第73話 男の度胸と殺された刃
「グレン…………!!」
「グレンさん…………!!」
俺が居なくなった事を、心配していたのだろう。トムディとチェリアは立ち上がり、俺の無事を喜んだ――……が、それも束の間だ。俺の状態を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「グレン…………腕、治ったの?」
駆け寄り、トムディが言った。
俺は、五体満足だ。無くなった左腕も復活しているし、背中や腹に受けた傷も塞がっている――……いや、『傷そのものが存在しない』。昨日までの状態を見ていた者にとっては、当然驚く所だろう。
だが、それだけではない。身体が治った代わり、その代償はかなり高く付いている。……今の俺は、余程ひどい顔をしているのだろう。俺の顔を覗き込むトムディはやがて、不安に思ったのか、青褪めていた。
「…………大丈夫?」
昨日から鏡を見ていないが、きっと今の俺はとうに魔力を使い果たし、目の下に隈でも出来ているのかもしれない。
俺は、トムディに手を振って、言った。
「問題ないよ。ありがとう」
トムディをすり抜け、ステージの階段を上がった。……キャメロンは控えの席に座ったまま、俺の事を静観している。
ギルデンスト・オールドパーの方には、応援する者は居ないようだ。すっかり白髪の中年男性といった風貌だが、足腰は見るからにしっかりしている。目付きも鋭い…………一筋縄で行かないと、その気迫が俺に言っていた。
ステージに立つと、余計にコロシアム全体が広く感じる。
「グレンオード・バーンズキッド。まさか、お前が残るとはな…………左腕が、飛んだと思ったが?」
出来れば、この手段は使いたくなかった。……もしも俺の秘密に気付かれたら、俺の弱点がそこら中に露出してしまう可能性があった。……やっぱり、気になるみたいだな。
頼むから、『秘密の回復魔法』程度で、その先を考えないでいてくれ。チェリアが凄腕のヒーラーで、無くなった腕も再生したのだと、そういう事にしておきたい。
だが、自らそんな事を告白して、余計な詮索をされても困る。……俺は口の端を吊り上げ、不敵に笑った。
「あんたがギルデンスト・オールドパー、だよな。…………唐突で悪いんだが、俺と取引をしないか?」
「ふむ。……して、その内容は?」
実況が何かを話している。……戦闘開始の合図は、まだ少し先だ。決勝戦だから、前口上が長いのだろう。
俺はその様子を確認して、続けた。
「俺は賞金を求めていない。優勝はあんたに譲るよ……その代わり、あの奴隷候補を俺にくれないか。……そうしたら戦わず、手を引く事を約束しよう」
「…………ふむ」
一応、これも本気の提案だ。ギルデンストだって、俺がこれまでどういった戦いをして来たのかは見ている筈。……そう油断できる相手ではないと、思っている事だろう。……と願う。
ともすれば、悪くない話だ。戦っている振りをして、決勝戦を盛り上げさえすれば――……ギルデンスト・オールドパーを、俺の仲間に、引き込みたい。
ギルデンストはほくそ笑んで、言った。
「サウス・ノーブルヴィレッジではお前に牙を剥いた小娘だがな。……その憐れな生い立ちに同情でもしたか?」
たった、一言だ。
俺は、何も言えなくなった。
「…………さあ、そろそろ最後の戦いを始めよう!! ステージに立っている二人も、最強を決める争いを今か今かと待ち望んでいる筈だ!!」
実況の言葉が左から右へと抜ける中、俺は思わず笑みを浮かべたまま、冷汗を流していた。
何故、ギルデンスト・オールドパーが、サウス・ノーブルヴィレッジでの一件を知っているのか。…………当然だろ。答えは一つしかない。
…………いや、予想はしていた。連中はヴィティアを奴隷として迎え、殺す事まで考えているんじゃないか、とは。ヴィティアをダシにして俺を釣り、コロシアムという処刑場で俺を抹殺した後、改めてヴィティアを殺す。
そんな作戦だとしたら。何故ギルデンスト・オールドパーが、ここまでノーマークで通過しているのかって、そういう話だ。同じ大会で過去に優勝した経験を持つ男なんて、組織からしてみたら邪魔でしかない。思い通りに行かない上、そこそこ強くて、俺と手を組む可能性だってある。
「…………やっぱり、あんたも連中の仲間なのか。…………あんたらは、一体何を考えてる? 目的は何だ。どうして街や人間を襲う?」
くそ。…………張り付いた笑みが、引き攣って崩せない。
ギルデンスト・オールドパーは、静かに剣を引き抜いた。
俺を見る――――その圧倒的な迫力に、気圧された。奴が剣を引き抜いた瞬間、ステージ上にどす黒い魔力が立ち込める。…………憎悪を剥き出しにしたような魔力だ。一瞬で、ギルデンストの威圧感に押し負けてしまうような。
「お前に教える必要はないだろう、グレンオードよ。…………だが、一つだけ言っておこう。正義の為に犠牲を払う事は、歴史的に見ても前例を持つ、極めて常識的な行為である、と」
回りくどい事を言いやがって。俺は拳を構え、歯を食い縛った。
「行くぞ、スケゾー…………!!」
ぐらり、と視界が歪んだ。
スケゾーと魔力を共有した瞬間、表現のしようもない吐気が込み上げて来た。堪らずその場に膝を付く…………魔力の共有率が、高すぎるのか。もう俺には、スケゾーの魔力をコントロールできるだけの魔力が残っていないのか。
「これより、決勝戦、ギルデンスト・オールドパーと、グレンオード・バーンズキッドの試合を開始する!!」
いや、待て。
――――――――この男を前にして、『十五%』が、使えない?
