第113話 心の殻が割れる音!

 リーシュは顔を上げて、男を見た。


「なっ…………、な、…………な、…………なん、…………の、はな、し」


 唇が震えて、上手く言葉が出て来ない。

 グレンはずっと、金を稼ぐ事を目標にしてやっていた。それは、リーシュも知っていた。だが、その『一万セル』という目標が、母親との約束だったという事は、まるで知らなかった。

 ローブの男から、リーシュは離れた。咄嗟に、防衛本能が働いたのかもしれない。

 聞いてはいけない。

 この男の言葉を聞くと、自分がどうにかなってしまいそうだ。


「そうやって、また誰かを傷付けるのかい? グレンオードを孤独にしたのは、他でもない、君がやった事じゃないか」


 咄嗟に、リーシュは耳を塞いだ。

 ローブの男をすり抜けて、山頂へと向かって走る。ここは空の島だ。逃げる先など無い。戻ればまた、空の人々から迫害を受ける。それでも、当てもなく、リーシュは走った。

 呼吸が乱れる。走っている事が原因ではない。思考はまるで働かず、膝に力が入らない。


「あうっ…………!!」


 当然、幾らも走れず、リーシュはまた転んでしまった。


「…………君は本当に、罪深いね」


 この男は、一体自分のどこまでを知っているのだろう。そう思うと同時に、リーシュは恐怖した。咄嗟に、考えてしまったのだ。自分は、自分の事を一体どこまで知らないんだろうか、と。

 知りたくない。…………本当は自分に魔物の血が流れていることも、スカイガーデンの住民で、本当は空に住んでいないといけなかった事も、リーシュは知りたくなかった。

 頭を抱え、リーシュは震えた。…………黒いローブの男が、歩いて来る。また、自分に残酷な真実を突き付けようとしている。


 これ以上は、とても――――耐えられない。


「…………こないで、ください」


 地べたに蹲り、リーシュは言った。

 か細く、頼りない声色だった。既に、リーシュから戦意や覚悟は喪失していた。

 助けを求めた。

 それは、誰か。…………或いは、あの赤髪の青年だったのだろうか。


「ごめんね。…………ただ、君は知らなければならない。真実を知れば、きっと私の所に来るのが、最も安全だと分かるよ」


 安全な場所なんて、ない。

 リーシュの頭に、手が伸びる。


「思い出させてあげよう」


 そうして、リーシュ・クライヌは――――――――……………………。



 *



 大地が揺れた。


 俺も、ラグナスも、ヴィティアも。そしてスカイガーデンの住人も、一斉に空を見上げた。空気が振動している…………だけじゃない。大地が、揺れている。

 …………いや、待てよ。何を言っているんだ、俺は。『大地』が? 『揺れる』だと?

 ここは、スカイガーデンだぞ…………!?


「ご主人…………!! 強烈な、魔力の波動を感じます…………!!」

「魔力だと!? …………これが、魔力だって言うのかよ!!」


 スケゾーの言葉に、俺は少なからず衝撃を受けた。

 誰も、この事態に付いて行けていない。俺も、また。魔力が大気を、大地を動かしているとするなら、どこかに放出元があるはずだ。振動だけでは、その居場所が分からない。

 これが魔力のエネルギーだとするなら、かなりやばい…………!! リーシュは大丈夫なのか…………!? すぐに、リーシュを追い掛けないと…………!!


「リベット様!! 何が『友人』ですか!! こいつらが来てから、この島はおかしくなったんじゃないですか!!」


 誰かがリベットに言い寄っていた。俺達を指差して、切羽詰まったような顔をして言っていた。


「そうだ!! お前等がリベット様の紛い物を、魔物を、召喚したんだ!!」

「リベット様は騙されているんだ!! 皆、武器を取れ!!」


 …………くそ。暴動は、止まらないのか。リベットの言葉で一度は収まった連中が、この異常な魔力の放出で、また我を忘れてしまっている。

 そんな事をしている場合じゃないのに!!


