第44話 フワッとしてブニッ
リーシュは目を丸くして、その場に固まっていた。
透き通るような瞳には、俺が映っていない。何かおかしな事を言っただろうか。いや、俺はトムディの話をしただけだ。
「リーシュ?」
「…………あっ、はい」
いつも以上に間が開いていた。
何なんだ、本当に一体。様子がおかしいってレベルじゃないぞ。大事な話って言ったのが、そんなに緊張を生んでしまったのだろうか。
俺は思わず、今のリーシュの状態について納得するべく、想像を巡らせてしまった。
まあ、バレル・ド・バランタインの一件もあったし、リーシュも初めて、単体で戦った訳だからな。そういう事なんだろうか。
もしもこれから先、あれ程に強い相手と敵対しなければならないという話だったら。緊張もするだろうか。
「ちげーし……」
何処からか、スケゾーの声が聞こえた気がした。……あれ。そういえばスケゾー、いつの間に消えたんだ。
気を取り直して、俺は再びリーシュに視線を向けた。
「多分、あいつは俺と同じ……何かに対しての才能が致命的に欠けている部類だ。頑張れば他の魔法は使えるようになると思うけど、回復だけは駄目だと思うんだよ」
「はあ……」
気の無い返事が返って来た。……うーむ。リーシュにはまだ、パーティ内部の話なんて時期尚早だったのだろうか。
「リーシュ?」
「あ、いえ、大丈夫ですっ!! ……確かに、それはあるかも……しれませんね」
自分から使うなと言っておいて、あんまりこんな事は言いたくなかった。……だが、メンバー全員を活躍させ、成長させるためだ。俺は目を逸らしながらも、頭を掻いてリーシュに言った。
「……そこで、なんだけど。リーシュに、回復魔法を鍛えて欲しいんだ。これから先、どうしても回復要員は必要だからさ」
「【ケア・ソード】の強化版という事ですか……」
「いや、出来れば刺す以外の回復方法で頼むよ」
言いながら、自分で自分の発言に疑問を覚える俺だった。……何だよ、刺す回復方法って。
腕を組んで、リーシュは唸った。
「お尻でもダメという事ですか……」
「…………お前の中で尻ってのは、そんなに優位性あるもんなの?」
何故尻ならば良いと思っていたのか、その真意が知りたい。
しかしまあ、これでリーシュは何か、回復魔法を考えてくれるだろう。いっそ、トムディから【ヒール】を覚えてくれるのが最も手っ取り早いか? ……まあ、リーシュは聖職者ではないからな。独自の回復方法を進化させてくれた方が、きっと成長も早い筈だ。
剣の巨大化に、飛ぶ斬撃。相変わらず近接戦闘の技量はあまり伸びないリーシュだが、彼女が回復を覚えてくれるのなら、少しパーティーにバランスが取れるかもしれない。
その場合、トムディが必要なのかという点については甚だ疑問が残る所だが。
「分かりました。グレン様に納得して頂けるように、少し【ケア・ソード】を弄ってみますねっ!!」
「おう。ありがとな、リーシュ」
良かった。あれしか使えないと言い切られたら、ちょっと困ってしまう所だった。トムディ以外の回復要員なんて引き入れたら、トムディは自分の成長を期待されていないと、ショックを受けそうだからな。
先にリーシュで回復要素を補完して、トムディが後に【ヒール】を覚えてくれるなら、それでも良いじゃないか。という考えである。
…………ん? 何だ。
リーシュが上目遣いに俺を見詰めている。
「そ、それだけですか?」
俺は、頭に疑問符を浮かべて固まってしまった。
「ああ、それだけだけど」
するとリーシュは、安堵と緊張の入り混じったような表情を俺に向けた。熱っぽい表情に少し胸が高鳴る……こいつは天然で人を誘惑して来るな、本当に。
これで強くなったら、完全無欠の美少女冒険者だ。
「……なんだか、マシュマロになったみたいです」
「ごめん、何を言ってるのか全然分かんない」
発言以外は。
あれか。焼きマシュマロ的な何かなのか。マシュマロ少女、リーシュ。……ちょっと可愛いな。
リーシュは少し憤慨して、俺に詰め寄った。
「マシュマロって、フワッとしているようで実はブニッとしているじゃないですか!!」
「…………それは俺に何かを伝えているつもりなのか?」
彼女が何を言わんとしているのか、全く分からない。いや、今日は今のところ、リーシュについては分からない事だらけなのだが。
「あ、あの、グレン様。……今日は、お休みですよね?」
「おう、そうだよ。休みにしてくれて構わないけど」
「そして私達は今、二人っきりですよね?」
「まあ、トムディが居ないから必然、そうなるな」
「じゃ、じゃあ、これから御飯とか――――」
瞬間、俺は背後の魔力反応に振り返った。
俺の懐にあった筈のものが、音も無く消える――……しまった!! 既に仕掛けられた後だったか!!
