第三章 万人を救う至高の聖職者(まだ本気出してないだけ)

第29話 旅は道草、世はお金

 何処かから差し込んだ日差しが、閉じた視界に赤色を加えた。

 太陽に手を翳した時のように、直接光を感じなくとも眩しい。朝になって、カーテンから光が漏れているのだろう。

 俺は、微睡んだままで瞼を開いた。


 最近、疲れていたみたいだからな。久し振りに、よく眠れたような気がする。何でだろう…………そうだ、ラグナスとキャメロンが遠出のミッションに出たから、俺に付き纏う輩が離れているからだ。

 酒飲んでばっかりだからな、連中。……どうして俺は、そんな奴等と一緒になって飲んでいたんだろうか。


 右半身が、何やら重…………柔らかい。気付かない内に、枕が頭の下から外れてしまったようだ。

 光の眩しさから身体を避けるように、俺は右に向かって寝返りを打った。……カーテンがしっかり閉まっていない。だが、この窓に光が差し込むという事は、まだ時間的には朝早く。起きるような時間じゃない。

 抱き枕程の長さはないそれを、俺は抱き締めるようにして、再び眠りに落ちた――――…………。


 …………ん? いや。抱き枕程の長さが、ある。


 唇に、何かが当たった。思わず目を開く。……なんか、口元がモサモサしている……白い……いや、銀色? まるで猫のような…………


「――――――――フウッ!?」


 叫びそうになった口を、慌てて左手で抑えた…………!!


 びっくりした…………!! び、びっくりしたあっ…………!?

 少し身体を離して、俺はその全体像を視界に捉えた。リーシュ・クライヌが、俺のベッドに潜り込んで来ていたようだ。

 ようだ、って。ベッドをツインにした意味がまるで無い。寝る時はこんな状態じゃなかったはず…………ああ、そうだ。昨日リーシュは遅くまで出ていたから、俺は一人で眠ったのだった。


 間違えんなよ、本当に。心臓止まるだろ…………。そう思いながら、俺は身を起こした。寝惚けていたとはいえ、俺はリーシュのデコにキスを…………うわあ。


「あ、ご主人。おはョ」


 俺は背中から現れたスケゾーの口を、咄嗟に覆った。


「…………!!」

「…………!!」


 暴れるスケゾーを押さえ付け、俺はリーシュが隣で寝ている事を目配せしてスケゾーに伝える。

 どんな事情があったにせよ、リーシュがここで眠っているのは当人の意思ではないだろう。照明が消えていたから、間違えて潜り込んでしまったに違いない。リーシュの事だから、部屋を照らす魔法を使い渋ったのだろう。

 スケゾーが事情を確認して、落ち着いた。と同時に、頬を染めて俺から離れる。


「昨日は……お楽しみでしたね」

「おい、こっち来い。遠慮すんな、殴ってやるから」


 隣で人が寝ているので、どうしても呟くようなやり取りになってしまう。

 スケゾーはこの様子だと、眠らなかったのだろう。本来は人よりも睡眠時間の短いスケゾーは、時々こうして夜通し起きている事がある。人と睡眠時間を合わせていると、寝過ぎになってしまうらしいのだ。


 俺の右手に、リーシュの細い腰が乗っている。俺はリーシュから、静かに手を引き抜いた。リーシュは気持ち良さそうに眠っていて、全く起きる気配はない。

 今のうちに、隣のベッドに逃げるか。


「グレンさま…………」


 何故、そこで嬉しそうな顔をして俺の名前を呼ぶ。

 くそ、戸惑うな。こいつはもう、俺の仲間なんだから。一緒に寝ていても、ちっともドキドキするような対象ではない。俺はこいつに女を感じてはいけないのだ。


「ふへへ。魔法少女、似合ってます…………」


 何故、俺はこいつに女を感じなければならないのだろうか。


 そういや、人の身体を魔法で操る奴が居るって聞いた事があるな。そうすれば、キャメロンも見事魔法少女になったりとか……しないか。現実はそう簡単に事が運んだりしないものだ。いや、奴が何故魔法少女に憧れてしまったのかは、俺の生涯でも永遠の謎として残り続けるのだろうけど。


 いざ起きてみたら、すっかり身体の疲れが取れている事に気付く。もしもあのまま二度寝をしていたら、逆に身体が怠くなってしまっていたかもしれない。少しだけ、リーシュに感謝だな。