『たすけて』


 不意に、俺は止まった。


「…………スケゾー、聞こえたか?」

「何がっスか?」


 俺はラグナスとヴィティアに目を向けた。二人共、この事態に少なからず戸惑っているようだったが――……。


「ラグナス!! ヴィティア!!」

「な、何!?」

「何だ!!」

「今、声、聞こえなかったか!?」

「声!?」


 ラグナスとヴィティアが駆け寄って来る。…………でも、この様子だとどうやら、聞こえていないみたいだ。

 何でだ…………? 俺だけに、聞こえたって言うのかよ。


『たすけて…………!!』


 まただ。また、声が聞こえる。…………今度は、はっきりと分かった。リーシュの声だ。

 この地響きの中で、聞こえて来るって言うのか。正直、周りは騒音ばかりだ。振動そのものが音となって、人の声もよく聞こえない。


 リーシュ。


 形振り構っている場合じゃない。俺は、行かないと。



 ――――――――えっ。



「うわああああああ!!」

「きゃああああああ!!」


 俺達の居る『サイドスベイ』が、突如として爆発した。スカイガーデンの山頂付近から巨大な光の矢が降り注ぎ、俺達に向かって来た。

 光の雨だ。矢と言うよりも、これは『剣』と表現した方が良いだろうか。幾つもの、無数の『光の剣』が、俺達に向かって降り注ぐ。その一本一本は地面に当たると強烈な爆発を起こし、全てを無に返す。


 呆然として、俺はその『光の剣』を見詰めてしまった。山頂付近に、一際強く輝く存在があった。それは余りにも眩い光で、中心に何があるのかを視認する事はできなかった。


「防御魔法だ!! 結界を張れ――――!!」

「街を護れ――――!!」


 スカイガーデンの人々は、慌てふためいている。その中、俺はただ、その光に魅入ってしまった。


 ――――――――これは。


 心臓を鷲掴みにされたような気がして、俺は足が竦んでしまった。


「おい、どうした…………!! グレンオード!! しっかりしろ!!」


 ラグナスが、俺の肩を揺さぶった。


「あ…………!! ああ、悪い」

「何を考えているんだ、この一大事に!! 早くリーシュさんを助けに行くぞ!!」

「ああ、分かってる…………」


 これは。…………この魔法は、見覚えがある。

 だがそれは、俺の記憶の奥深く、一番深い所に、大切に仕舞ってあったものだ。もう二度と、思い出す事がないように。しかし、それでいて忘れる事がないように。

 そして、『あの日』に起きてしまった出来事と、リーシュの顔が、どういう訳か繋がってしまったような、気がした。


「残念ながら、逃げ場は無い」


 俺達の向かおうとしている場所から――――…………歩いて来る、人影があった。

 いつか見た、白髪の剣士。その風貌からも熟練度が分かるようで、見るからに隙の無い男だ。確か、『悪魔殺し』の異名を得ていた。

 ヴィティアが、その姿に表情を変える。俺の背中に隠れ、恐る恐る、その人物を見た。


「ギルデンスト・オールドパー…………!!」


 ギルデンストは静かに剣を抜き、俺達に向かって戦闘の構えを取った。その落ち着いた物腰の後ろから、すらりとした女も顔を出す。


「もう、手遅れよ。残念ながら、貴方達は失敗してしまったわ…………ほら、空を見て」


 光の剣が降り注ぐ。その更に上空に、小さな黒い影が無数に見える。そしてその陰は、みるみるうちに大きくなって行く――……。そうして、広場に着地した。

 あちらこちらで、悲鳴が聞こえた。俺達の周囲にも、それは現れた。


「スケゾー、分かるか…………!?」

「『ブラックタイガー』、『コスモデビル』、『ツインヘッドドラゴン』。どれも、かなり高いレベルの魔物っスよ…………!!」


 長老が、叫んだ。


「戦える者は前へ!! 女子供は城の中に逃げ込むんだ!!」


 最初から、これが目的だったのか。『金眼の一族』と、『スカイガーデンの住人』を、一網打尽にする方法。…………確かに、誰かに逃げられるようでは困る。島を出て地上に逃げられれば、見付ける事は難しい。

 ベリーベリー・ブラッドベリーが上空を指差して、微笑みを浮かべた。


「あのコの『剣』が、島全体の防御結界を破ったの。だからもう、この『スカイガーデン』を護るものは何も無い、ってワケ。黙っていても光の雨は降り注ぐし、魔物は『金眼の一族』を捕らえるわ。…………ねえ、もう三人じゃどうしようもないでしょう? 一人は可愛い子猫ちゃんだから、二人かしら?」


 むっとして、ヴィティアが俺の服の裾を強く掴んだ。

 J&Bを見た時から、居るだろうとは思っていたが…………まさか三人、集まっているなんてな。連中も人手不足なのか、どうなのか。俺は拳を握り締め、スケゾーと波長を合わせた。

 身体に、『十五%』の準備を。無理して戦う必要なんてない、この場を抜けられれば良い。こんな所で立ち止まっている時間も余裕も、俺にはない。


「ギルデンスト、ベリー。良いから黙って、そこを退け…………!! 三人掛かりで俺一人倒せなかったの、まさか忘れた訳じゃねーんだろ?」

「そうだな。…………しかし、それは『ヒューマン・カジノ・コロシアム』という、ステージ上の制限があってのことだ」


 上等じゃねえか。やってやる…………!!