大通りに一瞬、茶色のローブとフードに全身を隠した男が見えた。これは、【スティール】だ。他人から持ち物を奪う魔法で、セントラル・シティでは使用を禁止されている……最も、当人が消えてしまえば後で何を言っても、セントラル護衛隊は動いちゃくれないが。
あ、治安保護隊員って名前になったんだっけ……今はそんな事はどうでもいい!!
「クソッ、しかもよりによって財布かよ……!!」
「グ、グレン様?」
「休日に呼び出して悪かったな、リーシュ!! もう、好きにしてくれて構わないから!!」
そう言うなり、俺は駆け出した。
*
財布はやばいだろ、財布は……!! セントラルの傭兵登録カードとか、コピーを取られたらやばいモノが色々と詰まっている。
街中で【スティール】なんざ、大した度胸だ。余程逃げ切る自信があるのかどうか知らないが、治安保護隊員に突き出して、ブタ箱に押し込んでやる……!!
俺は脚に魔力を集中させ、小さな爆発魔法で移動力を上げ、直ぐに前方のローブ男を捉えた。
一瞬、俺に気付いて首を動かした。
「待てやコラァ――――――――!!」
びくん、とローブが反応する。
「は、速…………!?」
声のトーンが高い。身長も低め……さては、子供だな。
確かに、盗人というのは何時の時代も、決して居なくならない人種だ。盗賊集団が使う高等スキル【スティール】を使ってまで街で盗みを働きたいかという事はさて置いて、スリや万引きなど、セントラル・シティにもどうしようもない連中は腐るほど居る。
だが、相手が俺だというのが悪かった。金の亡者であるこの俺から金を奪う等と、愚かな事を!! ……自慢にはならないな。
「捕まえて牛の餌にしてやるから待ってろよ糞ガキが!! この俺から逃げられると思うな!!」
「ひっ…………!!」
俺は、鬼神と化していた。
「いや、もう俺がそのまま喰ってやる!! ミンチにしてハンバーグにして玉葱とすりおろし生姜のソースで喰ってやるよオォォォ!!」
「嫌アアアァァァァ――――――――!!」
あれ? この声、どこかで聞いたような気が…………
そんな事を考えている間に、ローブ男は路上を掃除しているおばさんから箒を奪った。全身に魔力を展開し、広場の噴水目掛けて走る――……しまった、もしかして魔導士か!? このまま空を飛んで逃げるつもりか!!
俺も空は飛べるが、効率が違う。そもそも俺は空を飛んでいると言うよりは、空気を蹴ってジャンプしているようなモノなのだ。長時間の逃走劇になれば、追い付けない可能性が出て来る……!! 問題は、奴の飛行スキルがどの程度のレベルなのかという問題に尽きるが……!!
噴水を飛び越えて目眩ましにするつもりなのか、ローブ男はジャンプし、箒に跨った…………!!
「ちっ!! 飛び上がる前に、捕まえてやるよ!!」
俺は、ジャンプするローブ男を目で追い掛け、手を伸ばした。
そして――――…………。
一度は持ち上げた視線を、今度は放物線状の動きを追い掛け、再び前へと向けた。箒に跨ったローブ男は、一度はジャンプによって上昇したものの、そのまま勢いを失って下降していく。
まるで、スローモーションを見ているかのようだった。噴水に向かって、箒に跨った人間が派手に飛び込んで行く…………。
ものすごい音がして、俺は伸ばした手をそのままに、思わず立ち止まった。
「がぼっ!! ……がぶぼがっ……!!」
えーっ…………。
噴水に潜ったローブ男は、もがき苦しんでいる。……何が起こったんだ? ……飛び込みたかったのか? ……そういうお年頃なのか?
