第72話 あんた、死ぬのよ

 現れたのは、ヴィティアだった。

 ヴィティアは、怒りに打ち震えていた。薄っすらと目尻に涙まで浮かべて、真っ直ぐに俺を睨み付けていた。既に戦線離脱したトムディ。槍の突き刺さったキャメロン。俺の回復に身魂尽き果てているチェリア。…………そして、左腕を失い、身動きを取る事の出来ない俺。

 抜け出して来たのだろう、ヴィティアは両手に手錠を嵌められていた。その状態で、ここまで逃げて来たのだろうか。

 次回はどういった形であれ、優勝者が決定する。ヴィティアがあの牢獄から解放される時も近い…………大方、明日の準備で牢から出た瞬間を狙ったのだろう。


「ヴィティア…………!!」


 トムディは驚いていたが、ヴィティアはトムディを無視し、真っ直ぐに俺の所まで歩いて来た。瞳孔は開き、浅く呼吸している。両手が拘束されていなければ、今にも俺に殴り掛かりそうだ。

 座っている俺を見下ろすヴィティアに、俺は下から視線を向けた。


「私…………コロシアムには出ないでって、言ったわよね…………!?」


 遠くで、複数の男の足音がする。見失ったヴィティアを探しているのだろう。……ここまで辿り着くのに、そう時間は掛からないはずだ。

 捕まったら、何をされるか分からない。……賢い行動とは思えない。目立った傷は付かないにしても、一発二発、男から殴られる事はあるかもしれない。

 それでも、ヴィティアはここに来た。


「こんなの、罠に決まってるでしょ!? あんたの軽はずみな行動で、あんた達全員が危険な目に遭うかもしれないのよ!? どうしてそれが分からないの…………!!」


 両手を一杯に握り締めて、震えているヴィティア。

 どうしてだろうか。俺は怒られているのに、助けを求められているようにしか聞こえなかった。俺をどうにか帰そうとしているヴィティアが、まるで。


「ああ、さっぱり分からねえな。…………お前の、『どうにもならない自己犠牲』の精神なんてな…………!! 正直、全く分かりたくもねえな!!」


 ヴィティアが遂に、右腕を振り上げる。手錠ごと、俺の頬を引っ叩いた。


「やめてください!! グレンさんは今、無理をさせちゃいけない身体なんです!!」


 チェリアの叫びも、ヴィティアには届かない。

 俺とヴィティアは、互いに睨み合った。……ヴィティアがここまで怒っているのが、俺達にどれだけ好意を抱いたのか、その裏返しだ。


「あんた、死ぬのよ…………!?」


 ずっと、ヴィティアは欲していたのだろう。


「俺は死なねえよ」


 心の底から信頼して、その身を預けられる、家族のような存在を。


「貴様!! 勝手に行動するな!!」


 遂に、数名の鎧を着た男がヴィティアを発見した。瞬く間にヴィティアは取り押さえられ、地面に組み伏せられた。

 ヴィティアは、泣いていた。真紅の瞳に、一杯に涙を溜めていた。


「ああ、そう!! そんなに死にたいんだったら、勝手にすれば!? あんたその状態で、次の相手に勝てるとでも思ってるの!?」


 俺は答えない。

 …………まだ、達成していない。今のままの俺では、ヴィティアに伝えることができない。……そもそも、まさかヴィティアがここに現れるとは思っていなかった。だが、この偶然の出会いは、俺の意志を更に強固なものにさせた。

 ヴィティアが今一度、連れ去られる。ヴィティアの声が、遠くなって行く。


「馬鹿ッ!! アホ魔導士!! あんたなんか嫌いよっ!! 死んじゃえ!! 死ねーっ!!」


 俺はその間、ただの一度も、ヴィティアの方を見なかった。

 嘘のように、静寂は訪れた。残っている数少ない冒険者には、このコロシアムは酷く広いものに感じられた。……俺はその胸にもう一度、必ず達成するのだと、強い願いを掛けた。


「グレン。…………良いのか?」


 ふと、キャメロンがそんな事を言った。

 良いかどうかと言えば、正直よく分からない。だが、これでヴィティアが心を閉ざす事は無いと…………思う。

 確信の無い言葉は、口にする訳にはいかない。


「…………宿部屋に戻ろう」


 俺は、そう伝えるのが精一杯だった。



 *



 真夜中の、コロシアム内にある宿部屋でのことだ。


「……………………スケゾー」


 俺は小さく、そのように呼び掛けていた。

 キャメロンは応急手当をして、眠っている。トムディやチェリアも、また――……こんな時間に起きているのは、俺だけだ。俺も身動き一つ取ることができず、この場所まで来るのには相当な苦労を要した。


