、思い出した。

 ベリーの口が、不自然に開いては閉じる。


「あァ…………!! 私の中の可愛い可愛い子供たちが、アナタを欲しがっているわ…………!! 欲しくて欲しくて…………アガッ」


 あれは、転移魔法ではない。ベリーの中には、『呪い』における魔空間のようなスペースがあって、そこに何匹もの魔物が飼われているのだ。

 殺戮を求め、血を欲しがる――……そして何より、見た目が怖い。

 ベリーの首が、横向きのままで笑う。


「も、もう…………ドめられない、みたい…………!!」


 そうして、無数の化物が、ヴィティアに向かって飛び出した。



「ひいいいい――――――――やあああああああ――――――――!!」



 ヴィティアは、叫んだ。

 その恐ろしすぎる光景を直視する事は、本能的に躊躇われた。背を向けて、走り出す。

 自分がこの女を引き留められなければ、グレンが戦うしか無くなっていた。だから、ヴィティアが立ち塞がらなければならない事は、半ば義務であるとも言えた――……だが、どうすれば良いのか。

 ヴィティアには、戦略が無かった。そもそも、相手になるのがこの女だとは思っていなかったのだ。


「あら、逃げるの?」


 通りの角を曲がって、路地裏へと出る。ひと一人どうにか通れる程度の隙間を全力で走り、ベリーベリー・ブラッドベリーの射程距離から逃れようと、ヴィティアは逃げ回った。

 とにかく、作戦を、立てなければ。まともに戦えば、確実に自分では勝てない。

 姿が見えなくなると、ヴィティアは後ろを向いて、舌打ちをした。


「ったく、相変わらず気持ちの悪い化物ね…………!! 首の骨折れろ!! 折れて死ねっ!! バーカバーカ!!」


 瞬間。

 ヴィティアの通っていた、『路地裏』。その両脇の民家が、一瞬にして粉々になった。

 ベリーの両腕から魔物の首が出現し、民家を噛み砕いたのだ。


「呼んだ?」

「いやああああああああ――――――――!!」


 滅多な事は言うものではない。ヴィティアは涙ながらに、全力で『サイドスベイ』の道をひた走った。

 まずい。このままでは、城に直撃してしまう。ヴィティアは、そう気付いた。『サイドスベイ』の敷地ぎりぎりの所に居たヴィティアが背を向けて逃げれば、当然城に向かって走る事になる。

 今、『サイドスベイ』には、魔物の襲撃から逃れた女子供が身を潜めているはずだ。この女なら、城の外壁など一瞬にしてただの砂と化してしまう事ができる。

 今は、民家の隙間を抜け、少し広い場所まで来ていた。


「ってことは、ここで戦うしか無いって事じゃない…………!!」


 ヴィティアは振り返り、ショートパンツの隙間から、小さなナイフを抜き取った。

 通りの角から、ベリーベリー・ブラッドベリーが顔を出す――……。


「やっと、戦う気になってくれたのね」


 ヴィティアは、ナイフを取り落とした。

 既にベリーの背中から、蜘蛛のような巨大な脚が八本伸びて、ベリーの代わりに走っていた。背中が地面に向かっているので、自然とベリーはヴィティアを見上げる格好になっている――……逆さまの首。地面に向かって落ちる髪の毛。


「さあ、はじめマしょう…………?」

「無理無理無理無理無理――――――――ッ!!」


 再び、ヴィティアは背を向けて走り出した。

 何やら恐ろしい形相の女が、恐ろしい格好をして、恐ろしい速度でヴィティアに近付いて来る。ヴィティアは泣きながら逃げ、細い通りを幾つも曲がって、ベリーの視界から逃れようとした。


 二つ。三つ。ベリーの姿が、建物の影になって見えなくなる。ベリーの人間とは思えない足音が、次第に遠ざかって行く――……。

 ヴィティアは、立ち止まった。


「…………っは、…………は、…………はあ」


 既に、息は切れている。相変わらず光の爆撃と戦争は続いているが、細やかな静寂を感じ、ヴィティアは壁に凭れた。


「ゾンビと戦ってる訳じゃ無いのよ…………冗談じゃないわ、まったく…………」


 ナイフも落としてしまった。だが代わりに、作戦が立てられるようになった。…………さて、どうやってあの化物と戦うべきか。

 ヴィティアは、ようやく冷静になった思考を巡らせようとしていた。


 …………と、その時だった。


 気が付いた時には、もう手遅れだった。音もなく、民家の天井から降りて来る人影があった。ヴィティアが一息ついて空を見上げると、上空から黒い髪の女が落下し、ヴィティアを捕らえようとしていた。


「嘘…………!!」


 今度は叫ぶ余裕もなく、ヴィティアは走り出そうとした。

 その、足を掬われる。


「きゃっ!!」


 為す術もなく、その場に転倒した。

 蜘蛛の足音は、遠ざかって行ったと思った。だが今は、ベリーの足の裏からは、軟体動物のような吸盤が出現している。それは地面に着地すると姿を消し、無数の魔物も消え、ベリーだけが残っていた。


