第42話 お前の上に立つものは

 周囲の状況は一変した。雲は晴れ、上空を舞っていた幾つもの魔物は光の粒になって、魔界へと還る。バレルが召喚しようと企んでいた数十体のガーゴイルも、召喚される前にその姿を消した。

 ナコと呼ばれたサキュバスだけは、バレルの隣に残っていた。やはり、実体の魔物はバレルのパートナーか。あれだけは、自身の魔力で呼び出していたのだろう。

 バレルは額に青筋を浮かべて、トムディに向かって走る。その胸倉を、掴み上げた。

 ……その動きを合図に、俺はバレルに向かって歩き出した。


「トムディ!! てめえよくも、俺の『ゴールデンクリスタル』を……!! 殺す……!! 今すぐに!! 殺す!!」


 脅されながらも、トムディは決して屈しない。バレルの生み出した氷の刃は、先程までと比べると随分と貧相なものだったが。それは確実に、トムディの喉元を狙っていた。

 俺は、橋の上に着地した。今度はトムディに気を取られて、倒れたルミルが放置されている。……全く、短気な男だ。


「痛ぇぞ、こいつは……俺の邪魔をした罰じゃんよ。あの世で後悔しなァ……!!」


 真っ直ぐにバレルへと向かって歩き、バレルの肩を叩いた。


「アァ…………!?」


 大きく、拳を振り被る。

 振り返ったバレルの頬に、右の拳が入った。攻撃は、たった一度――――しかし、それはバレルの身体を震動させ、掴んだトムディの胸倉を離させる。バレルは盛大に吹っ飛び、橋から落下した。

 そのまま、森に向かって姿を消す。何本かの木が折れるような音がして、その場に砂埃が舞い上がった。


「バレル!!」


 サキュバスが慌てて、消えたバレルの姿を追い掛ける。


「トムディ、ルミルを保護してやってくれ。後は俺が何とかする」

「…………うん」


 トムディは、ルミルに向かって走った。

 その表情に笑顔は無かったが。同時に、何か大きな覚悟のようなものを、感じ取る事ができた。

 橋から降りると、俺は走った。森に入ると、視界が悪くなる……だが、大丈夫だ。スケゾーと魔力を共有している今の俺には、中の状況が手に取るように分かる。


 俺が森の中に入ると、既にバレルは立ち上がっていた。俺が追撃する事を予め予測していたのだろう、その手には俺の炎を迎え撃つべく、氷の魔法を用意してあった。


「そういや、力の差を思い知らせてやるとか言ってたよな。……やってみろよ、バレル」


 まだ、俺は傷一つ負っていない。そう示す為に、俺は笑みを浮かべる。

 バレルの怒りは加速しているのが、よく分かった。余す事無く魔力を駆使し、俺に向かって反撃を試みる。

 氷、氷、氷……別に、他の魔法も使えるだろうに。氷に拘るのは、俺の得意魔法を知っての事だろうか。


「クソッ……!! 何で当たらねえんだ……!!」


 無数に襲い掛かって来る氷の刃は、しかし俺には届かない。どの攻撃も直前で俺に解除されてしまい、消えて無くなってしまうからだ。

 俺はゆっくりと、バレルに向かって歩き出した。


「もしかして、解除されてるの……? コイツほんと、何者なのよ……」


 バレルのサキュバスが青褪めた顔をして、俺の事を気持ちの悪そうな眼差しで見ていた。


「おいナコォ!! 何ボサッと突っ立ってんだ!! 零の魔導士に攻撃しろ!!」

「嫌よ何されるか分からないじゃないっ!!」


 ついに仲間割れか。使い魔のサキュバスは、既に戦意喪失していた。まあ、どうやらスケゾーの方が上位の悪魔らしいからな。相手にならない事は、理解しているのだろう。

 だが、バレルの立場からは、そうも言っていられない状況、か。


「うるせー良いからやれっつってんだっ!! おめーも俺の使い魔だろうが!! 少しは働け!! ボケ!!」

「あーもー、はいはい分かったわよ……!!」


 サキュバスが俺に向かって、魔力を高め始める……しかし、その攻撃は途中で中断された。俺の背後から飛んで来た斬撃の波動が、サキュバスに襲い掛かったからだ。

 慌てて、サキュバスはそれを避ける。


「きゃっ……!!」


 不意の事で反応が追い付かなかったらしく、サキュバスの白い指に傷が付いた。俺の背後から登場したリーシュが、【ホロウ・ゴースト】に続けてサキュバスと距離を詰め、連撃を試みる。


