第9話 リーシュを護れ
建物の陰に隠れつつ、目的地を目指す。魔物は魔力に敏感だ。鍛え上げた魔力量を悟られないように注意しながら、俺とスケゾーは気配を殺して近寄った。
今の所は、様子を見ると決めた。俺は協力もしないし、帰りもしない。何か、この村を助けるに当たり、必要な動機――曰く、乗り掛かった船の後始末――を探すために。
だから、金額の決定を先延ばしにすると、こういう事になるのだ。自身の甘さには溜め息を付きたくなるばかりだが、まあ対価が貰える可能性があるなら、きちんとやり通すべきだろう。
可能性が無くなったら、去ればいい。
俺は、この村に期待しているのだ。
「おい、婆さん家が燃えたってよ……!!」
「急げ!! 男は武器を持って、北に!!」
歓迎会の時はぐでんぐでんに酔っ払っていた男達が、別人のような顔で北へと走って行く。村民にも気付かれちゃいけないってのは、面倒だな。姿がバレれば、どうせ騒いで前線に連れて行かれるに決まってる。
それなら……お、あの木が良いな。俺は足音を殺しつつ、少し背の高い、葉の生い茂った木へと登った。
姿が隠れる。細い枝に囲まれているから、真下から見上げなければ俺の位置を特定される事もない。まるで盗賊のようだと苦笑しつつ、俺はスケゾーを両手で持った。
「目、貸してくれ」
「ういっス」
俺とスケゾーは、身体を半分以上『共有』する契約を、互いに交わしている。……目を閉じると、自分の身体とは違う、別の瞼を持ち上げた。
魔物であるスケゾーの視力と聴力は、俺の二倍以上。体感的には望遠鏡にも近い程に、遠方を確認できる。木の葉の隙間から、燃えていた民家の方角を確認した。
ひでえな、あの様子じゃ全焼する。燃えつつある民家の前に魔物が居るせいで、村の男達は火を消しに行けなくなっていた。
「参ったな、村長。……あんたが抵抗するから、家がひとつ燃えちまったぜ」
そう話しているのは、魔物達の中心に居る男……オークだ。二足歩行、人型の豚……だが、普通のオークじゃないな。肌は緑色で、所謂肌色のオークよりは幾らか強そうだ。武器は鈍器か。棒の先に、棘のついた鉄球が付いている。
言葉を覚えられる程度には、知性のある魔物。当然、それなりに強いんだろう。実際に対峙した事はないが、感覚である程度は分かる……村人では対抗のしようも無いか。
村長は……オークを前にして、地面に伏していた。どうにかして、許して貰うつもりなんだろうか。
「頼む…………!! 見逃してくれ…………!!」
それでなんとかなるなら、家は燃えないだろう……だけどまあ、他にやれる事も無いんだろうな。
参ったな……支配下に置こうとしている連中が良い奴だという可能性を、少しだけ期待していたんだけど。
「スケゾー、オークってさ……」
「ま、見ての通り。気性は荒い方っスね。ていうか人間嫌いなんで、普通はこっちには来ないっスけどね」
「召喚?」
「ですかねえ。まあオイラも話した事ありますが、あんまり話して通じる連中じゃないっスよ。裏切るメリットがあれば、主人でも簡単に裏切りますけどね」
魔物が魔物を召喚するケースもあるから、必ずしも主人が人間だとは言い切れないが……何れにしても、そんな魔物を送り込んでくるって事は、そもそも村を潰す事も考慮に入れてる、ってことだ。
……仕方ねえなあ。
俺はスケゾーとの共有を解除し、再び、肩に乗せた。
「…………ご主人?」
ここに居れば、当然俺にも火の粉は降り掛かるだろう。今すぐではなくとも、そのうちに。
今のうちにこの場所を離れてしまえば、俺はこの一件を完全に無かった事に出来る。そもそも、関係の無い立場だ。助けた所で報酬も出ない。
俺は溜め息をついた。
「協力する訳じゃない。……もう少し、近くに行ってみよう」
「らじゃっス」
スケゾーは短く、頷いた。
*
実際に、俺の肉眼で姿が見える所まで来た。既に村民は集合していて、オークの後ろに居るゴブリン達と相対し、戦争一歩手前のような状態になっている。
俺はと言うと……民家の陰に隠れ、ゴブリン側から状況を眺めている。先程の家は既に全焼したが、中に人は居なかったように見える。従わせる為のパフォーマンスって所か。
村長は相変わらず、頭を下げて……どうにか、許しを請おうとしていた。
「ご主人。……一応、念の為に言っときますけど、中途半端に助けたってどうにもならねえと思いますよ。ずっとこの村に居るなら、分からねえでもねえですが」
「ああ、分かってるよ」
