第92話 祝福という名の、蛇の呪いを

 洞窟の奥から、再び音がした。


「や、やばいっスよ、ご主人…………!!」

「んな事は分かってるって!!」


 この状況なら、すぐに入り口付近のレッドスネイクを呼び寄せるだろう。囲まれてしまえば、俺達だっていつ噛まれるか分からない。一刻も早く、ここから逃げ出さないと。望んでいなくても、蛇の猛攻に二人で心中だ。

 勿論、そんな事になってはならない…………が、一向にキララの魂がここに帰って来ない。


「ええいもう仕方ねえ!! キララを背負って行くぞ、スケゾー!!」

「背負ったら殴れねえじゃないっスか!!」

「お前が何とかしてくれ!!」

「無茶言うなァ――――!!」


 大丈夫。俺とキララを護りながらでもスケゾーは活躍して、レッドスネイクを退けながら逃げる事もできる筈さ。頼まれた当の本人は、頭の骸骨が浮き上がる位に驚いているようだったが。

 奥に殴り飛ばした、レッドスネイクが起き上がったようだ。遠くに、黒い影が見える…………!! 俺は放心しているキララを担ぎ上げ、レッドスネイクの親玉を睨み付けた。

 ゆっくりと、その姿が見える位置まで現れる…………!!


「悪いが、相手にしている時間はねえ!! ここは、逃げさせて貰うぜ!!」


 どうせ、人間の言葉など理解されていないだろうが。俺はそう捨て台詞を放ち、巨大なレッドスネイクの親玉に背を向けた。

 その、瞬間だった。



『待て』



 声がして、俺は思わず立ち止まった。重たく、それでいて落ち着きのある声。この場に居る誰も、このような声で会話をする事はない。

 声は、音として発された訳ではなかった。まるで俺の脳内に直接話し掛けているかのような、そのような声だった。

 こんな手段を取る奴なんて、限られている。一度は背を向けたレッドスネイクに、俺は再び顔を向けた。


「…………スケゾー」

「ええ、オイラにも聞こえてるっスよ」


 という事は、きっとキララにも聞こえている。背中のキララは、未だ姿がグレースケールに見える程、放心していたが。

 思わぬ展開だ。前に、レッドスネイクはあまり知性が無いと聞いていたが…………うーむ、相変わらずその手の内容に通じていない奴等の情報ってのは、形のないモノが多いな。まあ、分からないんだから仕方が無い、という事でもあるけれど。

 しかし、どうやらレッドスネイクに戦闘の意思はないようだ。俺はレッドスネイクと向き合って、魔力共有を解いた。


「…………呼び止めるって事は、何か話をするつもりなんだな?」


 俺は一応、そのように問い掛けた。この会話をトラップにして、仲間が集まるまでの時間稼ぎをしようってんなら、こちらも手を打たなければならないが。

 それなりの理由は、あるんだろうな。


『随分と素っ気無いじゃないか、メサイア。…………それとも、病気が治って記憶喪失にでもなったか?』


 ――――えっ?