「グレン様の邪魔はさせません!!」


 良い動きだ、リーシュ。サキュバスだってそれなりに高位の悪魔だろうに、この躊躇の無さ。無鉄砲と言えば聞こえは悪いが、今は時間を稼いでくれればそれで良い。

 俺は遂に、バレルに拳の届く距離まで近付いていた。焦ったバレルは、右の拳を氷の魔法で固めた――……俺の真似事か。


「この、無能がァァァ――――!!」


 放たれた、バレルの攻撃。俺は避ける事も防御する事もせず、ただ左腕を前に。

 俺に向かって飛んで来た拳の、手首を掴んだ。


「気は済んだかよ」


 バレルの、歯軋りの音が聞こえる。


「…………この、クソ野郎!!」


 いつだって、力に溺れる者の末路というものは、悲惨なものだ。富にせよ、名声にせよ、本人が扱えるレベルを超えた何かというのは、あっても邪魔にしかならない。

 俺は、拳を握り締めた。


「世の中には、順序ってモンがあるんだよ!! 血と才能の強い奴が上に立つんだ!! 無能の分際で、ちまちま集まって反逆起こしてんじゃねーぞコラ!!」


 一瞬だけ。……ほんの、一瞬だけだ。それで、全ては決着する。

 俺は、スケゾーと心を通わせる。互いに同意し、共有した魔力の総量は――――『十五%』。

 筋肉が、元の状態の二倍程に膨張する。溢れ出る炎が、拳の周囲の温度を上昇させる。夜の森に現れた、小さくも眩い明かり。欲に打ち負けた男に制裁を与える為の、紅の光。


「才能のねー奴が!! 俺に逆らうなァ――――――――!!」


 充分だ。



「【笑撃の】――――【ゼロ・ブレイク】!!」



 豪速の一撃を、放った。


 バレルの腹に潜った拳が、強力な爆発を起こす。バレルの身体は浮き、目玉が飛び出さんばかりに目は見開かれる。そのまま、背後の木に激突し、木は折れ――――先の木に激突し、折れ――……連続した不自然な打撃音が、夜の森に木霊した。


「あっ…………あーあ、やられちゃった」

「グレン様!!」


 ナコと呼ばれたサキュバスが、バレルの魔力切れと共に、魔界へと還る。リーシュは戦闘を止め、剣を戻して俺を見た。

 決着だ。


「心配するなよ、バレル・ド・バランタイン。これから先、お前の上に立つのは、才能がある奴でも、血が強い奴でも、運に恵まれた奴でもない」


 やがて、音は止んだ。薄暗い森の中に、一筋の光が差し込む――……太陽の光だ。いつの間にか、夜が明ける時間になっていたらしい。

 俺と共有を解除したスケゾーは分離し、元の髑髏姿に戻って、俺の肩に座った。


「――――お前より努力した、普通の人間だよ。それ以外の何者でもない」


 そうだ。誰も、恵まれていない事に文句など言っていられない。

 人は平等ではないと誰もが言うが、同時に人が平等かどうかを測る物差しも、人のエゴと欲望によって作られた、ひどく不格好で曖昧なものだ。

 そんなものに振り回されない、今の立場を受け入れて向上を続けられる人間。

 それこそが、本当の『強者』なのではないか。



 そんな事を、俺は考えていた。



 *



 …………そんな事――そんな綺麗事は、とりあえず後回しにしよう。


「行ってきます、父上」


 太陽が昇って暫くして、無警戒にも眠っていた住民が起きて来る頃には、捕まった街の人々を解放する事も出来ていた。彼等は『紅い甘味』に閉じ込められ、両手両足を使えない状態で眠らされていた。

 皆も、そして王様も、夜のうちに起きた事件の真相を目の当たりにして、酷く驚いていた。魔物が積極的に気配を消して動いていた事もあり、全く気付かなかったらしい。

 ルミルはと言えば、無事に目を覚まし、『ゴールデンクリスタル』を護り切った事に安堵していた。


「トムディ。……良い、仲間を持ったな」


 どうやら、ルミルの持っていた『ゴールデンクリスタル』は婆さんの代から受け継いだ代物で、外に出してはいけないという決まりになっていたらしい。曰く、家宝にも近いモノだと言うのだ。

