第四章 誠実な麗しき(但し、逃げ出した)龍
第43話 嬢ちゃん、四百セル出しな!
グレンオード・バーンズキッドが、トムディ・ディーンと出会う前の出来事だ。
「こいつは駄目だな。まるで話にならねえや」
ヴィティア・ルーズは、生気の感じられない蒼白な顔で、手持ちのカードをテーブルに落とした。
セントラル・シティは広い。中心にある円形のコロシアムを囲うように通りが広がっており、住民や宿も多く、様々な種類の人々が拠点として利用する。セントラル・シティに存在する店の殆どは人の目に触れ易く、誰でも気軽に入る事が出来るように工夫されている。
だが、そんな中、気軽に入られては困る場所というものも、やはり存在する。
グレンオード・バーンズキッドが、普段行く酒場――……セントラル・シティで最も栄える大衆居酒屋の、更に南。一般的な民家のようにカモフラージュされた建物の庭には、地下へと続く扉がある。
情報を持たなければ、中に入る事も無い。治安を重視するセントラル・シティには珍しい、裏カジノがそこにはあった。
木造のテーブルに、数枚のトランプが置かれている。真昼間から光の当たらない地下、ヴィティアの対面に座っていた筋肉質なスキンヘッドの男が、ヴィティアに笑みを向けると、人差し指を突き付けた。
「嬢ちゃん。四百セル、出しな」
ヴィティアは、しゃくり上げるような声を漏らした。
その場に不釣合いな程に美しい金髪と、その髪に括り付けられた、桃色の宝石が嵌め込まれた髪留めが、眩く光る。しかし、それとは正反対に、ヴィティアの表情は愁いを帯びたそれに変わって行った。
だが、何かに気付いたのだろうか。唐突にヴィティアは眉を怒らせて、テーブルを叩いて立ち上がった。
「私を騙したわね……!? 始めからイカサマで挑むつもりだったんでしょう!?」
ヴィティアがそう言うと、対面の男は口端を吊り上げて、下顎を指で撫でた。
「ほう。そいつはひでえな。俺がイカサマをしたって証拠が、どこかにあんのかい」
「証拠も何も無いわよ!! こんな強いカード、そう何度も実践で出るわけ――――」
男はヴィティアをきつく睨んだ。口元には笑みを浮かべたままで、ヴィティアの手首ほどはありそうな手の指を、何度か鳴らした。
「俺がイカサマをしたって証拠が、あんのかい。…………どうなんだ?」
たったそれだけで、ヴィティアは何も言えなくなってしまった。視線をテーブルに落とし、歯を食い縛った。
薄暗い部屋で行われる、非公式の勝負事。当然、ヴィティアと男の間に割って入る人間など、居る筈もない。孤独に耐え、ヴィティアは鞄を引っ掴み、テーブルの上で逆さに振った。
始めから勝負に使うつもりだったのか、テーブルの上に二つ程に纏め、分けられた札束が落ちる。それを見て、対面に居たスキンヘッドの男と、周囲の取り巻きが歓声を上げる。
ヴィティアがテーブルの上に置いていた札束と合わせて、三つ。
「はい、三百セルとちょっと!! ……これで全財産よ!! これ以上は逆さに振ったって出ないんだから、我慢してよね!!」
ヴィティアは憎々しげに、部屋の壁に貼られたゲームのルールを見た。そこには、一勝負ごとに賭けられる上限の金額と、手持ちの札を特定の役に揃える事で、賭け金がアップする説明が図と文字で描かれていた。
恐らく、始めから全てが仕組まれていた事に気付いたのだろう。ヴィティアは俯き、ただ悔いるばかりだった。
「百セル、足りねえなあ」
だが、地に視線を落としたヴィティアに、更なる追い打ちが掛かった。……ヴィティアは顔を上げた。青褪めた顔には、困惑の色が浮かんでいる。
「足りないって……もう無いわよ。空になったら終わりでしょ? あんたが初めに、そう説明したんじゃない」
「あァ、空になったら終わりだ。……空になったらな」
スキンヘッドの男は薄ら笑いを浮かべて、指を弾いた。
後ろの取り巻きが、ヴィティアに襲い掛かった。悲鳴を上げたヴィティアはその場に背を向け、逃げようとしたが――……捕まってしまった。
ヴィティアの両手の甲には、奇妙な文字とも取れる、刺青のようなマークがあった。それこそが、ヴィティアが男達に反撃できない理由でもあった。
最も、この狭い場所で彼女が魔法を使えば、生き埋めになる可能性があるので、結局は使えなかったのであろうが。
「やめてよ!! やめて!!」
ヴィティアの悲鳴も聞かず、男達はヴィティアの服を剥いた。高価な魔導士装備に身を包んだヴィティアならば、何か良いアイテムを持っているかもしれない――……そう、考えたのだろうか。
