第10話 事態は何も変わっちゃいない
俺は隠れていた民家から出て、戦闘中の村民達を見回した。
……可哀想に。その殆どは、まるで相手になっていない。だが、どうにかリーシュを行かせるまいと必死になっているようだった。あの温厚な村長でさえも、ゴブリンと対峙しているのだから驚きだ。
報われない戦い。緑色のオークはその様子を見て嘲笑い……そして、リーシュにもそれを見せていた。
「ほら、嬢ちゃんが自分から『行く』って言わないと、村人が死んじゃうかもしれないぜ?」
リーシュの瞳に、意志が感じられなくなって来た。絶望の光景を目にして、思考が働かなくなっているのだろう。
この様子を見れば、分かる。リーシュは村で唯一の冒険者だ。……つまり、魔物と戦う事の出来る、たった一つの壁だ。その役割を果たせずに居る自分が、どれほど悔しいか。
「ご主人、『共有』どうします?」
歩きながら、スケゾーが問い掛ける。俺はスケゾーに笑みを返して、言った。
「別に、良いんじゃないか? 大した相手とも思えないしな」
「ヘッヘッヘ。まあ、そうっスね。オイラほどの優秀な使い魔の主人ともなれば、オーク如きに手古摺っちゃ駄目っスわ」
全く、その通りだ。
真っ直ぐに緑色のオーク目掛けて俺は歩いた。怒りを見せる訳でも、衝動に突き動かされる訳でもない。それ程の光景を見せられた訳じゃない……少し用事を済ませるつもりで、ただ前へと進む。
「おいコラ!! 余所見してんじゃねえよ!!」
「お前はどの位、戦えんだ!?」
俺に向かって来たのは、二匹のゴブリン。俺はポケットに手を突っ込んだ状態のままで、歩いて行った。
剣を握ったゴブリンが、俺に向かって剣を振る――――…………
「ギャアッ――――!!」
俺が触れる事も無く、二匹のゴブリンは勝手に爆発し、地に落ち、本来あるべき場所へと還った。
おっと、いけない。緑色のオークがこちらに気付いたようだ。……少し、殺気を見せてしまっただろうか。恐怖を感じたのか、冷や汗をかいている。周囲の異変に気付いたようで、村民と戦っていたゴブリン達も動きを止めた。
俺は立ち止まり、緑色のオークと向き合った。……不敵な笑みは崩さない。コイツには、恐怖を感じて親玉を呼んで貰わなければいけないからだ。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ。お前と戦えば、お前の主人って奴がここに来るのかな?」
今の今まで隠していた魔力を、一気に放出させる。全然本気ではないが、こいつ等にとっては恐ろしい量の魔力になるのだろう。
この頭が悪くて性格が悪くて頭が悪いスケゾーを、俺が選んで置いている理由でもある。
「…………魔導士様」
リーシュが小さく、呟いた。
「なっ……何だ、てめェは!? この前来た時は、居なかったじゃねえか……!!」
魔物は、自分や相手の持っている魔力に過敏だ。言葉を交わさずとも、それだけである程度、相手の実力を推し量る事が出来ると言われている。……最も、それはオークのように、上下関係を重視する魔物だけで、さっきのゴブリンみたいな低級種族には分からないみたいだが。
そんな相手から殺気と笑顔を同時に向けられれば、恐怖もするというものだ。
「ちょいと野暮用でね、カモーテルを摘みに来ていたんだ。まあ、特に用も今の所それだけだから、『明日にでも帰ろうかと思ってた』んだけどな。何やら面白そうな事してるからよ、騒ぎの首謀者って奴の顔が見たくなったんだよ」
俺はそのまま歩き、緑色のオークと相対した。近くに寄ると、微かに震えていたオークが更に挙動不審になる。
「あと俺、女の子が好きでさ。……あんま手荒な事してると、『召喚体』じゃなくて『実体』の方を攻撃しちまいそうだな」
オークは黙って、リーシュの手を離した。
ふ、虚勢もここまで来ると技術だな。目の前のオークは兎も角、俺が女好きだなんてとんでもない事だ。たった今、目の前に居るリーシュに抱き付かれたら、俺は意識を失う自信がある。
……自慢にならない。
「こっ、ここには居ねえよ。俺達の主人は、別の場所に居る……逆立ちしたって、今は呼べるような状態じゃねえ」
「へえ。……じゃあ、どうにかしたら出て来んのか?」
「主人は、呼ぼうと思えば呼べる。だが、その魔導士も誰かの主人なんだ。親玉を呼ぼうってんなら……」
ほう、なるほど、『魔導士』か。オークの召喚主は人間だったか。
「いや、いいよいいよ。お前を呼んだ主人が分かれば、それでいい。そいつを見たら帰るよ」
オークは舌打ちをして、俺に背を向けた。