「スケゾー。…………起きてくれ」


 既に憔悴してぐったりと眠っていたスケゾーが、薄っすらと目を開けた。


「…………ご主人」


 スケゾーはすぐに、俺が何をしようとしているのか、その意志に気付いたようだ。


「やろう、スケゾー」

「…………マジッスか? …………正直、しんどいんですが」

「左腕が無いと、戦えない。…………そうだろ?」


 スケゾーは俺の言葉に、黙ってその場に座り込んだ。

 どこかで、虫の声が聞こえてくる。試合中とは打って変わって、この場所は平和そのものだった――……だが日が昇れば、この束の間の休息も、容易く終わりを告げてしまう。

 本当の休息が訪れるのは、もっと、 もっと先だ。


「…………まあ、どう足掻いても勝ち目薄いのは確かなんで…………オイラには、正直判断ができねーですが」

「大丈夫だよ、お前の魔力ならまだ有り余ってるだろ」

「そこじゃねえっスよね、問題」

「俺の方は、まだ大丈夫だよ」

「嘘つきやがって…………」


 スケゾーは髑髏の頭を軽く掻いていた。どうやら、俺の行動に疑問があるらしい。訝しげな視線を俺に向けると、スケゾーは首を傾げながら言った。


「…………何で、そこまで頑張るんスか。正直オイラには、リーシュさんを助ける方が先決のように思えてならないんですがね」

「じゃあ、ヴィティアは見殺しか?」

「そうは言いませんが…………リスクが高過ぎるんスよ。ご主人ならコロシアムに出場しないで、ちょちょっとヴィティアさんを掻っ攫って逃げるとか、いつもはそっち路線のような気がするんですが。そうすると、奴等を倒すよりもリーシュさんを助けるのを先にできるじゃないっスか。そっちの方が、安全って言うんスかね…………」


 俺は、窓の外を見た。

 今夜はよく晴れている。満月に照らされて色付く星々は賑やかで、いつまでも見ていたいような、そんな気持ちにさせられる。無心ながらに、俺はスケゾーの言葉を抽象的に考えていた。

 そうだろうか。俺はスケゾーが思っているほど、理屈的で頭の回る人間じゃない。時には感情に支配されるし、直情的に行動することもある。


「昔、さ。…………お前は、そうして欲しくなかったか?」

「オイラが?」


 例えば言葉を付け足すなら、ヴィティアの心を解きほぐすにはそれしかないとか、ここで逃げたり裏をかいた戦略を取った所で、名前も知らない組織は必ず俺に牙を剥くはずだとか、色々あったかもしれない。

 だけど、本当はそんな理由、ちっぽけなものに過ぎなかった。


「…………ずっと、一人でさ。誰にも助けて貰えなくてさ。自分の力では、自分の事さえ護り切れなくてさ。半ベソかいて、歯を食い縛って生きててさ。…………正直、俺は欲しかったよ。真正面から俺にとっての怖いモンを全部取っ払ってくれて、声を掛けてくれる。…………そんな、奇跡みたいなヤツ」


 俺がそう言うと、スケゾーは笑った。


「青臭え男っスね、ほんと」

「ひでえな」

「そんな奴、いねえっスよ…………」


 俺とスケゾーは、笑い合った。

 きっと、俺達は経験していた。それがヴィティアのものと比べて、どれだけ重いか軽いかとか、そんな事は分からない。だけど、俺達の行動原理はいつも『それ』に従っていた。

 今回だって、例外じゃない。だって俺達は、いつだって余り物で、一人だったのだから。


「…………ご主人」

「おう」


 すっかりくたびれていたスケゾーに、再び闘志の光が灯った。

 なら、後は全力でぶつかるだけだ。


「そんじゃまあ、勝ちに行きましょうか」

「おう」



 *



 宿を抜け出した俺は、決勝戦の試合準備が始まるまで、仲間達とは別の場所に待機していた。

 決勝戦だ。今回ばかりは勝手が違う。ギャンブル好きな者だけではなく、祭を楽しみに来た観客も交えて、一つの派手なイベントとなる。本来は、その手前に準決勝がある予定だったが――……今考えると、実質キャメロンは準決勝を戦う事が出来ていない。敢えて準決勝第二試合を後にしたのは、あの夜間の奇襲を起こすと決めていた為――……だとしたら。