いや、空を飛ぼうとして失敗したんだよな、これは。
「お、落ち着け。池は浅いぞ」
思わず、ローブ男を応援している俺がいた。
もがいて、俺の所に向かって来る。ローブが乱れて、細い脚が見えた。…………あれ、もしかしてこいつ、男じゃ…………
「――――っぷは!!」
フードが外れているにも関わらず、頭を上げる。気が付けば俺の前に、ずぶ濡れの少女が現れていた。
乱れているにも関わらず、水に濡れて光を反射する、滑らかな金髪。宝石のような、ルビー色の瞳。
「…………ヴィティア?」
全身ずぶ濡れで、あまり判別は付かなかったが……多分ヴィティアは、泣いていた。
「つ、冷た…………ひいっ!? 魚っ!! 魚入ったっ!!」
再会に大した感動も何もなく、水の中でヴィティアが暴れ始めた。そうか、ここの池には鯉が居るから……それがローブの内側にでも入ったのだろうか。
じたばたと暴れるが、ローブが水を吸って重くなっているのか、ヴィティアは上手く動く事が出来ていない。そのままでは、被害が広がるだけなのでは。
「お、おい。大丈夫か? ちょっと、落ち着いて、上がるんだ」
「や、やめて!! 触らないでっ!!」
伸ばした俺の手を、ヴィティアは容赦なく払った。おい何だよ、えらい拒絶のされ方だな。
暴れて、ようやくその場に立ち上がる事を覚えたヴィティアが、ローブの下をたくし上げて、全身を露わにした。
「…………えっ」
ローブから、鯉が落ちた。そんな事にも気が付かない位に、俺とヴィティアは絶句して、制止していた。
立ち上がったまま、俺に向かって生尻を見せ付けるヴィティア。彼女の唐突な痴態に仰天して、何も言えなくなっている俺。
……………………裸?
「さようならっ!!」
「おい待てコラ!!」
静止した時間が、動き出した。その瞬間、俺はヴィティアが俺の財布を盗んでいる事を思い出した。
ダッシュで逃げようとするヴィティアの腕を掴む。ヴィティアは既にボロ泣きで、ローブの胸元を片手で押さえたまま、俺に振り返った。
腕を掴んだ瞬間に、ヴィティアの白い手が視界に入った。手の甲に、複雑な模様が描かれている。
何だ、これは。
「な、何でよりにもよってあんたが路地裏に居るのよバカッ!! ミッションでも受けて、どっかに行ってなさいよっ!!」
「仕方無えだろ居たんだよ!! とにかく俺の財布を返せ!!」
ヴィティアは俺の腕を振り解くべく、力任せに俺を引っ張る。当然、ヴィティアの力では俺の腕力には敵わない――……ヴィティアは逃げられない事を悟ると、俺を全力で睨み付けた。
「人を呼ぶわよ!!」
「間違いなく捕まるのはお前だが、良いのか!?」
主に窃盗罪と、下手すると公然わいせつ罪で。目撃者が沢山居るから言い訳も効かない、
謎の衝撃的過ぎる出会いに、俺は困惑していたが。ようやくヴィティアは諦めて、俺の財布を返す……って、水に濡れて大変な事になっている。傭兵登録カードの再発行を依頼しなければならないだろうか。紙幣は……乾かせば使えるのかな。
しかし、何故こいつが窃盗なんか……破産でもしたか? 何事かと、俺達に寄って来る人影。
「こ……これでいいでしょ!! ごめんなさいね!! もう離してよ!!」
「いや、待てってお前。何でそんな格好してるんだよ。……箒は? 飛べなくなったのか?」
「あんたには何も関係無いからっ!!」
瞬間、謎の怪音が俺の耳に届いた。
ヴィティアの腹の虫だと気付いた時には、俺はヴィティアの腕を離していた。ヴィティアは蒼白になって、その場にへたり込んだ。……人が集まって来ている。仮に逃げるのだとすれば、人混みをかき分けて進まなければならない。
「素足……?」
誰かが呟いて、ヴィティアは咄嗟にローブの内側に自身の足を隠した。ずぶ濡れのフードを被り、その場に小さくなる。
「し、死にたい…………。誰か私を殺して…………」
ローブ一枚で、群衆の目に触れる羞恥。俺は溜め息を吐いていた。
自前のローブを一着、ポケットから取り出して原寸大の大きさに戻した。それを上からヴィティアに被せてやり、周囲に睨みを利かせる。
「見世物じゃねえぞ!! 散れ、散れ!!」
何かを呟きながら、人々は当初の目的に戻る。俺は屈んで、既に虚ろな瞳で現実逃避を始めているヴィティアに声を掛けた。
「とりあえず、宿に来いよ。身体洗って、飯を食え。話はそこで聞いてやる」
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