 軽く上体を伸ばして、俺はベッドから降りた。鏡を見ながら自身の髑髏を丁寧に拭いていたスケゾーが、俺の様子に気付いて振り返る。


「あれ? もう起きるんスか?」

「ああ。さっさと飯食って、今日もミッション探さないといけないからな……リーシュはまだ、寝てるだろ」


 小声でスケゾーとの会話を済ませ、俺は洗面所へと向かった。セントラル・シティの宿は粗方水道が引かれているので、顔を洗ったり、何かと便利である。

 宿に実体化させたクローゼットは、今は亡き俺の家から持って来たものだ。上段の開きを開いて外用の服を出し、下段の引き出しを開いて手袋などを装備する。


 最近は、仕事の方も順調だ。『滅びの山』の一件以降、リーシュも少しは魔物討伐ミッションに慣れたようだし。コツコツと金を稼いで――……そのうちリーシュが育ったら、大きなミッションにも挑戦してみればいい。

 不意に、引き出しの端に入っている、小さな箱に目が留まった。

 俺は静かに、その箱を開けた。中には、小さなロケットが入っている。蓋を開ければ、そこには小さな写真――――…………


「…………ちっ」


 どうやら俺は、日和っているらしい。

 今のまま、コツコツと金を貯める? …………そんな状況じゃないだろ。正直に言えば、セントラル・シティで薬を売っていた時よりも、俺の収入は減っている。リーシュの生活を担保しなければならなくなったのは、後の事を考えれば、そう悪い話ではないが。


 何れにしても、以前とはやり方を変えなければならない。リーシュだって、今のままじゃいられない。今の俺達が受けられるミッションの報酬は、大体二、三セル前後だ。貯金は、千セルと少し。

 そう考えるとビッグ・トリトンチュラの一件は、中々に良いミッションだったが…………一万セルまでは、まだ遠い。


「ご主人」


 スケゾーが、俺の肩に座った。


「今すぐに、やばい話じゃねえんスよ。ご主人は、ちゃんと前に進んでる。少し前までは、ミッションだって受けられなかったじゃないっスか」


 スケゾーの、言う通りだ。


 二人になった。それは、一人でやっていた時よりも難しい事ができる、という事でもある。パーティーとして冒険者をやる道の無かった俺に、リーシュは可能性を示してくれた。

 希望は潰えていない。それどころか、今までよりも遥かに広がっているんだ。

 焦るな。


「ああ――――分かってるよ」


 俺はそれだけをスケゾーに言って、引き出しを元に戻した。



 *



「ヒーラー、ですか?」


 とあるセントラル・シティの喫茶店で、コーヒーついでのランチタイム。

 昼飯を食べている最中、リーシュは口を丸く開いて、首を傾げた。俺は飯を口に入れたまま、フォークをリーシュに向けて、言った。


「そうだ。今は日帰りのミッションばっかりだけど、この先は長旅のミッションを受ける事だってある。俺達がパーティーとしてやっていくなら、いつまでもこんな小さいミッションばかりじゃなくて、難しいミッションに挑戦しないといけないだろ」

「それは、確かに……そうですね」


 特に、魔物討伐系のミッションを受ける場合だ。旅路が長くなれば長くなるほど、パーティーには疲労も蓄積されるし、その分だけ危険も増加する。道中で魔物に襲われて誰かが動けなくなった時に、それを治す者が居なければ、ミッションは多くの場合、達成不可能になる。

 だから、中堅どころのミッションを受けるパーティーと言うのは、回復役……ヒーラーを連れているのが常識だ。


「ヒーラーというと、まあ妥当な所は聖職者関係だと思うんだ。冒険者登録をする職業の中には、回復役として踊り子が登録してる、なんてのもあるみたいだが……得体が知れないから、やっぱり聖職者だろうな」

「プリースト、ですか」

「そうだな」


 プリーストと言うと、教会のある所で専門のプリーストが回復・補助系の魔法を教えていたりする。教えを請う側のプリースト見習いは『修道士』と呼ばれ、日々、自身の魔法に精進する。

 魔導士は薬を作るが、聖職者は魔法で傷を治す。冒険者御用達で人気も高い職業だ。

 ……そう考えると、宗教的な意味の強かった一昔前とは違い、随分と聖職者も冒険者寄りになったものだ。……そういえば、セントラル・シティにプリーストの養成施設は無かったな。その辺りは、作法のようなモノが残っているのかもしれない。