「ちょうど良いわ。…………元々貴女は、『ヒューマン・カジノ・コロシアム』で殺さなければならない存在だったんですもの」


 ベリーが手を伸ばすと、手の平から魔物の手が伸びた。それはヴィティアの両手首を掴んで、そのまま吊り上げる。


「痛っ…………!!」


 思わず、ヴィティアは苦痛に顔を歪めた。


「相変わらず、八方美人な蝙蝠ね。仔猫の癖に…………どうしたの? 今度はグレンオード・バーンズキッドの下っ端をやるのが良くなったのかしら? 今までもそうやって、都合の良い方について逃げて来たでしょう?」


 今度は、先程までとは違った。ヴィティアは内面を抉られ、痛みを忘れ、ふと正気に返った。


「貴女には、大きな物事の流れなんて分からないでしょう? …………なら、下っ端は大人しく下っ端をしていれば良いのよ。今だって、ろくに魔法も使えない状態のクズが、私に立ちはだかるなんて。何様のつもりかしら」


 低く尖った声で、ベリーはヴィティアにそう言う。ヴィティアは、腹の奥にぐっと力を込めて、その罵声に耐えていた。

 右手でヴィティアを拘束しているベリー。その左手から、今度は鋭い爪が伸びる。長い――――大の大人一人分位はあるだろうか。それは、吊られているヴィティアの首元へと向かった。


「弱者は大人しく、『弱者』してなさい。それも出来ないと言うなら――――死になさい」


 不意に、ヴィティアは笑い出した。

 ヴィティアの態度に、ベリーが眉をひそめる。


「――――――――確かに、これまでずっと、そう言われて来たわ。お前は使えないんだから、お前は役に立たないんだから、ってね。下っ端でいることに、安心感すら覚えていたわ。従っていれば、殺されないもの」


 ベリーが、微笑む。


「そう。…………それで?」


 危うくなると、手の平を返して生きて来た。それは、ヴィティア自身に恐怖を与えていた。

『過去は消せない』。そう長老から言われた時に、胸に突き刺さるものを感じてしまったのだ。


「確かに私は、あんたとは違うわ」


 ヴィティアの言葉に、ベリーがほくそ笑む。


「未来を恐れて、生きて来たわ。…………『こんなに裏切ってばかりで、誰に殺されてもおかしくない』って、思っていたわ。今まで生きて来られた事だけが大事で、誰かに指示されて悪い事をして、いつかそのツケが来るんじゃないかって、そう思っていたわ」

「弱いからね」


 だが、ヴィティアの瞳は死んでいない。それ所か、より勇気のある強い眼差しで、ベリーの瞳を捉えた。


「違うわ」


 ベリーが、その異質な様子に、表情を変えた。



「自分の未来を、人任せにしたからよ」



 瞬間、ヴィティアは落下した。一瞬の出来事で、ベリーは反応する事が出来ないようだった。


「いっ…………たいっ…………!!」


 ヴィティアの異変に、ベリーが気付いた。だが、気付いた時には既に、ヴィティアは拘束を逃れていた。

 落下し、ベリーから離れるように転がって受け身を取る。何が起きたのか分からないベリーにとっては、意外な出来事だっただろう。ただの人間のヴィティアが、魔物の腕力に敵うわけがない。まして、今の状態では魔法すら使うことが出来ないのだ。

 しかし、ヴィティアは拘束を逃れた。不自然な方向に曲がった手を見て、ベリーがようやく事の真実を把握する。

 ベリーは、驚きを隠せない様子だった。


「…………あら。意外とマゾッ気があるのね。むしろ、完全にそっち方面かしら?」


 ヴィティアは、左手首と指の関節を外したのだ。

 自由な右手で、左手を元に戻す。ベリーは少し興味が湧いたのか、ヴィティアに攻撃を仕掛ける事はしなかった――……ヴィティアは立ち上がり、ベリーと相対した。

 目を閉じる。


『よく頑張ったな』


 その胸に信じるのは、あの赤髪の青年だ。自分が生きる事を肯定してくれた。生きる希望を与えてくれた。ここで、その恩を返さずに、いつ返すと言うのか。

 例え相手が化物でも――――…………



「良いわっ!! エレガントに決めてやろうじゃないっ!!」



 必ず、一矢報いる、と。


「私は私の『過去』を、ここで断ち切ってやるわっ!!」


 そう、宣言した。


 静寂が訪れた。ベリーは――……ヴィティアがどう出て来るのか、様子を窺っているように見えた。…………指の関節を外して拘束を逃れる等というスキルが、ヴィティアにあると思っていなかったのだろう。伊達に、何年も下っ端をやっている訳ではないが――――その作戦を、読もうとしているに違いない。

 ヴィティアは、地面に向かって手を伸ばし。握り拳程の、石を握った。

 警戒されている。…………今は、使えない。


「せいっ!! 【スロウストーン】!!」


 ヴィティアはベリーに向かって、石を投げた。

【スロウストーン】。…………つまり、石投げである。

 ベリーの半径一メートル以内に入ると、どこからともなく魔物の尻尾が現れて、石を弾き飛ばした。

 その瞬間に、ヴィティアは背を向けて逃げ出した。


「…………で、具体的には…………どうするつもり?」


 ベリーから、半ば呆れているかのような声が聞こえた。

 ヴィティアは民家の間をすり抜け、再びベリーの視界から消える。

 固く歯を食い縛って、ヴィティアは一人、覚悟を決めた。



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