「クソッ……良いか、一日だけ待ってやる!! 次までに契約の意志を固めておくんだな!! ……そうしなけりゃ、今度は村が無くなると思えよ!!」
捨て台詞のようにそう呟いて、緑色のオークは俺とリーシュに背を向ける。その後を、慌ててゴブリンの群れが付いて行った。
俺はその後姿を、じっと見詰めていた――……村を出て離れて行くオークは、やがて魔力の光に包まれて消えた。召喚体である彼等は、何時でも戻ろうと思えば主人の下へと帰る事が出来る。行きはどうだか知らないが。
その場には、気が付けば沈黙が訪れていた。残された村民達は、今目の前にある危機が去った事を、今更ながらに実感し始めたようだった。
「…………魔導士のあんちゃんが、撃退したのか?」
「追い返した……!!」
徐々に、歓声が上がる。……だが、俺はちっとも晴れやかな気分にはなれなかった。
この村の人達は、良い人ばかりなんだろう。……良く言えばポジティブ、悪く言えば現実が見えていない。だから、俺の事も無条件で信頼しているし、こうも簡単に『仲間』扱いする。
だが――……それは、必ずしも良い事ばかりじゃない。
大きく、息を吸い込んだ。
「呆けてんじゃねえ!! まだ何も、問題は解決してねえんだよ!!」
そう叫ぶと、周囲の歓声が一瞬にして収まった。
村長にしても、既に家が焼かれていると言うのに、この期に及んで土下座とは。……下手に出る事が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。それどころか、足下を見られて、より不利な立場に追い込まれる事だってある。
相手が魔物なら、考える事はシンプルに行かなければならない。……それはつまり、要求を呑むか、戦うかだ。
その事が、少しでも伝われば良いんだが。
「俺が倒したゴブリンを見ただろう、召喚された魔物には多くの場合、『本体』がない!! だから今ここで撃退しても、奴等は俺が居なくなれば、もう一度、いや、何度だってこの場所に来るんだ!! だから、ここで俺が奴等と戦う事は、殆ど何も意味がない!! どの道この村は、いつかは要求を呑むしかないんだ!!」
静まり返った。……俺が激昂した事で、周囲には冷えた空気が流れていた。……だが、俺の言っている事は間違いじゃない。だからこそ、村民達は何一つ、言葉を発する事が出来ずにいるのだ。
村長も、リーシュも、誰もが俺を見て、固まっている。
俺はリーシュを見下ろして、言った。
「おい。……お前と村を、どちらも救う方法が、一つだけある」
「なっ……なんですか!? 私は、どうしたらいいんですか!?」
村長が見ている。滅多な事を言うべきでは……いや。いっそ、見ていた方が良いのか。
「お前、村を出ろ。さっきも逃げろって言われたんだろ。好意だか未練だか知らないが、お前の行動が今、村にとって迷惑だ」
リーシュが、目を見開いた。
「なっ……バ、バーンズキッド君!! 無関係の君に、そんな事を言われる筋合いはない!!」
「うるっせえっ!! 安い金で使おうとしただろうが!! アドバイスしてやってんだ、聞く耳持ちやがれ!!」
村長の言葉を一蹴した。……別に俺だって、汚い言葉を好んで使っている訳じゃない。こうでも言わなければ、リーシュが村から離れないから。そうでもしなければ、村がリーシュを離さないからだ。
リーシュが離れれば、村は安心して支配下に入る事ができる。村が支配下に置かれれば、無理に戦争をする必要も無くなる。村民が戦うのは、リーシュが連れて行かれるからだ。この二つの問題は、同時に解決する事ができない。
確かに、何処の誰の支配下に置かれるのか、それは分からない。……だが連中はしっかり、協力の内容を明言しているんだ。それに耐えられるのなら、今は悪い話じゃない。
相手は魔物を使って来たりと、多少強引かもしれないが……協力している以上、村民は殺されないだろう。
連中がそれを望んでいないからだ。
「ちゃんとした、冒険者になれ。……強くなれ。そうすりゃ、いつかは戻って来る事が出来るかもしれない。……お前が今、村の為に出来る『最善』は、それなんじゃないのかよ」
リーシュは何も言わず、俺の話を聞いていたが。……いや、リーシュだけじゃない。誰もが、俺の言葉に耳を傾けていた。
……こういうのは、あんまり得意じゃないんだが。まあ、何もせず放置して胸糞悪い気持ちになるよりは幾らかマシか。
*
緑色のオークの奴が『一日』とか言っていたので、それが朝になるのか夜になるのか分からなかったが、どうやら日中に襲い掛かって来る様子は無いようで、その日は朝から平和だった。