 ルミルの実家の地下室は、魔力反応を外に出さない魔法陣に護られた、秘密の場所。そのためにバレルにも気付かれる事なく、この一件は事無きを得た。


「はいっ!!」


 いや、ぶっちゃけそんな事はどうでも良いんだ。そんな小さな事よりも、俺の身に今起きている出来事の方が、余程問題である。

 どうやら、いつの間にかトムディはヒーラーとして俺の仲間に加わると心に決めていたらしく、事件が終わって顔を出した王様に、真っ先にそう話していた。『バレル・ド・バランタイン暴走事件』が俺達の手によって解決された事を知った王様は、これを快く引き受けた。

 いや、今現在、引き受けている真っ最中である。


「グレンオード君。……頼りなくて申し訳ないが、うちの馬鹿息子を、どうかよろしく頼みます」

「…………アァ、ハイ」


 何でこんな事になってんだ? ……いや、確かに俺は戦いの中で、トムディと握手をしたよ。トムディに説教もしたかもしれないよ。でもさ、それと仲間に加える云々っていうのは、また別の話じゃないかい? ……違うかな。俺の感覚がおかしいのかな。


「グレン。この至高の聖職者を、これからもどうぞよろしくね」

「それ、自分で言う台詞じゃないよな。あと、お前をヒーラーとして仲間には迎えられないけどな」

「えええええ!? 何でだよオォォ!!」

「何でもクソもあるか!!」


 サウス・マウンテンサイドまで聖職者を探しに来た俺達は、見事聖職者を仲間に引き入れる事に成功した。……【ヒール】も使えない、ヒーラーとしての役割を何も果たす事が出来ない、という制約が付くが。

 使えるのは、女風呂を覗くためだけに会得したと言われる、【ヴァニッシュ・ノイズ】という足音を消す魔法だけである。

 すげえな、それ。自分でもびっくりだ。第三者に使えるのかな……使えないんだろうな、多分。

 リーシュが笑顔で、トムディにガッツポーズを見せた。


「これからよろしくお願いします、トムディさん!!」

「そうか、そういえば君も仲間なんだったね……すっかり忘れてたよ」

「後の祭りですね!!」

「どういう意味だァ!!」


 …………まあ、リーシュが楽しそうだから、良いか。

 とてつもなく強引な解決方法を用いて身辺事情を考えない事にした俺は、思わず苦笑していた。


「トムディ。気を付けて、行って来てね」


 手を振るルミルに、トムディは僅かに俯いて……そして、顔を上げた。


「ルミル。……僕、ちゃんとした聖職者になって帰って来るよ」

「……うん。期待して待ってるね」


 正直、この場所にもう用は無い。残念な事にヒーラーは見付からなかったので、新しい場所に行かないと。この三人では、ろくなミッションが受けられない事に変わりは無い。……のだが。

 トムディは何か決意を内に秘めたような顔をして、ルミルを見ていた――……。ルミルの手を握ると、トムディは言った。


「【ヒール】!!」


 瞬間、トムディの尻が宙に浮く……やがてルミルも一緒に空を飛び、二人は見つめ合っていた。

 何してんだトムディ。……何でちょっと嬉しそうなんだルミル。これは何だ。一体これから、何が始まると言うんだ…………!?



「だから……戻って来たら、僕と結婚してください!!」



 恋が始まったアァァァ――――――――!!



 尻を頂点にして空を飛ぶ、謎の告白。ルミルはトムディの両手を握り、中途半端に空中を浮遊した状態で、心ときめいてって何これ!!


「――――待ってます」


 空に浮かんだトムディとルミル。その二人を、街の誰もが愛に溢れる、暖かい眼差しで見ていた…………。


「ぐすっ……うっ……良かったですね、トムディさん……!!」

「いや何で泣いてんの!? どこに泣く要素があったの!?」


 そんな街の人々の様子を、感極まったリーシュが、暖かい涙を流して見ていた…………。


「いやー、ほんと、ご主人は何かとトラブルに巻き込まれる体質っスよね」

「ああ、本当にな……。是非お前にも分けてやりたいよ……」


 そんなリーシュも含めた周囲の様子を、呆気に取られた俺とスケゾーが、生暖かい眼差しで見ていた…………。


 トムディとルミルは、サウス・マウンテンサイドの城の上まで、回転しながら飛んで行く。

 いや、さっさと戻って来いよ。旅に出られないから。俺、そんなに暇じゃないからさ。



 マジで。



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