第53話 ドラゴンの背に語るもの

「うおおおおおっ――――――――!!」


 シチュエーションはさっきと全く一緒だが、これでどうにかなるのか……!? トムディの放り投げた水が触手に当たり、粘液が水に溶けた。ビジュアルは大して変わりないが――……その触手に、俺の拳が再びめり込む。

 電気が、伝わる。


「ブオォォォォォォ!!」


 効いた…………!?

 俺は空中で一回転し、トムディの隣に着地した。トムディは俺にバケツを返し、その場に仰向けに倒れ込んだ。……日頃訓練しているように見えていたけど、運動不足なのか?


「こ、怖かった…………」


 ……違う、ビビッていただけか。


「痛っ!!」


 蛸が取り落としたヴィティアは真っ直ぐに下降し、地面に尻餅を付いていた。苦い顔をして尻を撫で擦りながら、俺に向かって睨みを利かせる。


「何でリーシュの時はお姫様抱っこで、私の時は助けてくれないのよ!!」

「いや、だってお前、嫌がったじゃん……」


 洞窟の入口で。ヴィティアはそっぽを向いて、俺の言葉を無視した。……リーシュが犬なら、ヴィティアは猫だな。

 感電した蛸が黒焦げになって、その場に倒れ込む。洞窟全体が振動し、さながら地響きのように音が反響した。俺はスケゾーと共有を解除し、その場に座り込む。

 岩陰からリーシュが出て来て、俺達の無事を確認していた。


 …………終わったのか。


「よく、水が弱点だって分かったもんだな」


 問い掛けるとトムディは起き上がり、人差し指を立てた。


「……あの粘液が、電気を防いでいたんだ。【アナライズ・ターゲット】は、対象の成分を分析して弱点を見出したり、透視する為に使うスキルさ」


 便利なスキルを持っているものだ。……やはり、トムディの活路は回復役ではなく、こういった戦略的な要素の中にあるのかもしれない、等と思う。

 まあ、トムディがどのように考えているのかは分からないが。


「更衣室越しに、ルミルの裸を見るためだけに開発したスキルさ……!!」


 ……コイツが夫で本当に良いのか、ルミルよ。

 やれやれ。まあ、一段落付いたと言う訳だ。粘液もろとも丸焼きにする位しか対処法を思い付かなかった俺だが、トムディのお陰でどうにかヴィティアも無事である。……ああ、触手を焼き切って助けるという手段はあったか。

 まあ、この巨大な蛸に炎の攻撃がどこまで通用するのか、それは分からないが。

 ヴィティアはハンカチを取り出して、自身の顔を拭いていた。


「もう、嫌。早くお風呂に入りたいわ」

「まあ、ここまで来たんだ。さっさと解決して、セントラル・シティに帰ろうぜ」


 リーシュは……珍しく、溜め息をついていた。


「捕まってみて分かりましたが、きっとタコ刺しにしても美味しくないですね……」

「この期に及んでまだ食おうと思ってたのか、お前は」


 むしろ、危うく喰われる所だったんだが。粘液まみれのリーシュを直視するのはあまり心臓に良く無さそうだったので、俺はリーシュから目を逸らした。

 しかし、蛸を倒して一件落着な空気になっているが……肝心のドラゴンが居ないじゃないか。こっちはリーシュとヴィティアが戦闘不能で、パーティーは半壊している状態なのに。

 だが、ここは行き止まりだ。どこかには必ず、居る筈だと思うんだけど。


「まさか、本当に海に向かって泳いで……なんて事は無いよな」

「そこの池が海に通じているのかどうかも分からねえんで、ちょっと考え難いと思いますがね……」


 スケゾーが浮いて上空を確認しながら、そう言った。

 第一、俺達があいつを連れ戻しに来ていたと分かって逃げているのなら、ドラゴンの方にも事情が分かっている、ということだ。これだけ頑張っているのだから、そろそろ本心を明かしてくれても良い頃じゃないのか。

 本心って。人間と結婚なんて、嫌なのかもしれないけどさ。


「……………………ブオ」


 何かの声がして、俺達は全員、目前の蛸へと目をやった。


「…………喋った?」

「喋ったかも」


 俺の言葉を、間髪入れずヴィティアが肯定する。

 立ち上がり、蛸と距離を離した。……全身、黒焦げになっているんだぞ。この状況でまだ起き上がるって、どんな魔物だよ。

 蛸の周囲に、魔法陣が描かれた――……


「まだ生きてるのかよ……」


 結界付きの魔法陣。迂闊に入れば、何が起こるか分からない。……このまま完全回復まで待つしか無いのか。

 随分と生命力の強い魔物に当たってしまったものだ。リーシュとヴィティアが俺の背中に隠れる。トムディは――……お前は隠れるな。

 再生の魔法だ。……確かに、攻撃力も防御力も大した事の無い魔物は、時に回復能力を長所とする事もあり、何度倒しても起き上がって来る事を持ち味にしたりする――……が、粘液バリアで元々防御力としては申し分無いのだ。ボケた姿の割に、中々に強靭な魔物だ。