そして、男達の推測は当たっていた。ヴィティアの下着に嵌めこまれた宝石に、男達は歓声を上げた。
「やべーな、なんだこいつ!! 全身で一体幾らになんだよ!!」
「ボス、女はどうします?」
「手は出すなよ。ギャンブルで負けた、なんてのは助けちゃくれねえだろうが、強姦は話が別だ」
「ちぇっ。ちょっと好みだったのになー」
「もっと良い女を買えば良いだろうが。我慢しとけよ」
「へーい」
産まれたままの姿になったヴィティアに、スキンヘッドの男が擦り切れたローブを投げて寄越した。鞄まで奪われたヴィティアは、息を切らしながらも、どうにかそのローブで身体を隠した。
ふらつきながらも、ヴィティアは立ち上がった。濃茶のローブに身を包む様は、さながら死人のようでもあったが――……一刻も早くここから立ち去るべきだと判断したのだろう、ヴィティアは部屋のドアノブに手を掛けた。
テーブルの上に肘を突いたスキンヘッドの男が、背中からヴィティアを睨み付ける。
「待てよ。…………そのピンクの髪留め、そいつも置いて行け。価値があるかもしれねえ」
ヴィティアは、凍り付いた。
噛んだ下唇が震え、握り締めたドアノブが小刻みに音を立てる。スキンヘッドの男の背後に居た男達が、指示を受けてヴィティアに再び向かった。
咄嗟に振り返り、ヴィティアは胸の前で両手を合わせ、叫んだ。
「その装備を売れば、四百セルに足りるわ!! ……こ、これは本当だから!! 行ってみれば分かるから、足りなければ稼いで払うから……だから、それで良いでしょ!?」
「鑑定してねえからな。まだ分からねえな」
「そんな!!」
ヴィティアの髪留めが、取り巻きの男によって奪われた。慌ててヴィティアは、その髪留めを取り戻そうと、手を伸ばした。
「返して!! それは、ママの――――!!」
「つまみ出せ」
ヴィティアの言葉は、誰の耳にも届かなかった。
そこから先は、早かった。外に捨てられたヴィティアは痛みに小さな声を漏らし、すぐに立ち上がった。だが、男達によって扉は閉められ、ヴィティアが二度入る事は叶わなくなっていた。
何度か、鉄の扉を叩いた。当然それで扉が開く筈も無く、ヴィティアは苦渋に顔を顰め、扉に額を擦り付けた。
歯を食い縛り、その場に屈み込んだ。……だが、誰もヴィティアを気に留める事はなかった。茶色の薄汚れたローブに身を包んだ浮浪者など、セントラル・シティの裏路地に腐るほど転がっている。大方、乞食が物乞いに失敗したとでも見えているのだろう。
暫く、ヴィティアは沈黙していた。
全ては、終わったのだ。
風がヴィティアの頬を撫でる。光のまるで入らない場所で行われたやり取りだったが、まだ日中だ。セントラル・シティの街路は、穏やかなものだった。
何処かで、家族の話し声が聞こえて来る――――…………
「…………っ!!」
ヴィティアは振り返り、走り出した。誰も居ない小路へと入り、ジグザグに当ても無く走る。目的地など、始めから決まっていなかったのだろう。俯き、地面だけを見ていた。
「スケゾー、一旦宿まで戻って、リーシュを連れて来よう。……どの道、そろそろ昼飯だしな」
「そっスね。呼んで来ましょうか?」
「ああ、頼む――――…………」
その声が聞こえた時、咄嗟にヴィティアは前方に顔を向けた。丁度、細い路地を通り抜け、ヴィティアは大通りに飛び出していた。
既に時は遅く、そのまま横からヴィティアは激突した。ヴィティアは大きく目を見開き、その姿を確認した。
見覚えのある、魔導士としてはそれなりに格調の高い黒のローブ。骸骨を被った使い魔を引き連れた、赤髪の青年が目に入る。
「…………ヴィティア?」
一瞬の出来事だった。ヴィティアはすぐに俯いて顔を隠し、そのまま一目散に彼から離れた。彼――――グレンオード・バーンズキッドから。
その理由はきっと、零れた涙を隠す為に違いは無いだろう。
グレンオードはその後、サウス・マウンテンサイドへと向かい、奇術を使う聖職者――トムディ・ディーン――と出会う事になるのだが。
この時のヴィティアはおろか、グレンオードでさえも、その事に予測は付いていなかった。
*
まさか、こんな事になるなんて。
いつも通り、肩にはスケゾーを乗せたまま――……俺は、セントラル・シティの大通りを歩いていた。考えれば考える程、今の状態は問題だ。
サウス・マウンテンサイドからセントラル・シティに戻る途中、ついでに山で薬草採取をしていた時のことだ。
『……あれ? グレン様、トムディさんが来てません』
『えっ?』
