第91話 いつか夢見た記憶

 ギルド・グランドスネイクの城から、『大蛇穴の洞窟』までは、幾らも離れていないようだった。

 大きな岩がごろごろと道に落ちているせいで、普通に歩く事なんかできない。岩から岩へと飛び移るように移動し、俺は先を急いだ。

 出て来る時に俺はモーレンに『毒は平気だ』と言ったが、荒療治で治す事ができるだけで、別に得意って訳じゃないし、無効化もされない。苦笑して、俺はスケゾーに言った。


「最悪、俺が噛まれたら、戻って来てから再生だな」

「全く、ご主人は…………どんだけ人をこき使えば気が済むんスか」

「仕方ねえだろ。他の人間が噛まれるよりは百倍良い」

「…………ま、ご主人のそういう所、嫌いじゃないっスけどね」


 スケゾーは目を閉じて、笑みを浮かべていた。

 しかし、洞窟の近くに『レッドスネイク』が壁を作っていると言っていたが…………何匹の話なんだろうか。場合によっては、対処も考えなければならない。

 中に入ったとして、追い掛けられたら面倒だから、やっぱりまとめて倒す以外に手は無いか。


「…………お、洞窟っていうのは、あれじゃないか」


 岩を飛び移って方向転換すると、前方に地下へと続く、巨大な洞窟への道がぽっかりと口を開けている。飲み込まれそうで、何とも気味の悪い。

 その手前に、小さな蛇の集団が…………いた!!


「スケゾー!! 『十%』!!」

「やりますか…………!!」


 俺はスケゾーと、魔力を共有した。俺の拳に纏わり付いたスケゾーと、意思を疎通させる。

 準備が整うと、真上に高く跳躍した。飛び道具を持っていた場合に狙い撃ちされないよう、トリッキーな動きでレッドスネイク共の手前に落ちる。

 着地すると、拳を構えた。


「さあ、掛かって来い!! 一度も噛ませずに終わらせてやる!!」


 俺は、そう言いながらも拳に炎を――――…………

 …………あれ?

 レッドスネイクが、全く俺に攻撃を仕掛けて来ない。攻撃が無いどころか――……壁になっていたレッドスネイクは、俺の顔を確認すると、速やかに俺とスケゾーに道を開いた。

 …………何だ?


「スケゾー、言葉、分かるか?」

「いえ、流石に蛇の一族と通じている訳では…………しかし、なんか様子が変っスね」


 両脇に、蛇。どちらかと言えば、歓迎されているようにさえ見える通り道。レッドスネイクは舌を出して、姿勢を低くしている。…………壁になっているんじゃ、無かったのか? それとも、俺がスケゾーと居るから、敵わないと判断したのか?

 分からん。


「…………じゃ、じゃあ、先を急ぐか」

「そうっスね…………」


 俺とスケゾーは、左右を蛇に囲まれながら、洞窟の入口へと向かって歩いた。俺が目の前に来ると、レッドスネイクは低い姿勢を更に低くして、シュルルル、と不思議な声を出していた。

 攻撃は飛んで来ない。…………なんだ、これは。不気味過ぎるぞ。

 そう見せ掛けておいて、トラップみたいなものがどこかにあったりとか…………と思ったが、特に何も無いようだ。

 …………どうした。洞窟の入口まで、ゼロ戦闘で来ちゃったじゃないか。

 零の魔道士だけに。

 我ながら、なんてつまらないギャグだろうか。


「どうしようか、スケゾー」

「どうもこうも、中に入るしかねえっスよ」


 そうだな。

 一体何が待っているのだろうか。レッドスネイクの群れは俺を見ているが、ただ見ているだけで一向に攻撃を仕掛けてくる様子がない。…………本当に、罠じゃないんだよな。大丈夫だよな、これ。

 俺はついにレッドスネイクから視線を外し、洞窟の中に向かって走った。



 *



 どうしたもんだろうか。


「…………これ、どう思う? スケゾー」


 道中に、敵が一体も居ない。何もしない内に、どんどんと洞窟の深部へ進んで行っている――……広く深い場所だが、これだけ魔物の姿を見ないというのも少し不気味過ぎる。


「でも、あちこちに魔物の気配は感じるんスけどねえ」


 そうなんだよな。

 俺達が奥へと進んでいるというのに、わざと放置しているようにしか見えない…………という事は、やっぱり魔物が居ない訳じゃなくて、手を出す気が無いんだ。

 一体、どういう事なんだろうか。キララが洞窟に入り込んでいるから…………? いや。それにしたって、不自然だ。


「スケゾー。……ちょっと、思うんだけどさ」

「はいはい?」

「そもそも、『魔力が使えるようになる呪い』って、なんかおかしくないか?」


 スケゾーは、何かを考えているようだった。


「馬車の兄ちゃんがさ、レッドスネイクは一度噛まれると、魔力を吸われて三日で死ぬ、って言ってたよな。でも、モーレンはレッドスネイクの呪いとやらについて、『人とは違う魔力が使える代わりに、自身の体力に問題が出る呪い』だって言ってた」

