第五章 繊麗たる(風貌の割に大味過ぎる)女盗賊
第55話 二人がいない
俺はプッシュアップをしながら、トムディに答えた。
「だからさあ、トムディは多分、うまく放出できてないんだよ。行き場を失った魔力が尻に集まって、浮いてるんじゃないか?」
朝っぱらから俺は一体、何の話をしているんだろう。
トムディの相談に乗ったら、これである。魔力効率は悪いし、無駄に魔力を放出し過ぎたトムディの尻が『何故浮くのか』、その原因を突き止めるべく会議が始まったというのが、事の経緯なのだが。
当然、俺は【ヒール】で尻が浮く等という事態に陥った事がないので、完全な想像で発言する事しかできない。トムディはメモ用紙にペンを走らせながら、唸っていた。
「うーん……どうして行き場を失うと、尻に集まるんだろう……」
全く、その通りだ。俺は少し考え、そして答えた。
「ほら、あれじゃないか。よく発情期になると、尻が赤くなるって言うじゃないか」
「せめて人を例えに出してくれない?」
発情期と魔力の関係がどうとか、細かい話はどうでも良いとして。
そもそも、自分の身体に変化が起こる魔法なんて、【ヒール】よりも本来はずっと難しいものだ。自身が元から持っている魔力をコントロールして、身体の一部に集めなければならないのだから。まあ、それをこいつに話した所で調子に乗るだけだろうから、滅多な事は言わないでおこうと思っているのだが。
しかし、それにしても尻では。…………いや、尻だから出来る事もあるだろうか? …………無いだろうな。
「でもさ、魔力放出の訓練をすれば、多分他の魔法もずっと楽に使えると思うよ。どちらにしても、今よりプラスになるって。絶対」
「むむむ……そうだね。それはやってみる、けど……やり方がなあ……」
上唇と鼻でペンを挟み、トムディは納得が行かない様子で腕を組んでいた。……器用なもんだな。ペンを挟むにしても、普通は耳じゃないか。ブサイクレベルが数段アップしたぞ。
不意に、トムディが絶望的な顔をして、ペンを床に落とした。
「で、でもさ。グレン…………魔力放出の訓練をしたとしてもだよ。結局、尻からしか出ない可能性もある訳でしょ?」
この由々しき事態をどうやって解決したものかと言いたげな顔をしているが、相談の内容は酷く間が抜けたものだ。
俺はプッシュアップを一時的に止めて、トムディの方を見た。
「…………まあ、それは、確かに」
「そんなの格好悪いじゃん!! 嫌だよ!!」
嫌だよと言われても。じゃあ尻に魔力を集めない方法を研究するしかない。
いや、しかし。ここはトムディを説得した方が、早く話が終わるかもしれない。正直、どうでも良すぎて話半分にしか聞いていなかった。
だって、何を話しても直らないのだ。変な癖が付いているに違いない。
「――――いや、考え方の問題かもしれないぞ。トムディ」
「考え方…………?」
俺の言葉に、トムディは真摯に耳を傾け、喉を鳴らした。
「良いか、トムディ。ドラゴンは口から火を吹く。それは俺達にとって、格好良く映るかもしれない――……だが、それが格好良いと誰が決めたんだ?」
「だっ、誰が…………!?」
上半身裸でプッシュアップの姿勢のまま、トムディに笑みを浮かべる俺。……中々にシュールな光景である。
まあ、プッシュアップはもう良いだろう。俺は立ち上がり、トムディを指差した。
「そう。誰も決めていないんだ。いつからか、ドラゴンが口から火を吹く姿は格好良いとされた。…………ならば、こう考える事も出来るだろう。『単に口からなのか、尻からなのかの違いである』と…………!!」
トムディは落雷に撃たれたかのような顔をして、衝撃に姿勢を正した。
「そっ、そうか…………!! 誰も見た事が無いだけで、尻から魔法を撃つのが格好良くなるかもしれない…………!?」
「そうだな。トムディの尻を二倍くらいに拡張すれば、あるいは――……!!」
「でもデカい尻って、そもそも格好良くないっスよね」
邪魔するなよ、スケゾー。今、体良く話を終わらせる良いチャンスだっただろうが。
全く……そもそも、トムディは聖職者志望なんだ。魔導士の俺にどうこうできる問題の筈がない。【ヒール】の使い方なんて俺は知らないし、魔力の使い方も系統も、何もかもが違うんだ。
それを言ってしまえば、リーシュやヴィティアだって似たようなものだろうが――――…………あ。
ふと気付いて、俺はトムディを見た。
「魔力の放出なら、俺よりもリーシュの方が得意だと思うぞ。……あいつに聞いてみたら良いんじゃないか?」
剣の巨大化。剣の飛び道具。そして、回復魔法。リーシュは、トムディが欲しがる要素をほぼ全て揃えている。……役を交換した方が良いんじゃないかと思う位だ。
リーシュのネックは近接戦闘だけだから、トムディの師匠として不足は無いのではないかと思える。……だが。