そもそも、何故トムディは自分が使えない魔法を反射的に使おうとするのか。俺は、疑問でならない。
『グレン!! グレンアァァァ!! 降ろしてえぇぇ!!』
『ああっ……!? トームデーィ!!』
セントラル・シティに戻って、早三日。驚くべきことに、ミッションはただの一つもこなせていない――……このメンバーでミッションを受けに行く自信が無く、どうして良いのか分からなかったからだ。
すぐ泣くわ、魔物を見るなり尻尾巻いて逃げるわ、挙句【ヒール】で空を飛ぶわ。いつかは成長するのだろうか。……いつだ。
『変な二足歩行のドラゴンに道を聞かれたんだっ!!』
『へえ……どこに行くって?』
『水灯りの洞窟に行きたいって言われたよ』
『…………』
『…………?』
『一体それがどうしたんだ!!』
あいつは、どうすれば。
サウス・マウンテンサイドの一件で覚悟を決めたのかと思いきや、人の性格というものは、そんなにすぐには変わらないらしい。まあ、マウンテンサイドの王様が「お前には根性が無いから無理だ」と言っていたのもよく分かる。
これで、いざという時には歯を食い縛って立ち上がるのだから、人間というものはよく分からない。
今日は一日、フリーにさせて貰った。とにかく、今後の対策を考えなければ。仲間を作るつもりでお荷物が増えているのではないかと思ってしまうが……なに、リーシュだって成長しているんだ。トムディだって、そのうちどこかで成長する筈さ。
……だが、問題は『どういう方向に』成長するのか、だ。
宿の裏に向かうと、待ち合わせの時間通りに、可愛らしいワンピースを着た銀髪の少女は待っていた。雲一つない晴天に、金色の瞳が輝く。
「あ!! グレン様、こっちです!!」
俺は苦笑して、申し訳程度に右手で挨拶した。
桃色のワンピース、か。初めて見る服だから、新調したのだろうか。リーシュは駆け寄ると、ぎこちない動きで俺の前に立った。
「す、少し早く来すぎてしまいましたっ!! ごめんなさい!!」
「お、おう。悪いな、時間通りで」
何故、俺が謝っているのだろうか。
異様に元気である。……俺の勘違いだろうか、リーシュが普段の五割増し程に可愛く見える。ルミルが横に居た時のようだ……って、別に単体のリーシュが可愛くないと言っている訳では無いのだけれど。
それにしたって、今日は何故か可愛い。一日オフの予定だから、どこかに遊びにでも出掛けるのだろうか。
少し、動きが硬い気もするが……。
「悪いな、休みの日に呼び出して」
「…………全然問題ありましぇっ!!」
ありましぇって何だよ。
何故かリーシュは恍惚とした顔で、俺の事を見ていた。僅かに瞳は潤んでいるし、顔が真っ赤だ。
…………熱中症?
「ご、ごめんなしゃい。……ちょっと、き、緊張してしまって」
大丈夫か、おい。呂律が回ってないぞ。
リーシュの背中を叩いて路地裏奥の日蔭まで移動すると、リーシュは何やら足をもじもじとさせて、壁に凭れ掛かった。息が荒い。風邪でも引いたのか……? 今は余計な事を話さず、宿で休ませた方が良いのだろうか。
上目遣いに、リーシュは俺を見詰める……。かと思えば、青褪めたような顔で俺から目を逸らすし、何を考えているのかよく分からない。
「……そ、それで……大事な話、って、な、何でしょうか……」
「だ、大丈夫か? ……話しても良いか?」
リーシュは腹に力を込めて、唇を真一文字に引き結んだ。若干涙ぐんでいる。
「は、はいっ!! か、覚悟はできました!! ……私、どんな展開になってもグレン様を応援します!!」
何を言っているんだ、本当に……。
だが、もう話は振ってしまったも同然だ。ここで止める訳にも行かない、か。こんな状態の時に、酷な話だろうか……いや。リーシュなら、きっと考えてくれる筈だ。
「実は、トムディの話なんだが……」
「や、やっぱり、恋愛相談の方なんですか……!? そんな……!!」
「いや、トムディの話だって言ったろ?」
何で俺がリーシュに、トムディとルミルの関係について相談しないといけないんだよ。
頭に疑問符ばかりが浮かぶ。……しかし、リーシュは目をぱちくりとさせて、きょとんとした顔になった。
「って、えっ? ……トムディさん?」
テンポが。……まあいい。流石にもう慣れた。
俺は眉を顰めて、リーシュに事の重大さをアピールした。
「ただの予想でしかない、ってのはあるが……俺、あいつは回復魔法を覚えないと思うんだ」
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