第56話 ヒューマン・カジノ・コロシアム
『追い詰められた男は、誰も護ってくれないわ。……都合が悪くなれば切り捨てられるし、殺せるのよ。……だから、私も上辺では仲良くしてあげる。危険になったら、真っ先に切り捨てる事にしたわ』
そんな話をしていたのに。……その話の相手さえ、上辺の関係だったのか。
もしもリーシュとの関係が、ヴィティアの言う所の『上辺』だと言うなら。……ヴィティアは、そんな話をリーシュにしない。……はずだ。
自分がこれから裏切ります、なんて、わざわざ話す必要はないんだ。
「グレン、何か知っているなら教えてよ。……何で、ずっと黙ってるんだよ」
トムディの言う通り、ヴィティアはリーシュを連れ出したのだろう。何か理由があって、ヴィティアは俺達の前から姿を消すつもりでいた。それは確かだ。
だが、それだけだ。ヴィティアは何かをリーシュに伝えようとして、リーシュを連れ出して……その後、何か危険な目に遭った。そうは考えられないだろうか。
…………これは、俺の身勝手な希望に過ぎない。そんな事は、分かっている。
俺は覚悟を決めて、未だ不安そうな眼差しで俺を見ているトムディに笑い掛けた。
「二人を探そう、トムディ。まだ、セントラルのどこかに居るかもしれない。上手いこと見付かったら、リーシュかヴィティアのどちらかから、事情を聞けば済む話だ。……そうだろ?」
トムディは納得行かない様子だった。そんな事は、見ればすぐに分かる。
だが、今の段階で結論を急ぐ必要も無いことは、トムディも理解している筈だ。まだ、俺達には何の情報もない。物珍しい銀髪を見た奴が居たとか、街中で唐突に全裸になった女を見たとか、そんな情報が得られる可能性だってある。
まだ、二人が危険な目に遭っているとも決まっていない。…………焦る時じゃない。
「…………そうだね。とにかく、リーシュを探さないと」
トムディはそう言って、頷いた。
そこに『ヴィティア』の名前が無いことに、どこか俺は、寂しさを感じていた。
*
ところが、何日経っても、どちらの情報も得られなかった。セントラル・シティに拠点を構える人間に片っ端から声を掛けてみたが、あの日の夜から、リーシュとヴィティアの姿を見た者は居なかった。
次第に、俺は焦り始めていた。早く見付けなければ、時間から考えて、二人の行動可能な範囲は広がっていく。とうにセントラル・シティからは離れているだろうと、そんな事は分かっていたが――……別の場所を探すきっかけも無く、俺達は二の足を踏んでいた。
何時からか、俺達はただ漠然とセントラル・シティに滞在し、宿で二人の帰りを待つだけの存在になっていた。情報が無い以上、どちらかはここに戻って来る可能性を期待するしかない。……そうだとするなら、遠出のミッションなどには参加せず、セントラル・シティに拠点を構えてじっと動かずに居た方が都合が良い。
そんな可能性を待つことが既に薄い希望になっていると、心のどこかでは理解しながら。
セントラル・シティでは朝日が登る瞬間に、誰かが中央にある巨大な鐘を鳴らす。俺達が二人を見失ってから、七度目の鐘の音を聞いた日。
その日は、雨が降っていた。
「グレン。…………今日も行く?」
「…………おー、そうだな」
俺とトムディは、どちらともなく、自然と一日掛けてセントラル・シティの全体を見て回るよう、声を掛け合うようになった。
ローブを着て、大きな黒い蝙蝠傘を差す。全身黒一色に染まると、灰色の空に自分が少しだけ溶け込んだような気分になった。
まるで子供のような、明るい黄色のレインコートに身を包んだトムディが、俺の隣を歩いた。俺の肩では、自身の髭を手入れしているスケゾーが座っている。
「ご主人。オイラ、思ったんスけどね。……そろそろ、ミッションを受けた方が良くないっスかね」
「…………そうだな」
働かざる者食うべからず、だ。黙っていれば、宿に泊まるだけでも金は消えて行く。セントラル・シティにずっと居るつもりなら、ミッションで遠出をする事があったとしても、さっさと住居を構えるべきだ。
幸い、今なら住居の頭金になりそうな金はある。だが、住居を構えるなら、それこそミッションをちゃんと受けて、着実にこなしていかなければ駄目だ。
ずるずると、何もせずに金を食い潰すだけでは――……どうにもならない。ただでさえ、リーシュ、トムディ、ヴィティアと仲間に入れた事で、大幅に貯蓄は減っていると言うのに。