「ご主人!! オイラの魔力が制御し切れてないっス!! このままじゃやばいかも……しれません!!」
ギルデンストは、既に戦闘準備を終えている。審査員は俺の様子を見て、開始を待っているようだった。
今の俺では、『十%』ですら、まともに扱う事ができない。分かってはいたが、これ程に厳しいとは…………!!
見兼ねたようで、審査員の男が正面を向いた。もう、このままで戦うしかない。俺は喉を鳴らして、顎を引いた。
審査員の腕が、振り下ろされる――――…………
「始め!!」
ギルデンストが姿を消した。俺は拳を構え、八方を警戒して前に出る。
可能性があるとしたら、場外だけは何としても避けなければならない。一撃で吹っ飛ばされて終わりになったんじゃ、お話にならない…………!!
微かな物音だけが聞こえて来る。姿が完全に消えたのではなく、動きが速すぎて、今の俺には目で追い掛ける事が出来なくなっているだけだ。
…………当然だ。『十五%』にならなければ、ベリーベリー・ブラッドベリーの魔法陣ですら、俺は目視で確認する事が出来なかった。これはもう、そういう次元の戦い。…………元々、オーバースペックの戦いなんだ。
そんな事は、分かって――――…………
「前回までの戦いが、嘘のようだな。止まっているように見える」
唐突に、目の前に、ギルデンストの姿が現れた。
「うわっ!!」
慌てて、上段から振り下ろされた攻撃をグローブで受け止める。この野郎、わざと俺がガード出来るように、時間を調整しやがったな…………!!
硬化したグローブに、異常な圧力が掛かった。ステージの方が耐え切れず、俺の足元に亀裂が入り始める。
「おおっと――――!? 驚異的な素早さで撹乱するギルデンスト・オールドパー!! なんと、真正面から飛び込んだ――――!!」
実況の声が煩い。
よく見れば、ギルデンストの剣は刃が殺されている。まるで人を殺さないように仕向けられた剣、だが。相手を殺しても大丈夫な『ヒューマン・カジノ・コロシアム』では、むしろ異質に見えてくる。もしも刃が死んでいなかったら、今頃死んでいたのは刃ではなく、俺の方だったかもしれない。
だが、どちらにしても…………今の俺には、絶望でしかない。
「魔力が尽きかけているな。魔導士のお前が、尽き果てる程魔力を使うとはな…………さては、身体を回復させる為に莫大な魔力を使ったな?」
どうする。悟らせてる場合じゃ、ないぞ…………!!
「うるせえよ…………!!」
苦し紛れに剣を払い、拳を放った。『十五%』で戦って来た俺からすれば、既に遅くも感じられる拳。……だが、今の俺の、限界。
炎を纏った拳が、ギルデンストに突き刺さる。
「ぬるい」
ギルデンストは、動かない。真正面から俺の拳を受けて、まるで平気な顔をして、そこに立っていた。
俺が恐怖を感じたのと、腹に激痛を感じたのは、同時だった。
「入った――――っ!! ギルデンスト・オールドパーの拳が、グレンオード・バーンズキッドに突き刺さる――――っ!!」
吹っ飛んだ。地面を転がりながら、どうにか意識だけを繋いで、俺はステージに手を掛けた。
場外だけは。…………場外だけは、避けなければ。何か、可能性を求めるのなら、場外だけは――――…………。
痛い。
「おっと、これは一方的な展開だぞ!? ここまで勝ち上がって来たグレンオード・バーンズキッドも、前大会の優勝者相手には分が悪いかー!?」
可能性って。
――――可能性って、何だ?
