第71話 絶体絶命

「おああああああああっ――――――――!!」


 遅れて疼く左肩に、俺は為す術も無く、悲鳴を上げていた。ベリーが鞭を振るったのだと気付いた時には、既に状況は絶望的だった。

 肩から血が噴き出し、ステージを赤く染める。肩を押さえ、激痛に身を捩らせた。両膝を付くと、俺の目線に合わせるように、ベリーは姿勢を低くした。


「うわああああああっ!! グレン!! グレーン!!」


 トムディの声が聞こえる。…………今まではどうにか、声を押し殺していたのだろうか。

 もう俺には、振り返る事も出来ない。


「可愛いわよ、貴方。素敵…………ねえ、私のペットにならない? きっと仲良くできるわ…………それなら、あの方も納得して頂けるでしょうし」


 ベリーの言っている事が、まるで頭に入って来ない。痛みが思考を鈍くする――……このままでは本当に死んでしまう。俺だけではなく、俺と魔力を共有しているスケゾーも。…………そんなのは、駄目だ。俺はここで倒れる訳には行かないんだ。

 まだ、こんな試合は通過点じゃないか。

 こんな女相手に手を焼いている場合じゃ、無いじゃないか。


「このまま殺すのは惜しいわ。…………だって貴方、本当は壊れる一歩手前なんだもの。私、貴方が壊れる所が見てみたいの。ねえ、トラウマを探させてよ」


 こんな、鬼畜女相手に。俺は倒れていられない。…………どうにかしなければ。

 ベリーは両手の平を合わせて、無邪気に笑った。まるで子供が遊びを考えるような、無垢な笑顔だった。



「そうよ、リーシュ・クライヌの隣に置いてあげるわ。私がお願いすれば、きっとそうなるから」



 ――――――――不意に。

 俺は自分の耳に飛び込んで来た言葉に、全ての痛みを忘れた。同時に、錯乱していた思考、先走る感情、動かない身体――……それら全てを、一時的に意識しなくなる。


「…………リーシュに、何をした」


 静かに。俺は、そう呟いていた。未だ余裕なベリーは、俺の中で起こった些細な変化には、まだ気付いていないようだった。


「何も無いわよ。でも、彼女は優秀だから――……貴方は彼女程の駒には、ならないかもしれないけれど」


 変わる。

 無くなった左腕の、傷口を撫でる――――痛みを感じない。間もなく、腹の底から湧き上がる怒りに支配された。

 やはり、捕まったのだろう。リーシュは捕まり、ヴィティアは売られた。何の罪もなく、日常を生きていただけの彼女。少なくとも分かる事は、『駒』等と言っている以上、人間としての扱いは受けていないだろう、という事だけだ。


 …………何故、良いように使われてしまうのか。何の罪もないリーシュは支配され、首を突っ込んでしまったヴィティアは人としての生活を失う。何かが悪かったのか。怒りを買うような事をしたのか。…………いや。結局の所、ただ利用されているだけだ。

 ただ、利用されただけ。


「…………もう一度だけ、聞く。リーシュに何をした」

「生きているのは確かよ。ただ残念だけれど、今どうしているのかは私にも分からな――――」


 ベリーがようやく、俺の変化に気付いたらしい。

 別に、扱う魔力の量が増えた訳じゃない。スケゾーとの共有率が上がった訳でもない。だが俺は、ステージ上に未だ棒立ちのベリー目掛けて、歩き出していた。左肩を押さえたまま、夥しい程に流れる血をそのままに、近寄る。


「リーシュに何かあってみろ。てめえらの下らない組織なんざ、俺が全部ぶち壊してやるからな」


 殺気の為だろうか。ベリーは僅かに焦りを見せながらも、余裕の笑みを崩さなかった。だが、俺から一歩、後退る。

 距離はどんどんと縮まって行く。俺はペースを崩さず、ベリーに向かって歩いて行った。


「…………へえ。瀕死の貴方が、何をするって?」


 射程圏内に入った。――――ベリーの前に魔法陣が現れ、獰猛な獣姿の魔物が現れた。

 そのまま勢い良く、俺の腹に噛み付く。

 血が、噴き出した。



「ぶち壊してやるって、言ったんだ」



 構わず、歩いた。ベリーは俺に攻撃しながらも、後退を続けていた。

 痛みはない。まるで麻痺してしまったかのようだった。感覚的に、もう骨まで到達しているように感じた。消化器官は完全損傷だろう。血も流し過ぎている。普通に考えて、動けるような状態じゃない。


