第70話 触れたら壊れてしまうような

 俺は身体を起こし、キャメロンに視線を向けた。上半身に巻かれた包帯。鋭い針を刺すような痛みに、僅かに顔が歪む。


「…………キャメロン。試合の状況は?」

「残る準決勝は、お前とベリーベリー・ブラッドベリー、ギルデンスト・オールドパーと俺だ。コロシアムも盛り上がっているから、最後の三試合は明日、改めて行われる…………予定だったんだが」


 そうは行かなかった。何となく、その展開を予想していた俺は、無言のままでキャメロンの言葉を聞いていた。


「トムディの試合が予想以上に早すぎたという事もあって、時間が余り過ぎているんだ。ただ引き伸ばして、このまま終わる訳にも、と運営が話していた。…………結局、準決勝第一試合は一時間後に行われる事になった。コロシアムは明日で終わりだから、試合数を減らして、後片付けの時間を余分に確保したのだろう」


 一時間後、か。


 残り一時間では、俺の傷は回復しないだろう。動けば痛む、この煩わしい状況を引き継いだ上での準決勝となる。相手はトムディを何の遠慮もなく吹っ飛ばした女だ。……勿論、俺を殺すのに容赦などしないだろう。

 にしても、準決勝第一試合を随分と急ぐもんだな。やはり、運営側に奴等の仲間が混じっているのだろうか。何やら奴等は試合のタイミングを調整出来るような事を、ジョーカーという男が話していた。


『ヒューマン・カジノ・コロシアム』は、これでも優秀な人間の集まる大会だ。当然、運営側のガードは固いから、丸ごと乗っ取るなんて大それた事が出来るとは思えない……が、何も支配するだけが作戦じゃない。試合のタイミングや数を調整出来るような位置に、ひょっこり紛れ込んでいる可能性はあるかもしれない。

 そうだとしたら、奴等がやるのは試合数とタイミングの調整位だろう。例えば俺の試合だけを二対一にするとか、ゲームのルールを直接壊すような事は出来ないんじゃないだろうか。


 …………なら、あと二試合だ。二試合勝てば、ヴィティアの安全は保証される。何故奴等が、直接俺を殺しに来ないのか。…………これまでのやり口から考えて、話が公になる事を恐れているからだと俺は考える。

 だからこそ、わざわざヴィティアなんぞで釣って、俺がついうっかり『ヒューマン・カジノ・コロシアム』で身体を張って死んだのだと、そういう事にしたいのだろう。連中の素性がバレない理由が何か、必要になるんだ。

 この大会で優勝すれば、連中は一度、手を引く筈だ。

 弱気になっている場合じゃない。



 *



「グレンオード様、そろそろご準備をお願いします」


 その言葉に、俺は立ち上がった。

 傷は塞がらなかった。すっかり汗だくになったチェリアが、回復の手を休める…………特に、背中と首筋に受けたナイフの傷が良くない。どうにか包帯で止血しているが、激しく動けばすぐに開くに違いない。


「待ってください、グレンさん。まだ、もう少しだけ時間がありますので……」


 チェリアの言葉に俺は微笑んで、緑掛かった髪を撫でた。


「ありがとう、チェリア。もう、大丈夫だよ」

「で、でも……」


 チェリアが回復魔法を掛け続けてくれたお陰で、休憩時間中に悪化はしなかった。……だが、それだけだ。特別チェリアの回復魔法が悪かったようにも思えない。

 ……分かっていて、チェリアは言わないでくれていたのかもしれない。


「傷に細工されてるんだろ? ――――回復魔法が、効かないような」


 チェリアの表情が暗くなった。事の成り行きを見守っていたトムディが、慌てて立ち上がる。


「えっ……!! そ、そうなの!? ……そんなの、次の試合なんて絶対無理じゃないか…………!!」


 特に、通常の傷と違いは見られない。俺の身体なら、自然治癒的に回復はして行くのかもしれない……だが、それは長期的に見て、だ。少なくとも、次の試合までにどうにかなるような状態じゃない。

 何となく、チェリアの表情を見ていて、そうなのかもしれない、と考えていた。……そうではないと良い、とも思っていたが。

 まあ、仕方ない。


「スケゾー、起きろ。…………行くぞ」

「…………やれやれ、っスわ。全く、ご主人も魔物使いが粗いっスねえ」


 いつになく白い顔をしたスケゾーが、俺の肩に飛び乗る。俺は背を向け、休憩所を後にする。


「あまり、時間がありません。…………なるべく早く、なるべく攻撃されずに、決着を付けてください。…………常人なら、とっくに死んでいる傷です。まずいと思ったら、倒れる前にギブアップを宣言してください」