 俺の背中で、ヴィティアが俺の服を掴んだ。


「ねえ、ねえ!! もう、ミッションは失敗で良いんじゃない!? 逃げようよ!!」


 止むを得ないか。……完全に回復し切る前に逃げてしまえば、危険にも晒されないだろう。……何がしたいのか分からないが、リーシュとヴィティアを捕まえて、魔力を吸い取る行為も確認できている。スピードは遅いが、次に捕まればあまり冗談を言っている場合でも無くなるのかもしれない。

 とはいえ、魔物だって生き物なので、そう何度も完全回復の魔法が使える訳じゃない。魔力尽きるまで殴り続ければ、倒すことも可能なのだろうけど。

 ……今は俺の事よりも、仲間の体力を気遣うべきか。


「そうだな。……残念だけど、ミッションは失敗したって事にしようか」


 俺はそう言って、ヴィティアの肩を叩いた。ヴィティアは安堵して、溜め息をついた。


「ブオォォォォォォ…………!!」


 じき、完全回復が終わる。俺達は後退し、洞窟の通路に避難しようとしていた。



「ありがとう、もう大丈夫だよ。ミスター・オクトパス」



 謎の声がして、蛸の魔物が動きを止めた。


「何だ……?」


 低音の渋い声。随分と滑舌よく喋るものだ。蛸の頭の上に、何者かが現れる――……小さな姿。俺達は驚いて、蛸に向かって――……その男に向かって、走った。

 男は蛸から飛び降り、俺達の前に現れる。


「ドラゴン…………!!」


 思わず、俺はその名を口にしていた。緑色の身体に、タキシード。一見して、ドラゴンと言うよりはリザードマンに見えなくもない風貌。……近くで見ると、龍族にしては小さなその身体に違和感を覚える。

 タキシードを着たドラゴンは、ガタイの良い男が振り回すような、鋸のような剣を腰に下げていた。


「すまないな、逃げ回ってばかりで――……君が魔導士だったから、少し因縁があってね。連中の仲間ではないと分かるまでに時間が掛かった」


 ドラゴンは随分と丁寧な物腰で、そのように俺達に話した。魔導士と、何やら複雑な関係にあるようだが――……人間の言葉。二足歩行をしている事を考えても、やっぱり何かがおかしい。

 ずっと、おかしいと思っていた。このドラゴンは――――…………いや。


「俺はグレンオード・バーンズキッド。魔導士だ。実はここに来る前に一度、トムディが会ってるんだけどな」


 ドラゴンは、トムディを見た。……あまり、ピンと来ないらしい。まあ、すぐに逃げられたからな。

 そんな事より、俺には確認しなければならない事がある。


「唐突で悪いが、あんた――――もしかして、人間か?」


 仲間が、俺を見る。ドラゴンは目を細めて、俺の顔を見ていた。


「ど、どういうこと!? どう見ても人間じゃないじゃない!!」


 ヴィティアはそう言っているが。……まあ確かに、知らないかもしれないな。当然、養成所なんかで教わるような魔法ではないし……何より、御法度だ。魔物に姿を変える、なんて魔法は――……

 ――――胸が痛む。


「『そういう魔法』があんだよ、ヴィティア。当然、教わるような魔法じゃないけどな。……まあ、暗黙の了解で使わないし、開発しない事になっている魔法だ」


 ヴィティアがドラゴンを見て、悲しい顔をした。凡そ人と同じ背格好。ただ、姿が違う事を除けば。その事実と俺の言葉の意味を反芻しているように思えた。


「如何にも。……よく知っているね。私は、魔導士にその姿を変えられた、一介の剣士だよ」


 スケゾーが腕を組んで、ドラゴンの問いに答える。


「ちょいとワケ有りでしてね、うちのご主人は……魔界の魔法にも通じてるんっスよ。しかし兄さん、誰にやられたんで?」

「…………分からない。どうやら、記憶を飛ばされてしまったみたいでね……最近、魔物の被害が増えているだろう。その原因を突き止める為に、魔界に行ったらこうなったんだ。……後は、何も思い出せないんだ」


 スケゾーが、俺を見る。


「ご主人」

「ああ」


 コイツは――……驚いた。俺の知っている男の他にも、こういった禁断の魔法を平気で使う男が居たのか。

 誰にも敵意を向けられていないのに、冷汗が出る。唐突に現れた事実に、俺は喉を鳴らした――……これは。考え方によっては、『あの魔導士』に近付くチャンスかもしれない……?