「…………あら。結構、痩せ我慢が得意なのね」


 そう言いながらも、ベリーは焦りを感じているように見えた。吹き飛んでいておかしくない攻撃を、俺が真正面から受け止めているからだろう。

 それでも、俺は前進を止めなかった。


「リーシュもヴィティアも、返して貰うからな。てめえらの親玉とやらに伝えておけ。――――こんな半端者を集めた所で、俺を倒す事は出来ないってな」


 必ず、連れて帰る。

 今、どうなっていようとも。大事が起こる前に、必ず。その強い想いは、俺を突き動かした。

 やがて、ベリーはステージ端に追い詰められていた。

 俺はベリーの肩を掴んだ。


「ひっ…………」


 ベリーが息を呑む音が聞こえた。…………俺の様子を見て、完全に萎縮していた。殴られると思っているのだろう。これまで一度も殺意を示さなかった俺が今、これ程の怒りを見せている。攻撃しても怯まない、血だらけの男。

 だが、それこそが隙だ。

 俺はその身体を――――軽く、押した。


「…………えっ?」


 ステージの端にベリーは落下し、尻餅を付いた。

 同時に、俺の腹に噛み付いている魔物も、その姿を消した。

 俺は――――――――その場に、立ち尽くしていた。

 たった、それだけだ。俺の行動は、たったそれだけ。元々、俺の魔力に怯えてさえくれれば、俺はいつでも試合を終わらせる自信があった。

 少しだけ…………いや、かなり、長引いてしまったが。

 その場は、しんと静まり返った。


「えっ…………? これで、終わったのか…………?」


 不意に、誰かがそんな事を呟く。


「グレンオードが勝った…………グレンオードが決勝進出だ!!」


 遅れて、会場が騒ぎ出した。俺は立っているのがやっとの状態だったが、しかしベリーを見下ろし、勝利の余韻に浸っていた。

 まだ、だ。まだ、繋がっている。恐らく、俺にとってはギルデンスト・オールドパーよりも、更に厄介な相手だった――……が、それもこうして乗り越えた。さっさとヴィティアを助けて、リーシュも救いに向かわなければ。

 命綱に、ようやく指だけ繋がっているような気分だ。


「…………貴方、狂ってるわね。それだけの血を流して、この先を戦えるとは思わないけれど」


 ステージに座り、俺は額の汗を拭いた。トムディとキャメロンが駆け寄って来る。……これは、輸血が必要だ。宙に浮いたような感覚に、俺は呑気にも、そんな事を考えていた。

 気圧されて、結局攻撃されずに負けたのが悔しかったのか、ベリーはそんな事を言っていた。俺はベリーを見て、言う。


「戦えるかどうかは、俺が決める。…………死にたくなかったら、さっさと伝えに行け」


 しかし、リーシュが生きている事が分かった。どうやらリーシュには利用価値があって、すぐには殺されないであろう事も。

 それだけ分かれば、俺にとっては吉報だ。取り返せば良いのだから。

 ヴィティアを助けたら――――…………、すぐに、仲間を引き連れてスカイガーデンへ――――…………。



 *



 平和な日常ってものは、いつの間にか無くなっているものだ。

 本当はとっくの昔に消えていたりするんだが、色々な事は内部で起こっていたりする事も多くて。表面上平和に見えていたら、気付けない事も多い。

 だからきっと、俺が母さんの異変に気付かなかった事もまた、ある意味では仕方の無い事だったのかもしれない。

 でも、あの時の俺は、一人になる事の孤独というものを知らなかった。

 人は、一人では生きて行くことができない生物だと言われる。…………そうだろうか。現実には、一人で生きている人間の方が多いような気もする。生きて行く中で、全く誰とも接触がない…………訳ではない、というだけで、内側で孤独を感じている人間というのは、意外と多いのではないか、と。