「…………そういや、そうっスね」


 この二つの現象は、似ているようで違う。魔力を吸われるだけなら、それはただの毒かもしれないし、人によっては呪いだと言うのかもしれない。…………だけど、例え魔物であっても、他者の魔力を使えるようになる状況というのが、よく分からない。

 他の誰かの魔力をそのまま使うというのは、難しいもんだ。それが人間と魔物なら、尚更。

 つまり、どういうことか。

 ただの『呪い』だと一括りにするのは、少し違うんじゃないか、ってことだ。

 もしくは、別の現象。


「それにしても、キララさん居ねえっスね」

「最深部だろうな…………ったく、めんどくせえ」

「まあまあ。同じ顔の男が残した遺産って事っスよ」

「それなあ。なんか、引っ掛かるんだよなあ」


 暗い洞窟の中を炎の魔法で照らし、どんどん先へと進んで行く。岩は乾いていて動き易いが、出っ張っていたり尖っていたりするので、洞窟の中でも大部分は跳躍による移動だ。同じ洞窟でも、『水灯りの洞窟』とは随分と雰囲気が違うな。

 先程モーレンに見せられた、キララとメサイアのやり取り。……あれも、なんか引っ掛かる。ったく、この場所はどいつもこいつも謎に包まれた発言や噂ばっかりで、幻覚でも見ているかのようだぜ。


 それにしても、『生涯の伴侶』ってすごい言い方だよな。プロポーズにしちゃ、あんまり聞かないというか。やや古臭い言動というか。

 まあ、キララの一人称が『妾』だからな。そんな事もあるかもしれな――――…………



「あ――――――――っ!!」



 瞬間、俺は叫んでいた…………!!


「な、何スか急に!? どうしたんスか!?」


 思わず、立ち止まった。そうか、生涯の伴侶…………!! そ、そういう事か…………!!


「分かった…………!!」

「な、何がっスか!?」

「キララのプロポーズに対する、メサイアの発言!! あれは、勘違いだ!! ほら、キララの奴、全くちゃんと喋れてなかっただろ!!」

「はあ!? …………た、確かに言葉はかなり怪しい雰囲気でしたが…………それが、どうしたんスか!?」

「っくそ、急ぐぞスケゾー!!」


 走りながら、俺は思わず、顔を歪めてしまった。俺とキララが最後に交わした会話、あの時キララは、俺に何と言っていたっけ!?


『所詮、妾は蛇に呪われた、頭のおかしい女よ』


 そうだ。確かキララは、そう言っていた。それで、逃げた先が『大蛇穴の洞窟』だってのか…………!? 蛇に呪われた女が、自分に呪いを掛けた蛇の所に行く。あまり良い予感はしないというか、もはや悪い予感しかしねえ…………!!

 早まるなよ、キララ・バルブレア…………!!


 急に、洞窟の中が広くなった。ここは…………最深部か!? デコボコして歩き難かった空間が、急に平地になる。これは大きな、広い岩の上に立っているみたいだ。

 そしてその前方には――――巨大な、蛇――――!?


「キララァ――――――――!!」


 蛇だ。巨大な蛇、恐らくレッドスネイクの親玉だと思われる魔物が、キララに向かっていた。キララは目を閉じて、祈りを捧げるように両手の指を組み、蛇に向かい合っていた。

 俺の叫びに気付いて目を開け、俺を見る。


「えっ…………!? メサ…………グ、グレンオード…………!?」


 キララは涙を流していた。その表情から、ろくな事を考えていないという事は、俺にはすぐに分かった。

 諦めた人間の顔なんていうのは、腐る程見て来た。それが笑っているのか泣いているのかの違いはあるだろうが、皆一様に、ある共通点を持っているもんだ。

 その全身から、どこか寂しそうな空気が漂っているんだ。


「どうしてこんな所に来た、メサイアの紛い物が!! 帰れ、帰れ帰れ帰れっ!! 来るな、私に近寄るなっ!!」


 俺はキララの言葉を無視し、スケゾーと魔力を共有。…………今戦わないといけないのは、キララではない。すぐ近くに居る巨大なレッドスネイク目掛けて、拳を握った。


「おいレッドスネイク!! キララ・バルブレアから離れろお――――――――っ!!」


 十%の魔力共有。スケゾーがナックルの姿に変化し、俺とスケゾーは一体化する。弾けるような炎が俺の拳から解き放たれ、俺は弾丸のように、レッドスネイクの懐に飛び込んだ。


「【笑撃の】オォォォォ――――!! 【ゼロ・ブレイク】ッ――――!!」


 レッドスネイクの巨体に、拳をめり込ませる。

 燃えるような皮膚の大蛇は、俺の攻撃を受けて洞窟の奥に吹っ飛んだ。轟音があり、レッドスネイクは砂煙を巻き上げて、洞窟の陰に隠れた。


「やったか…………!?」

「いえ、殴る瞬間に皮膚が硬化するのが見えたっス!! 蛇の魔物なんかは、身の危険を感じると皮膚が硬くなって、防御力が上がったりするらしいっスから、油断はできねえかと…………!!」


 そうなのか。くそ、厄介な相手だ…………!!