 チェリアは俺に、無茶な注文をした。病状を見れば、チェリアの言いたい事はよく分かる。俺は約束しない代わりに、笑顔をチェリアに見せた。

 死ぬ訳にも、倒れる訳にも行かない。……それに、相手が俺の傷に細工を施すと言うなら、俺も自分の身体に細工を施している。そう簡単には死なない。

 やるしかない。


「グレン。……お前が倒れても、俺がギルデンスト・オールドパーを倒す。……だから、やれるだけやってこい」


 腕を組んだまま、キャメロンは頼もしい言葉を俺に残した。俺はキャメロンに頷く。…………扉を、開いた。


「グレン!!」


 勢い良く椅子から立ち上がり、トムディはやや緊張した様子で俺に声を掛けた。


「ぼ、僕がついてるからね!! ちゃんと見てるから!!」


 …………トムディ。


「この至高の聖職者が付いていれば、死んでも生き返るから!! ――――大丈夫さっ!!」


 思わず、笑ってしまった。

 トムディは真剣に、そう話していた。……全く、いつも頼もしい奴だ。

 その想いがあれば、いつか届くかもしれないな。

 背中越しにトムディに手を振り、俺はステージへと向かった。



 *



 いつも着ている戦闘服が、ヤスリか何かのようだ。擦るだけで、傷口が痛む。

 ステージに立つと、既にベリーベリー・ブラッドベリーは俺を待っていた。会場は声援に包まれる――……その声を聞いているだけで、気が遠くなりそうだ。

 ベリーは、鞭を持っていた。……トムディの時にも持っていただろうか? 何しろ一瞬の試合だったので、よく覚えていないが。

 連中の標的は俺なんだろうから、もう隠す理由もないだろう。どうせ、この段階で俺が対策する事はできない。

 舌舐めずりをして、ベリーは薄笑いを浮かべた。


「ちゃんと来たのね。真っ赤なお化粧、素敵よ」


 既に、包帯から血は滲んでいた。上着は羽織る程度にしか着られないから、白い包帯が丸見えだ。

 これでは、戦闘中には邪魔になるだけだな。俺は戦闘服を脱いで、ステージ外の控えの席に向かって投げた。上半身裸に、グローブだけの状態になる。

 こっちの方が、傷口に何かが触らなくて楽だ。


「だろ? 意外と気に入ってんだよな…………この髪はさ」


 ベリーは口元に手を当てて、上品に笑った。…………ゾッとするような、冷たい笑い方だ。寒気がする。

 審判は、俺達の準備を待っているようだった。俺はスケゾーと共有率を上げる――……スケゾーが白いナックルに変化して、俺の腕に纏わり付く。

 俺の周囲に、魔力は揺らめいた。ベリーからは、特にそれらしい動きを感じない……トムディの時と同じだ。


「これより、準決勝、グレンオード・バーンズキッドと、ベリーベリー・ブラッドベリーの試合を開始する!!」


 宣言があった。俺の後ろには、トムディとキャメロン。二人共、俺の戦闘を応援しに来てくれた。

 …………意識が、少しだけ遠い。血が足りていないような感じだ。


「腕と脚を斬り落としてから、最後に首をはねてあげる。きっと可愛いわよ、出来損ないのお人形みたいで」


 トムディの時から思っていたが、とんでもない女だな。黒い瞳に生気が感じられない。……まさか、本当に死んじゃいないだろうな。ぱっと見た所は、幽霊か何かのようにも見える。

 棘々しい、殺気。まるで殺す事を楽しんでいるみたいじゃないか。


「……スケゾー、一気に行くぞ。やるしかない」

「当然っスよ。オイラも限界なんで、あんま働きたくねーっス」


 だろうな。今の俺と魔力共有なんて、スケゾーの方にも負担が大き過ぎる。

 姿勢を低くして、何時でもベリーに飛び掛かることが出来る体勢になった。

 審判の腕が上がる。そして――――――――それは、振り下ろされた。



「始め!!」



 試合開始の合図と同時に、俺はスケゾーとの共有率を『十五%』まで引き上げた。一瞬でベリーとの距離を縮め、目の前まで到達する。まだ奴が反応出来ていない内に、俺はベリーの左腕を捕まえて、引く。

 ゆったりとしたスローな時間の中、まるで俺だけが正常に動けているかのように。ベリーの視線が、俺の方に向く――……

 ――――――――待て。


「おおっ!!」


 ベリーの腕を離し、俺は上体を逸らした。俺とベリーの間に現れた魔法陣から、獰猛な魔物が上半身だけ現れ、俺の腕を狙う。バックステップで後退し、ベリーから距離を離した。

 スケゾーとの共有率がダウンする。堪らず、その場に膝を付いた。


「な、何が起きたんだ…………?」

「分からねえ、グレンオードが飛び掛かったのか?」


 観客席から聞こえて来る声。俺以外の人間には、見えていない。ベリーは驚いたような顔をしていた。


「あら。目が良いのね」


 瞬間的に現れ、そして消える召喚魔法。…………つまりは、そういう事か。すぐに現れて消えるのなら、何が出て来るのかは分からないから、対策が出来ない。…………トムディを吹き飛ばしたのは、この魔法だな。

 既に俺は、肩で息をしていた。酸欠になるほど動いたようにも思えないのに、身体が言う事を聞かない。…………くそ、『十%』でどうにかなる相手なら、こんなにオーバーワークにはならないのに…………!!


