第69話 当然の結果

 激痛が走った。背中から腹までを貫通したナイフから、血が滲む。

 不自然にも、空中で制止した俺。ジョーカーがナイフを手放すと、ステージに向かって俺は落下した。

 俺の【怒涛のゼロ・マグナム】によって焼き払われたステージには何もない。視界は狭まり、身体の自由も効かない。肩からステージに激突し、為す術もなく、その場にダウンした。


「グレン!!」


 僅かに遠くなった耳の向こう側で、トムディの叫び声が聞こえる。

 棺は地面・空中を問わず、どの場所にも現れる事が可能。その中を瞬時に移動する事も容易にできる…………と、そういう事なのか。特に目立つ弱点など見当たらない。これで速度は僅かに相手の方が速いのだから、今の状態の俺に勝ち目など無い。

 魔力が弱まっていく。この兆候は――――やばい。


「危機から逃れた時、最も人は安堵するものだ。罠を回避した時、最も人は高揚するものなのだよ。君が悪い訳じゃない――――これは、言わば当然の『結果』だ」


 俺の目の前に、ジョーカーが現れた。

 …………無傷じゃねえか。思わず、笑い出しそうになってしまった。『十%』は、紛れも無い俺の本気だ。

 だと言うのに何だ、このザマは。優勝するために挑んで、傷一つ付けられないか。真正面から立ち向かうと決めて、それだけの実力が俺には伴わなかったか。

 うつ伏せのまま、背中に突き刺さったままのナイフに、上から圧力が掛かる。

 ジョーカーにナイフを踏み付けられているのだ。


「ぐああっ…………!! ぐぎぎ…………!!」


 押し殺そうとしても、噛み締めた歯の裏側から声は漏れてしまう。その口に、上からジョーカーの手が覆い被さった。

 何だ…………? 反対側の手は、口元に。人差し指を立てて、『静かに』のジェスチャーを送っている。

 違う。これは、魔法だ…………!!


「悪いが、君の事を殺さなければならなくてね。ギブアップは宣言させない。――――心配するな。苦しみはやがて、解き放たれる」


 首の裏側、根元あたり。背骨に、ナイフが突き刺さる。

 落雷をその身に受けたような激痛が、全身を貫いた。


「――――――――!! ――――――――!!」


 叫んだ。……だが、声が出ない。恐らく、そういった魔法なのだろう。

 声援を送っていたギャンブラーの声も、一時的に止まる。場は、静寂に包まれた。声が出せない俺に、審判が試合終了を告げるべきか、迷っているように見えた――……だが、俺の四肢は動いている。暴れる事が出来ないよう、ジョーカーは俺の背中を踏み付ける。

 やばい。…………負ける。…………死ぬ。


「ギブアップだ!!」


 控えの席で座って見ていたキャメロンが立ち上がり、審判に詰め寄った。未だ迷っている審判の胸倉を掴み上げ、鋭い眼光で睨んでいた。


「見て分からないのか!! 試合は終了だ!! 今すぐにグレンを解放しろ!!」

「だ、だが…………しかし、試合規定上は…………」

「知った事か!! グレンが言えないのなら、代わりに俺が宣言してやる!! ギブアップだ!!」

「見苦しいわよ、変態くん」


 キャメロンに声を掛けたのは、手前の試合でトムディを吹き飛ばした女だった。ベリーベリー・ブラッドベリーと言っただろうか。キャメロンは鬼も逃げ出す形相で女を睨むが、全く女は怯む気配が無い。


「貴方に試合を止める権利は無いわ。分かるでしょう? これは『個人戦』なのよ? ……それとも、もしかしてグループで不正を働いているとか?」


 何も言い返す事が出来ず、キャメロンは苦々しい顔で、奥歯を噛み締めていた。その様子を見て、女は溜息をついた。


「可愛くないわね。吐気がするわ」


 双方の会話を聞きながら、俺の意識はやがて、遠くなっていく。

 ステージ端のやり取りを聞いていたジョーカーも、再び俺に意識を戻したようだった。だが、既に勝敗は歴然。このまま俺が死に逝くのを、ただ眺めているだけなのだろう。

 戦闘は終わりだ。奴等は、予想外に強かった。奴等からしてみれば、予想通りの相手だったと――……そう、たかが『零の魔導士』の本領など、この程度のものだったのだと、そう思っている事だろう。