「とにかくここから離れるぞ、キララ!!」


 俺はそう言って、キララの腕を掴んだ。キララは歯を食い縛って、どうにか俺の手を振り払おうとしていた。


「嫌じゃ!! 嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃっ!! 妾は、ここで蛇と共に心中するんじゃ!!」

「何言ってんだ馬鹿野郎!! 目を覚ましやがれ!!」

「元々、死んでいておかしくない身体だったんじゃ!! …………それが、どういう訳か生き長らえて、こんな所まで来てしまった…………だから、もう終わりにするんじゃ!!」

「キララ――――――――!!」


 俺は、キララ・バルブレアの頬を、力任せに引っ叩いた。

 これじゃあただの、駄々をこねる子供だ。本人、分かってやっているのか知らないが。

 我儘もいい加減にしろ、だ。こいつの勘違いにどこまで付き合うのかって、そういう話じゃないか。


「お前が今まで生きて来られたのは、偶然じゃない!! 色々な人の助けがあって、ここまで来られたんだろ!! …………そんな簡単に、死ぬとか言うなよ…………!!」


 キララは大きな目に一杯に涙を溜めて、俺を睨み付けた。既に、覇気は無い。ただ、悔しそうにしていた。

 これ、言って大丈夫か…………!? こんなにシリアスな状況なのに、これから俺が言わなければならない事は…………!! ただのギャグじゃないか…………!!


「だって…………!! 妾を愛してくれる人なんか、誰も…………」


 ええい、ままよ!!

 俺は大きく息を吸い込んで――――…………



「メサイアは、『障害の配慮を担ってくれるか』って聞き間違えたんだアァァァァ――――――――!!」



 瞬間。

 キララの涙が止まった。それまでの絶望的な空気が嘘のように霧散し、その代わりにただ、そこにあるのは…………静寂。

 言いたくなかった、こんな事は言いたくなかったが!! こいつは十年間、これに縛られて生きて来たんだ。だからこそ、こんな結末だった事は、俺が一番伝えたくなかったが…………!!

 だが、仕方ないものは仕方がない!!


「モーレンが、お前とメサイアのやり取りを保存していた。それを見させて貰ったんだよ…………!! お前、ちゃんと言えてなかったんだ!! 『生涯の伴侶』って言葉が、『障害の配慮』って聞き間違えられたんだよ…………!!」


 さて、ここで当時の会話をもう一度、思い出してみよう。


『妾は…………上からしかものを言う事ができぬ。こ、これはもはや、そういう病気なのかもしれぬ…………』


 キララは手前で、自分の事を『病気なのかもしれない』と言った。この言葉でメサイアは恐らく、蛇の呪いの事を思い出したに違いない。

 だから、険しい表情だった。キララがこれから何を言うのかと、そう思っていたんだろう。


『で、でも!! そんな病気の妾であるが、そなたのことは、本当に好いておるのだ!!』

『もしも妾が、これから生きて行く事がで、でき、できた…………できるのなら…………』

『おう。大丈夫だキララ、俺はちゃんと聞いているぞ』

『わっ!! わらわらわの、生涯のはっん、りょを…………に、なってくれぬかっ!?』


 病気でもう余命幾許もないが、メサイアの事を本気で好いている。もしもの事があった時は…………自分の、障害の配慮を担ってくれないか。

 そうとも取れる訳だ。これから先、自分が――キララ・バルブレアが――どうなるか分からないのだと、そういう前提を持っていれば。

 そして、当時のキララは蛇の呪いに冒されていた。

 勘違いするには、充分だ。


『そうか、キララ…………ついに、頭がおかしくなっちまったのか』

『えっ? ちが…………』

『心配するなよ、キララ。お前のことは、俺が一番、よく分かってる』


 …………まあ、つまりアレだ。二人共、言葉が足りなさ過ぎるんだよ。

 人と何かを話す時には、ちゃんと相手がどれだけ自分の話を理解しているのか確認しようって、そういう話。


『お前は正常だ!! ――――お前は、そんな事を言う奴じゃないっ!! そうだろ!?』


 これから病気で死ぬなんて、そんな事を言う奴じゃない。お前はちゃんと、生きて行けるんだ。…………多分、そう言いたかったんだろう。

 残念ながら、キララには全く伝わって無かったけどな。


「キララ…………!! 大丈夫――――」


 キララの目は…………点になっていた。

 ついに、頭の中が真っ白になったのだろうか。それとも、当時の会話を思い出したのだろうか。…………思い出したのだろう。そうして、俺の言葉の意味を理解したに違いない。


 …………っていや、こんなものボケッと見ている場合じゃないんだって!! 早い所ここから逃げないと、レッドスネイクがまた、起き上がって来るかもしれないのに!!


「おい、逃げるぞキララ!! …………キララ!? キララァ――――――――!!」


 両手で肩を掴んで揺さぶったが、キララは全く元には戻らなかった。

 …………多分それは、十年分の衝撃だったのだろうと、俺は思った。

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