第9話 友

 EV車が音もなく俺の前に停まっていた。まるで忽然とその場に現れたみたいだった。

 車窓のスモークガラスが下がって、ひょいと顔が現れる。

「よお、シュウじゃね?」

 みのるという俺の名前をこう呼ぶヤツといえば……。

「カッちゃん……」

 濃紺のサングラスをとって顔を見せたのは、カッちゃんだった。何年ぶりだろう。生きてたのか。

 車から降りたカッちゃんがバリッとしたビジネススーツなのには驚いたが、昔と変わらぬ丸刈り頭に、笑顔は同じだ。体はでかくなっている、というかこのご時世にもかかわらずでっぷりと腰回りに肉が付いていた。

 ちょっと目を細めて俺を上から下までさっと眺めた。

「すっかり痩せちまって……。その支給品のシャツじゃ職が見つからないみたいだな」

「お前、生きてたんか!?」

「病人にみえるか?」

 カッちゃんは大きな両の手をからだの前で広げた。これだけ体でかくても笑顔は中学生みたいだ。

「なんてこった。今何してんだ? この車まさかお前のか?」

「車は商用登録してる。仕事は……夢を売る、とでもいうかな」

「小説でも書いてんのか?」

 返答はなつかしい笑い声だった。中学の頃の高笑いと同じでよく通る声だ。

 ポケットからきちんと折りたたまれたハンカチを取り出して、あせをふいた。指はまるっと太くて、爪も綺麗に切っている。

「ま、テレビもネットもないから、それもいいかもしれねぇな」

「今の子供は半分くらい文字が読めないらしいぜ」

「ま、ゆとりが貧民に半分の時間でものを教えよってのが無理なんだろ……そうだ!」

 カッちゃんは後部座席に積んでいた銀色の箱を取り出した。それってもしかして……。

 夏スーツ姿のカッちゃんが、まるでマジシャンのように箱のふたを開けるとアイスクリームのカップがあった。ドライアイスの白い煙が日射をうけて蒸散していく。

「本物か?」

「一個どうだ」

「こ、こんなもんどこで」

「あるところにはある。無いところには絶対にない」

「すげぇな。いまいくらぐらいするんだろ」

「そこのベンチで食おう」

 俺はアイスクリームにつられて公園の入り口に一番近いベンチに向かう。

 すわってアイスカップを受け取った。霜が降りたカップを取った手が少し震えた。何年ぶりだろう。カッちゃんはまたハンカチを取り出して顔を拭いた。

「今年もとんでもねぇ暑さだな」

「物心ついた頃からずっとだ」

 俺は軽く、カッちゃんはドスンとベンチに腰をおろした。

「……中学んとき以来だな。もう十年か」

「お前がいなくなってから、結構ひどかったよ」

「俺の分までやられたんだ? ……すまない」

「いい。俺はあのときカッちゃんを守ってやれなかった」

「そりゃあ、上から椅子が降ってくりゃ避けられないさ」

「ほんとに死んだとおもった」

「もし死んだんなら、隣に座ってるのは幽霊ってことになる。俺、幽霊にみえるか?」

「そんな色黒の太った幽霊がいるかっ!」

 俺のツッコミで二人して少し笑った。その瞬間だけ中学時代がよみがえったみたいだった。

「お前、大学へ行ったんか?」

「行ったけど無職」

 またいつもの明るい笑い声が俺の耳を叩いた。すこしつらい。


 カップをあけて、これまた懐かしい木のスプーンですくう。

 なんという甘美な。舌が一瞬すずやかになって、濃い乳の味がのどを滑っていく。

「……おい、どうした? アイスくらいで泣くなよぉ」

 背中をばしばし叩いたカッちゃんは昔のままだった。

 カッちゃんがクラスの虐められっ子ナンバーワンで、俺が二番目だった。佐々木や新井のやつと一緒によくかばってやったり、一緒になって殴られたりした。でも、今は順番が変わったみたいだった。そして佐々木と新井はもういない。

「ごほっ、ごほっ……かっ、ご、ごめん」

 咳が止まらないでいると、カッちゃんが大きな手でゆっくり背中をさすってくれた。

「おまえもいろいろあったんだな」

「うん」

 上の空で返事をしながら、アイスクリームをじっくり味わって食べた。

 俺は少しずつゆっくり木のスプーンで削り取っていたが、カッちゃんはサクサク食べるとぽいっとカップを夏枯れした下草に放り投げた。

「お、」

 カッちゃんの視線を追うと、さっきの砂場で遊んでいた子がたっていた。小さな麦わら帽子の下から覗く顔は、俺の持っているアイスカップを真剣そのものという表情でガン見している。

 後ろから慌てて母親が駆け寄ってきた。

 俺は一瞬、絶対にこいつにやりたくないと思い、そして恥じた。

 カッちゃんが小さなアイスボックスを開いて、その子にカップを渡したからだ。

「あ、あの。これ本当にいただいていいんですか」

 と母親が言った。

「お母さんの分もありますよ」

 カッちゃんは最後に残ったアイスカップを取り出した。

 受け取った母親は何度も礼を言ってから、子供の手を引いて公園から急ぎ足で去っていく。多分、ほかにも子供がいるんだろう。

 カッちゃんが言った。

「ガキの頃はこんなもん小遣いで買えたってぇのによ」

「ごちそうさま。うまかった」

「これからどうする」

「もうハロワに行くには遅いから図書館で暑さをしのぐかな」

 俺はハローワークのがらんとした書類だなを思い出した。人はいつも一杯いる。仕事はない。

 突然、カッちゃんはまじめな顔で言った。

「なあ、俺はガキの頃ずっとかばってもらったこと、絶対に忘れないぜ」

「もういいよ。昔のことだから」

「俺にとっちゃそう昔のことじゃない……ずっと考えてたよ。お前のこと。今どうしてるかなって。こうして会えたのも神様のおかげかな」

 急に変なことを言った。カッちゃんはなんの宗教も信じていなかった。自分だけを、自分の未来だけを信じていたんじゃなかったか。

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