 その言葉に俺は一瞬、思考が停止してしまった。レッドスネイクは俺達の目の前まで迫ると、舌を出した。


『今日は来てくれて、嬉しかったぞ。この十年、ずっとお前達は城に隠れて、私達を迎えようとしなかったからな』


 どうやら、俺の事を完全にメサイアだと誤解しているようだ。放心していたキララに、ふと光が灯る。


「ど、どういう事だ…………? 妾が来て、嬉しいだと…………?」

「おいキララ、これはどういう…………」

「お、降ろせっ!!」


 何やら慌てて、俺の背中から降りるキララ。レッドスネイクの前まで来ると、レッドスネイクはキララの頬を舐めた。

 …………うーん。何だか最近は、予想外の出来事ばかりだな。


「妾に噛み付いたのは、お主ではないのかっ!? 妾を呪いで殺すつもりだったのだろう!?」

『呪い、か…………そうではないんだ、キララ・バルブレア』


 そう言うと、レッドスネイクはキララの目線よりも姿勢を低くして、まるで地面に伏せるような姿勢を見せた。


『ずっと、この日を待っていた』


 レッドスネイクは、言った。



『よくぞ戻って来てくれた、主よ。――――我々は今から、主の手足となり、下僕となる』



 キララが信じられないと言ったような、驚きの表情を見せた。

 どういう、ことだ…………? レッドスネイクは人を殺す。実際に被害者も出ているようだったし、さすがにそれが嘘って事は無いだろう。だからこそ、恐れられて来た。わざわざ防衛のための城まで作ったって言うのに。

 …………それは、俺が疑問にしなくても、自然に出て来る問題か。


「下僕だと…………!? な、何を言っているのだ、主は…………!! 妾は主らの、人間界への侵入を食い止める人間だ!! 主は人を殺し、喰らう生き物ではないか!!」


 レッドスネイクは、顔を上げた。ただ、黙って俺を見る。


『…………何も、話していないのか?』

「あーいや、悪いが俺は、メサイアじゃない。グレンオード・バーンズキッドだ。正直、全くの他人だ」

『…………』


 俺は腕を組んで、暫しの間、レッドスネイクと見詰め合った。


『――――ええっ!? 嘘ぉっ!?』


 魔物でさえ、俺とメサイアとの区別が付かないのかよ。何なんだよ、この状況。


『そうか…………。では、メサイアは既に…………』


 そう言って、レッドスネイクは俺から視線を外した。キララがふと、不安そうな表情を見せる。


「…………妾に分かるように、ちゃんと説明しろ。妾の下僕だと主張するからにはな」


 レッドスネイクは頷いた。



 *



 レッドスネイクは、その一部始終を俺達に話した。

 レッドスネイクってのは、代々人間の主人を持つ魔物で、人間と元々は仲が良かったらしい。契約者と使い魔のような契約で、お互いに問題があれば助け合うような、良い関係を築いていたんだそうだ。

 しかし、『蛇使い』っていうのは、周囲からはあんまり良く思われていなかった。レッドスネイクが人間の魔力を吸い取る、というのは有名な話で、レッドスネイクを使う主人によっては――……人に牙を剥く事もあったそうだ。


『そして――――ある時、ついに我々の主人は、人に殺される事となった』


 主人の居なくなったレッドスネイクは人間と仲が良いから、魔界にはあんまり居場所がない。だから、新しい主人を探す事に決めた。…………だけど、レッドスネイクの『契約』というのは、主人候補となる人間に噛み付かなければならなかった。魔力を吸い取られると思っている人間に噛み付く事はかなり難しく、更に運良く噛み付く事ができたとしても、蛇の魔力に耐えられない人間はすぐに死んでしまう。主人を見付けるのは、困難を極めたんだそうだ。


『そんな中、我々は、キララ…………君を見付けた』


 小さな赤子が一人で泣いていた。これまでは探しても分からなかったのに、その赤子を一目見た時、自分達が共に生きてきた一族の末裔だと分かったらしい。

 だから、レッドスネイクは噛み付いた。……すると、魔力に耐えつつも体力を失うという、不思議な現象が見られた。この少女が成長すれば、死なずに力を得る事が可能なのではないか。そう願いを掛けて、レッドスネイクはキララの成長を見守り続けた、と。


 …………んで、その少女ってのはやがて、スカイガーデンに連れ去られる事になる。地上に帰って来るのを待っていたが、残念なことにキララはレッドスネイクの事を覚えていない。まあ、赤子なんだから当然だ――……しかも、せっかくレッドスネイクから人間を護る城に勤めているのに、キララはちっとも前線に出て来ない。