トムディはあからさまに嫌そうな顔をした。
「えー…………リーシュに聞くのー?」
「何だよ、どうした」
「だってなんか、また素で酷い事言われそうじゃない? あれ、結構傷付くんだよなあ……」
否定はしない。
「でも、一番平和だろ。仲間なんだし……だったら、冒険者依頼所で師匠でも募ってみるか? そっちの方が厳しいだろ、多分」
「まあ、それはそうかもしれないけどサー。第一だよ、リーシュに何かを教えるなんて出来ると思う? 『バシュッっていって、そしてシュバッ!! って感じですう!!』とか言われそうじゃない?」
否定はしない。だが気持ち悪いからリーシュの真似はやめろ。
俺は汗を拭いて、服を着た。……そろそろリーシュとヴィティアも、いい加減に起きている頃だろうからな。冒険者依頼所に行って、今日もミッションを探さなければ。
一万セル、遠いなあ…………。
「良いから聞いてみろよ、トムディ。千里の道も一歩からだ。女の子に教えて貰えるだけ、良い状況なんだぞ」
「えー、スパルタならいっそスパルタの方が良いよー。中途半端に優しくされても、なんかそれはそれでプライドが傷付きそうだしー。あと、リーシュから下に見られるのも、なんか嫌だしー」
トムディは枕を抱いて、なんか卑屈なことを言っていた。
「……じゃあヴィティアに聞けよ。あいつも【スティール】とか出来るし、聞けば答えてくれるんじゃねえの」
「えー、ヴィティアは駄目でしょー。なんか失敗したら殴られそうだし、根気があるタイプにも見えないしー。そもそも、自分でハズレ作っちゃうような奴が何かを教えるなんて、出来ると思えないなー」
…………なんか、イライラして来たぞ。こいつは一体、どうしたいんだ。
「じゃあマウンテンサイドにでも戻って、ルミルに聞きゃ良いだろ」
「それは駄目だよ!! 同期なんだよ? ルミルにも悪いし、何より僕が傷付くし」
テーブルが叩かれる、ものすごい音がした。仰天して、トムディはテーブルの上の存在を見ていた。叩いたのは…………スケゾー。
トムディを真っ向から睨み付けて、異様な殺気を放っていた。スケゾーの背後に炎が見える…………!!
「何なら…………オイラが教えましょうか?」
「ごめんなさい!! リーシュに聞きます!!」
…………即答だった。
「トムディ、そろそろ二人を起こしに行こうぜ。あんまり遅いと良いミッションが無くなっちまうよ」
俺の提案に、トムディが渋々といった様子で重い腰を上げる。まあ良いミッションが無くなるとは言ったが、そもそも冒険者依頼所に新規のミッションが入って来るタイミングは様々なので、そこまで関係も無い。新規のミッションが朝に入って気易いのは確かだが。
扉を開いて、外に出た。宿は賑わっていて、あちらこちらの部屋から話し声が聞こえて来る…………何を話しているかまでは分からないが、平和なものだ。
隣の、リーシュとヴィティアの部屋は――――あれ?
「あたっ…………グレン? ……どうしたの?」
唐突に扉を開けた体勢のままで固まった俺の背中に、トムディが激突した。
だが、俺はそんな事が気にも掛からない程に、異質な事態に遭遇していた。
「ご主人? まだ寝惚けてんスか?」
腕立て伏せした後で寝惚けてるという事は、無いと思うが。…………でも、見間違いじゃない。スケゾーが俺の肩に飛び乗ると、俺の視線の先を確認した。
リーシュとヴィティアの部屋。……扉が、開けっ放しになっている。
俺は真っ直ぐに歩き、中途半端に開かれた扉の先を覗いた。
「…………リーシュ? …………ヴィティア?」
名前を呼び掛けながら、そっと、部屋の中を見る。
一体いつからそうなっていたのか、部屋の中はもぬけの殻だった。シャワーを浴びている音もしない――……二人共、すっかり部屋から居なくなっている。先に外に出たのか? …………いや、鍵も閉めずに? そんな事は無いだろう。
長いこと宿を借りっ放しになっているから、部屋に私物はそのまま置いてある。リーシュの服が入った家具やテーブルも、そのままだ。
ようやくトムディが俺に続いて、誰も居ない部屋の中へと入った。
「グレン? …………二人、居ないの?」
「トムディ。昨日、なんか物音とか、したか?」
「いや、僕は何も聞いてないけど……」
俺の言葉に、トムディが首を捻る。全く、何も気付かなかった。特に大きな魔力反応があった訳ではない……と、思う。
いや、確実だ。俺は兎も角、スケゾーが見逃すなんて事は無いだろう。この状況に、スケゾーもまた疑問の色を見せている。予想外の出来事だということだ。それに、この場所で何か戦闘が起こったなら、もっと部屋は荒れていているはず。
宿の中に居れば、まあスケゾーの監視下にあると思っていい。……という事は、二人で宿を出たって事か……?