俺は今、何をされているのだろうか。…………とにかく、痛い。全身に、次々と激痛が襲い掛かってくる。ギルデンストが今、剣を使って俺に攻撃しているのか、それとも殴っているのか、それさえ分からない。
相手の動きが見えない。……見切れないだけじゃなく、見えない。とうにスケゾーとの共有も切れ、俺は素のままの状態に戻されていた。スケゾーは未だ、俺の体内に居るが。
一般的な魔法しか使えず、しかも飛び道具にならない、ただの俺。
「或いは、お前が万全の状態であれば、この私に一発攻撃する位は、叶ったかもしれないが」
何処からか、ギルデンストの声がする。
可能性って、何だ。…………こんな状態で、どうやって勝ち筋を見い出せば良いんだ。俺はとっくにくたばっている。スケゾーだって、まともに動けるような状態じゃない。
膝を折って、ステージに蹲った。…………どうにかして、スケゾーを切り離さなければ。俺は何をされてもいい。…………だが、スケゾーが体内に居るまま俺がやられたら、もう二度と復活は叶わない。
今だけじゃなく、これからも。
スケゾーを分離することだ。……スケゾーが離れた状態で俺がやられる分には、まだ、どうにか。
「せめて、楽に逝け。若き魔導士よ」
身体の中で、スケゾーが俺に声を掛ける。いや、スケゾーは声を張り上げていた。ステージの亀裂にスケゾーを隠そうとしている俺の行動を、拒否する。
それだけは、駄目だと。自分が居なくなってしまったら、俺に勝ち目など無い、と。
だが、勝ち目が無いのだ。…………そんな事、少し戦えばすぐに分かる。この状態じゃ、どうする事もできない。
首根っこを捕まれ、持ち上げられた。その状態で腹に拳を受け、俺は高く打ち上げられた。
――――視界に、広いステージが入って来る。
「グレン――――――――!!」
トムディが、応援をしている。…………酷く悲しそうな顔をしている。
こいつは、マウンテンサイドで俺の言葉を聞いてからずっと、俺に付いて来ていた。俺の強さと言うのか、そのようなものに、絶対の信頼を置いていたように思う。
俺が居れば大丈夫だと、そう思っていたのだろうか。
「ふむ。…………意外と、しぶといな。まだ意識を失わないか」
そう言ったギルデンストは、既に俺の背中に居た。何かをされ、俺は再びステージに向かって吹っ飛んだ。
目前に、ステージが迫ってくる。自然落下とは比べ物にならないスピード。…………その、威力。
血を、吐いた。
「入った――――――――っ!!」
…………最強って、遠いな。
『やるからには最強』なんて、目指し始めた時はいつも、そんな事を口にするもんだ。でも実際には、その時から『最強』までの道程は果てしなく遠くて、何よりも孤独だ。目の前に居るのはいつも、自分より少し強い者の姿だ。
歩いてみれば、分かる。その距離は本当に、途方も無いくらいで。おいそれと『やるからには最強』なんて言えない位、離れているんだって。
そうだろう。
俺がちゃんとしていれば、リーシュやヴィティアが俺のそばを離れる事なんて無かった。
油断していた訳じゃないんだ。……だから、俺にはまだ、穴が多すぎるんだ。
「グレンオード・バーンズキッド、もうぴくりとも動かないっ!! これは流石に、やられてしまったか――――っ!?」
何としても優勝する、ってのは…………少し、無理があり過ぎたかなあ。
スケゾーの言う通り、俺には正面突破じゃなくて、横からこそっと仕掛けて抜き取っていくような、そんなやり方が合っているのかもしれない。
わざわざ、相手の喧嘩を買う事なんてない。頭を使った方が勝ち、ってな。
もう、何が痛いのかも分からない位に、痛い。…………感覚は麻痺し、意識が遠ざかって行く。
ギルデンストが、攻撃を止めた。ステージに突っ伏している俺を、見下ろした。
俺の首に、手が掛かる。
「呼吸を止めてやろう」
……………………くそ。
だからいつだって、優しくあるためには強くならなくちゃいけないんだ。
「――――――――!!」
何だ?
声が聞こえる。
…………気のせいか?
言葉にならない声が聞こえる。観客の騒ぎに紛れて、聞き覚えのある声が――――トムディのものじゃない。キャメロンでもない。チェリアでも、ない。
少しくぐもったような音と、何かを叩くような…………
……………………ヴィティア?
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