 まあ、ギルドリーダーだからな。戦地に赴くのは最後だろうしな。


「…………では、妾は時と共に、自然と蛇の魔力に打ち勝ったと、そのように申すか」

『そう。主が今生きている事が、何よりの証拠だ。…………その事を、私は主のために私を殺しに来た人間――――メサイア・ニッカに、話したつもりだった』


 だが、メサイアはメサイアで不治の病を患っていて、もう残された時間はあと僅か、という状態だった。…………らしい。

 このレッドスネイクは、メサイアの事情を聞いていた。…………らしい。

 キララは、複雑な顔をしていた。唐突に明かされた真実に、あまり事情が飲み込めていないようにも見えた。

 だが、少なくとも言える事は。メサイアは決して、キララを嫌いになった訳じゃない、という事と、最後までキララのために行動していた、という事だ。


『俺が絶対に、なんとかしてやるからな』


 これは俺の予想だけど、多分最後にメサイアは、キララにそう伝えたかったんだと思う。


「でもっ…………!! 主らは、全く関係のない人間を何人も、何人も殺したではないかっ!! そんな奴等の主人になれ、などと、虫が良いとは思わないのかっ!?」

『ならば、我々の主人は何故、殺されたと思うか?』

「そ、それは…………」

『主人だけではない。『蛇だから』『危険な気がするから』という理由で、我々は誰とも知らぬ人間に殺され、半数以上の仲間を失った。そんな人間など、我々から見れば敵も同然ではないか?』

「…………」

『我々の目的は、ただ一つ。…………良くしてくれた人間にだけ、敬意を払うことだ。当然、攻撃されれば戦うまで』


 レッドスネイクの言葉に、キララは何も言えなくなっていた。…………こうなると、何が正義で何が悪なのか、難しい話になりそうだ。

 …………ま、そもそも正義と悪なんて、主観の混じった言葉でしか無いけどな。皆、自分達のやっている事が正義だと思ってんだよ。

 正解なんて、どこにもない。


「…………妾の血が故に、妾とは仲良くするのだと、そういう事か?」

『それだけではない。主は、こうして私が話し掛けても驚かないではないか…………キララ、君が我々を受け入れてくれるのならば』

「メッ…………メサイアは、なんと言っていた?」


 レッドスネイクは、少しの間を空けて、答えた。



『――――愛している者が死なないと、そう教えてくれた事に感謝する、と。もしも戦っていたら、永遠に気付く事は出来なかった、と。そう、言っていた』



 キララの頬を、涙が伝った。

 擦れ違いや、勘違い。…………人は言葉が足りないから、そんな事が起こってしまうのもやっぱり、日常茶飯事だ。そういう意味では、メサイアのとんでもない思い違いや、キララの覚束ない言葉も、蛇の一件と通じるものがあるのだろうか。

 それでも、心を通わせる事さえできれば、安易に牙を剥く事は無いんだと、そう思っていたい。


「では…………汝に命ずる。…………妾の許可無しに、二度と人を殺めるな。…………そうすれば、妾は命を賭けて、汝らを護ると誓おう」


 俺は頭の後ろで手を組み、笑みを浮かべた。


『ありがとう、キララ。――――どうか、この身が朽ちるまで、主と共にあらんことを』


 この約束がちゃんと守られて、人と蛇が二度と戦う事にならなければ良いな、と。

 他人事ながら、俺はそう思ってしまった。



 *



 で。


「グレン、これが『夜の顔』だ」


 キララは満面の笑みで、俺に『夜の顔』を寄越した。一体どんなアイテムなんだろうと思っていたら、仮面が縦半分に割れたような形のアイテムだった…………多分、これが二つで仮面になるんだろう。

 夜の顔よろしく、真っ黒に塗られたそれは、単体でみると不気味な一品でしかない。…………どう見ても闇のアイテムだろ、これ。笑顔で渡すような代物じゃねえよ。


 いや、そんな事より。唐突に蛇を従えて戻って来たキララに、ギルドメンバーは驚愕していた。今まで自分達が敵だと思っていたものを、唐突にキララが護り出したのだ。そりゃ、驚く以外に無いだろう。