「行け、グレンオード!!」


 俺の背後からラグナスが飛び出し、ギルデンストに斬り掛かった。真正面から向かったラグナスの剣は、ギルデンストの剣とぶつかり、激しく火花を散らす。

 ラグナスは振り返り、俺を見た。


「走れ!! 何としても、リーシュさんを助けろっ!!」

「えっ…………」


 予想外の行動に、少し驚いてしまった。ラグナスなら、むしろ『俺が行くから、お前はこの連中を頼む』なんて言いそうだ、と思っていたのに。

 俺は戦闘態勢を少し緩め、ラグナスに聞いた。


「お前…………良いのか?」

「不本意極まりないが、俺では駄目だ」


 再びギルデンストに向き直り、その剣に力を込める。


「今は、お前でなければ駄目なのだ」


 ラグナスはそれきり、俺と目を合わせる事はなかった。

 …………どういう意味だよ。


 しかし、ラグナスがこう言っているんだ。ここは任せても問題ない…………か? ラグナスはこの性格ではあるが強さは本物だし、ギルデンストと張り合わせても死にはしないように思える。…………いや、もしかして勝ってしまうかも。

 だが、ベリーベリー・ブラッドベリーが残っている。どうしても、こいつは俺が倒して行くしか…………無いのか。


「ふふ。残念ね、もう一人くらい戦力が居れば、貴方は先に行けたかもしれないのに」


 俺は、拳を構えた。

 ふと、俺の後ろから人影が出て行く。両手を広げて、俺の盾になった。


「――――い、行って」


 ヴィティア…………!!


「おい、ヴィティア!! 分かってんだろ、お前じゃ無理だって…………!!」

「リーシュをどうにかしないと、スカイガーデンが墜落しちゃうでしょ!! ってことは私がこの女をなんとかしないと、どうせやられちゃうじゃない!!」


 その覚悟は確かに凄いと思うが…………!! 思うが、しかし!! どう考えても、ベリーとヴィティアじゃまるで相手にならない。『十五%』の俺が、苦戦した相手なんだぞ…………!?

 ベリーの方は楽しそうにしていたが、正直これじゃ、背中を任せるのが不安で仕方がない。


「あら、子猫ちゃん…………どうしたの? ペットが出て来る所じゃないわよ?」


 その言葉を無視して、ヴィティアは俺に言った。


「行って、グレン…………!! 時間を稼ぐから、さっさと行って戻って来て!!」


 ま、マジかよ…………!!

 涙ながらに、強がりを見せるヴィティア。正直、ありがたい話だが。出来るのか? ヴィティアに時間稼ぎなんて…………。魔法は封じられているし、戦えるスキルを確かこいつは持ってないだろ。

 いや、それを言うならトムディも同じか…………!? くそ、こんな事になるなら、やっぱりキララやキャメロンを連れて来るべきだったのか!?

 ヴィティアの瞳が、俺に向いた。


「はやく!!」


 ――――――――そうか。


 ヴィティアの言葉に、俺は考える事を止めた。


「…………分かった。サンキューな、ヴィティア」

「戻って来たら、デートのひとつくらいしてよね」


 そんなもの、お安い御用だ。


「分かった。良いか、ヴィティア。…………絶対に、死ぬなよ」


 俺は、走り出した。

 トムディもヴィティアも、俺が連れて行くと決めた人間だ。事前に戦う可能性が高い事も話していたし、何よりリーシュの事を知っている人間だ。…………なら、ここは任せるしかない。

 大丈夫だ。俺達が必ず、スカイガーデンも、リーシュも、助けてみせる。ここから、逆転だ。

 ギルデンストとラグナス、ベリーとヴィティアを横目に、俺は大きく跳躍して民家の屋根に跳び移り、すり抜けた。そこに、一抹の不安を残して。


「グレン、大好き」


 去り際、ヴィティアの口からそんな言葉が聞こえた気がした。


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