 まあ何れにしても、魔導士の俺にはよく分からない話だが。

 おや? リーシュが何か、つまらなさそうな顔をしている。


「リーシュ? どうした?」

「あの…………私、回復魔法、使えますよ?」

「あれは魔法って言うのか? 誰がどう見ても殺戮現場にしか見えないと思うが……」


 リーシュは、テーブルに立て掛けてある剣を撫でる。……相変わらずリーシュには扱えそうもない大きな剣は、リーシュの身長程もある長さで、とても目立つ。


「でも、回復しますよ!!」

「戦闘中に使えないだろ。論外だ」

「お尻に刺せば回復力二倍!!」

「そんな効果あったの!?」


 リーシュが笑顔で戦闘中、俺の尻に剣を刺す姿を想像した。

 少し気分が高揚したような顔で、目の前のリーシュは上目遣いで俺を見る。……期待に胸を躍らせているのだろうか。


「…………勿論、採用しないぞ?」

「えーっ」


 何で少し不満そうなんだよ。そんなに俺の尻に剣を刺したいのかよ。そういうのはラグナスにでもやってやれ。……あいつなら本当に喜びそうだな。

 テーブルの上でスケゾーが、リンゴをかじりながら言った。……ニヤついた顔に腹が立つ。


「いやー、新たな趣味に目覚めそうっスね。そんなに邪険にしなくても良いんじゃないっスか、ご主人」

「そうだな。お前が一度喰らってみると良いんじゃないか」

「オイラあんまりケツ鍛えてないんで、遠慮しときます」

「何で俺が鍛えてる前提なんだよ」


 しかし、聖職者って何処に居るんだ? 冒険者依頼所に集まるソロの中に居たのは覚えてるが……少人数パーティーの中に居る聖職者って、どうやって見付けて来るんだろう。ソロから仲良くなって、パーティーになったりするモノなんだろうか。

 今日あたり、冒険者依頼所に行ってみるのも悪くはないか。幸い、小さなミッションも積み上げればそれなりに金にはなるもので、一日二日ミッションを受けなくてもそれ程困ったりはしない状況だ。


「…………すう」


 すう?


「おい、リーシュ?」


 …………フォークを握ったまま目を閉じて、リーシュは船を漕いでいた。


「スケゾー、昨日リーシュがいつ帰って来たか、知ってるか?」

「いつ頃でしたかねえ。……ご主人が寝てから、結構経ってましたね」


 仕方無いな。


「きゃっ…………!?」


 俺はこっくりこっくり首を動かしているリーシュの額を、指で弾いた。驚いて、リーシュがフォークを取り落とす。

 気付かなかったが、よく見てみれば目の下に、薄っすらと隈が見える。


「毎日何してるんだよ。昼はミッションで夜も出てるんじゃ、体力保たないぞ」


 リーシュは額を押さえて、バツが悪そうにしていた。リーシュのやる事に口を出す趣味はないが、パーティーの健康管理もリーダーの勤めだからな。……一応、言っておかなければならないだろう。

 だから、そうやって上目遣いに見られると、悪い事をしてしまったような気分になるだろうが。天然なんだろうけど。


「グレン様の言う事は、よく分かるのですが……少しは夜の勉強もしないと、グレン様を満足させられないと思いまして……」


 思わず、顔が真っ青になってしまった。


「夜の勉強って、お前…………!! 何してるんだよ!!」

「あ、その…………剣のですね…………」

「えっ…………あ、剣の?」

「ブフッ!! クヒヒ…………」


 スケゾーが笑いを堪え切れず、吹き出していた。自分が勘違いした事を悟った俺は、今度は頭に血が昇ってしまう。リーシュが心配そうな顔をして、立ち上がった。


「だ、大丈夫ですか!? 青くなったり、赤くなったり!!」

「いや、気にしないでくれ。頼むから」


 くそ、天然ヴォケめ。紛らわしい言い方しやがって…………!!


「結局、指導して下さる方も見付からないので……少しでも、今より強くなれればと思って。色々研究しようと思ったら、やっぱり昼だけでは時間が足りなくて、ですね……」


 しかし、俺が焦る事があるように、リーシュも焦ったりするものらしい。

 確かに、今の段階でリーシュの貢献度は、お世辞にも高いとは言えない。ミッションの殆どは俺が敵陣に突っ込んで終わらせてしまっているし、稀にリーシュに任せる時も、まだまだ安心して見ていられる状況にはならない。

 強くなりたいと思うのは、決して悪い事ではないが。


「リーシュ。お前今日は、宿に戻って休んでろよ」

「ま、待ってください、グレン様!! あの、私、役に立てるよう、頑張りますので……!!」


 焦ったリーシュを、俺は手で制した。


「そうじゃなくて。…………気が付かなくて、悪かったな。ミッションばかりじゃなくて、訓練する時間も次から設けようって、そういう話。剣の事は教えられないけど、戦闘に関しては少し、言える事もあるし。今日はゆっくり休んで、身体に負担の掛からないようにしようぜ。その…………パーティー、だからな。協力しよう」


 リーシュの顔が、驚きから喜びのそれに変わって行くまで、俺は直視を続ける事が出来なかった。


「はいっ!!」


 スケゾーが急に深刻そうな顔をして、食べ掛けのリンゴを持ったまま、リーシュを見た。


「――――リーシュさん。そして行く行くは、本当の『夜のお勉強』を」


 俺はスケゾーを殴った。



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