 モーレンに至っては、巨大なレッドスネイクにキララが乗って現れるや、倒れて目を回していた。


「…………グレン、あんた…………何があったの」


 ヴィティアの言葉に、俺は明後日の方向を見て、苦笑した。


「さあ、何があったんだろうねえ…………」


 キララは俺の腕に抱き付いて、擦り寄ってくる。

 …………あー、ね。そう、問題が解決したのは良いんだ。ついでに言うと、メサイアの一件がただの勘違いだと分かったし、蛇が危険なのも勘違いだと分かったし、それはもう勘違いパレードで、一件落着って感じなんだ。

 でもね、それとこれとは話が別なんだよ。


「ねえ、キララさん? …………あのね、その人はメサイアって人じゃないのよ? 何か勘違いしているみたいだけど」


 ちゃん付けで怒られ、相当呼び方について迷ったんだろう。気が付けばヴィティアは、キララの事を『キララさん』と呼んでいたが。

 結局、子供に言って聞かせるような台詞になってるんだけど。それは大丈夫なのか。


「そうだ。グレンはメサイアではない、それは分かっておるぞ」

「そうでしょ? …………分かったらグレンを返して。ね?」


 俺は別に、ヴィティアのモノではないが。

 キララは胸を張って、言った。



「グレンはきっと、メサイアの生まれ変わりなのじゃ」



 …………いや、何を言っているのか、全然意味が分からない。


「はあ!? …………何言ってんの、あんた!! グレンはグレンであって、他の何者でもないわよ!!」

「グレンが、妾とレッドスネイクの関係を明確にしてくれたのじゃ。メサイアに伝えられた伝言を、グレンが解き明かしてくれたのじゃ。これが生まれ変わりでなくて、何だと申すか」

「ただの偶然の産物でしょ!? あんた、こじつけもいい加減にしなさいよ!!」


 まあ、『夜の顔』を手に入れた事で、俺の目的は達成された訳で。…………この変化は、俺にとって喜ばしい事だったと、そう思わなければならない。…………筈なんだが。

 俺の腕に抱き付いているキララ。それに対抗するためか、反対側の手をヴィティアが取った。…………俺を挟んで、両者は睨み合っていた。


「グレンは、私とリーシュのモノだから!! 横から入って来ないで!!」


 いや、別に俺は誰のものでもないから。


「横から入って来たのは貴様だろう、不届き者が!! 妾がスカイガーデンに連れて行くから、貴様は引っ込んでおれ!!」


 いや、特にお前とスカイガーデンに行く予定はないから。


「グ、グレンオードッ…………!! やはりお前に、キララお嬢様を任せてはいけなかったっ…………!!」


 モーレン!! 勝手に嫉妬心を燃やすんじゃない!! 男に戻ったら折角イケメンなのに、台無しも良い所だ!!


「グレンさん!! 僕、分かりました!!」


 チェリア!? 何故そんなに、目を輝かせているんだっ!?


「皆さんのように強いキャラクターを作る方法が、分かったんです!! …………それは、人に遠慮をしない事なんですね!!」


 おいバカッ…………!! やめろチェリア!! お前はこっちに来てはいけない!!


「あの、ご主人…………さっさと行きません?」


 スケゾーが溜息を付く中、ヴィティアとキララは未だ、いがみ合っている。…………嫉妬に燃えるモーレン。例に漏れず、一人、暴走を始めたチェリア。そして、動けない俺。


「グレン!! ねえ、グレンは私を見捨てたりしないわよねっ!? スカイガーデンに連れて行ってくれるでしょ!?」

「グレン!! 妾がスカイガーデンに伝わる、世にも美味い珍味を紹介しよう!! だからこの娘を置いて行け!!」


 俺は、叫んだ。


「くだらん論争に俺を巻き込むなアァァァァァ――――――――!!」



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