うーむ……あんまり、女の子のクローゼットを開けるというのも気が引けるが……ええい、ままよ!!
俺は思い切って、リーシュのクローゼットを開いた。
「…………財布まで、そのままか」
リーシュの外出用の私服。ビキニアーマー。私物は全て、そのままだ。
一体、何があったんだ…………?
「ヴィティアが、リーシュを連れ出したのかもしれない」
背後で、トムディがそう言った。俺はクローゼットを開いた状態のままで、トムディに振り返った。
そうか、宿に予め備え付けてある方のクローゼット。トムディが中を確認して、俺に示していた。夜間着は、一着だけその場に残ったまま。
一着だけ…………ヴィティアの分、ということか。
「連れ出したって、何の為にだよ?」
「それは…………分からないけど。でも、おかしいよ」
心の内側を棘が擦るような、嫌な感覚があった。
ざらついて乾燥したそれは、俺の心から何かを削り取る。思わず眉を顰めた顔を、冷汗が伝った。トムディは俺の開いたクローゼットと、宿のクローゼットを物色して――……そして、引き出しの方も開いていた。
何か良くない事があったのは、明白だ。……でも、それ以上に何か、嫌な事をトムディが考えているような気がしてならない。
いや、気のせいだろうか。トムディが部屋の様子を確認する瞳が、やたらと鋭いような気がして。
「ヴィティアは、戦闘装備も何もかも持って、部屋を出たんだ」
水灯りの洞窟。やたらと薄かった、ヴィティアの戦闘装備。
俺が出した金は、十セルあった。装備だけに金を掛けられるよう、飯代も宿泊費も、全て俺が負担していた。その上で、ヴィティアはまともな装備を、靴と胸当てしか用意して来なかった。
何か、違和感はあった。ヴィティアは変な所で抜けているが、自分の身を護るという部分に関して言えば、かなり手を尽くすタイプのように思えた。そんなヴィティアが、誰も入った事のない洞窟に軽装で入るという事実について、俺は違和感を覚えながら、しかしその理由まで行き着く事は無かった。
「ヴィティアが、リーシュを連れ出したんだ。…………自分だけ装備を整えて、リーシュは夜間着のままで」
金を残したのは、何の為だ。
――――――――俺達から、逃げる為。
思わず、俺は苦笑してしまった。部屋の扉を閉めて、その扉に背中を預ける。
「……いや、待て。落ち着けよ、トムディ。二人一緒に出たとは限らないじゃないか。何か用事があって、リーシュは外に出たのかもしれない」
「夜間着のままで? ……僕達に、断りも入れずに?」
俺は、人の人間性について、それなりに探りを入れるほうだ。
この数日間、俺はヴィティアの事をずっと見て来た。……何か隠している事は、あったかもしれない。それは確かだ。ヴィティアは、俺達に言えない何かを抱えていた。
でも、ヴィティアは最終的に、俺を頼っていた。特に敵意を隠していたようにも見えなかった。リーシュの事だって、それなりに上手くやっているように見えた。
「絶対におかしいよ、グレン。だって、ヴィティアの方はまるで夜逃げみたいじゃないか……!! 敵に会った訳じゃない、戦った訳でもないのに。何か、リーシュを連れ出す理由があったとしか思えないんだよ……!!」
サウス・ノーブルヴィレッジで、ヴィティアが任された使命は。ノーブルヴィレッジの支配と、リーシュの拉致。
リーシュを連れ出す動機は充分だ。
俺は、ヴィティアの人間性を、見誤ったのか?
冷汗が、頬を伝って落ちた。
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