 俺が子供だったあの頃、母さんはきっと、孤独だった。


 誰にも頼らずに生きていた。心の何処かでは、孤独を感じていたと思う。当時の俺はまだ、母さんの心の隙間を埋める程の成長をしていなかった。

 もう、誰も失いたくない。だから、誰の所にも行かなければいい。

 ヴィティアの気持ちは、良く分かる。そう思いたくなってしまう事もあるものだ。

 心の内側では、必死で誰かに助けを求めながら。

 きっと、あの時の母さんも、そう思っていた。

 俺はあの時、掛けなければいけない筈だった言葉を、掛け損ねてしまったのだろう。


 …………なあ、スケゾー。お前なら、きっと分かる。

 同じ事を、何度も繰り返してはいけないんだ。少なくとも、俺の事を信頼して、頼ってくれる以上は――……俺はそれを、無下にしたくない。無下にしてはいけないんだ。

 優しくなりたい。

 もう二度と、誰も手放す事が無いように。俺は強く、優しくなりたい。いつの間にか消えて無くなってしまう平和を、俺の手中に収めたい。


 そうすれば、きっと。


「…………グレンさん!!」


 目を覚ました。漠然と、辺りを見回した。

 トムディもいる。キャメロンもいる。…………既に、夕刻を回ったか。休憩所の窓から見えるステージは、すっかり暗くなっていた。

 どうやら俺は、気を失っていたらしい。


「サンキューな、チェリア。回復魔法を掛け続けてくれていたのか」

「良かったです、目が覚めて。……このまま、目を覚まさなくてもおかしくない状態でしたから」

「大袈裟だな、大丈夫だって。もう、今日の試合は終了なんだろ? このままゆっくり休んで、明日の朝には復活するからさ」


 俺の言葉に、チェリアが暗い顔をした。俺はどうにか、起き上がる――……腹の傷が疼いた。身を起こそうと思ったが、左腕が無いのでうまく起き上がる事ができない。

 …………そう言えば、腕、飛んだんだったか。


「グレン。…………試合は中止だ。…………一度回復して、別の方法で彼女を助ける事を考えよう」


 キャメロンが俺を見て、そう言った。いつも真面目なキャメロンだったが、今は一段と真剣な様子だった、が。

 コロシアム内にある、俺達の臨時の宿部屋まで運ぶ余裕が無かったのだろう。俺は長椅子に横たわっていたようだ…………それだけでも、俺がいかに酷い状態であるのかは直ぐに分かった。一刻を争う状態だった筈だ。

 俺はキャメロンに、笑顔を見せた。


「何言ってんだよ、キャメロン。もう、リーチ掛かってんじゃねえか。お前が勝つかもしれないし、お前が体力を削った相手と、俺は戦えるんだぜ? もう、後一歩だろ」

「……………………すまない」


 キャメロンがそう言った時、俺はようやく、キャメロンの身に起きている異変に気付いた。


「…………おい。…………何だ、それ」


 椅子に座って平然としているキャメロンだったが――――その腹を、巨大な槍が貫通している。 腹だけじゃない…………!? 腕や脚にも、数本…………槍が、刺さっている…………!!

 俺は右腕を使って強引に身体を起こし、未だ俺の治療を続けているチェリアを見た。


「おいっ!! 何してんだチェリア!! すぐにキャメロンを手当しろ!! 一体、どうなって…………!?」

「ごめんなさいっ…………!!」


 チェリアは俺に回復魔法を掛けながら、ぼろぼろと涙を零していた。


「優先、順位ですっ…………!!」


 その言葉に、俺は固まった。キャメロンは力無く微笑みを浮かべて、俺の事を見ていた――……トムディは項垂れたまま、ぴくりとも動かない。スケゾーは俺の体内で、生命維持の為に魔力を回復させていた。

 何も起きていなかった。…………既に、出来事は起こった後だった。

 俺が、意識を失っている間。


「先程、訳の分からない集団に襲われてな。瀕死のお前に止めを刺しに来たようだった…………すまない、グレン。どうにか食い止めたのだが、このザマだ」


 キャメロンの言葉が、俺には信じられなかった。キャメロンがこの状態になるということは、多分一人や二人じゃない。…………確かに、物騒な大会だ。闇討ちに遭う事だって無くはない、が。…………連中は、大会のルールを外れて直接殺しには来ないものと思っていたが。

 …………いや、そうか。要は、事が大きくならなければ良いんだ。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』内で殺されたのなら、出場者である以上、余計な詮索はされないかもしれない。

 無警戒な時間を、狙われた。

 …………俺が意識を失ってさえ、いなければ。


「チェリア。……俺はいいから、キャメロンを手当してやってくれ。どの道、この状態じゃ明日の試合は無理かもしれないが…………このまま放っておいて、大事になるのは避けたい」

「グレンさんの方が、問題なんです。左腕の損失に、消化器官の損傷。未だ、背骨も治らないままです。…………このままじゃもし治っても、立って歩けなくなる可能性もあります」

「俺は大丈夫だ。…………良いから、キャメロンの手当をしてくれ」

「ごめんっ…………!! グレン…………!!」


 そう言ったのは、トムディだ。全員、トムディに視線を向ける――……トムディは杖を握り締めていた。俺達に目を合わせる事が出来ないようにも見えた。


「キャメロンじゃなくて、僕が止めなきゃいけなかったんだ…………でも、できなくて…………!!」

「気負うなよ、トムディ。その気持ちだけで充分だって」


 …………とは言え、この状況。俺にも責任はある、か。試合後の奇襲まで頭が回らなかったのは、仕方がない事かもしれないけれど。

 トムディは試合に負け、キャメロンは深手を負っている。チェリアの回復魔法で回復し切る事は出来ない。俺は…………この状態だ。

 既に周囲には、絶望的な空気が漂っていた。決勝の相手は、ギルデンスト・オールドパー。あいつに勝たなければ、ヴィティアを救う事は出来ない。

 俺は、努めて笑顔を見せた。


「心配すんな、皆。ギルデンスト・オールドパーに頼む事だって、出来るかもしれないだろ。あいつが連中の仲間って可能性は、まだ薄い訳で…………俺が負けるって決まった訳でもない」

「いいかげんにして…………!!」


 暗がりの中、現れる人影があった。

 俺達は、視線を向けた。

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