俺は前日と同じように、リーシュの旅館で飯を食い、宿代は村長に払って貰う事にして、結局未だ、サウス・ノーブルヴィレッジに居るのだった。どちらかと言えば明るかった村民達も、何やら朝から静かで、通りには一人も人が居なくなっていた。
リーシュはと言うと、すっかり気落ちしてしまったのか、誰とも話が出来ない様子だった。俺と二人、何も会話のない朝食を食べ終えた所で、自分の部屋に閉じこもってしまい、出て来る事は無くなっていた。
だが、仕方ない。これは乗り越えなければいけない壁、だ。リーシュや村長だけでなく、サウス・ノーブルヴィレッジ全体に、一つの大きな転機が訪れようとしている。
ちょうど朝食を食べ終えた所で、スケゾーが間延びした声で、俺に問い掛けた。
『ご主人……今日、どうします? なんもやる事ねーっスよね。チェスでもやります?』
『できねえだろ、お前』
『できますって!! 今度こそ覚えますってば!!』
勿論、あの無意味な時間を外泊先でまで耐える価値は微塵も無いので、俺はその言葉を無視し、海まで来た。そうして、今に至る。
どうせ、村中暗い気持ちになっているのは変わらないのだろう。俺は、ぶらぶらと海沿いの通りを歩いていた。
「バーンズキッド君、ここに居たのか」
「…………村長」
ふと、呼び掛けられた。振り返ると、村長がくたびれきった瞳のままで、俺に笑顔を向けていた。
俺は村長を一瞥すると、海に視線を戻した。
「昨日は、色々とすまなかったね。……それと、ありがとう。払うお金も無いのに、助けてくれて。君が居なければ、リーシュは連れて行かれていた」
俺が居たって、リーシュがこの村に居る限り、いつかは連れて行かれる。俺はそれを、先延ばしにしただけだ。
「……別に、特に礼を言われるような事は、してねえっすよ。俺は、奴等の親玉の顔を見てみたいと思っただけなんで」
そう言うと、村長は苦笑していた。
「ごめん。村にお金が無いのは本当だけど、正直、君を呼んだのは、払うお金が少なくても君なら引き受けてくれるんじゃないかと思っていたからだ。……何を言おうと、やっぱり私は、君の足下を見ていたのかもしれない」
まあ、そうだろう。悪気があるか無いかは、また別の話として。俺は村長に、何も言わなかった。そういった選択をどうしても取らなければならない事は、あるものだ。
溺れる者は何とやら、である。自分達にどうにも出来ないのなら、それがどういった態度であれ、外部に助けを求めるしかないのだ。
そう考えると、一直線な村長の態度は、むしろ気持ちが良いと思う事もできる。
だからまあ、これはきっと、感じ方の問題だ。今となっては、特に悪い気はしていない。
「……君がどういう事を考えて、魔物を追い払ったのかはどうでもいい。……礼を言わせて欲しいんだ。ありがとう」
素直に礼を言われるのは、問題が解決していない状況でも、嬉しいものだ。
「まあ、さっさとリーシュは村を出ないと、ですね」
「そうだね……」
村長は目を閉じて、笑みを浮かべた。
「君になら安心して、リーシュを任せられるよ」
…………ん?
「リーシュが、どうかしたんですか?」
「え? 君が村から連れ出してくれるんだろう?」
全く会話が噛み合わずに、暫し、俺はフリーズしてしまった。
一体何を言っているんだ、この男は……俺がいつ、そんな事を言ったと?
ああ、村から出ろってけしかけた事か……いやいやいや。俺は剣士として、冒険者として旅に出ろって言ったんだよ!! 誰も俺に付いて来いとは言っていない!!
「村長、ちょっと待って。……いや、落ち着こう。俺はリーシュを連れて行く気なんざ、さらさらないぞ」
「大丈夫、分かっているよ。リーシュは可愛い。きっと、良いお嫁さんになる筈だ」
ご都合解釈!? 親バカもいい加減にしろ!!
驚愕に目を見開いた瞬間、何かの爆発音が聞こえて来た。まさか……もう来たのか? ……いや、違うな。爆発音は、連続して聞こえて来る。これは……花火?
「バーンズキッド君、行こう。リーシュのお別れ会を始めようって、話していたんだ」
そう言って、村長は村の端の方へと歩き出した。スケゾーが笑いを堪えている中、俺はどこか清々しくも見える村長の背中を見た。
「おおオーイ!! 村長!! 村長ォ――――!! 俺は連れて行かないからなァ――――!!」
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