 遠くで、騒ぎの音が聞こえて来る。


「待たせたな、野郎共!! 遂に、待ちに待った『ヒューマン・カジノ・コロシアム』最終戦がやって来た!! 今回も、トーナメントの激戦を勝ち抜いて来た――――…………」


 俺は、立ち上がった。


「…………行くか、スケゾー」


 その言葉に、眠っていたスケゾーが目を覚ます。


「しゃーねーっスね。やりますか」


 結局、俺達は一睡もしていない。あれだけの傷を負ったのだから、これも仕方のない事ではあるだろうか。

 …………奴等の計画は失敗した。仕掛けていた筈の人間はトーナメントで本人に敗れ、再び新たな策を練り直す。……既にそうなっていると、信じたいが。

 無心のまま、通路を歩いた。今は、何を考えても仕方がない――……作戦は、二つ。和解するか、戦うか。そのどちらかしかない。そして、この場所が『ヒューマン・カジノ・コロシアム』決勝戦の場である事を鑑みると、前者が通用する可能性は限りなくゼロに近い。

 そんな事は、始めから分かっている。そう考えた上での、『二つの作戦』だ。


 少しでも歩くと、息が上がってしまう。手前の二戦があったせいで、すっかり貧血だった。それでも俺は、足を進めた。


「先にステージへと上がるのは!! 以前、このコロシアムでも優勝した経験を持つ男!! お待ちかね、無敵の『悪魔殺し』ギルデンスト・オールドパーだァ――――っ!!」


 そんな異名があったのか。……誰もいない通路で一人、俺は苦笑してしまった。奴が『悪魔殺し』なら、俺達は悪魔の端くれか。少なくともスケゾーにとっては、天敵と言っても良いだろう。


「…………なあスケゾー、悪魔ってさ。人や魔物に危害を加えるから、『悪魔』なんだろ?」

「そっスね。定義的にはそんな意味ですが。最近じゃ、魔力が高いだけの魔物も悪魔って呼ばれる事あるんで、何ともっスけどね」


 スケゾーなんかは『悪魔』である事に誇りを持っていたりもするので、一概には言えないが。基本的には、悪魔なんてモノは差別され、阻害される称号でしかない。

 …………その異名から漠然と、今後の戦いの厳しさを予想した。

 そして――――…………



「続いて、会場に登場するのはこの男!! セントラル・シティでは悪い意味で一・二を争う有名人!! 魔法の飛ばない魔法使い!! 『零の魔導士』グレンオード・バーンズキッドだァ――――!!」



 通路を抜けて会場に登場すると、日光と歓声に目が眩んだ。

 なんという熱気だろうか。暑い地方とは言え、通常はこれ程ではないだろう。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』は、ウエスト・タリスマンの有名な祭だからな。決勝戦にもなると、こんなにも盛り上がるのか。

 遠巻きに新聞で見る程度だったから、こんな空気も初めてだった。何しろ、武術関係の大会なんざ出た事がない。どうせ優勝なんて出来ないだろうと思っていたし。


 控えの席には、トムディやチェリア、キャメロンだけが座っている。……キャメロンの腹、どうにか塞がったみたいだな。少し体調は悪そうだが、寝ていないと駄目という程では無さそうだ。

 俺は、昨日までとは違い、鮮やかに装飾された実況の壇上を見た。


「今日の、この戦闘で、豪華な商品と賞金、その両方が勝者に与えられる事となる!! まだチケットが生きているギャンブラーの諸君、君達は運が良い!! さあ、このまま億万長者まで駆け上がれるか!! 精一杯、味方に付いている方を応援してくれよ!!」


 チケットを片手に握り締めている、観客席のギャンブラー。観客の中でも少数だが…………皆一様に目を血走らせて、俺とギルデンスト・オールドパーを見ている。

 確か、準優勝と優勝の間には、勝ち金に雲泥の差があるのだ。だからこそ、決勝戦は盛り上がるという事もある。…………まあ、俺には関係の無い話だが。

 人気が無い奴が勝つと、その分だけ金額も跳ね上がるんだよな。……ギルデンストの方はともかく、俺に賭けていた奴等は今頃大変な金を約束されている事だろう。

 その上で、まだ上があると言うんだから、これは応援せずにはいられない。


「『零の魔導士』――――!! 俺はお前に付いて来て良かったぜ――――!!」

「必ず勝ってくれよ――――!!」


 名前も知らない奴等に応援される中、俺はステージに向かって一歩、歩き出した。

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