この場をやり過ごした所で、より強い魔物が送られてくるだけかもしれない。やるなら、こいつらを動かしている親玉を潰さなければ駄目だ。
まさか、あのオークが親玉って事は無いだろうな。だとすれば、今は俺が居る事は、なるべく悟られない方がいい。
……かといって、この状況をただ、指咥えて見てろってのか。
「じゃあ、協力の意思は無いって事で、良いのか?」
緑色のオークが、静かにそう言った。俺が移動している内に、話は少し先に進んだみたいだな。村長は顔を上げて……あれは、どうにか事情を説明しよう、って顔だ。
目の前の豚が、事情を知ったら諦めるって顔してんのかよ。……話した時も少し思ったが、村長は少し甘いんだよなあ。
「協力しない、とは言っていない!! ただ、今は本当に、支援できる状況じゃないんだ!! 再来年、いや、来年まで待ってくれ!!」
……くそ。誰か居ねえのかよ、この村に戦える奴は。……そいつが護れば、早い話じゃないか。
「五日だと、言ったはずだ。大人しく、銀髪の嬢ちゃんをこっちに寄越しな。……それとも、全滅してから奪われるのとどっちがいい?」
緑色のオークは、手を広げてそう言った――――…………その瞬間に、俺はある事に気付いた。
何故、こんなへんぴな村を、支配下に置きたいと思っているのか。……納得の行く理由を一つ、思い付いたのだ。
「村長!! もう、顔を上げてくれ!! 言って聞くような輩じゃねえよ!!」
「そうだ!! 後は任せろ、村長!!」
村人の中でも血の気の多そうな男達は、村長を下げて戦おうとしている。
しかし、そうか。連中の目的は村じゃない、という可能性もあったか。……村からの支援も確かにあったら良いだろう。……しかし、もし奴等がメインにしている目的が『リーシュ・クライヌ』を奪うことだったら――……うーむ。仮にそうだったとして、どうしてだ? あのお気楽すっとぼけ娘に、一体何があるって言うんだ。
確かにリーシュは、魔力量に掛けては結構優秀な所があるが……結構どころじゃないか。あの、剣を巨大化させた魔法……並の人間なら気絶していてもおかしくはない。
鍛え上げれば、確かに強い戦士になるかも…………状況次第だろうけど。
「皆、待って!!」
おっと。……遂に、主役のお出ましか。リーシュは村の皆に用意して貰ったビキニアーマーに剣の姿で、オークの前に現れた。僅かに息を切らしている……走って来たようだ。
既に剣を抜いている。アーマーはともかく、剣は一級品だな。何ていう名前だったか分からないが、どこかで見たような気がするぞ。
「嬢ちゃん。……気は変わったかい?」
緑色のオークは、リーシュが来たことで笑みを浮かべていた。
「リーシュ!! 逃げろって言ったのに……!!」
そうか、人知れず逃していたか。……宿に戻らなかったから、知らなかった。リーシュの方は、逃げた振りをして帰って来たって所か。
「村は護ります……!! 私も、あなた達の所には行きません……!!」
まあ、それが出来たら苦労はしないんだろうが。
リーシュは剣を振り被り、オークへと向かって行った。……だが、この場所でリーシュの剣巨大化は使えないだろう。開けているから、避ける場所も多いし……何より、一発放って終わりでは。多少びっくりされるかもしれないが、それだけだ。
まだ、リーシュには魔力の調整ってもんが上手く出来ていない。なら、ここは剣術で戦うしか。
「てめェら、手を出すな。……俺が可愛がってやる」
緑色のオークには、まだ余裕があるようだった。
「はあっ!!」
リーシュはその身には重いであろう剣を振り、オークに一撃を放った。が、オークはそれを手持ちの鈍器で防ぐ……特に苦労も無い様子だ。腕力では、少なくとも勝ち目はないか。
なら、連撃ならばどうか。
「はああーっ!! やあ!! はあ!!」
腰が入ってねえ。……自由に動いた途端、剣に力が無くなり過ぎだ。……素人の俺にも分かる程、明らかに剣が重過ぎる。あれを扱う為にはもっと筋力が必要になるだろうし、今は軽い剣で訓練した方が上達も早いように思える。
案の定、緑色のオークはつまらなさそうな顔をして、リーシュの攻撃を受け止めていた。
「……何だよ。細い身なりで良い剣を持ってると思ったら、まるで使えねえじゃねえか」
戦っている最中にそんな事を言われ、リーシュが驚愕に目を見開いた。……そりゃ、リーシュも一生懸命にやっているからな。