…………くそっ。
雨傘の隙間から、通りを歩く人々の姿を確認した。強い雨の中では格好も似たり寄ったりになってしまい、余計に二人の姿を探す事が難しくなる。
「そろそろ、セントラル以外の場所も探した方が良いのかな」
トムディがぽつりと、そんな事を呟いた。
「…………でも、どこを探すよ。どっか予想、できるか?」
だが、続く言葉をトムディは持ち合わせていなかったようで、それきり、黙ってしまった。
しんしんと、雨は降り続く。静寂の中に、雨音だけが響いている――……そんな状況ではどうしても、俺は二人の身を案じてしまう。
今、どこに居るのか。何かに脅かされているのか。どうして何も言わず、忽然と姿を消したのか。……俺の注意が足りていなかったのか。他に何か、手はあったのか。
出る筈のない、答え。
「ミッションを探しに行きましょう、ご主人」
腐っている俺に気を遣ってか、スケゾーは手を合わせて、俺に言った。
「何かをやっている最中に見付かる事だって、やっぱりあると思うんスよ。ただ待っているだけが全てではねーです。だから、ミッションを受けましょう。そっちの方が有意義ですって」
…………確かに、そうかもしれない。
これまで、仲間なんて出来たことが無かったから、こんな時にどう対処して良いのか分からない。そのうちひょっこりとセントラル・シティに戻って来て、また仲間に加わったりもするのだろうか。
寝食を共にすると、不意に居なくなった時、寂しさを覚えるものだと思った。
いつまでも、こうしてはいられないか。
「冒険者依頼所に行くか、トムディ」
「んー…………分かった。そうしようか」
俺とトムディは、冒険者依頼所に向かった。
そういえば、随分と長いこと、ラグナスとキャメロンの姿を見ていない。
遠出のミッションに参加すると言っていたが、そんなに時間の掛かるミッションだったのだろうか。俺がセントラル・シティに居ると知れば、真っ先に殴り掛かって来る連中だ――――ラグナスに限り。
普段は厄介者扱いしている俺だが、今日ばかりは二人の情報を聞き出すために会いたいとさえ思う。
冒険者依頼所は雨の為か人が少なく、掲示板に貼られた幾つもの依頼書が、寂しそうにその存在を主張していた。
…………疲れているな、俺も。
「それじゃあ、俺はこっちから手頃なのを探すから。トムディは反対側な」
「おっけー、分かったよ」
トムディが歩いて行く後姿を目で追いながら、俺は腕を組んだ。
さて――……どうしようか。
「ご主人? どうしたんスか?」
「ああ、いや…………ちょっとな」
ミッションを受けるとは言ったものの。俺とトムディで、一体どうする。
リーシュと二人の時は、まだ良かった。前衛としての活躍は期待できなかったが、一応リーシュは相応の攻撃力を備えているし、一発限りの世界が終わる必殺技も持っていた。……使わせなかったが、まあ或る意味、俺はリーシュの実力について安心していたし、急にやられたりはしないだろうとも思っていた。
…………だが、今ここに居るのはトムディである。
俺は、苦笑した。
「スケゾー……トムディ、何に使えると思う?」
「指揮、統率、戦略……まあ、そんな所っスよね」
「だろ?」
「あー…………」
スケゾーが俺の危惧している事に気付いたようで、納得して頷いた。
『俺とトムディ』では、トムディに役割を持たせる事が出来ないのだ。むしろ、俺一人で行った方がまだ有意義とも言える。……成長を期待するなら、それでもいい。だがトムディは、聖職者志望なのだ。
【ヒール】を覚えるその日までは、正直、無力も同然だろう。
「戦うミッションにしなきゃ良いのか。……なんか、お使い的なヤツを見付けるか」
「子供のお使い代理とかどうっスかね。黄色のレインコートで」
「そんなミッションねえだろ……」
「おーい!! グレン!! これなんかどう!?」
トムディが手を振っていた。俺は苦笑しながらトムディの所に向かい、貼り紙を見た。
『子供がいつまで経ってもお使いを覚えられないので、代理を探しています』
「あった――――!!」
「何が!?」
俺の叫びに、何も知らないトムディが驚いていた。……いや、代理しちゃ駄目だろ。余計に覚えんわ。
思わず脱力してしまった。今日はもしかして、こんなミッションばかりしか無いのか……? もしかして殆ど依頼書コーナーに人が居ないのは雨だからじゃなくて、ミッションが不作なせい……?