「ところで今、何をしようとしたのかしら? デートのお誘い?」


 どうやら相手にも、あの一瞬で俺が何をしようとしていたのか、理解されてしまったらしい。

 …………どうする。

 つい、苦い顔になってしまう。どうにか悟らせないように、試合を進める腹積もりだったのだが。……今のスケゾーには、俺の代わりに前へ出る気力は残っていない。唯でさえ難しい魔力のコントロールをさせているんだ、無理はさせられない。

 俺が、どうにかしなければ。


「冗談言うな。……俺にだって、相手を選ぶ権利がある……!!」


 再び、共有率を『十五%』まで引き上げた。

 目眩を覚えた。限界まで絞り出した身体は警鐘を鳴らし始め、視界が不自然に歪む。地面に手を付きながらも、俺は獣のように走り、撹乱しながらベリーの周囲を動き回った。

 今の俺は時間も手間も、掛けていられる状況じゃないんだ…………!!


 背後に周る。グローブを外し、右腕でベリーの首を狙った。首根っこを捕まえて、場外へと投げ飛ばそうとした…………が、背中に魔法陣が控えている。何時でも魔物が跳び出すのだろう。これはパスだ。

 今度は前に周って、真正面から体当たりを試みる。だが、その先には魔法陣が――――『十五%』の俺の速度に、完全に追い付いている。…………しかも、ただ棒立ちの状況で。

 こいつも、召喚士の類なのか。瞬間的に召喚と消滅を繰り返す召喚士なんて、俺は見た事がない…………!!

 後ろも前も駄目なら、足払いだ。転ばせる事さえ出来れば。…………勝機も、あるのかもしれない。

 目にも留まらぬ速度で、俺はベリーの足を狙う――――…………!!


「はあっ!!」


 そうして、俺は右脚を振るった。


 ――――ひらり、と。


 俺の放った足払いを、無言のままで、ベリーは跳躍して避けた。身体に限界を感じて、俺はそれきり、ベリーから離れた。

 思ったよりも、開いた傷口の流血が激しい…………召喚獣の攻撃を避け、自ら後方に吹っ飛ぶように、ステージを転がる。

 限界の体力で全力疾走をした時のように、荒い呼吸をしていた。にも関わらず、まるで落ち着く気配は無く、身体はひたすらに酸素を求め続ける。…………奴は、息一つ乱れていない。


「不思議ね。…………戦っている筈なのに、まるで庇われているみたい」


 …………とんでもない女だ。

 十五%だぞ。スケゾーの内側に眠っている魔力を、十五%。並の人間なら魔力を感じただけで気絶するレベルだ。…………それなのに。

 ベリーは俺の前まで優雅に歩くと、身体の自由の効かない俺に向かって屈み込んだ。


「それは、貴方なりの騎士道なの? …………ポリシーは素敵だけど、それじゃ生き残る事は出来ないわよ?」


 ――――不気味に嗤う化物が、俺の目の前にいる。



「それとも――――…………怖いの?」



 質問している割に、確信を持ったような言い方だった。

 俺はどうにか起き上がり、ベリーと目を合わせた。どこまでも黒い瞳の奥には、光が灯っているようには見えない。完全に防御を解いて、俺の様子を嘲笑うように見詰めている。

 歯を食い縛り、俺は策を練った。…………力の差は歴然だ。加えて、相性も最悪だ。とうに気付かれているんだろう。俺が、自ら女に手を下す事が出来ない、という事実に。

 ベリーは、俺の顔に手を伸ばした。思わず、ぴくりと身体は反応してしまう。

 弱点が、露出する。


「そう。女の人に触れるのも駄目なのね。……怖いの? それは、どうして?」

「…………黙れ」


 ようやく、酸欠が治まってきた。にも関わらず、俺は歯の根を震わせて、息を荒くしていた――……ベリーは立ち上がると俺を見下ろし、にやにやとした、気持ちの悪い笑みを貼り付けた。

 俺は、冷静ではいられなかった。立ち上がり、ベリーを睨み付ける。昂ぶった感情に魔力が連動し、漏れ出た魔力が皮膚から立ち昇る。


「触れたら、壊れてしまうような気がするのね? ――――壊してしまったから? また次もそうなんじゃないか、って?」

「黙れ――――――――っ!!」


 違和感があった。

 始めは、痛みを感じなかった。…………ただ、身体から何かが離れたような感覚だけがあった。

 漠然と、俺はステージの端を見詰めた。



「――――――――貴方、可愛いわ」



 そこには、俺の左腕が転がっていた。

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