あいつは、どんな時でも真面目だ。ある意味、一途過ぎるとも言えるだろうか。だが、実力が伴わなければそれも……
「嬢ちゃん、あんた剣士はやめたほうが良いな」
言いながら、緑色のオークは鈍器を振るった。
「――――あっ!!」
唯でさえ重くて扱えなかった剣に横から衝撃が伝わり、リーシュが剣を取り落とす。
…………ちゃんと、戦ってやらないのか。あんなもの、リーシュでなければ避けられて終わりな攻撃だ。隙ができる分、不利になるとも言える。
完全に、リーシュを舐めきっていた。
緑色のオークは転んだリーシュの腕を掴み、持ち上げた。リーシュは既に涙目で、どうにかオークに一撃を加えようとしているが――……剣を落としたんじゃ、もう戦いにならない。
「ふーん。……やっぱ、顔は可愛いじゃねえか。そっちの使い道はありそうだな」
リーシュは、力一杯にオークを睨み付けた。
「丁度良いや。今日が期限だし、嬢ちゃんは連れて行くか」
既に、言葉も無いようだった。
まあ、敵わないだろうな。魔物には戦闘種族が多い。……そもそも、人間よりも有利な環境にいるんだ。こんなへんぴな村で、特に争い事もなく、平和に生きて来た人間とは訳が違う。
…………まあ、これも運命か。これでリーシュが連れて行かれれば、事情次第で支援を遅らせて貰う事が出来るかもしれない。それが、この村が出来る最善の選択だろう。
仮に俺が戦って、今この場は助けた所で、後にもう一度襲われるんじゃ意味が無い。俺だって、金も出ないのに護り続ける意味なんてない。
結果、支配下に置かれるしかない。
「……ご主人?」
「ああ、いや。……そろそろ行こうか、スケゾー」
「……まあ、そうっスね。仕方ねえっスね」
スケゾーは、ちゃんと事情を分かっている。既にこれは、俺が出て行けばなんとかなる問題ではないのだ。余計な争いをして話がこじれる前に、相手が誰だろうが、頭を下げるべき。
俺は、背を向け、夜の闇に紛れた――――…………
「皆ァ!! リーシュを助けろぉ――――っ!!」
紛れようとした。
村人の誰かが発した、とんでもなく愚かな一言を、その耳で聞くまでは。
「うおお――――っ!! やるぞ、てめえら――――!!」
「リーシュに指一本触れさせるな!!」
「アホか!! もう触れてるって!!」
――――何、考えてんだ? ……敵わないだろ。剣を振るったって勝てないんだ。農耕具だとか、戦闘に特化していないモンを振り回した所で、相手になるような連中じゃない。
下手に話をややこしくしたら、村が無くなるかもしれないんだぞ……!?
リーシュの表情は、悔し涙から、驚きへ。そして――……再び、その頬は涙に濡れた。
村民達の様子に、緑色のオークはふむ、と頷いた。隣りにいたゴブリンの一匹が、何かを聞いている――……緑色のオークは右腕でリーシュを掴んだまま、左腕を村民に向けて振るった。
「相手してやれ。……ただし、今は殺すなよ」
馬鹿げている。……何で? 連れて行かれるのはリーシュ一人だ。そして、それに抗う術はない。……仕方ないだろう。災害みたいなモンだ。リーシュが連れて行かれたとして、村民に罪はない。
『そのくらい、本気なんです!! このままじゃ、村の人達が大変な事になってしまうんです!! わ、私、何の収穫もなく帰って来るなんて許されないんです!!』
『村の皆、リーシュを娘みたいなものだと思っているからね。せめて良い装備を手に入れて、万一村に何かがあっても生きて行けるようにって、そう考えたんだよ』
俺は、頭を抱えた。
……馬鹿が。相思相愛かよ。……死なば諸共って顔して、訓練もしていないのに魔物と向き合うか。
「――――オッ、こっちにも人間が居るじゃねえか!!」
ゴブリンが現れ、意気揚々と俺の所に向かって来た。……どうやら、こっちのコブリンは言葉を喋るらしいな。
「傷めつけてやる…………!!」
そう言い、こちらに走って来るゴブリン。俺は何も言わず左腕を伸ばし、ゴブリンの頭蓋骨を掴んだ。
「なあ、スケゾー。この場がどうなろうと、知ったこっちゃねーが……コイツらの親玉には、少し興味があるな」
「そうっスね。……で、どうするんで?」
躊躇わず、その頭蓋骨を握り潰した。小さな悲鳴と共に、ゴブリンの足下に魔法陣が出現。跡形も無く、その場から消滅する。
実体が無い。……『召喚』されている証拠だ。
「もし先延ばしにしたら、親玉が出て来るかねえ……」
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