「あ、あの……!! せっかくお話できたので、お伺いしたいのですが……!!」


 リーシュが胸に手を当てて、ドラゴンに話し掛けた。……まさか、リーシュもこの魔法について、何か知っているのか……? そんな話を聞いた事は無かったが……まあ、俺も他言しなかったから、という事もあるが。

 そうすると、意外と被害は広がっている可能性もある……のだろうか。


「何だい、お嬢さん?」


 緊張した様子で、リーシュは一人、喉を鳴らしていた。


「指が三本しか無い場合、結婚指輪って何処に」

「今そういう空気じゃないだろオォォォ!? ちょっとは周りに気を遣えよオォォォ!!」


 跳び上がって、トムディがリーシュの頭を叩いた。



「…………くっ。…………ハハハ…………」



 唐突に、ドラゴンは笑い出した――……リーシュの言葉が、余程予想外だったのだろうか。……まあ、本来この流れで出て来るような言葉ではなかった。リーシュならではと言うべきか。

 だが、リーシュのすっとぼけた言葉が、僅か以上にドラゴンの心に隙を作ったように見えた。


「そうだね…………真ん中の指に嵌めるんじゃないかな…………? 失礼、お嬢さん、名前は?」

「あ、私、リーシュ・クライヌと申します」

「ククク…………」

「…………?」


 リーシュは全く意味が分かっていない様子で、頭に疑問符を浮かべていたが。


「あんたの婚約者が、冒険者依頼所に捜索ミッションを出して来た。俺達は、それであんたを探しに来たんだよ」

「そうだったか、それは失礼したね。……突然居なくなって、サティーナも心配しているだろう」


 ドラゴンは、発光石の上に腰を下ろした。手の指を組むと、天井を見上げる。

 その様子は、どこか薄幸染みていて、自虐的にも見えた。薄笑いを浮かべて、今度は視線を地に落とす。

 俺達は、その様子を黙って見ていた。


「…………逃げ出して来たんだよ。サティーナとの婚約は進んでいた……ちょうど一年前から、私達は結婚しようと話していたんだ。……しかし、この一年間で私は見ての通り、人では無くなってしまった」


『魔物に姿を変える魔法』というのは、魔法に掛けられる前に人間だったという証拠が、殆ど残せないという問題がある。……術者が魔法を解除しない限り、誰にも本当の姿は見えない。分からない。

 それがどういう結果を生むのか理解していた俺には、ドラゴンの言葉が刺さるようだった。


「龍の姿に変えられてから、私はサティーナとの結婚を取り止めようと話したんだ」


 リーシュが眉をひそめて、悲痛な表情を浮かべた。


「ど、どうしてですか…………?」


 ドラゴンは、そんなリーシュの様子に微笑を見せる。


「君は、魔物と結婚する女性について、どう思うかい」

「わ、私は、気にしませんっ!!」

「……ありがとう。ミス・リーシュはそうかもしれないが、他の人間は違うんだよ。特に、事情を知らない者からすれば……何が起こるか、分かるだろう。もしかしたら、危険な目にも遭う事があるかもしれない」


 使い魔だと思われれば、まだ良いだろうが。……龍では、余程名の知れた冒険者でない限り、まず危険視されるだろうな。

 俺だって、スケゾーを連れて歩いた初期の頃は、散々文句を言われたものだ。


「だから、私は結婚するのを止めたかった。でも、サティーナは嫌がったんだ。……だから、逃げ出した。それだけだよ。……悪かったね、こんな私用以外の何者でもない話に、君達を巻き込んでしまって…………だが、戻る気はない。サティーナにも、そう伝えておいてくれるかい」


 ヴィティアは、面白く無さそうな顔をしていた。


「私はここで、魔物と暮らすよ――――彼女を、愛しているんだ」


 おそらく、まだ龍の姿に変えられて、そう時間も経っていないのだろう。半年か、もう少しか……結婚を決めたのが一年前だから、一年は経過していない。彼自身、ドラゴンの姿にまだ慣れていないのだ。

 俺は、腕を組んだままで言った。


「結婚して上手くやっていく方法なんざ、幾らでもあるんじゃないか?」


 ドラゴンは顔を上げて、俺を見た。



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