 目を閉じると、俺は意識を集中させた。今は俺の体内に居るスケゾーの魂に、今一度呼び掛ける。

 ジョーカーが呟いた。


「虫の息か」



 ――――――――舐めるな。



 左腕を首の裏側に伸ばし、刺さったナイフに手を掛けた。躊躇なく、俺はそのナイフを抜き取る――……血が吹き出した。唐突に動いた俺に、ジョーカーが足を離した。

 既に、その場所に俺は居ない。ふらついた左足は相変わらず俺の体重をまともに支えてはくれないが、俺は片足でジョーカーの背後に立っていた。

 首に力が入らず、顔は真上に。しかしその状態のままで、ジョーカーの背中に殺気を示した。俺に掛けられた、全ての魔法を断ち切る。


「なっ――――――――!?」


 驚かせている時間なんか、無い。

 俺が拳を構えると、拳は炎に包まれる。まるで動きが止まっているようにも見えるジョーカーの背中に、渾身の一撃を叩き込んだ。


「【ゼロ・ブレイク】!!」


 爆発は、ステージ全体にまで及んだ。吹き飛んだジョーカーの先に、既に俺は移動していた。

 その速度は、『十%』の時の何十倍だろうか。共有している魔力の量は、桁違いにまで上昇している。筋肉は膨張し、拳の破壊力を上昇させる。眼球から魔力が溢れ、僅かに光を放つ程に――……計り知れない。

 以前、バレル・ド・バランタインを攻撃する時に、一瞬だけ使った。

 俺の、『十五%』の共有率。


「【ゼロ・ブレイク】!!」


 上から殴り付けると、ステージが割れた。

 ステージ全体に行き渡る魔力が、ジョーカーの実情を俺に教えてくれる。転移魔法は、入口と出口、二つの場所に魔力を集中させなければ、どうやった所で達成する事はできない。どんな手品を使って時間を短縮させようが、それだけは避けて通れないポイントだった。

 今、奴の魔力はステージ上の何処にもない。

 そんな居場所は、与えない。


「【ゼロ・ブレイク】!! 【ゼロ・ブレイク】!! 【ゼロ・ブレイク】!!」


 更に上から、殴り倒した。一発殴る度、爆発はステージ全体を覆い尽くし、俺とジョーカーは爆炎に呑まれる。ダメージを受けているのは、ジョーカーだけだ。俺の魔力が、俺に危害を加える事はない。

 ただ、『そういった意味では』という但し書きが付くが。


 歯を食い縛り、ジョーカーの首を掴んだ。

 …………もう、限界か。


「おおおおおあああぁぁぁっ――――!! 【ゼロ・ブレイク】――――――――!!」


 ジョーカーの腹を殴る。弾丸のように吹き飛んだジョーカーが、ステージ外の柱に激突し、コロシアム全体が振動した。

 俺が逆転してから奴を葬るまでは、一体どれだけの時間だったのだろうか。実際に動いていた俺には、分からない。だが、キャメロンが驚愕して俺の事を見ている様子からは、そう長い時間は経っていないと察する事ができた。

 ベリーベリー・ブラッドベリーも、驚きを隠せない様子で目を丸くしていた。


 会場内は、更なる静寂に包まれた。


 自分の息遣いだけが、聞こえて来る。やがてジョーカーは重力に従って柱から落下し、地面に倒れた。その仮面にはヒビが入っていたが、どうやら割れる所までは行かなかったらしい――……まあ、良いか。もう中身が一体何だったのかなんて、気にしなくてもいい。

 俺は、速やかにスケゾーとの共有を解除した。


「……………………お前の言葉に、一つ追加してやる。『勝利を確信した時、最も人は脆い』ってな」


 筋肉痛、なんてレベルじゃない。骨まで軋んで、一歩動くのも億劫に感じられる程だった。…………この状態で今日中にもう一戦、やらなきゃいけないってのか。しかも…………トムディを吹き飛ばした、あの女と。

 チェリアの回復はどの位のスピードだろうか。…………まあ、いい。

 どうせ戦わなければならないのなら、やれる事をやるだけだ。



「『当然の結果』だ。…………クソ野郎」



 それだけ言って、俺はステージを降りた。


「……………………あ、…………勝者、グレンオード・バーンズキッド!!」


 歓声が上がった。キャメロンが笑顔で、俺に駆け寄って来る。トムディは…………お前、今まで目を背けていただろ。目元が涙で滲んで、酷い事になっていた。

 チェリアはきっと、奥に居るのだろう。回復魔法を準備して、俺を待ち受けているに違いない。

 早く、戻らないと。



 *



 俺は、チェリアの想定以上にダメージを受けていたらしい。

 コロシアム内の休憩所で待っていたチェリアは俺の姿を見るなり、すぐに準備を開始した。キャメロンの試合が終わってから準決勝までは、一時間程度の余裕がある。その間、俺は控えの席ではなく、奥の休憩所で治療を受けることを強制された。……つまり、重体だから人の試合なんて見てる場合じゃない、って事だろう。


 まあ、納得の行く話だ。『十五%』を発揮してから奴を倒すまでに、ある程度の時間はあった。十秒だったのか、一分だったのか、細かい時間までは分からなかったが……加減していないフルの状態を維持したのだ。反動は避けられない。