周囲を見回すと、長椅子で談笑している冒険者が目に付く程度だ。見知った人間も居ないみたいだし、今日は諦めて、茶でも飲んで帰るか。
――――――――見知った、人間。
「グレン?」
「ご主人?」
トムディとスケゾーが、唐突に走り出した俺に疑問を覚えたようだった。だが、そんな事を気にしている場合じゃない。
依頼書の所ばかり見ていたから、気付かなかった。最も、普段から意識して見ることなどほぼ無いと言っていい『依頼書コーナー以外の掲示板』に、今日目が行ったことは幸いとも言えた。
冒険者依頼所からの知らせだとか、音楽や劇を嗜む連中の交流場なので、それも当然だ。好きな人間ならいざ知らず、俺には全く無縁の世界。
だが、それだけではない。今日は掲示板に、珍しいチラシが貼られていた。
「どうしたの、グレン…………何、これ。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』?」
思わず、喉を鳴らした。半分から下に並んだ、正面写真の一部に視線が釘付けになった。
「トムディ。『ウエスト・タリスマン』に行った事はあるか?」
「無いけど……そこの催し物か何かなの?」
ウエスト・タリスマンと言えば、別名『ギャンブラーの聖地』とも呼ばれている、様々な賭博を一手に引き受ける大きな街だ。一夜にして億万長者になる人間も居れば、その日の内に資産の全てを無くしてしまう間抜けも居る。健全に生活している人間なら一度も足を踏み入れる事はない、快楽主義者の巣窟。
トムディが、気付いたようだった。……一応、説明しておかなければならないだろう。
「こいつはな、トムディ。……武術大会のトーナメントとギャンブルを組み合わせた、所謂『人間競馬』みたいなモンだ。優勝者には奴隷と賞金が与えられる。観戦者は、誰が優勝するかを巡って資金を賭ける」
「に、人間競馬…………!?」
一着を当てるのではなく、優勝者を当てる。……だから、人気のある奴にはそれだけ賭け金が集まるが、配当もその分だけ低くなる。本来、奴隷を必要とする冒険者と、冒険者を雇う富裕層との直接的な交流の為に開催された催し物だが。
一番下の、今回の奴隷リスト。その写真の中に、間違える筈もない…………ヴィティア・ルーズの顔が混ざっていた。
「ふざけろ……………………!!」
思わず、俺は口にしていた。長椅子で談笑していた冒険者が、ぎょっとして俺達を一瞥する。
そこに、リーシュの姿はない。……やはり、リーシュとヴィティアは今、別々になっている。居場所が分かったのは、ヴィティアの方だけだが――……こんな所に居るという事は、それなりの理由があるはずだ。
「ウエスト・タリスマンって、ここからどのくらい離れてるの!? ……なんで、ヴィティアがこんな所に居るんだよ……!!」
トムディの疑問は、俺が誰かに聞きたい内容だった。最も、そんな質問に解答を用意できる人間なんて、この場に居ない事は明白だったが。
スケゾーがトムディの肩に降り、『ヒューマン・カジノ・コロシアム』のチラシを眺めて言った。
「馬車で二、三日くらいっスかね。結構離れてるんスよ……西の方はそもそも、セントラル・シティの監視下じゃねーですからね。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』だけは冒険者にとって大きな催し物なんで、告知されてるみたいっスね」
「詳しいな……グレンもスケゾーも、前に参加した事でもあるの?」
参加だって……? 冗談じゃない。俺は、内心でそう思っていた。
「お前が疎いだけだ、トムディ。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』は、冒険者にとっちゃ『天国か地獄の二択』とも呼ばれる、有名なパーティーだよ。……良いモンじゃないけどな」
最後の言葉に、トムディが俺を怪訝な瞳で見詰めていた。……どうやら本当に、何も知らないらしい。
冒険者の厳しさを、改めてその肌で体感する事になるだろうか。
「タリスマンに行くぞ、トムディ。このままじゃ、あいつが死んじまう……!!」
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