 俺の隣で、トムディが不安そうな表情で俺を見ていた。


「…………心配すんな、トムディ。まだ戦えるよ」

「でも、グレン。…………まだ、決勝もあるのに」


 そうだ。仮に次の試合でベリーベリー・ブラッドベリーを倒した所で、次に現れるのはギルデンスト・オールドパー。恐らく、このコロシアムで最も強い相手だ――……キャメロンが奴を倒してくれるのならこれ程楽な話は無いが、そう簡単には行かない相手である事もまた、事実。

 それを考慮すると、今この段階でこれ程のダメージを負っている俺。…………あまり、期待できる展開じゃない。


「そうだ、グレン。次の試合は、あの強化で始めから挑もうよ。出し惜しみしている場合じゃなくてさ、もう最初から全力で行った方が良いと思う。スケゾーとの共有率を上げれば、もっと強くなれるんでしょ?」


 トムディの言葉に、俺は思わず苦笑してしまった。

 不思議そうな顔をして、俺を見詰めるトムディ。スケゾーは俺の腹の上で、ぐったりとして伸びている…………チェリアの回復魔法を受けながら、俺は顔だけをトムディに向けて言った。


「出し惜しみ、か。…………『五%』『十%』って、流石に相手を舐め過ぎだと思うか?」


 俺の言葉に、トムディは複雑な顔をした。


「…………そりゃ、まあ…………共有率を五%ずつ上げるだけで、爆発的に強くなるんだし。グレンが戦う相手によって能力をセーブしているのは分かるよ、身体に負担があるっていうのも聞いた、けど…………瞬殺できるんだったら、短い時間でフルパワーで戦った方が、絶対…………」


 キャメロンが戻って来た。


「勝ったぞ、グレン!! 俺は準決勝でギルデンスト・オールドパーと当たる」


 特に怪我をしている様子もない。準々決勝の相手は、連中とは関係の無い参加者だったか。戦いのレベルが一つ違う、まだキャメロンは余力を残しているように見えた。

 対して俺は、未だにジョーカーから受けた傷が塞がらない。チェリアは言葉を話す余裕も無いようで、どうにか俺の傷を塞ぐ事に必死になっている。

 俺はトムディに、言った。



「『十五%』は、限界の数値だ。そこから上は、今の俺達には無いんだよ」



 トムディは、少なからず衝撃を受けているようだった。


「ど、どうして!? だってそれじゃあ、幾らなんでも――――」


 共有率が低すぎる、と思っただろうか。


「…………トムディ。俺は人間で、スケゾーは魔物だ。俺達は同一個体じゃない…………魔力の共有率を上げるって事は、二人で互いの魔力を使い合う、ってことだ。普通は誰かの魔力を横取りなんて出来ないし、誰かの魔力を代わりに使う事も出来ない。俺達は互いの魔力を混じり合わせて強化する為に、『存在の共有』をしているんだ」


 もっと詳細に話をすれば、俺の魔力を媒介にして、スケゾーの身体に眠っている莫大な魔力を引き出している。スケゾーは自身の魔力をコントロール出来ない程に抱えている、厄介な魔物だ。主従関係を結ぶ時に、俺はスケゾーの魔力をコントロール可能なようにした。

 最も、そんな話をトムディにした所で、どこまで理解できるのか、という話だ。今は、概略を話して理解を促すべきだろう。


「そ、存在の、共有…………?」


 キャメロンも、吉報を報告するタイミングでは無いと判断したのか、トムディの近くの椅子に静かに座った。


「俺達は互いの存在を曖昧にすることで、魔力の共有を達成しているんだ。……当然、身体に掛かる負担は大きい。共有率を上げれば上げるほど、俺はスケゾーの魔力と合わせて自身を強化する事ができるけど、代わりにスケゾーの持つ抱え切れない魔力の負担を一緒に受ける事になる。魔物と人間じゃ、扱える魔力の絶対量には大きな差がある。無理をすれば、俺の身体が壊れるんだ」


 もしかするとトムディには、俺が最強に見えていたのかもしれない。

 魔法の飛ばない魔法使い――……『零の魔導士』である筈の俺が、どうして常人よりも優れた魔力を持ち、戦う事が出来ているのか。その裏側に眠っているリスクは、本来は計り知れないものだ。


「『五%』くらいなら、まだ負担無しで魔力を扱う事ができる。『十%』は普段平然とやっているように見えるけど、あれは実際、結構きつい。長時間の戦闘は出来ないし、スケゾーの魔力に俺の魔力を喰われて、疲労が激しい。さっき、ジョーカーを倒す短い時間で使った『十五%』で、もう俺の魔力は殆ど呑まれちまった。……これは、そういう能力なんだ」


 トムディの表情は、次第に暗いそれに変わっていく。


「これ以上に共有率を上げれば、俺もスケゾーも、元の形を保ってはいられないかもしれない。最悪、別の存在になる可能性もある。そうなった時、俺がリーシュやトムディ、ヴィティアを仲間として認識できるかどうか、俺には分からない。……だから、これは限界なんだ」


 俺は苦笑するしか無かったが、トムディは言葉を発せずにいた。

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